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Killing syndrome  作者: 兎鬼
3章 加速
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18/26

新たな目標


9月13日(金)19時50分


「あ、ああ、あなた!このTシャツがわかるんですか!ギャルなのに!」


「うるせぇ、ギャルじゃねえわ!」


私は一世一代の賭けに出ていた。


相手に剣を抜かせない為に、なんとか動揺を引かなければならない。けれど、私はあいつの性格や、動きの癖を全く知らない。そんな最悪な状況の中、私はこの場でできることを必死に考えた。

相手の容姿を褒める?世間話を振ってみる?

しかし私には、男の興味を確実に引ける話題は全く思いつかない。


なんとかしようと、相手の様子を改めて観察し、そして、確信した。こいつの興味を引くならば、あのTシャツに関連するアニメの話題以外にはないだろう、と。

けれど、私にはアニメに関する予備知識も全くない。クラスメイトにアニメのグッズを持っている子がいたせいで、なんとなくアニメのグッズなのだろうとはわかる。ただ、そこにさえ確信はない。更に1番問題なのは、話を無理やり作るにしても、実は私は、今まで全くアニメというものを見たことがないといあことだ。


悩んだとしても、他に思いつくはずもない。それに、剣が抜かれそうな状況では、考えるにしても圧倒的に時間が足りなかった。

そこで、あのTシャツがアニメのグッズだと決めつけ、私がアニメを知っている体で話題を振るという、一世一代の賭けに出たというわけだ。


「なかなか探しても売っていなかったので、僕、オリジナルで作ったんですよ!」


「やっぱりな!どこで買ったんだろうって思ってたんだよ!」


「僕もアニメで一眼見た時から、欲しくて仕方なかったんです!あのアニメ、いいですよね!僕なんて、アニメを見て何度泣いたことか……」


そして、結果だけ見れば、私の命懸けの選択は、取り敢えず成功したようだった。


男は、私の言葉に反応し、嬉しそうにアニメの話を続けている。まったくなんの話かわからない私に、しきりにキャラクターの名前を出して、名シーンを語ってくる。相手の嬉しさがこちらにも伝わってくるほどの熱意に、こっちまで嬉しくなる。けれど、どれだけ話されても、全くなんの話かわからない。


賭けに勝ったおかげで、男のさっきまでの物々しい殺気は、ほとんどなくなり、刀の構えすら解かれている。それどころか、刀なんて嬉しそうに動く手足と一緒にバタバタと慌ただしく動いているほどだ。

殺気のせいで動きにくくなっていた体も肩の傷が痛む他は問題なく動かせるようになってきた。


私は左の肩を庇いながら、立ち上がる。そして、男の話に相槌を打ちながら、攻撃のチャンスを伺い、近づこうと試みる。

しかし、そこは流石に今までの奴らとはレベルが違う。ある程度の距離を保ち、近づかせてももらえない。それどころか、攻撃しようか考えただけで、男の剣を持った右手が少し動くのがわかる。男がまだ楽しそうに話を続けているのを見ると、無駄のない全ての動作が無意識に行われているのだろう。


大きなチャンスを得たつもりだったが、私が賭けにひとまず勝って、手に入れられたのは、チャンスには程遠い、いわば延命程度のものなのだろう。よく言っても、チャンスを作るチャンスといったところか。


「あのシーンもとにかく好きで、結構マイナーなシーンなんですけど」


「おう」


私が次の手を考えながら、今までと同じように適当な相槌を打つと、途端に空気が重くなった。

そして、さっきまで楽しそうにしていた男の表情からは嬉しそうな様子が消え、私を伺うような視線を向けている。話も実の間にか終わってしまっている。これは、拙い展開になったかもしれない。


