3-3 道標
学院の正門前には、朝から多くの生徒が集まっていた。
普段の制服とは異なり、全員が動きやすい実習用の服装に身を包んでいる。腰には剣や銃を携え、これから始まる授業を楽しみにしている者もいれば、不安そうに周囲を見回している者もいた。
今日は入学以来、初めての校外実習が行われる日だった。
「おー! なんか冒険って感じだね!」
アルレアは嬉しそうに周囲を見渡した。
「遊びに行くわけじゃないのよ」
「分かってるって! でも楽しみじゃない?」
「少しは緊張しなさい」
ニーアに呆れられても、アルレアの笑顔は変わらない。
その隣では、ノノが大切そうに槍を抱えていた。
「ま、魔獣って、やっぱり怖いんでしょうか……」
「大丈夫だって! 私たちもいるんだし!」
「は、はい!」
アルレアに励まされ、ノノは小さく頷いた。
「弱い魔獣が相手だって聞いたけど、油断はできないね」
ソウタがそう言うと、ガルシアが拳を打ち鳴らした。
「何が出てこようが、ぶっ飛ばせばいいんだろ?」
「お前は本当にそればっかりだな」
ユエルが呆れたように言う。
「あぁ? 何か文句あんのか?」
「別に。お前らしいと思っただけだ」
「ならいいじゃねぇか!」
ガルシアは豪快に笑った。
そんなやり取りをしているうちに、正門の前へリキトが姿を現した。
「よーし、全員いるな。出発するぞ」
あまりにも簡単な号令に、生徒たちが顔を見合わせる。
「先生! 今日の説明はないんですか?」
一人の生徒が手を挙げた。
「あー、現地で説明する。ここで話しても忘れるだろ」
「そんなことないですよ!」
「そうか。じゃあ覚えとけよ。今日は怪我すんな」
「説明短すぎません!?」
周囲から笑い声が上がる。
リキトは面倒くさそうに手を振ると、先頭に立って歩き始めた。
学院からしばらく歩くと、石畳の道は土の道へと変わった。
王都を囲む外壁を抜け、緩やかな丘を越えた先には、木々の生い茂る森が広がっている。
森の入口には数人の騎士が待機しており、生徒たちが近づくと軽く頭を下げた。
リキトは騎士の一人と言葉を交わしてから、生徒たちへ振り返った。
「さて、ここからが今日の実習だ」
リキトが片手を上げると、周囲に小型のドローンがいくつも浮かび上がった。
それぞれ別の方向へ飛び立ち、木々の間を抜けて森の奥へと消えていく。
「この森には魔獣が生息している。とはいっても、今回お前らが相手にするのは比較的弱い種類だ。魔法もほとんど使わないし、熟練の騎士なら一人でも対処できる程度のな」
生徒たちの間に、少しだけ安堵した空気が広がる。
「ただし、弱いからって怪我をしないわけじゃない。噛まれりゃ痛いし、油断してりゃ骨だって折れる。だから調子に乗るなよ」
リキトは森の方を指さした。
「今日の課題は、指定された区域内で魔獣を見つけ、小隊ごとに討伐することだ。俺のドローンで監視するし、騎士も待機している。危険だと判断したらすぐに中止させるからな」
続いて、森の入口に立てられた木の標識を指さす。
「森の中には、こういう目印がいくつか置かれている。指定された区域の外には絶対に出るな。迷った時は下手に動かず、その場で待機しろ」
標識には数字と矢印が刻まれていた。
どうやら実習区域を区切るための道標らしい。
「質問は?」
「先生、魔法は自由に使っていいんですか?」
「ああ。ただし仲間を巻き込むなよ。あと、森を丸ごと燃やすようなことはするな」
「そんなことできる人いるんですか!?」
「知らん。いたら困るから言ってんだ」
リキトはそう答えると、手元の名簿に目を落とした。
「それじゃ、小隊ごとに順番に出発だ。呼ばれるまで待機してろ」
生徒たちはそれぞれの小隊に分かれ、装備を確認し始めた。
ユエルたちも少し離れた場所に集まる。
「さて、どうする?」
ソウタが皆を見回した。
「どうするって、見つけて倒すんだろ?」
ガルシアが即答する。
「それはそうだけど、相手がどんな動きをするか分からないからね」
「作戦ねぇ……」
ガルシアは面倒くさそうに頭をかいた。
ユエルはそんな彼女を横目に、森へ視線を向ける。
「まずは魔獣を見つけるところからだな。見つけた後のことは、相手を見て決めればいい」
「そうね。どんな魔獣かも分からないもの」
ニーアも頷いた。
「じゃあ、見つけたらすぐに突っ込まないこと! 特にガルシア!」
アルレアが指を立てる。
「あぁ!? なんで俺なんだよ!」
「だって絶対最初に行くじゃん!」
「相手が出てきたら殴るだろ、普通!」
