始まりの終わり ②
9月12日(木)14時30分
教室を出て行く鏡花さんの後ろ姿を見送ったあと、わたくしは得体の知れない感情に襲われるのを感じていた。
「なんなのよ」
心の中に整理がつかず、思わず口から出た言葉がそれだった。邪魔者が白旗を振って、尻尾を巻いて逃げていった。それだけのはず。
「なんなのよ!」
思わず叫んでしまった。自分で出した大声に自分でびっくりしてしまって、ふと我に返って周りを見てみると、英玲奈さんと文香さんが心配そうに顔を覗き込んでいた。
「真理亜さん、大丈夫ですか?」
「……ええ、大丈夫よ」
「一橋の挑発的な態度には、その、腹が立ちましたわね」
「いいえ、そんなんじゃないわ」
英玲奈さんがわたくしを心配して気を遣ってくれていることがはっきり分かる。最後のプライベートな話なんて何の話かさっぱりわからなかっただろうに。
いやそれよりもまずは、わたくしが独断で秘密を話してしまったことを2人に謝らなければ。
「それより、ごめんなさいね。わたくしの独断で余計なことまで話してしまって」
「……す、すこし、その、驚きましたけど、必要なこととわかったので、私は大丈夫です。……真理亜さん、その、顔色が良くないようですけど、保健室までお連れしましょうか?」
「ふたりとも心配してくださってありがとう。けど鏡花さんのことは、わたくし自身で何とかするから大丈夫よ」
そう。これはわたくしが自分で何とかしなくてはならない問題。それにこの気持ちは多分、一朝一夕でどうにかなる物でもない。時間が何とかしてくれるのを待つ他になさそうだ。
それよりも、鏡花さんが邪魔者ではないと分かった今は、まず邪魔者は誰なのかを考えなくてはならない。
「真理亜さん、よろしいでしょうか。その」
「ええ、鷹城先生の話ね」
私立のこの学園で、学園長の息のかかった範囲にいる人間に裏切り者などいないと高を括っていた。しかし考えてみれば、これも盲点かもしれない。
余裕がなくて頭は普段のように回らないけど、教師側に裏切り者がいるなら、かなりうまく動けたはずだ。
「おふたりはどう思う?」
「わ、私は、その、私がさっき言った、怪しい人達と、同じくらいあり得ると思います」
「文香さん、そのまま続けて」
「はい。その、言われてみればレベルの事なんですが、た、鷹城先生の赴任時期って、その、変でしたよね」
確かに。赴任した時に感じた違和感を思い出す。確かに7月終わりの夏休み前の赴任なんて聞いたこともない。
大人しそうな方でしたし、学園長からの信頼も厚く、仕事熱心とのことでした。生徒への自主的に生徒の補習を受け取ったり、まるで教師の鑑のような方と学園内で噂になるくらいでしたから、わたくしも好印象を持っていた。でも……
「確かに、鷹城先生が裏切り者でわたくし達のお仕事について調べているとすると、妙な赴任時期も、好印象も、個人的な補習も全て納得がいくわね」
「は、はい。妙な動きもなく、その、こ、好印象でしたので、ノーマークでした」
好印象な先生だからと決めつけていたせいで後手に回ったかしら。まだ彼が裏切り者と決まったわけではないけれど。
割と好意を持っていたのに、もしそうだとしたら残念ね。
「真理亜さん。鷹城先生も確かに疑わしいですけど、現状怪しい動きをしているわけでもない彼より、さっき文香さんが言っていた方達から当たった方がいいのではないでしょうか」
「確かにそうね。おふたりともありがとう」
確かにその通りだ。
鷹城先生の動きに今まで妙な動きは見られなかった。どちらかにここで絞るにしても、今先生に絞ってしまうのは確かに早計かもしれない。
頭が回らないからふたりに尋ねただけだったけれど、これは案外聞いてみてよかったわね。
「ただ、本当に鷹城先生が廊下にいたなら、後回しにはできないから……そうね、少し予定を変更しましょう。文香さんは予定通り、不穏分子のリストアップを進めてちょうだい。英玲奈さんはリストが完成するまでの間、駒を使って鷹城先生の監察をお願い。バックアップはわたくしがするわね」
「わかりましたわ」
「か、かしこまりました」
「そうそう。もし鷹城先生が裏切り者だったとしたら多分プロだから、あなた達が自分で動くのはなしにしてね」