「あなた、さっきから相槌ばかりで適当に返答をしてないですか?本当に、このTシャツがなんのアニメのものなのか、わかってます?」


「何言ってんだよ、当たり前じゃないか」


チャンスを作ろうと思っていた矢先に、一気に雲行きが怪しくなってしまった。私の適当な相槌から、アニメについて何も知識がないことがバレそうになっている。


しかし、こうなる事は分かっていたことだ。だってアニメを見たことないんだから相槌以外できるはずがない。


「知ってるよ。あの、アニメの奴だろ?」


自分でもわかる。この返答にはさすがに無理がある。けれど、なんのアニメなんて言われても、タイトルすら知らないんだから、そんな質問に答えられるはずがない。


私の明らかに不自然な様子に、男は怪しむ視線を隠す様子すら見せない。けれど、私に出来ることは、その場しのぎをしながら状況が好転するのを待つことだけだ。


考える仕草をしているが、もはや考えることも何もない。何かコイツから答えられる問い掛けがあれば話は別だが。


そう思いながら、男の顔をじっと観察する。すると、今まで気にも留めなかった、長い前髪の下の男の素顔が視界に入ってきた。

正直第一印象は最悪だったし、今も強いキモいオタクくらいにしか思っていない。けれど、長い前髪の下の素顔は、思いの外、イケメンだった。クマはあるが、まつ毛の長い綺麗な二重の大きな目、それに鼻も高く、唇の形もかなり整っている。多分自分でも、自分の素質に気付いていないんだろうなぁ。性格もアレだから、女子にはもちろんモテないだろうし。

まあ、私のこの気づきが、この状況に全く関係ないんだから、自分でもビックリだけど。いやぁ、それにしても鼻、高いなぁ。


「あの、アニメですか。あの、の後はなんですか?」


「鼻……」


「は、なぁ?」


やべ、声に出ちゃった。


質問を待っていたのに、重ねて質問された以上、私に与えられた状況は最悪だった。今となっては、訝しい顔をされた時点で、一か八か攻撃に出るべきだったなとすら思う。

しかし、それも今となってはどうしようもない。口をついて出た言葉が、よりにもよって「鼻」なんて最悪だ。

男の話から、感動できる作品であることだけはわかった。ならば尚更、タイトルで鼻がつくことなんてあるわけがない。それに、男のあの反応なら、正解という可能性は万に1つもないだろう。


こうなってしまった以上、待っていればあとは殺されるだけだ。なんとか臨戦態勢に入る前に、こちらから仕掛けるしかない。そうすれば、もしかしたら致命傷だけは避けられるかもしれない。

私は、男が嘘に気づき、激怒する前に、急いで攻撃の準備をする。右足を後ろに引き、左手を前に出す。


ここまでしてしまった以上、こちらの敵意にも間違いなく気付かれる。構えこそしていないが、相変わらず隙はない。しかし、ここで怖気付く訳にはいかない。こいつに勝つには、生きて帰るには、男に構えを取られる前の今、このタイミングで打って出るほか無い。

私は静かに深呼吸をし、決意を固める。


しかし、無情なことに、先に動き出したのは男の方だった。男は凄い勢いで私に近づくと、私が前に出した左手を両手でガシッと、捕まえるように握り込んだ。そして、その瞬間、左肩に鋭い痛みが走る。


くそ、これだけの実力差があるのに、弱点をついてくるのか。利き腕こそフリーになっているが、痛む左腕の関節を決められれば私にはどうすることもできない。


案の定男は、私の手を両手で掴んだまま、上に思い切り振り上げ、そして今度は思い切り下に振り下ろした。

とてつもない痛みが肩に走る。あまりの痛みに、何度も意識が飛びそうになる。私は決死の覚悟で、歯を食いしばり、意識を保ち続ける。

けれど、男の執拗なまでの、攻撃は終わらない、男は繰り返し私の腕をブンブンと振り回し続ける。

なんて、陰湿な野郎なんだ。さぞ、私が痛がっているのを面白がっているに違いない。


私は男の顔を確認するために、いつの間にか閉じていた目を開け、男の様子を改めて見てみた。


しかし、男の顔には嫌らしい笑顔などどこにもなく、むしろ、さっき私がTシャツの話題を振った時のようなとびきり嬉しそうな笑顔が広がっていた。


「なんだ、わかってるんじゃないですか!そうです、あの花、ですよ!」


「……え?」


今まで感じたことのないほど、痛みが身体中に駆け巡る。けれど、それ以上に状況に理解が追いつかない。


え?あの鼻?