「ほらー!」
アルレアが笑うと、ガルシアは不満そうに顔を背けた。
そんな中、ノノが控えめに手を挙げる。
「あ、あの……私は何をすればいいでしょうか?」
「ノノは槍を使うから、少し離れたところから援護してくれると助かるかな」
ソウタが優しく答えた。
「私も近くにいるから、焦らなくていいわ」
ニーアの言葉に、ノノはほっとしたように頷いた。
やがてユエルたちの小隊が呼ばれ、六人は森へと足を踏み入れた。
木々の間から差し込む日差しが、地面にまだらな模様を作っている。
太い木の根が地面を這い、ところどころには岩が突き出していた。
王都の喧騒とは異なり、聞こえてくるのは鳥の鳴き声と、風に揺れる葉の音ばかりだった。
「うわぁ、結構広いね!」
アルレアが周囲を見渡す。
「指定区域はこの先までみたいだね」
ソウタは配られた地図を広げ、近くの道標と見比べた。
「こっちの道を進めば、森の中央付近に出るはずだよ」
「なら行くか」
ユエルを先頭に、一行は森の奥へ進んでいった。
しばらく歩いたところで、ユエルが突然足を止めた。
「待て」
その声に、全員が動きを止める。
「どうしたの?」
アルレアが小声で尋ねた。
ユエルは前方の茂みを指さす。
「何かいる」
木々の隙間から、灰色の毛に覆われた獣が姿を現した。
四本の太い脚に、丸みを帯びた身体。額には短い角が一本生えている。
大きさは大型犬ほどで、ずんぐりとした体つきはイノシシにも似ていた。
「あれが魔獣……?」
ノノが息を呑む。
「なんだ、ちっせぇな」
ガルシアは少し拍子抜けしたようだった。
「思ってたより普通の動物に近いね」
ソウタも小声で答える。
魔獣はまだこちらに気づいていないらしく、地面に鼻を近づけながら歩いていた。
「どうする?」
ニーアがユエルへ尋ねた。
「まずは逃げ道を塞ぐか。ニーア、できるか?」
「ええ」
ニーアは静かに頷き、魔獣の後方へ手を向けた。
地面から氷がせり上がり、茂みの手前に小さな氷壁が形成される。
その音に反応して、魔獣が顔を上げた。
「ガルシア!」
ユエルの合図とともに、ガルシアが飛び出した。
「おらぁ!」
勢いよく距離を詰める。
しかし、魔獣は短い脚で素早く地面を蹴り、ガルシアの拳をかわした。
「ちっ!」
ガルシアが振り向く。
魔獣は氷壁を避けて方向を変え、木々の間を駆け抜けようとした。
その先にいたのは、ノノだった。
「ノノ、そっちに行った!」
アルレアの声が響く。
ノノは慌てて槍を構えた。
魔獣がこちらへ向かってくる。
短い角が見える。地面を蹴る脚が見える。
それほど大きな相手ではない。学院で何度も練習してきたように、槍を前へ突き出せばいい。
頭では分かっていた。
けれど、身体が動かなかった。
足が地面に張りついたように動かない。槍を握る手に力が入り、腕がひどく重く感じられた。
魔獣の荒い息遣いが聞こえる。
自分へ向かってくるその目を見た瞬間、周囲の音が遠くなった。
誰かが何かを叫んでいる。
なのに、何を言っているのか分からない。
槍を突き出さなければ。
逃げなければ。
そう思うほど、身体は言うことを聞かなくなった。
魔獣がさらに近づく。
ノノはただ、目を見開いたまま立ち尽くしていた。
「ノノ!」
ユエルの声が響いた。
その瞬間、彼の姿が消えた。
次の瞬間にはノノの隣へ現れ、その腕を掴んで横へ跳んでいた。
魔獣は二人が立っていた場所を駆け抜ける。
すぐ近くでは、ガルシアが拳を構えていた。頭上からは一機のドローンが高度を下げ、魔獣の動きを追っている。
魔獣が再び方向を変えようとしたところへ、ソウタが回り込んだ。
「こっちは通さないよ!」
剣を振るい、その進路を塞ぐ。
魔獣が足を止めた瞬間、アルレアが拳銃を構えた。
仲間のいない方向へ銃口を向け、魔獣の横に突き出た岩に狙いを定める。
「そこっ!」
乾いた銃声が響いた。
岩に当たった弾丸が跳ね上がり、魔獣の脚を捉える。
魔獣が大きくよろめいた。
そこへガルシアが踏み込む。
「もらった!」
放たれた拳が魔獣の身体を打ち抜く。
魔獣は地面を転がり、そのまま動かなくなった。
「よっしゃ!」
ガルシアが拳を突き上げた。
戦闘はあっという間に終わっていた。
「ノノ、大丈夫か?」
ユエルが尋ねる。
「は、はい……」
ノノは小さく頷いた。
目立った怪我はない。ユエルに引かれて転んだ時に、少し膝を擦ったくらいだ。
それなのに、槍を握る手はまだ震えていた。
「怪我してない?」
アルレアが駆け寄り、その顔を覗き込む。
