決意
9月14日(土)10時30分
全身がとにかく痛い。そして燃えるように熱い。私は死んでしまったのか。
最後に覚えているのは、焼け焦げた私の家。なにもなも燃えてなくなってしまった。ママも、美鈴も、遥香も、私の部屋も、庭も、思い出も何もかも。
余りにも非現実的な記憶が、頭の中を過ぎる。どれも、本当に起きたという実感がないものばかり。けれど、微睡の中でさえ、消えることのない体の痛みが、どの記憶も現実だということを訴えている。
こんなことをしている場合ではない。今は一刻も早く起きなくては。
体を無理やりにでも動かそうと試みるが、指先までまったく動く気配がない。私は体を動かすことを一度諦め、集中して、体の中に動かせる場所がないかどうかを確かめる。そして、なんとか目を開けることに成功した。
「……あら?一橋さん?一橋さん、起きたの?」
私に呼びかける、優しい女の声が聞こえる。しかし、体を動かすことができない私には誰の声なのか分からない。私に見えるのは、白い天井だけだ。途中で倒れ、病院にでも運ばれてしまったのだろうか。
「だ……ゴホッゴホッゴホッゴホッ」
相手に呼びかけてみようとして、盛大に咳き込んでしまった。喉が痛い。そうだ、火災の乾燥した空気に喉をやられていたんだ。
「あら、大変。焦らなくてもいいからね。ゆっくり、ゆっくりよ」
優しい声の主は、私の咳がおさまるのを待ってから、私の体を優しく抱え起こす。そして、手に持ったコップでゆっくりと水を飲ませてくれた。
美味しい。冷たくもなんともない、普通の水なのだろうが、今まで口にしたどんな飲み物よりも美味しく感じる。私は、コップの水をゆっくりゆっくり時間をかけて飲み干し、そしてまた導かれるままベッドに横になった。
優しい声の主は、校医の清白先生で、私が寝ている場所はどうやら、学校のようだ。私は無事に目的地までは着くことができたのか。途中で力尽きたのではないとわかると、少しホッとした。
私はそれから、先生に見守られながら横になって体を休めた。そして、2分ほど休んだあと、再び体が動くかどうか試してみた。すると、立ち上がることはできそうにないものの、今度は自力で起き上がることに成功した。しかし、やはり体のあちこちが痛む。切られた肩が痛むのはもちろん、至る所に火傷を負い、裸足で火の中を歩いたせいで足の裏もジンジン痛む。
先生は、私が急に体を起こしたことに驚き、急いで私の体を支えようと手を差し伸べてくる。しかし、私は手のひらを先生の前に出して、助けを制止する。
「先生、私は弱くちゃいけないんだよ」
「どうして?あなたの状態で動いたら、本当に死んでしまうわよ?」
助けて欲しくない。自分で立ち上がらなければいけない。そう思うと、自然と弱くてはいけないと言う言葉が口をついて出てきた。
確かに先生が言うように、今は無理に体を動かしてはいけないのだろう。けれど、私には死んだとしても、やらなければいけないことがある。
みんなが殺されたのは私が弱いせいだ。パパが黒幕と知っている今、全員を助けられたなんて、そんな都合のいいことを言うつもりはない。でも、みんなを殺した奴が目の前にいたら止められたか?多分、殺されていた。
私が今生きているのは、パパがそう望んだからだ。みんなが私がいないところで殺されたのだって、多分偶然じゃない。
それなのに、私がこんなところで休んでいていいはずがない。それに、私は、弱い私が許せない。
「先生。私はここに、鷹城を殺しにきたんだ」
私が言葉を発した途端、医務室のどこか和やかな空気が一変した。先生は私を介抱しようと出していた手を引き、ベッドの脇の椅子に座ってしまった。顔を伺うと、どこか余裕がなさそうで、何かに焦っているようだった。
先生の様子からして、やはり一昨日雀荘で死んだのは鷹城だと聞かされているのだろう。
「鷹城先生は、死んでないよ」
カマをかけるため、私がそういうと、先生は、やはり食いつくように私の顔を覗き込んできた。
「どういうこと?」
「あの規模の火災現場から見つかった遺体が、こんなに早く特定できると思う?鷹城が死んだことになっているのは、その方が都合がいいからなんだよ」
「あのね、鷹城先生は、断ってはいけない誘いを断ってしまったの。だからね……」
どうやら先生は、鷹城が薬の取引を断ったから、学園の関係者に始末されたと思っているようだ。
しかし、このままでは、埒があかない。私は話を進めるため、強い口調で先生の言葉を遮り、私にあったことを伝えた。