私立の学園というのは、少し治外法権的なところがある。その場所的な優位性と、少年法を逆手にとって違法な薬の売買を行なっている。その上わたくしが作らせている薬は見た目完全にアメだから、余計にばれにくい。
政治家の娘が通う私立の学園の私有地だ。警察だって、執行人だってよっぽどの証拠でも上がらない限りは入ってこられない。
それにこれだけ人の目があるのだから、まさか人殺しなんてするはずがない。
とすれば、プロが潜り込んでいるとすれば警察に雇われた探偵か、情報を売って生計を立てるハイエナくらいだろうか。
どちらも仕事熱心で生徒に優しい鷹匠先生のイメージには合わない感じがするけど。
わたくしのお父様の支配から逃れて、なおかつ取引に口を挟める人間なんて一橋の家の人間くらいしか思い当たらないけど、鏡花さんは違うと言っていたし。
「はぁ」
やはり頭が思うように回らないわね。
今ひとつこれだという答えにたどり着いていない感じがする。
「真理亜さん、大丈夫ですか?今日は帰って休まれた方がよろしいですわ」
「そうね、ありがとう」
「あ、あの、き、今日中に、ある程度リストアップしておきますね」
「無理しなくていいわ。今日はみんな休んで明日からに備えましょう」
無理をする必要はない。言ってずつ確実に邪魔者をあぶり出し、追い詰める手をとっていけばいい。
今日は考えることが多すぎたわね。いや、この程度のこと、普段なら平気なはずだけど、何故かしらね。
考えている間に、英玲奈さんが動かしてあった机を手際よく片付けて、荷物の準備までしておいてくれている。文香さんも自分の荷物をまとめているが、やはり英玲奈さんに比べるともたついている感が否めない。
任せきりでは悪いし、わたくしも準備を始めなければ。
机の中にものが残っていないことを確認。続けて教室の中のものを定位置に戻したことを確認する。荷物の準備も完了。
「よし、あとは迎えを待つだけね」
「はい。さ、さきほど、連絡しましたので、あと、じ、15分ほどで迎えが来るかと」
「ありがとう」
ふう、と一息つく。鏡花さんとの話ではこちらが一杯食わされてしまった。
わたくしが対話などで遅れをとることはあまりないが、稀にうまくいかないことがある。そういう時は失敗が続くものだが、何か見落としはないだろうか。
いや、この時点ではまだ何もわからないわね。
相手方の出方を見つつ揺さぶりをかけていくしかない。とりあえずは大丈夫。考えすぎね。
「あ、あの、帰る前に、お、お手洗いに行ってきてもいいですか?」
「そんなこと、いちいち尋ねないでいいわよ。時間もあるし済ませておきましょうか」
「あ、私も行きます」
英玲奈さんは窓際に適当にカバンをおき、せかせかと小走りで扉に向かい、わたくし達が出やすいように扉をあけてくれる。
こういう行動力は素晴らしいと思う。確かに文香さんに憧れられるだけの事はある。わたくしに比べても、下からの人望も厚いようだし。
イレギュラーな連絡が来てもいいように、鞄から携帯を出してポケットにしまう。
英玲奈さんは急いだ勢いをそのままに、廊下に出て行った。多分、外で待ってくれているのだろう。
英玲奈さんを追うような形で廊下に向かう文香さんに、少し遅れて続く。
相談、対話、帰る準備と3つやることを終えお手洗いに向かいながら、わたくしは気を抜いてしまっていた。
そんな中、文香さんが廊下に出ようとした時にそれは起こった。
パシュン
廊下に不可解な音が鳴り響いた。
まだ教室を出ていなかったわたくしにはなんの音なのか全く分からなかった。
しかし、わたくしの前に廊下に出ていた文香さんにはその音がなんなのか、何が起こったのかを明確に理解できてしまった。
「……え?き、き、き、きぃぃいやぁああぁああああああぁあ」
あの大人しい文香さんからはとても想像できないほどの絶叫。それは悲鳴だった。
わたくしは事態を確かめるため、急いで廊下に出る。
「なにごとなの!?」
「え、えれ、え、え」
文香さんは廊下にうずくまってしまっていて、声も出せない。それに失禁してしまっている。
そっと文香さんの肩に手を置きながら、文香さんが驚いた原因を探すため、文香さんの見ている方に視線を向ける。