「だ、大丈夫です。ごめんなさい、私……」
「びっくりしたね! でも無事でよかった!」
アルレアが笑いかける。
ニーアも近づき、ノノの肩にそっと手を置いた。
「初めてだったもの。怖かったでしょう」
「はい……」
ノノは俯いた。
皆はちゃんと動けていた。
ガルシアは迷わず魔獣へ向かい、ニーアは氷を使い、ソウタもアルレアも落ち着いて戦っていた。
ユエルに至っては、動けなくなった自分を助けてくれた。
自分だけが、何もできなかった。
握りしめた槍の先が、地面へ向かって下がっている。
「私、やっぱり怖かったです……」
小さな声が漏れた。
「怖くない方がおかしいだろ」
ユエルが答える。
「でも、ユエルさんは平気そうでした……」
「あんな勢いで向かってこられたら、誰だって驚くだろ」
ユエルは当たり前のように言った。
ノノは少しだけ顔を上げた。
「ま、俺は全然怖くなかったけどな!」
ガルシアが胸を張る。
「ガルシアは怖いものあるの?」
アルレアが尋ねた。
「あぁ? ねぇよ!」
「ほんとかなぁ?」
「なんだよ、その顔!」
いつものように言い合いを始める二人を見て、ソウタが苦笑した。
「でも、魔獣って思ったより素早いんだね。あの大きさであんなに動けるとは思わなかったよ」
「そうね。次は少し気をつけた方がいいわ」
ニーアが頷く。
ノノは皆の会話を聞きながら、もう一度槍を握り直した。
その時、上空から小さな機械音が近づいてきた。
リキトのドローンだった。
『おーい、終わったか?』
ドローンから気の抜けた声が響く。
「先生!」
アルレアが上を見上げる。
『見てたぞ。討伐は成功だな』
「やったー!」
『あとは指定された道を通って戻ってこい。倒した魔獣はこっちで回収する』
「はーい!」
ドローンはそれだけ告げると、少し高度を上げた。
ユエルたちは装備を確認し、帰り支度を始める。
ノノも皆の後を追おうとした。
すると、先ほどのドローンが静かに降りてきて、彼女のすぐ横で止まった。
『ノノ』
突然名前を呼ばれ、ノノは驚いて顔を上げた。
「は、はい!」
ドローンから聞こえてきたのは、先ほどよりずっと小さな声だった。
『今日は、動けなくても生き残った。それでいい。次は、一歩だけ動け』
ノノは目を丸くした。
「あ、あの、先生……」
『一度に全部やろうとすんな。それだけだ』
リキトはそれ以上何も言わなかった。
ドローンは再び高度を上げ、木々の間へと飛び去っていく。
ノノはしばらく、その姿を見上げていた。
一歩だけ。
その言葉を、胸の中で繰り返した。
できるかどうかは、まだ分からない。
それでも、次に魔獣を前にした時には、せめて槍を構えられるようになりたい。
ノノは小さく息を吐き、仲間たちのもとへ歩き出した。
帰り道、六人は来た時と同じように森の中を進んでいた。
すでに討伐を終えた小隊もいるのか、遠くから生徒たちの声が聞こえてくる。
「いやー、思ったより早く終わったね!」
アルレアが両手を伸ばした。
「もう少し強いやつでもよかったんじゃねぇか?」
ガルシアが物足りなさそうに言う。
「先生が弱い魔獣だって言ってただろ。最初なんだからこんなもんだ」
ユエルが答える。
「けどよぉ、あれじゃ全然暴れ足りねぇんだよ!」
その言葉に、ノノは少しだけ視線を落とした。
隣を歩いていたニーアは、その様子に気づいていたが、何も言わなかった。
「帰ってから訓練でもする?」
ソウタが笑いながら尋ねた。
「おっ、いいじゃねぇか! お前、相手してくれんのか?」
「いや、僕は遠慮しておくよ」
「なんだよ!」
ガルシアが不満そうに声を上げる。
そのやり取りを聞いていたノノが、小さく笑った。
ニーアがその様子に気づき、声をかける。
「少しは落ち着いた?」
「はい。皆さんのおかげです」
「そう。よかった」
ニーアはそれだけ言うと、再び前へ向き直った。
ノノも顔を上げる。
少し先には、森の出口を示す道標が立っていた。
ノノは道標を見上げ、矢印の先へ目を向けた。
「おーい! 早く帰ろうぜ!」
前方からガルシアが叫ぶ。
「ちょっと! 走ったら危ないってば!」
アルレアがその後を追いかける。
「お前も走ってるじゃねぇか!」
「あっ、ほんとだ!」
アルレアが笑う。
その後ろでソウタも吹き出した。
「まったく、元気ね」
ニーアは呆れたように息をついた。
ユエルも二人の背中を見ながら、少しだけ笑った。
「ほら、俺たちも行くぞ」
「は、はい!」
ノノは槍を握り直し、一歩踏み出した。
そして、皆の後を追いかけた。