「先生!落ち着いて聞いて。私の家も燃やされて、ママと妹と死んだんだ」
私の言葉に、先生は口元を押さえ、目を見開いたまま黙ってしまった。
私は先生の様子に構わず、目を見てさらに言葉を続ける。
「私の家族はみんな知らずに、あの薬を飲でた。だから、妹とママは殺されちゃったんだよ。私も別のところで殺されかけたんだ」
「そんな……」
先生は、薬という単語に反応し、明らかに動揺した様子で、頭を抱えて下を向いてしまった。
「あの火災があった雀荘にね、真理亜の手下が出入りしてたんだよ。だから、あそこは燃やされた。そしてその翌日に、私たち家族が被害にあってる。つまり、この連日の火災は、あの薬を軸に起こった放火殺人なんだよ」
「じゃ、じゃあ、今度は今日、この学園が燃やされるっていうの?」
「そうだ。全校生徒が集まる、この式典以外にタイミングが思いつかない」
話したいことを話し終え、先生を見ると、全身がガタガタと震えている。話は伝わったようだが、深刻に捉え過ぎて、これでは動くこともできないかもしれない。
そのまま様子を伺っていると、先生は突然ガバッと頭を上げ、縋り付くように私の右腕を握った。助けを請うように私を見つめる瞳は、涙で潤んでいる。
「じゃあ、鷹城先生はなんで?」
「黒幕だから」
「そんな……でも、わたし、あの薬飲んでないわ!それに、売買だって関わってないし」
「でも、先生は薬のことを知っている」
先生は、わたしの手を掴んだまま俯き、その場でおろおろと泣き出してしまった。私は先生が泣き止むまで、じっと待っていた。
少しして先生は私の手を離すと、ポケットからハンカチを出して目を拭い、私の方に向き直った。顔をあげた先生の顔はまだ不安に満ちていた。
「一橋さんは、どうしてここに来たの?」
何故逃げなかったのか、か。それはもちろん逃げても殺されるからだ。
けれど、それがわかっていたとしても、普通なら殺される場所に行こうなどと思えないだろう、と先生は聞いているのか。
確かにかんが手も見なかったが、私はどうしてここにきたのだろう。
少し考えてみたが、ぼやっとした感覚的なことしか思い浮かばない。それでも、先生の気持ちに応えるため、胸の中にある気持ちを言葉にしてみる。
「私は、家が燃えているのを見たとき、悔しかったんです。友達……には結局なれなかったけど、幼馴染を殺されて。その上で家族まで奪われて。私は、悲しいより、悔しかったんです」
「それで?」
それで、怒ったんだ。どうしたらいいのかわからなくて、怒ったんだ。私から全てを奪った奴らに、そしてパパに。
言葉にしてみると、自分の気持ちが明確になって、心の中に入ってくるような感じがする。
改めて、噛み締めてみて初めて思う。虚しい。悔しい。許せない。
私から大切なものを奪った奴らもそうだ。でも、それ以上に、それを止められなかった自分自身が許せない。
「私は、悔しくて悔しくて堪らなくて、怒ったんです。でも、奪われちゃったあとだから、どうしたらいいか分からなくて。だから、どうせ殺されるなら、せめて足掻いて、私から全てを奪った奴らの思い通りにならないようにしようと、そう思ったんです。ちょっとバカみたいですけど」
「ううん、そんなことない。あなたは偉いわ。わたしなんかよりもずっと」
先生は私の話を聞き終わると、私の右手にそっと手を添え、ハンカチを今度は私の目に当てた。
気付くと、私はいつの間にか泣いていた。自覚した途端に、涙は堰を切ったように一気に溢れ出し、いつまで経っても止まらなかった。
「うぁぁぁぁあああん」
わたしは先生の方から向き直り、手で涙を拭いながら、幼子のように、ただただ泣いた。
久しぶりの経験に、涙の止め方がわからない。泣けば泣くほど、失ったものの大きさを実感する。そして、同時にそれを止められなかった自分が情けないという気持ちも大きくなった。
先生は、私が泣き止むまで私を抱きしめてくれた。傷が痛まないよう優しく、私を気遣いながら。
結局私は3分くらい泣いていた。散々泣いたせいでどっと疲れたが、かわりに、心の中がスッキリしたような感じがした。
「ごめん。みっともないとこ見せた」
私がそういうと、先生は私から離れて、にっこりと微笑んだ。その顔には不安の色はまだあったが、それでも迷いの色はもう少しもみられなかった。
「ううん。私たち、逃げられるの?」
「無理だと思う。それを予想していないはずがないから。それにもし、ここから逃げられたとしても、どこにも逃げ場所なんて残されていないと思う」