「まさか」
そこにあったのは、額から血を吹き出しながら廊下に倒れた英玲奈さんだった。
額からとめどなく溢れ出し続けている血液が、英玲奈さんの頭の周囲に血だまりを作りかけている。髪の毛を伝っているせいで広がりはやや緩やかになっているようだ。まだ全身がヒクついていて、息はありそうだが到底助かるはずはない。
そしてさらに廊下の先に視線を送ると、そこには拳銃を構えた、鷹城先生が立っていた。
瞬時に状況を理解する。さっきの音はサイレンサーで消された銃声だったんだ。
マズい。
直感がそう告げる。悠長に英玲奈さんのことなんか確認している場合ではなかった。
文香さんを連れて早く逃げなくてはならなかった。
間に合わないだろうけど、せめてこの直線上からは逃げないと。
「文香さん、逃げるわよ!」
泣きじゃくる文香さんの脇から手を回す。腰が抜けてしまっているようで、文香さんは立ち上がれない。
重い。流石にわたくし1人の力では、人1人を運ぶなんて無理だ。しかし、やらなければ確実に2人とも殺される。
文香さんを引きずり、再度教室を目指す。教室に入れば袋小路にはなるが、兎に角かわすことを考えなくてはならない。入ってしまえば、扉や障害物を使って切り抜けられるかもしれない。早く、早く教室に入らなければ。
しかし、そんな悠長な望みが叶うはずがない。やはり遅かったようだ。
パシュン
「ぎゃああ」
再度銃声が鳴り響く。
文香さんが銃声に悲鳴をあげる。わたくしは諦めず移動する事はやめないが、恐ろしさの余り目を閉じた。
死を覚悟しながら、教室への最後の一歩を踏み込む。
ドサァ
助かったの?
恐る恐る目を開ける。周りを確認するとそこは教室の中だった。どうやら、最後の一歩で教室に倒れ込めたようだ。体を確認するが、どこにも怪我はない。銃は外れたって事?
「真理亜さんありがとう。でも私を置いて逃げて」
「文香さん、あなた」
文香さんの言葉を否定しようと、文香さんの方を振り返ると、ちょうど文香さんの左の膝から血が流れ出ていた。
さっきの銃撃はわたくしを狙ったものではなかったんだわ。
少し冷静さを取り戻し考える。だがそれでも助かる手段が何も思い浮かばない。
立って文香さんを引きずっていた私がいたにもかかわらず、倒れていた文香さんの足を正確に狙える相手からなんて到底逃げられない。
何故考えなかったのだろう。まさかこんな過激な方法で対処してくる事は想定できないにしても、もし鷹城先生が邪魔者で本当に盗み聞きをしていたなら、わたくし達をタダで返すはずがないじゃない。見落としはこれだったんだ。
「真理亜さん、にげてぇぇえええ!!」
嗚咽混じりの文香さんの絶叫に現実に引き戻される。まだ終わっていない。逃げなくては。
「残念。逃がさないよ」
考えすぎた。
見上げた先にはすでに、銃を構えて不敵な笑みでこちらを見る鷹城先生が立っていた。
確実に終わりだ。この倒れた姿勢では満足に横に逃げることすらもできない。でも、いやだ。こんな所で死にたくない。まだ何1つできていない。
政治家になる夢も、結婚も、それに鏡花さんに吠え面かかせることも。
カチャ
引き金が引かれつつある音がする。このまま動かなければ確実に死ぬ。せめて精一杯逃げなくちゃ。
「いやぁああ」
必死に体を起こし、前のめりに起き上がりながら、反動を利用して前に進む。先は教室の窓側だが選べる状況ではない。せめて一歩でも動かなきゃ。弾に当たらないように。
窓際に着くまでに姿勢を整えて、それができたら今度こそ横に飛ぼう。そう決意を決めながら窓際に進む。
ドサ。
「あっ」
何かにつまづく。
そうだ、さっき英玲奈さんが無造作に置いていた鞄だわ。マズい、このままだと転んでしまう。
倒れそうになる体を必死に起こして、窓の方に進むが、起き上がった勢いとつまづいてよろけた時の勢いが重なって、止まることができない。
倒れはしないが、このままでは窓に当たってしまう。ぶつかった時に止まってしまうのはマズすぎる。
しかしやはり、この体勢ではもはや姿勢を整えなおす事はできない。
窓にぶつかった後、なるべくスマートに体を横に倒すイメージを膨らませる。
やるしかない、と改めて決意を決める。
衝撃に耐える為、手を前に出して目を瞑る。
