2-1 刻印
入学式から数日が過ぎた。
学院へ向かう道にも、教室の場所にも、少しずつ迷わなくなってきた頃。
一組の教室には、朝から生徒たちの声が飛び交っていた。
窓際ではアルレアがニーアの机に身を寄せ、楽しそうに話している。ノノは自分の席で静かに本を開いていた。
教室の後ろには、まだ誰も座っていない席が一つ残っている。
ガルシアの席だった。
教室には、数日前まではいなかった少年の姿もある。
ソウタは机に頬杖をつきながら、教室の様子をぼんやりと眺めていた。
耳に入ってくる言葉は、どれも理解できる。
自分が口にした言葉も、相手には問題なく伝わっている。
それが当たり前ではないはずだということだけは分かっていた。
(なんで普通に喋れてるんだろうな……)
考えても答えは出ない。
そもそも、ここへ来た理由すら分かっていない。それに比べれば、言葉が通じる程度の疑問など今さらなのかもしれない。
「おーい、ソウタ」
呼ばれて顔を上げると、アルレアがこちらを向いていた。
「今日、実技あるって!」
「実技?」
「え~? 聞いてなかったの? 昨日先生言ってたじゃん!」
「……言ってたっけ」
アルレアが大げさに肩を落とす。
「来たばかりなんだから仕方ないでしょ」
ニーアがそう言うと、アルレアはすぐに振り返った。
「いやいや、それと話聞いてないのは別でしょ?」
「それはそう」
ソウタは机に突っ伏した。
「味方いないじゃん……」
その時、教室の扉が開いた。
それまで騒がしかった空気が、少しだけ静まる。
どこか気だるそうな様子で、リキトが教室へ入ってきた。
片手には何枚かの紙。その後ろを、小型の機械が二機、低い駆動音を立てながら浮遊している。
リキトは教卓まで歩くと、紙を置いた。
「席つけ。今日は座学を少しやった後、実技場に移動する」
その一言で、教室の何人かが小さく沸いた。
「喜ぶのは勝手だが、遊びじゃないぞ」
そのまま黒板へ向き直り、リキトは大きく二文字を書いた。
『魔法』
教室が静かになる。
あまりにも当たり前の言葉だった。
この世界で生きている者にとって、それは歩くことや息をすることと大して変わらない。
リキトはその横に、もう三文字を書き足した。
『魔法印』
「まずはこっちだ。魔法が発現した者の身体には、それぞれ固有の模様が浮かぶ。場所も形も人によって違う。お前らが魔法印って呼んでるものだ」
ソウタは自分の身体へ視線を落とした。
左の脇腹から肋骨にかけて、自分にもそれらしい模様がある。
だが、それが何を意味しているのかは分からない。
「ただし、印があるからって何の魔法かまで教えてくれるわけじゃない。それに、そもそも印が現れない人間だっている」
リキトは黒板を軽く叩いた。
「印があるかどうかと、戦えるかどうかは別の話だ」
そう言って、生徒たちを見渡す。
「お前ら、自分の魔法を説明できるか?」
何人かが首を傾げる。
「使えるかどうかじゃない。何ができて、どこまでできて、何ができないか。そこまで分かってるかって話だ」
リキトの背後で浮いていた機械の一機が、ふっと教室の中央へ移動した。
「例えば、こいつを壊せと言われたらどうする?」
アルレアが勢いよく手を上げる。
「撃つ!」
「まず当たるんだったらな」
「当てるよ!」
教室に笑いが起こる。
リキトは気にせず続けた。
「魔法で壊してもいい。殴ってもいい。落としてもいい。別に魔法を使う必要すらない。必要なのは、自分が何を持ってるかを知って、その場で使えるものを選ぶことだ」
その言葉に、ソウタが顔を上げた。
リキトの視線が教室を一周し、ほんの一瞬だけソウタのところで止まる。
「逆に、自分の魔法が分からないなら、分からないなりにやればいい」
何人かの視線が自然とソウタへ向いた。
「……俺?」
「他にいるなら名乗れ」
「いないと思います」
「ならお前だ」
ソウタは困ったように頭を掻いた。
「ほんとに何も分かんないんですけど」
「今すぐ使えとは言ってない。実技も、魔法なしでできることをやればいい」
ソウタは少し考える。
「……それでいいんですか」
「分からないものを無理に使うよりはな。見つかるまでは、今できることをやれ」
ソウタはしばらくリキトを見た後、小さく頷いた。
「……はい」
その時、教室の扉が勢いよく開いた。
「……悪ぃ、遅れた」
ガルシアが気だるそうに立っていた。
制服もどこか着崩れていて、遅刻したというのに焦った様子もない。
リキトがゆっくりと時計を見る。
「理由は」
「寝坊」
「反省は」
「してるように見える?」
リキトは小さく息を吐いた。
「次遅れたら実技なしな」
「それは困る」
「なら起きろ」
ガルシアは面倒そうに頭を掻きながら、自分の席へ向かった。
「善処する」
「起きろ」
教室のあちこちから小さな笑いが漏れる。
ガルシアはそれを気にする様子もなく、椅子へどかりと腰を下ろした。
授業が再び進み始める。
魔法の射程。
発動までに必要な時間。
連続して使用した場合の疲労。
周囲への影響。
ソウタには初めて聞くことばかりだった。
一方で、他の生徒たちにとっても、自分が普段何気なく使っているものを言葉にするのは簡単ではないらしい。
アルレアは途中から唸り始め、ニーアは淡々と板書を写している。ユエルは黒板を見ながら、時折考えるように視線を落としていた。
やがてリキトが時計を見る。
「よし。ここまで」
その言葉を待っていたように、何人かが顔を上げた。
「今から第一実技場へ移動する。今日はまず、自分の魔法で何ができるかを見る」
リキトが教室を出ようとして、ふと足を止める。
「廊下で走るな。武器も出すな。魔法も使うな。実技は着いてからだ」
それだけ言い残し、リキトは教室を出ていった。
生徒たちも次々と席を立つ。
「よーし、行こ、ニーア!」
勢いよく立ち上がったアルレアの腕を、ニーアが軽く掴む。
「走らない」
「分かってるって!」
アルレアは笑いながら歩き出した。
その後を追うように、他の生徒たちも教室を出ていく。
ソウタも席を立ち、無意識に制服越しに印のある場所へ手を当てた。
(俺の魔法……か)
当然、答えは出ない。
それでも今は、分からないままでいいらしい。
ソウタは手を離すと、先を歩くクラスメイトたちの後を追った。