覚悟を決めた先生にあえて本当のことを伝えた。それで先生が逃げようというなら、あえて止めることもない。そう思ったが、それはどうやら取り越し苦労だったようだ。
「詳しいことを聞かせて」
「多分、今回は爆発事故を偽装するつもりだと思うんだ。というより、私にはまとめて400人近い人数を処理する方法が他には思いつかない」
「なるほど。確かにそうね。……だとしたら、狙われるのは確実に人が集まっているホールね。プランは決まっているの?」
「いや、それはまだ」
先生は、下を向き考え込んでしまった。
私は正直、現場に駆けつけて、中の人間を逃すしかないと思っていた。行き当たりばったりだけど、実際それ以外にやれることがあるのだろうか。
先生はそれから、1分ほどして顔を上げると、ポケットから携帯を取り出し、私に見せた。
「拡散、しちゃいましょうか」
「拡散ですか」
「ええ。わたしには、爆発物を処理する方法も、仕掛けた人たちと戦う力もないわ。それなら、狂言でもいいから爆発を予告して、ホール内の映像をネットにアップし続ければ、そう簡単には起爆できないんじゃないかしら」
「なるほど」
ネットを使うのか。そんなこと考えもしなかった。確かに、直接避難誘導をするのは、途中で爆破されてしまうリスクを伴う。しかし、ネットに拡散しておけば、ほぼノーコストでその可能性を限りなくゼロにできる。確かにその方法が、今現実的に行える最良の選択肢かもしれない。
「決まりね」
先生はプランが決まると、すぐにベッドの横から立ち上がり、白衣を脱ぎハンガーにかけた。そして、中に来ていた白のワンピースの上から、式典用のジャケットを着て、胸元にピンクの花が特徴的なお洒落なコサージュをつけた。
先生は自分で実行するつもりなのだろう。着々と式典に向かう準備を完了していく。
作戦は完璧だろう。だからこそ、本来なら不安を感じないはずなのだ。しかし、先生を見ながら、私は何故か不安を感じていた。
もちろん、どんな作戦を立てても、殺される可能性がなくなるわけではない以上、不安を感じるのは当然だろう。しかし、この不安は、それとは何か別のもののような気がする。例えば、何かを見落としているかのような。
先生は、鏡で自分の姿を確認し、髪の毛を結び直すと、上着のポケットに入れた。
「じゃあ、わたし行くわね」
「先生、待って」
「どうしたの?」
「何か、何か見落としている気がするんだ」
私は得体の知れない不安に、思わず先生を止めてしまった。けれど、先生を止める具体的な理由もない。
先生は私の不安そうな様子に気が付いたのか、私の元まで来ると、ふふっと笑って私の肩に手を置いた。
「行動しなきゃなんでしょ?リスクは変わらないんだから。先生、あなたに勇気をもらったのよ。今度はわたしに任せて」
先生は私の背中に手を当て、ゆっくりとベッドに寝かせた。そして、お腹の辺りまで布団をかけると、軽く手を振って、そのまま医務室を出て行ってしまった。
これで本当に大丈夫なのだろうか。もしも、先生が計画通りにことを運んでくれれば、それほど良いことはない。けれど、やはり得体の知れない不安感が拭えない。
私はベッドから起き上がり、先生の机の横の棚からコップと、冷蔵庫からお茶の入ったピッチャーを取り出した。そしてコップにお茶注ぎながら、違和感について改めて考えてみる。
今日、まとめて関係者を殺せるタイミングが用意されている。私は行かない可能性すらあったから、事前に殺されるというのはわかる。それは、マリアの手下の男たちも、おっちゃん達もそうだ。でも、だとしたら真理亜が前もって殺されたのは何でだ?
黒幕の正体を探していたから、見せしめとか報復か?いや、私と話した時には真理亜は鷹城をマークしてなかったし、あそこで殺すのは、どう考えてもデメリットの方が大きいような気がする。
黒幕に関しての情報を知った人間は、知られた時点で殺すのがベストに決まっている。それなのに、どうしてあのタイミングで殺されたんだ?
そこでようやく、核心にたどり着く。
そもそも、鷹城が学園に潜入していたのは、始末する人間を洗い出すため、情報収集をしに来たからだ。
……じゃあ盗聴だってしていたんじゃないのか?
教室の前に立っていた理由を、盗み聞きをするためと決めつけてしまったせいで、盗聴をすでにしているという可能性を失念していた。しかし、当然されているに決まっている。相手は、プロの殺し屋なんだから。
それなら、私が鷹城が怪しいのではないかと話した直後に、真理亜が殺されたのも納得がいく。
……なら、今の会話だって盗聴されてたんじゃないのか?