来なさい。やれるだけのことはやってやるわ。
パシュン パシュン パシュン パシュン
ガン ガン ガコン ガコン
4発の発砲音と、物が壊れる音。しかし、依然としてわたくしに体の痛みはない。ついているわ、これならいけるかもしれない。
手が窓の桟に触れる。衝撃を覚悟し、改めて趣味レーションを再開する。
しかし、いくら待っても来るはずの衝撃が来ない。
ハッとなって目を開けると、そこにあるはずの窓が枠ごとそっくり無くなっていた。
窓枠を掴んでも勢いは収まらず、窓枠を支点にして、まるで跳び箱の踏切のように、もしくは背負い投げでもされたかのようにそのまま窓の外に投げ出されてしまう。
そして襲ってくる恐ろしい浮遊感。3階から1階にたどり着くまで、おそらく10秒もかからない。
しかし、落下している時間は異常に長く感じる。死の間際に走馬灯のようになるというのは本当なのかもしれないな、などと悠長に考えられるほどに。
死に直面した状況で、さっきまで回転していなかった頭が一気に稼働しているのか、今までの出来事が一気につながる。
英玲奈さんが初めに殺されたのは、あの活発さを厄介に思われてだ。そして文香さんが頭ではなく足を打たれたのは、使い道があるから。そしてわたくしがわざわざ窓際に追い込まれて、こうして落下させられているのは、おそらく事故死に見せかける為。
よくよく考えてみれば、鷹城先生ならばわたくしたちの動向を掴むのもたやすいだろうし、英玲奈さんが窓際に鞄を適当に置くことも知っていて当然だ。
何が、逃がさないよ、よ。わたくしを焦らせて窓際に追い込むためだったんじゃない。
それにもしかしたら今回の騒動、はじめから鷹城先生の手の内だったのかしら。
わたくしが派遣したグループと連絡が取れなくなって、教室で緊急の会議を開いたのも、鏡花さんが学園に無事にたどり着いたのも全部わたくしと鏡花さんを接触させて、不良の鏡花さんがわたくしの仲間か確かめようとしたというところかしら。
今までの思い出が一気にフラッシュバックする。
幼稚園の時、口喧嘩で鏡花さんに泣かされたこと。初等部の時ピアノの発表会で、鏡花さんに最優秀賞を取られたこと。鏡花さんが不良になるまで、一度も成績で学年1位がとれなかったこと。
ふふ、英玲奈さんと、文香さんに申し訳ないくらい一橋鏡花のことばかりね。
悔しい。
手をばたつかせても落下の勢いは一向に収まる気配はない。頭が下になってしまっている。このまま落ちたら多分死ぬだろう。死ななくても、逃げられるはずがない。
でも最期なんだから、全力で一矢報いてやろう。この安倍真理亜がたかが一回の教師なんかに、負けたままで終わってたまるもんですか。わたくしに吠え面をかかせていいのは、憎くて憎くて憎らしくてしかたない、あの女だけよ。
落下するまでの数秒のうちに、必死に体を動かしポケットから携帯を取り出す。そして壊れないように、両手でぎゅっと握りしめ、体の中心に抱き込むような姿勢をとる。
あとは即死しないことを祈るだけ。
絶対生きて、この出来事を伝えなきゃ。
ドン、グシャ
わたくしがそう決心してから、時間にしておよそ1秒後。わたくしは地面に叩きつけられ、体の骨の至る所が折れ、転がっていたガラスの破片に身体中が切れ、血だらけで、まるでハンバーグになる前の丸められた挽肉のようになりながらも、それでもまだ生きていた。
体をそっと開いて確認する。奇跡的に右腕の骨と携帯が無事だった。
生き絶える前に電話をかけなければならない。しかし、身体を少し動かしただけで全身からとてつもない痛みが走る。骨や関節や神経が一斉に悲鳴をあげ、ガラスの破片がより深く突き刺さる。
「あ、ぁぁあ……」
悲鳴すらもあげられない。信じたくなかったが、背骨が折れているようでろくに姿勢も変えられない。
よかった。
どうせ死ぬということは変わりない。ならば逃げられる怪我でなくてよかった。この怪我なら無様に逃げ回って殺されなくてすむ。一矢報いる決意が鈍らないですむ。
死への恐怖を覚悟で握りつぶして、全身に走る痛みを塗りつぶして、右手の中の携帯を操作する。
幸いにも画面には血も付いていない。電話するだけならなんとかなりそうだ。