まさかそれがアニメのタイトルなのか?「あの鼻」が正式名称ではなく略なのは間違いない。それでも、感動巨編で、鼻がタイトルにつく作品が本当にあるのか……

「あの高い鼻の標高何メートル?」みたいな感じだろうか。うん、ないな。適当に想像してみたが、自分で考えておきながらゾッとした。いくらなんでも、ネーミングセンスなさ過ぎでしょ、私。心の中にしまっておこう。


それは、おいておいて。

とにかく、事実として、私が口走ってしまった「鼻」のお陰で偶然にもアニメのタイトルを当てることに成功した。

さっきあいつが、私が鼻と言った途端に、私の手をブンブン振って嬉しそうにしていたのを見てもそれは間違いない。どんなアニメのタイトルなのかは全く見当もつかない。いくらなんでも、あの鼻ってタイトルはなんかマニアック過ぎるような気もするけど。


ていうか、肩、痛っ。


「お、おう!はじめから分かってたよ!」


「ええ、ええ!僕の周り、アニメ見る人いないので、とっても嬉しいです!同志です!ギャルなのに!」


「いや、ギャルではねぇわ」


男は私の手を振るのをやめても、まだ握って離さないまま、キラキラした視線を私に向けている。それから、辛かったオタク人生を語り出してしまったが、これまで女子との関わりをほとんど持たなかった、なおかつ友達のいない(どちらも偏見)こいつからすれば、私のようなギャル(に見えるJK)でも、話して貰えるのが嬉しいのだろう。


あまりにも真剣に話してくるので、痛みに耐えてもう少し付き合ってやりたい。けれど、私の左手を両手でホールドされているこの状況は、攻撃のためでないのなら、私にとってはとてつもないチャンスだ。言い換えれば、私の腕一本で、相手の両腕を押さえられているということなのだから。


痛くて痛くて、今すぐ腕を振り解いてしまいたい。けれど、このチャンスを逃すなんて有り得ない。というより、この機を逃したら、わたしが生き残る確率なんて残されていない。


楽しそうなのに、卑怯なことして。ごめんな……


心の中で名前を呼ぼうとして、死闘を繰り広げた相手の名前も知らないことに気がつく。中世の騎士ならこういう時は名乗り合うんだったような気がする。しかし、今の私にはそんな余裕はない。とりあえず、こいつの呼び名は、Tシャツに書いてある「地底人」でいいだろう。


「オタクのグループもあったんですけど、なんか僕って……ぶっふぅ!」


ガゴン


空いている右の手で思い切り男の顎を打ち抜いた。そして、間違いなく顎も揺らした。


けれど、男は倒れない。それどころか、突きを繰り出す軌道を無意識に察知したのか、腕を切り落とすため、男は反射的に私の手を離し、刀に手を添えていた。


私は、突きを入れると同時に、刀を抜けないように力一杯男の左手を押さえ込む。そして、股間を目掛けて思い切り蹴りを入れ、続け様に顔を2発殴った。


「ぅぅぅううう。な、なん、なんでですか。どもだぢになれると、ぼもっだのに」


「ごめん、地底人!」


地底人は、涙を瞳いっぱいに為、股間を押さえながら、下半身を庇うように、上半身から崩れ落ちた。そして、膝をつき、お尻だけ上げた状態で、地面に蹲ったまま動かなくなった。


脳も揺らしたし、股間も思い切り蹴り上げた。けれど、それでも倒せた気がしない。このまま待っていれば、こいつはたぶん起き上がって私を殺すだろう。なんとかいまは、こいつが起き上がる前に、急いで、できるだけこの場から離れなきゃ。


私は、靴も履かないまま、男の横をすり抜け家の方向に、できる限りの速度で走った。

追いかけてこられたら、肩の傷を負った私に、あいつから逃げ延びる手段はない。


アドレナリンのおかげか、不思議と肩の痛みは余り感じない。今のうちに、追いかけてこられる範囲から出よう。


強い疲労感の中、家に近づくにつれ強くなる新しい世界の実感と、生き延びられた幸福感を噛みしめながら、私は一歩ずつ着実に目的地に進んでいく。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


気がつくと、僕は自室のテレビの前でガラの悪そうなギャルのJKと並んでアニメを見ていました。

そして、お互いに笑い合って、とっても楽しい。何故か会話は聞こえてこないけど、格別な幸福感があります。


そして、アニメが終わり、JKとアニメのことを話していると、隣のJKが、突然僕の手を握り潤んだ目で僕を見つめてきます。


待って、僕、こういう経験は全くないから。どうしたらいいのかわかりませんよ。


取り敢えず、僕は状況に流されてみることにしえ、握られた手の上から手を重ね、そして見つめ返す。

こんな幸せなことが現実に起きていいのかな。ふとそんなことさえ思ってしまうほど、僕は幸福感に満ちている。


そして、JKは僕の方を見つめたまま、空いた拳を握り……え、こぶし?