「先生!!」
私は急いで扉を開ける。けれど私が気付いたのは、あまりにも遅すぎた。
ホールへ向かうため、渡り廊下を渡っている先生は、私がみたときには、既に宙に待っていた。
パァァァァン
先生が浮いているのを確認した直後、わずかに遅れて、校舎の中に、乾いた発砲音がこだまする。
先生の体は、頭部から後ろに血を撒き散らしながら、ゆっくりと、美しく宙を舞った。そして、そのまま後ろに飛ばされて、渡り廊下の壁に激突し、そのまま滑り落ちた。先生の体が通った後には、まるでレッドカーペットのような、美しい赤いラインが残されている。
地面に落ちた死体は、額の中心に開いた穴から溢れ出る血で染められ、もう私の位置からでは誰なのかすら分からなかった。
私は急いで医務室に入ると、ドアを閉め、すべての窓とカーテンを閉めた。そして、締め終わると同時に、その場に座り込んだ。
一瞬の出来事だった。しかし、余りにも衝撃的すぎて、私には、まるで映画のワンシーンのように、ゆっくりと時間が流れているように感じられた。
「せんせぇ……」
何が、運良く運べばだよ。敵が構えている陣地のど真ん中で、何を安心しているんだ、私は。
また、私のせいで死んだんじゃないか。
悔しくて悔しくて堪らない。誰よりも強いと、自分を高く見積もって、自分の才能にあぐらをかいて、日常がつまらないと格好つけてたくせに。
「私、だっせぇな」
再び、目から涙が溢れて、体を濡らした。しかし、今度は溢れ出てくる涙を、拭ってくれる人はいない。私が弱いせいで、誰もいなくなってしまった。
私は唇を噛み締め、右の手で思い切り自分の頬を叩いた。そして、同じ手で涙を拭い、立ち上がる。
もう、弱い自分はいない。
私から全てを奪ったやつを殺す。どんなに相手が強力でも、たとえ死んでも、それでも殺す。私にできることをして、そして出来ないことまでやってやる。
さっきコップに注いだお茶を飲み干し、冷蔵庫から、先生のお菓子をありったけ取り出し胃に流し込む。そして、薬棚を漁り、痛み止めと胃薬、そして鉄剤を、お茶を使って流し込んだ。
体を確認すると、処置のため包帯が巻かれているだけだった。扉に鍵をかけ、体に巻かれている包帯を全て外す。肩の刺し傷は、火傷のおかげでとりあえずは塞がっている。足の裏が痛い以外は、大きな火傷もない。
処置を確認すると、全身の火傷と切り傷全てに丁寧に薬が塗られている。式典の準備で生徒が残っていたおかげで、清白先生がが泊まり込んでくれていて本当にの良かった。
薬戸棚の引き出しから新しい包帯を出してきて、特に痛みのひどい肩に念入りに包帯を巻き直す。痛みは相変わらずだが、取り敢えずは動かせるようになった。
着るものを探して、周りを見回すと、先生のデスクの脇に私のスーツケースが置かれていた。
中を開けてみると、スニーカーが一足にスポーツ用の下着がワンセット。靴下が1足と、白Tシャツが1枚。あとは髪留めと、冬用の制服が入っていた。なかなか準備がいいじゃないか。
私は、中に入っていた下着とTシャツを着て、靴下を履く。そして、スカートを履き、上は悩んでワイシャツと、あとはリボンだけはつけることにした。
そして、先生の机の中から、くしを借り鏡の前で高い位置でポニーテールを作る。
「よし」
鏡の前で全身を確認すると、なかなか決まっている。運動着の方が動きやすいのは間違いない。しかし、こっちだってプロのJKだ。プロの殺し屋と戦おうというのに、ダサい服じゃ締まらない。
スニーカーを履くと、やはり締め付けで足の裏がじんじん痛むが、素足では長く走り回れないだろうと、そこは我慢する。
医務室の入り口に立ち、扉に手をかける。
「先生、ありがとう。でも私が、やっぱ無理しなきゃやってらんねぇや。絶対殺すから、見ててね」
なんとなく、まだ先生が見ているような気がして、誰もいない室内に向かって、声をかけた。そして、一気に扉を開けて、外に飛び出す。
まずは鷹城を見つけ、爆破をやめさせる。
ホールを確認できて、学校全体が見渡せる場所で、かつ、先生を狙撃できる場所はあそこしかない。
鷹城の居場所は屋上だ。