電話帳を開き、その中からずっと消せないままだった名前をコールする。
鏡花ちゃん
小学校の時に登録して、結局連絡も変更もしていなかった。繋がる保証もない。
しかし、あの女なら、わたくしの最後のあがきをきっと受け取ってくれる。
「おかけになった電話を、お呼びしましたがお出になりません。ご用の方は発信音の後にメッセージを残してください」
憎たらしい。
繋がったけど、留守番電話なんて。最後なのに、最期なのに。
でも、わたくしたち、こんなものね。無様な声を聞かれないでよかった。
最後の力を振り絞り、声にならない声を絞り出す。
どうか、受け取って。
ピー
「だ、だがじょう、に、…ぎぃ、ぎをづげなざい」
本当に無様ね。最期にこんなのってないわ。
でもきっと、あの女ならわかってくれる。不思議とそんな気がした。
「じぃ……死んだら、承知い、しないからね」
本当に最期の力と、覚悟と、できる全てを込めて最大限に強がってみる。
何故だかわからないけれど、涙が溢れた。死にたくない。もちろんそれもある。けれどこの涙はなんだか違う意味を持っている気がした。
トン トン トン トン
誰かがこっちに近寄ってくる。間違いない、鷹城先生の追っ手だ。もう終わりか。
あっけなかった自分の人生を振り返り、唯一見つけた最期の望みを、ようやく理解する。
そうか、わたくしは鏡花ちゃんとまた……。
しかし、今更そんなことに気付いて、わたくしらしくもない事を思って殺されるのはまっぴらごめんだわ。
一橋鏡花。あの世にあんたが来たら、また嫌がらせしてやるわ。
わたくしは、極めてわたくしらしい事を思いながら、精一杯の力を込めて舌を噛みちぎった。
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9月12日(木)15時
3-Aの教室の中で、俺は膝を撃ち抜かれて泣く野田と対峙していた。
「だがじょうぜんぜい、な、な、なんで、こんなことを」
俺、鷹城京は人をからかうことが好きだ。だから今回も、生徒の悩みを聞いて面白おかしく盛り上げたり、廊下でクラウチングスタートまでして一橋から逃げて見せたり、1ヶ月の間楽しい教師生活を送ってきた。だからこの学園の生徒は誰1人嫌いではない。
しかし、仕事となれば話は別だ。
今回のクライアントの要望は、この学園で蔓延している「ネクスト」というドラッグの関係者を根こそぎ掃除すること。
残念なことに、学園の生徒の8割以上がそれと知らずにドラッグを常用し、残りの2割はバイヤーになっているらしい。
これはもっと最悪だがオレ以外の教師なんて、学園に金が流れているせいで、取引を知っていて黙認している始末だ。
つまり、今回の仕事は、学園の生徒と教師を全て皆殺しにすること。胸糞の悪い話ではあるが、殺さなければならない相手である以上、たとえ嫌いでなくても、そこに私情ははさめない。
しかし皆殺しにするだけなら、他にもっと適任がいるはずだ。潜入調査でも、殺しでもオレよりもっと優れたやつなんていくらでもいるだろうに。
金のために子供に薬を売買させる大人を殺すことは別としても、将来のある若者を、それも一般ほどの戦闘能力も持たない女子供を殺すなんて。
特に安倍なんて才能のあるやつだった。大人があの才能をもっと別のことに使っていれば、死ななくて済んだのに。
わかっている、これは現実逃避だ。殺しと潜入が同時にできるやつは他にいないし、事実依頼が来てしまっている以上、オレでなくても誰かが殺したはずだ。ならば嗜虐性のある変態や、下手くそなガンマンにやられるよりマシだろう。せめて楽に殺してやろう。
くそ、これもまた現実逃避だな。
イライラして手元が鈍らないよう、ポーカーフェイスの上に、更に冷静さで本心に蓋をする。オレがイライラしている原因は、気が乗らない仕事をさせられているだけではない。実は今安倍達を殺さなくてはならないのはイレギュラーなのだ。
さすがに目立たない学生まで簡単にドラッグとの関係を確認することはできなかった。だから、確認できていない生徒を1人ずつ確認し終わってから一気に処理をするつもりだった。