そのまま、大きく振りかぶると、僕の股間を思い切り叩きました。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「ノォォォオオオォォオオゥゥ!!」


「シャドウさん!」


僕は衝撃に、咄嗟に起き上がり、周りを確認する。すると、起きた場所は、さっきまで居たはずの自室ではなく、仕事用の車の中だった。


僕に寄り添うようにして声をかけているのは、組織の事後処理班の幹部で、僕の部下の……えっと、名前は……忘れましたけど、誰でもいいですね。

何故か彼は、心配そうに僕を見ているけれど、僕の断末魔の叫びのせいでしょうか。


やっぱり。

あんなに幸せなことが現実な訳がないとは薄々思っていたけど、まさか、本当に夢だったなんて。あの夢の中で股間を殴ってきたJKは夢の中では彼女だったのでしょうか。でも、顔は綺麗でしたけど、股間をグーで殴るような女は嫌ですね。


「シャドウさん起きられたんですね。動けますか?」


「そんなの、当たり前じゃないですか。……あ、イテテ」


元気であることを部下に示すために、手足を動かして見せようとして、股の間に鈍い痛みが走る。

夢の中で殴られた時は本当に痛かったですけど、痛みが現実にまで波及するほどなんて。そんなことが、あるんでしょうか。


「シャドウさん、道の真ん中で、お尻を突き出して地面に突っ伏していたんですよ」


「いや、何言ってるんですか。さすがにそんなわけ。いや……あぁ、思い出してきました」


あぁ、僕、やらかしたわけですね。

目撃者を1人逃してしまったと。それも、一対一で戦っておきながら、勝てる戦いに手を抜いてしまったと。

それは、この僕が道に倒れていたんだから、どんな相手にやられたのかと心配になって当然ですね。


時計を確認すると、20時半を少し過ぎたころ。


確実に見たかったわけではないとはいえ、ひみつ道具のロボアニメすら僕から奪ったというわけですか。


「こちらの被害は?」


「申し上げにくいのですが、シャドウさんを含め先行して任務に当たっていた戦闘班の5名は全てやられておりまして……」


まあ、それはそうでしょう。まぐれかどうかは置いておいて、僕の刀を2度も交わした相手だ。いくらなんでも、Bランク以下の人員じゃあ勝負にすらなるはずがない。


「では、話を聞きたいので、誰か意識のある人を呼んでくれますか?」


「それが……」


「まだ、目覚めていないと?」


「……全員、殺されました」


「そうですか」


「はい。改めて一から説明させていただきます。まず……」


聞かされた内容は驚くべきものだった。僕が車から降りて行った時にはすでに、僕とあのJK以外の現地にいた人間は皆死んでいたのだと。そして、一橋幸之助は、入口の門のちょうど真裏にある隠し戸からすでに逃げていて、現地にはSPはおろか雇われた同業者すら居なかったようだ。

計画が初めから漏れていた。状況を見ればそうですが、多分これは、対象に逃げられ、僕らが殺されるところまで計画のうちだったというところでしょうね。


何もかもが周到に仕組まれていたということだ。これを仕掛けてきたのは、多分僕のクライアントなのでしょう。奇しくもボスの読みが当たってしまったようですね。


「ボスはなんと?」


「クライアントから、依頼の取り下げがあったので、対象はもう追わなくていいそうです」


「そうですか。では、うちの人間以外の死体の身元は判明していますか?」


「はい。従業員が6名と、安倍恒三とその秘書で、合わせて8名です」


僕らを都合の良い手駒として使ったわけですね。その上、僕らを始末することが目的だった、と。こうなれば流石に僕にもわかる。僕のクライアントはあいつだ。

だとすれば、あのJKは僕らに当てるために雇われたプロ、か。僕の性格を知った上で、勝てなくても、戦闘以外で逃げられる隙のある相手だと、そう甘く見られたということですね。


