1-2 恩恵
学院へと続く大通りは、朝から人で溢れていた。
制服姿の学生だけではない。店先に品物を並べる商人、荷車を引く男、仕事へ向かう人々。その間を縫うように、子供たちが走り回っている。
ユエルはその流れに混じりながら、一定の歩調で進んでいた。
道幅そのものは広いはずなのに、先へ進むほど人の流れは詰まり、足取りも遅くなっていく。
少し先では、大きな荷車が道を横切ろうとしていた。その後ろには既に何人もの人が立ち止まっている。
ユエルも足を止めた。
荷車が通り過ぎるのを待ってもいい。
まだ時間には余裕がある。
そう考えてから、ふと隣を見る。
建物と建物の間に伸びる細い路地。その奥には、再び大通りへ繋がる出口が見えた。
ユエルの姿が、その場から消える。
次の瞬間には路地の中ほどに立ち、さらに一度。
気づけば、荷車の向こう側に出ていた。
すれ違った男が一瞬だけユエルを振り返ったが、それ以上気に留める様子はない。
ユエルも何事もなかったように歩き続ける。
先へ進むにつれ、人の流れはさらに密になっていった。
少し離れた通りでは、アルレアとニーアが並んで歩いていた。
先ほどまで勢いよく歩いていたアルレアだったが、早くも周囲へ視線を奪われている。
露店に並ぶ果物。
焼きたてのパン。
見慣れない装飾品。
そのたびに首が右へ左へと動く。
「ニーア、あれ見て! おいしそう!」
「見てるだけにして。遅れるから」
「買わないよ! 見てるだけ!」
そう言いながら、アルレアの歩く速度は明らかに落ちていた。
ニーアがその背中を軽く押す。
「じゃあ歩いて」
「歩いてるってば!」
二人の横を、小さな子供が勢いよく駆け抜けていく。
その直後だった。
前を歩いていた男性が抱えていた紙袋の底が突然抜け、中からいくつもの果物が転がり落ちた。
「あっ」
一つがアルレアたちの足元へ転がってくる。
アルレアが拾おうと屈みかけるより早く、ニーアが手を伸ばした。
その時、揺れた髪の隙間から、淡い光が零れた。
光っていたのは、ニーアのうなじに浮かぶ小さな模様だった。
地面を滑っていた果物の前に、小さな氷が生まれる。
果物はそれに当たり、ぴたりと止まった。
「おおー」
「感心してないで拾って」
「はいはい」
二人で果物を拾い、男性へ返していく。
「助かったよ、ありがとう」
「いえ」
ニーアが短く答える横で、アルレアは最後の一つを差し出した。
「これで全部かな?」
「ああ。たぶん……って、危ない!」
声と同時に、ニーアの頭上から看板が落ちてきた。
店先に吊るされていた木製の小さな看板。
留め具が外れ、そのままニーアめがけて落下してくる。
ニーアが気づいて顔を上げる。
その瞬間、二人のすぐ横を荷車が通り過ぎた。
落ちてきた看板は積み荷の端にぶつかり、大きく軌道を逸らす。
同時に、荷車の車輪が道端の水たまりを踏んだ。
看板がニーアのすぐ横へ乾いた音を立てて落ちるのとほとんど同時に、跳ね上がった泥水がアルレアの足元へ飛んできた。
「うわっ!?」
アルレアが慌てて飛び退く。
だが間に合わず、制服の裾には点々と泥がついていた。
ニーアは足元に落ちた看板を見て、それからアルレアの制服を見る。
「……」
「……」
「ほら!」
「何が『ほら』なの」
「ニーア、無事だったでしょ?」
「アルレアは汚れてるけど」
「私はいいの!」
そう言い切ったアルレアだったが、改めて制服の裾へ目を落とす。
今日が本番の制服に、茶色い泥がいくつも跳ねていた。
さっきまで得意げだった表情が、みるみる曇っていく。
汚れた裾をつまみながら、アルレアの肩が少しだけ落ちた。
その様子を見て、ニーアの表情も変わる。
「……一回戻る?」
「え?」
「汚れ、落としてから行こう。急げばまだ間に合うかもしれないし」
「でも、遅刻しちゃうよ?」
「少しくらいなら――」
「だめだよ。さっきニーアが遅れるって言ってたじゃん」
アルレアはもう一度制服の裾を見る。
まだ少し名残惜しそうにしていたが、すぐに顔を上げた。
「学院で落とすよ。たぶん洗える場所くらいあるでしょ?」
ニーアはしばらくアルレアの顔を見ていたが、いつもの調子が戻ってきたのを確かめると、小さく息を吐いた。
「分かった。じゃあ、早く行こう」
「うん!」
アルレアは汚れた裾をもう一度だけ気にしてから、ニーアの隣へ並んだ。
遠くに見えていた塔は、いつの間にかずいぶん近くなっていた。
朝の光を受けた学院旗が、その上で揺れている。
「もうすぐだね」
「うん」
アルレアの足取りが、少しだけ軽くなる。
二人は並んで、門へと歩いていった。