あと1日あれば確認が終わる予定だったから、土曜の創立記念パーティーで実行できるだろうと予定していたのに、まさか一橋鏡花を追っていたら、オレが裏切っていることが露呈するなんて、正直考えもしなかった。
まったく、あいつ直前まで薬のことすら知らなかったのに、廊下で立っているオレを見てなんでそこまで分かったんだ。
なんの情報も持っていない様子だったし、いいところ直感とかだろうけど、恐ろしいやつだな。
今回の調査で一橋は無関係とわかってしまった以上、これ以上動きがなければ、流石に始末するわけにはいかないだろうが。
まぁいい。ターゲットにオレの存在が露呈してしまうリスクがあったんだから掃除するしかない。急ごしらえの仕事なのでうまくいくか微妙だが、そこをなんとかするのがプロの仕事だ。
さて、やれることをやるとしよう。
「野田、泣くなよ。可愛い顔が台無しだぞ」
不安を煽るため、あえて野田に声をかける。こんなことをしたくても落ち着くことはないだろうが、反応を確認する意味合いもある。
ピロン
しかし、野田の反応を見る前に、予想外なタイミングで携帯にメールの通知が入る。
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件名:安倍真理亜の死亡確認の件
想定外の事件が発生。
死亡確認の為、安倍真理亜が落下した現場に向かいましたが、舌を噛み切り自殺しておりました。事故死の偽造が難しくなる可能性が見込まれます。
柴山英玲奈に関しましては、滞りなく移送完了。落下した窓枠についても交換終了しております。
予定通り死亡時刻をずらすために、2人とも冷蔵庫に入れております。顔バレのリスクを避ける為、私は一時帰還します。
その後の判断を求めます。
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事故死に見せかけるために窓から落下させた安倍が自殺したか。修正可能な誤差の範囲ではあるが、これもまたイレギュラーだ。
まったく、ことごとくうまくいかない。
普通、女子高生が手足が折れた状況で舌を噛み切って死ぬか?
オレが思っていた以上に強い女だな。こう思うと本当に殺したのはもったいなかったかもしれないな。
実にオレに不利な状況が続いているが、ここで感傷にふけっている暇はない。
それに動揺しようにも、考えようによっては、確認が必要な事実が出揃っただけには変わりない。今ここにある情報は、
安倍真理亜、自殺。
柴山英玲奈、頭部に損傷を与え即死。
野田文香、足を撃たれ身動きが取れない。恐慌状態。
これだけわかっていれば、不安に陥った女子高生1人を誘導することなんてあり得ない。ここでミスが起こる可能性がない以上、動揺なんてできるはずもない。
「そんなことは、聞いてません!なんで英玲奈ちゃんを、殺したの!」
野田は親友を殺されたことにショックを受けている。このままでは折角生かしても、使い物にならない。
なら、この角度から攻めてみよう。攻める方針の中で一番可能性がありそうな手段を選択して、返事をしてみる。
「まだ柴山は死んでない」
「え?」
やはりそうか。この状況を冷静に見ている人間からすれば、あまりにも見え透いた嘘だ。しかし野田は親友の死に動揺し、判断能力を著しく欠いている。ならば、その原因を解消する嘘ならば、ありえないとわかっていても聞かざるを得ない。あとはここに信ぴょう性のある嘘で上塗りして、信じられるようにしてやるだけだ。
「オレはそんなヘマは犯さない。2人とも助かるように怪我を与えている」
「う、うう嘘よ!英玲奈ちゃんは、あ、あた、頭を打たれてたのよ!助かるはず、ないじゃない!!」
よしきた。頭部を撃たれても生きている理由を教えてくださいと求めてきた。
やはりこの状況なら理由さえしっかりしたものがあれば、すがりたいんだろうな。
気持ちはよくわかるが、その隙に付け入りやすいという事は知っていたら、もっと賢く生きていけただろう。まぁ今回の場合はもし知っていたら、より早死にしただろうけど。
「小脳に当たらなければ即死はしない。それに安倍だって本当に殺したければ、あんなまどろっこしいことをせずに、頭を撃っているさ」
「しょ、小脳?」