「許しませんよ」


キキィーーーーーーーーガタン


僕が怒りを発した瞬間、車は凄い勢いで回転し、路肩に乗り上げた。僕は車が止まるより先に、バンの横の扉を刀で切って外に出る。


「シャ、シャドウさん?」


見れば、運転手は気絶してしまっているらしい。運良く直前にブレーキに体重をかけていたおかげで止まることができたのだろう。

状況を説明していた部下が、心配そうに僕の方を見ている。けれど、心配なのは僕が変な行動を起こさないかどうか、だろう。だとしたら、僕には関係がありません。


「僕はここで降ります。ボスには、僕は以来進行中なので帰れないと伝えてください」


「シャドウさん、逃げられた人間は追うなと指示を受けているはずですよ」


「ええ、そうです。しかし、これは目撃者を始末するという、依頼の後始末です。……それとも、貴方は僕に失敗したまま帰れと、そう言っているんですか?」


僕は、右手に持った獲物に左手でそっと触れ、部下の男の顔をじっと覗き込む。

すると、部下の顔は見る見るうちに青ざめていき、そして、何秒か経った頃には気を失って動かなくなってしまった。


その様子を見て、部下の体たらくにがっかりし、少し冷静を取り戻すことに成功した。

苛ついていたとはいえ、部下を本気で殺しそうになっていたことには反省しかありません。それでも、あの程度の殺気で気を失ってしまうなんて。


「あなたは事後処理班だからいいです。でも、さすがに、この程度で気絶する運転手なんて危なくて仕方がない。ボスに変えてくれるように言っておいてください」


全員気絶してしまっている車内に向けて、大声でそう伝える。もちろん伝わったはずもないので、あとでボスに直接伝えよう。

僕は、仲間を置き去りに、新しい目的地へ向かう。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


9月13日(金)20時45分


図らずも、余りにも派手な事故を起こしてしまったせいで、人だかりができてしまった。まだ少し、玉に違和感はあるが、ここではおちおち休んでもいられない。

僕は出来るだけ速く歩き、人混みから逃れ商店街の方へ出るため、住宅街の中を進む。


確か、目的地へも商店街から反対側に抜けないと行けなかったはず。とにかくこのまま進みましょう。


それから5分くらい歩いて、住宅街の中の公園に差し掛かる。

入って休みたい。けれど、ここで休んでいる暇はない。早く彼と合流して、作戦を立てなければいけないんですから。僕は歩く速度を上げ、迷わず公園のベンチに腰掛けた。


「もうダメ。疲れました」


復讐?しますよ?でも、疲れたら戦えないでしょう?

歩くの嫌いなんですよね。スタミナもないし。あーあ。さっきの車で送って貰えばよかった。

しかし、僕が向かおうとしている場所は、仕事上明らかにお願いできる場所じゃない。それを理解した上で車から降りたんですよ。でもそれにしても遠い。徒歩5分くらいのところに用意してくれないと、僕がたどり着けるわけないじゃないですか。


「はぁ、疲れた。先に連絡だけ済ませましょうかね」


僕はポケットから携帯を取り出すと、電話帳の中から、ある男の名前を選び、電話をかける。夕方会った時は忙しそうにしていたので、すぐに出るとは思っていなかった。けれど、予想に反して電話の相手、ホークアイは僕がかけてから2コールほどで電話に出た。


「もしもし、僕です」


「あぁ、わかってるよ。ふふふ、忠告してやったのに、やっぱり負けたのか?」


「知ってたんですか!忠告するならもっとはっきり言ってくれないと分からないですよ!このアホ!アホ!」


電話の向こうで、盛大に笑う声が聞こえてくる。ああ、腹が立つ。ボスが裏があると予想したからには、ホークアイは先の展開まで読んでいたに違いない。でも、こうなるとわかっていたなら言えばいいのに、失敗なんてしたらそれこそ大問題じゃないか。悪戯でやっていい範疇を超えてますよ。


疲れと、あまりの惨めさに、悔しさと怒りがこみ上げてくる。

僕が無意識に発してしまった殺気のせいで公園の木の中から、数羽のカラスが落下して地面に叩きつけられ、残りのカラスは一斉に飛び立ってしまった。


「ボスが言う程度の依頼なら、俺やお前に話がいくわけないだろう」


「じゃあなんで教えてくれなかったんですか!」


「そう怒るなって。ちょっと待ってろよ」


ツーツーツー ツーツーツー


そこまで言うとホークアイは電話を切ってしまった。話ができない状況なのか、もしかしたら……


ブゥン ブゥン ブロロロロロロロロ


やっぱり。

電話が切られたおよそ3秒後、住宅街に爆音が響き渡った。そして、公園の横に、この住宅街にはおおよそ似つかわしくない、青いスポーツカーが現れた。


そして、右側の扉が上に開くと、奥の運転席に座る、悪戯っぽい笑顔の男が現れた。


「よお!どうせ俺のところに来ようとして、疲れて休んでるだろうと思って、迎えにきてやったぜ」


「のりません!」


現地状況まで把握して、僕がここで休むことを知っていたくせに、それなのに僕を助けなかったと言うんですか、この男は。もうこれ以上、絶対に思い通りになんて動きたくありません。