「そうだ。それに……そうだな、お前が今生きて、オレと会話が成立していることが殺す気がない証拠にならないか?」
「た、たしかに」
不用意な会話は相手に情報を与えるだけ。安倍真理亜が口癖のように話していた言葉だ。
それをオレが知っているということを知らない野田からしてみれば、殺そうとしている相手が会話を求めてくるはずがないと思うだろう。
しかし、それは違う。
野田は頭のいい生徒だが、人生経験があまりにも足りなすぎる。安倍がいつも言っていたこの言葉を、そのまま理解してしまっている。
たしかに言葉の通り理解しても間違いではない。しかし、オレや安倍レベルの人間が聞けばこう聞こえる。
会話は相手に情報を与えられるツールである。または、お前が不用意に話すとボロが出るから気を付けろよ。
である。つまり、野田レベルの会話では確かにその通りなのだが、相手によっては言葉に惑わされないように気をつけなければならないということ。嘘には気をつけろということだ。
小脳に当たらなければ即死しないことがあると言う事は事実。しかし、それも奇跡的な状況ならという極めて微小な可能性だ。さらに加えて、オレはプロの掃除屋。なぜオレが殺しの時に小脳を外さなければならない。
しかし、野田は今極度の緊張状態で、冷静な判断ができなくなっている。おそらく今考えているのは、
『もしかしたら2人は生きているのかもしれない。だとしたら、私が生かされているのは交渉のために違いないわ。何をしたらいいのか分からないし、怖いけど交渉に乗る以外に選択肢がないわ』
と言ったところだろうか。
そうなると、次に野田が言うのは
「……わ、わた、わたし、が、な、何をすれば、ふ、2人はた、たた、たすけてもらえるんですか?」
残念だよ。お前達は本当にできのいい生徒だ。もしオレが本当にお前達の先生だったなら、すぐれた大人にしてやったのに。
悪い大人の言うことなんて信じてはいけないと教えてやったのに。
してほしいことを求められたのだから、あとは提案するだけだ。はじめからオレが望んでいたのはこれなのだが、野田には分からないだろう。
「オレが野田たちを襲ったのは、君たちに取引を辞めてもらう為だ。野田は安倍を説得できるかい?」
「も、もちろんです!」
「それなら2人は助けよう。実はもう2人は病院に運んであるんだ。おっとすまん、野田も止血しないとな」
本題を切り出す前に、さらに安心させる為、野田の足に止血剤を当て、その上から包帯で圧迫止血を施す。
そして治療という、もっとも油断する場面で、一番優しい顔を作りながら本題を切り出す。
「救急車を呼ぶから、もう安心していいぞ。おっと、そういえば2人の治療には少し時間がかかるんだ。だから、野田から連絡を入れてもらえないかな、オレが言う通りに話してくれればいいから」
「わかりました」
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9月12日(木)15時30分
ヨガの教室から帰り、リビングでお紅茶を飲みながら一息ついていた頃、突然電話が鳴った。
文香ちゃんがテストで早く帰ってくると言っていたし、多分お迎えの催促かしら。
しかし、その予想は外れたようだ。
家政婦が電話の子機をもってリビングにやってきた。お迎えの催促なら取次はないはずだから、どうやら違うらしい。もしかして文香ちゃんじゃなかったのかしら。
「どなたから?」
「はい、奥様。文香様からでございます。申し訳なさそうでございましたので、何かあったのかと思われますが、深刻そうな様子で奥様をお呼びでしたので、要件は伺いませんでした」
「あらあら、それはいけないわね。どうしたのかしら」
可愛い文香ちゃんに何があったのかしら。
手にしていたティーカップを急いで受け皿におき、家政婦から子機を受け取る。
「文香ちゃん、どうしたの?」
「ママ、ごめんなさい。わ、私、例の仕事でミスをしてしまったの」
例の仕事というのは、安倍さんのところからお願いされている仕事のことね。
詳しくは何も聞かされていないけれど、文香ちゃんは一生懸命やっていたから、心配していなかったのよね。
もしかしたら、パパのお仕事にも響くことなのかもしれないけれど、わたしに何かできることなのかしら?