「そうか、なら仕方がない。俺は先に現地に向かう。……現地までは直線距離で5キロか。車なら20分弱だけど、歩いたら2時間くらいかな」


ホークアイはニヤニヤしながら僕の方を見つつ、敢えて小声で嫌なことを言ってくる。駅周辺から5キロとか、僕にそんな距離を歩けるわけがないじゃないですか。


心配してきてくれたのはわかります。けれど、こういう所がムカつくんですよ、まったく!乗りますけど!


「どうしてもって言うなら、乗ってあげてもいいですよ」


「さーて、じゃあ先に行くわ」


「くっそぉー。わかりました、乗せてくださいー!」


「え?乗るの?しょうがないなぁ。どうしてもって言うなら乗せてやってもいいぜ?」


くぅぅ、このやろう、ほんとムカつきますね。あえて僕と同じことを言いやがった!しかも僕にここまで言わせるなんて。


……でも、ホークアイに口喧嘩で勝てるはずがありません。歩きたくないし、せっかく迎えにきてくれたんだから乗ってやるよ!


「このぉ。ふぅーふぅーふぅー」


ボスン


僕は無言で、荒い鼻息を立てながらスポーツカーの座席に勢いよく座った。そしてシートベルトを探す。さっきまで開いていた扉は、僕がシートベルトを止め終わる頃には自動で閉まってしまった。今どきの車はハイテクですね、まったく。高級車だからか、このやろう!

そして、また車は爆音を上げながら目的地に向け発進した。


「ホークアイ。僕が負けそうなのに、何故きちんと釘を刺さなかったんですか?」


僕は車が走り出すと、まず初めに1番気になっていたことをホークアイにぶつけてみた。

運転中なので彼がこちらを振り向くことはないが、なんとなくバツが悪そうに見える。もしかしたら、珍しく助けない方がいい理由が明確になっていないのかもしれないなと、直感的にそう思った。


「……まぁ、お前が負ける確率の方が低いと思ったからだよ」


「それはそうでしょうね。けど、本当にそれだけですか?」


珍しく、歯切れの悪い言い方のホークアイに、続けて問いかける。核心をつく質問かもしれない。でも、彼は僕のこう言ったまっすぐな物言いにもなれているはずだ。


ホークアイは頭を掻いたあと、少し僕の方に視線をやって、やはりどこか嫌そうに続けた。


「お前、たまに鋭いんだよな。……正直に言えば、どっちが正解なのか分からなかったんだよ」


「どっちと言うと?」


「ボスもお前でなければいけない案件だと理解していたはずなのに、お前に釘を刺さなかっただろ?」


「ええ、そうですね。それで?何が言いたいんです?」


「だから……お前が確実に依頼を成功するようにすることが正解なのか、それとも、お前が失敗する可能性を残すことが正解なのかってことだよ」


僕が失敗した方がいい?一体何を言っているのかわからない。ホークアイがわからないのだから僕に分かるはずもないのでしょうけど。

ホークアイは僕の様子を見て、僕の考えがわかったようで、さらに言葉を続けた。


「……つまりな、クライアントはもしかして、お前が失敗してもいいと思ってた。もしくは、お前が戦った相手が勝つ可能性を残して、そいつの戦闘能力を検証したかった、とかかな。そして、釘を刺さなかった以上、ボスも想定してたのかなって、そう思ったわけ。だから、あんな半端な忠告しかできなかったんだよ」


まったく理解が追いつかない。安倍大臣の死も間違いなく目的の1つだったはず。そして、ついでに僕らが戦うことも狙いなのだろうと思ってはいました。けれど、もしかしたら、あの女の戦闘能力の実証実験だった可能性があると?


「それで、相手はどんな奴だったんだよ」


「多分JKです。それで、僕と同じくらいの身長で、長い黒髪を上に括ってポニーテルにしてました。それで性格のキツそうなつり目で」


「お前、私のことよく見てんな!……みたいな話し方か?」


「そうです!」


ホークアイの話ぶりからして、やはり思いあたる人物がいるようです。とするならば、同じ依頼ではない以上、ホークアイが一般人に心当たりがあるはずがない。やはりあの女は同業者だと言うことだ。流石にズブの素人に僕が負けたなんて失態はありえない。もしそうなら、大変な事件になるところでした。


「あの女を知ってるんですか?どこの組織の所属で?」


「残念だけど、素人だな」


「そんな!だったら何故あなたが知ってるんですか!」


「名前を聞けばピンとくるよ。その女の名前は、おそらく一橋鏡花だ」


一橋鏡花だって?

僕が素人に負けてしまったという事実も、受け止め切れないほど、僕にダメージを与える。

けれど、それ以上にその名前が僕の依頼の中から上がったことに驚きを隠せない。一橋鏡花といえば、ホークアイの潜入している学校に通っているJKで、先日依頼の情報を握ったまま逃げたっていう奴だ。偶然とはいえ、僕の相棒の依頼をダメにした奴が、僕の依頼まで潰すなんて。もうこうなれば、確実に偶然なんかじゃない。僕たちは、あの男の手の上で踊らされているということか。


「先に言っておきます。僕の喧嘩です、あの女には手を出さないでくださいね」


「分かってるよ。だが、戦うのは俺の土俵だ。あのガキに、お前と戦う価値があるかどうかは試させてもらう。それはいいな?」


「ええ。こっちもそれを言われることくらい分かっています。なるべく生かしてくださいね」


一般人に負け、その上、相棒に再戦の機会を作ってもらう。無様なことこの上ない。けれど、ホークアイも僕も、偶然とは言え2人とも一度は出し抜かれた相手です。だからこそ、今度は、プライドに賭けても確実に仕留めなければならない。


ただ、ホークアイが試すと言ったことをそのまま鵜呑みにするほど、僕も馬鹿じゃない。もうあの女を危険因子と見なしているでしょうから、試すと言う言葉の意味は、僕らならギリギリクリアできるレベルの障害物を仕掛けるということだ。一般人ならもちろん助かる見込みはない。けれど、もし、その程度の壁を乗り越えられないようなら、僕が戦うに値しない、「人間」だったということだ。


「なんだかお前、負けたのに嬉しそうだな」


僕が考え込んでいると、ホークアイの方から僕に声をかけてきた。

いつの間にか、国道に出ていて速度もかなり上がっている。そのため、ホークアイはこちらを振り向いていない。よく見るとバックミラーの向きが変わっていて、鏡越しに目があった。


僕が楽しそう、か。確かに、産まれてから高校まで普通の人生を送っていた僕にとって、この世界で生きていくことは、泥の中を必死にもがくようなものだった。そして、今振り返ると、僕は人生で一度も負けたことがない。

こういう、出し抜かれて、その後に倒されてしまうなんてことは今までには一度もなかった。だからだろうか。今のこの明らかなピンチが楽しくて、ウキウキして仕方がない。


「僕はもう負けませんよ。だって主人公なんですから。それに、ホークアイ、あなたも楽しそうじゃないですか」


鏡越しにホークアイの顔を伺うと、彼の顔には今までに見たことがないほど嬉しそうな表情が写っていた。

ホークアイも僕と同じで、この状況を楽しんでいるんだと思うと、なんだか嬉しくなった。


「お前は俺とは真逆のタイプだ。計画性もまったくないし、いつも適当。だけどな、それでもお前はいつも負けない。だからお前は俺の相棒なんだよ」


「ふふふ。くっさいセリフですね。」


「うるせぇ。……だからな?俺が、お前を負かした、一橋鏡花ってガキの力がどれほどなのか、楽しみじゃねぇわけがねぇだろ?」


僕が女の子なら、確実に落とされている。そう思うほど、キザな台詞に思わず嬉しくなってしまった。

恥ずかしい思いを僕だけがするのは嫌なので、ホークアイの顔を確認してやろうとミラーを覗き込むと、ミラーはすでに戻され、もう後ろの車しか写していなかった。けれど、見なくてもホークアイがどんな顔をしているのか分かったので、敢えて確認はしない。


「次は、2人とも依頼を全うしましょう。そして、どちらかが、一橋鏡花を仕留めましょう」


今回は別々の任務なので、敢えて2人でとは言わない。けれど、僕たちにかかれば達成できない依頼なんて存在しない。こんなことを言うと、ホークアイは甘く考えすぎだと怒るでしょうけど。