「大丈夫なの?わたしでなんとかできる事なの?」
「仕事の方は、その、頑張ればだけど、なんとか今日中にリカバリーできそうなの。けどね、その、真理亜さんと英玲奈さんにも手伝ってもらわなきゃいけなくて」
「遅くなりそうなの?」
「今日は泊まり込みで学生寮のゲストルームで仕事をすることになるの」
「安倍さんと柴山さんのお嬢さんも一緒なの?それは大変ね」
大変なことになっているようだ。柴山さんのところの英玲奈ちゃんと文香ちゃんは幼馴染で昔から仲がいいから、連絡を入れれば問題ないかもしれない。けれど、安倍さんはパパの先輩にあたる人だから、巻き込んでしまうとなると、パパの仕事にも影響が出そうだわ。
「それでね、あの、パパに、真理亜さんと、英玲奈さんのパパに泊まり込みになることを謝罪してもらうように、頼めないかな」
「ええ、それがいいわね。パパにはなんて伝えればいいの?ママ、文香ちゃんの仕事はよくわからないから」
「えっとね、顧客のデータリストがフリーズしちゃったから、復旧しなきゃならないって伝えて」
「わかったわ。とにかく顧客データを紛失するかもしれないって伝えておくわね」
文香ちゃんの言っていることは正直よく分からないけれど、わたしの方は大忙しになりそうだわ。
パパに連絡を入れて、それから菓子折を準備して……そういえば、着替えとかは要らないのかしら。
「お泊まりだったら、ママが準備するものは何かあるでしょ?」
「学園の学生寮だから高級品が揃ってるから大丈夫。それより、色んなところに電話しなきゃいけないから、連絡取れなくなると思うから、その、こちらから定期的に連絡するから心配しないで」
「ええ、わかったわ。安倍さんのところと柴山さんのところへの連絡は任せていいから、文香ちゃんも頑張ってね」
英玲奈ちゃんと一緒に仕事を始めてから、ますます強い子に育ってくれた。仕事のことでは手伝えないから、パパのことを抜きにしても、英玲奈ちゃんと真理亜さんと仲違いしないようにしてあげなきゃ。
電話を切って家政婦に渡すと、携帯から大急ぎでパパに電話を入れる。
いつもの通り電話は繋がらないのでかけ直すよう留守電を入れておく。内容が内容だし、気づいたらすぐに連絡を入れてくるだろう。
「アンナさん、いつもの菓子折を2つ準備してちょうだい」
わたしも文香ちゃんとパパのために頑張らなきゃ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
パシュン
1発だけ頭を打って電話を終えた野田を殺した。
帰還したらボイスレコーダーに録音した音声パターンから、安倍、柴山の音声パターンを作ろう。
倒れこんだ野田の腕から血で水没しないように携帯電話を取り上げながらそう思った。
全校生徒の全てがまとめて事故にあって死んだように見せかけるには、今始末した3人が明後日まで生きているように見せる必要がある。
音声パターンを事前に作れていればいくらでも誤魔化せたのだが、急ごしらえの策だったため流石に用意できていなかった。
そこで、3人のボイスパターンが出来上がるまで連絡がこないように、野田本人の肉声で時間稼ぎをしてもらう必要があった。
それにしても、今回のように子供を使ってアリバイを作ることなんてほとんどない。
処理した後でも胸糞の悪い。
野田の死体の処理をさせるため部下の携帯にコールする。
「ああ、オレだ。野田を始末したから処理を頼む。一応伝えておくと、放置した場合の発覚時間は1時間以内だろう。死亡時刻偽造のためにも迅速に頼む」
電話の向こうから、何か文句を言う声が聞こえたが、無視して電話を切る。
あのまま繋げておいたら文句ばかり言われるに決まっている。文句さえ言われなければ、仕事仲間としてなら手際は素晴らしい連中だ。伝わったのならやってもらうしかないのだからそれでいい。
教室の教師用の机から出席簿を取り出す。
これがオレが安倍たちの動向をつかめた理由。この中にカード型のボイスレコーダーが入っている。望んだ時しかデータを送信せず、基本的にネットワークに繋がっていないため発覚の可能性が非常に低い。
そのぶん、こまめにバッテリー交換が必要なのだが、そこはリスクには変えられない。
こういった盗聴器を、赴任してからの1ヶ月強の間に、学園中に仕込んだというわけだ。
幸い、学園長も安倍も学園の中に逆らうものはいないという体で構えてくれていたので大変な仕事ではなかった。
データを回収し終え、さっきまで野田だったものにちらっと視線をやり、無理な姿勢でないことを確認する。変な硬直ができてはいけないのだが、確認したところ特に問題なさそうだ。
ここで祈りの言葉を1つくらい言えたら良いのだろうが、残念ながらオレは無信仰者なのでそれはできない。
せめて柴山とあの世で仲良くやれよと心の中で思いつつ、教室を出て廊下に向かう。
なんとなく気になって、改めてさっき柴山が倒れていた場所を確認してみる。
しかし、そこにはもう柴山がいた形跡すら残ってはいなかった。