もう、クライアントの思い通りにはなりません。僕たちが相手なんですから。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


9月13日(金)20時30分


私は、肩の傷を庇いながら、必死に家にたどり着いた。辿り着いたはずだった。


肩の痛みは時間を追うごとに増し、今は意識を保つことで精一杯。裸足でここまで走ってきたせいで、もう足の感覚も残っていない。


けれど、痛みなど忘れるほどの、余りにも非常な現実に打ちのめされ、私は膝から地面に崩れ落ちてしまった。


「こ、んな、の、ないだろ」


私が今朝まで、ママと談笑していた場所には、私のスーツケースが置かれていた。3年前に中学の修学旅行で使ったきり、クローゼットにしまってあった奴だ。私がなんでもいいって言ったら、ママがずっと使える奴がいいって、とびきりお洒落なのを選んでくれたんだっけ。そろそろ学園の旅行で使うだろうと思って、準備しなきゃと思っていたのに。


私の唯一の居場所だった我が家は、どこにもなくなっていた。家があった場所には、私のスーツケースだけが置かれ、他の部分は引き倒されたように潰れ燃えている。誰がどう見ても、中の人間が助かるはずはない。


「ママ!美鈴!生きてたら返事してくれ!遥香!誰もいないのか?」


生き残れるはずはないと知っていても、認めることなんかできるはずはない。わたしは立ち上がると、焼けて何も残っていない庭を駆け抜け、まだ燃え続けているリビングにたどり着く。そして、必死に瓦礫をかき分ける。


「ママ!美鈴!何処にいるんだ!」


足が、手が、顔が焼けていく。なにもかもが焼けてしまった家の、ものすごい匂いに、嗅覚はもはや機能していない。それでも、諦めきれず、瓦礫の下を探していく。


しかし、どれだけ探しても、家族の思い出すら何処にも見当たらない。


焼ける足の感覚など無視して、家族が囲んだ食卓があったあたりにただ立ち尽くす。家族が揃って食事をすることはなくなってしまった。けれど、ここにくれば誰かに会えた。けれど、それも全てパパに奪われてしまった。


「何でだよ!家族だろう!」


もはや、乾燥した空気にやられ、まとももに発声もできない。けれど、構わず叫んだ。その瞬間、全身に痛みが帰ってきた。


痛い。とにかく痛い。

気づけば全身に火傷が広がっている。私は這うようにして、庭に向かうと、池に身を投げた。

体の3分の2は浸かるほどの深い池のはずだが、炎のせいで干上がり、ようやく膝が浸かるくらいになってしまっている。けれど、体が浸かるには十分な深さだ。水の冷たさは体についた火を沈め、破片を流す。


水に落ちている間、私の脳裏に走馬灯のように、今までの人生が一気に流れ込んでくる。

私は死ぬのだろうか。このまま、水に浸かっていても、家の中にいても間違いなく死ぬだろう。

走馬灯の最後に、ついさっき、パパと交わした会話が流れてくる。


「一橋鏡花は今ここで死んだ。今から君はただの鏡花だ。誰にも気兼ねすることなく、自分に正直に生きてごらん」


あのスーツケースは、パパから私への最後の贈り物。地獄への片道切符ということか。

くそっ。生きるも死ぬも地獄じゃないか。

けれど、そう思いながらも、私の中ではもう腹は決まっていた。


死にたくない。いや、ここで死んではいけない。


水の底を、右手で力一杯押し、水面に一気に立ちたがある。

空気が熱い。とにかく火元から離れなければまだ。私は池から出ると、敷地から出て、スーツケースを手に取った。


火に焼け、水に落ちたせいで、体はいうことを聞かない。けれど、頭を物理的に冷やしたおかげか、頭はこれ以上ないくらいに冴えている。

スーツケースを手にした私には、普通の人生は送れない。相手がパパでは警察も頼れない。そして、焼けた家は、このまま逃げ続けてたどり着く、私の未来そのものだ。


打って出よう。


間に合うかはわからない。私の家族のように、もう始末されているかもしれない。けれど、このままパパの思い通りになんかなってたまるか。

私は歯を食いしばって痛みを殺し、重い体とスーツケースを引きずって、目的地へと向かう。


真理亜が殺された、私立花園女子学園へ。

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