2-8 休日
休日の朝。 王城の執務室では、国王オルディスが机に積まれた書類に目を通していた。 窓から差し込む陽光が部屋を照らし、城内には穏やかな時間が流れている。 そんな静けさを破るように、扉が慌ただしく叩かれた。
「陛下! 失礼いたします!」
入ってきたのは、王女レティアに仕える側近の一人だった。 その表情はひどく焦っている。
「どうした。朝から騒々しいな」 「申し訳ございません! レティア様が、お部屋にいらっしゃらないのです!」 「何?」 「朝のお食事をお持ちしたところ、お姿が見当たらず、現在、城内を捜しております」 「図書室は確認したのか?」 「はい。ですが、そちらにも……」
オルディスは書類を机に置き、深く息を吐いた。
「まったく、あの娘は……」
病弱な身体でありながら、昔から興味を持ったことには驚くほど行動力を見せる娘だった。 何度外出を控えるよう言い聞かせても、少し体調が良くなるとすぐに城を抜け出そうとする。
「城門の者にも確認を取れ。学院にも人を向かわせろ」 「学院、でございますか?」 「ああ。以前から、あそこの図書館に行きたがっていたからな」 「かしこまりました!」
側近は慌てて頭を下げ、部屋を出ていった。 一人になったオルディスは椅子の背にもたれ、天井を見上げる。
「誰に似たんだか……」
そう呟くと、オルディスは再び書類へ目を落とした。 しかし、娘のことが気になるのか、なかなか次の一枚へ手が伸びなかった。
休日の街は、平日以上の賑わいを見せていた。 大通りには多くの露店が並び、買い物客や子供たちの声が飛び交っている。 そんな人混みの中を、ユエル、ソウタ、ダン、カイルの四人が歩いていた。 事の始まりは、前日の夜だった。 せっかくの休日なのだから、四人で街に出かけようとダンが誘ったのである。
「いやぁ、やっぱ休日は外に出ねぇとな!」 「ダンは毎日元気だね」 「当たり前だろ! せっかく学院に入ったんだ。勉強ばっかじゃつまんねぇって!」 「俺はこういうのも悪くないと思うよ。まだ知らない店も多いしね」
カイルはそう言いながら、通りに並ぶ店へ視線を向けた。 その隣では、ソウタが興味深そうに辺りを見回している。
「すごい人だね。いつもこんなに賑やかなの?」 「休日は大体こんな感じだな」
ユエルが答えると、ソウタは楽しそうに笑った。
「そっか。じゃあ、今日は色々見て回りたいな」 「おう! まずは飯だな!」 「まだ朝食を食べたばかりじゃないか」 「動きゃ腹も減るだろ!」
呆れたように笑うカイルをよそに、ダンはさっさと歩き始めた。 しばらく店を見て回っていると、ダンが通りの一角で足を止めた。 そこには、小さな的を並べた射的の露店があった。
「おっ、これ面白そうじゃねぇか!」 「ダン、もしかしてやるの?」 「当たり前だ! こういうのは得意なんだよ!」
店主から玩具の銃を受け取ったダンは、自信満々に的へ狙いを定めた。 しかし、放たれた弾は的の横を通り過ぎていった。
「あれ?」 「得意なんじゃなかったの?」 「今のは練習だ!」
二発目も外れ、三発目は的の端をかすめただけだった。 その様子を見ていたカイルが、笑いを堪えながら口を開く。
「次は俺がやってみてもいいかな?」
銃を受け取ったカイルは、慎重に狙いを定めて引き金を引いた。 弾は的に当たったものの、倒すには至らない。
「惜しいな。思ったより難しいね」 「だろ!? 意外と難しいんだよこれ!」
先ほどまで悔しがっていたダンが、途端に嬉しそうな顔をした。 続いてソウタも挑戦したが、結果は似たようなものだった。
「ユエルもやってみる?」 「まあ、一回くらいなら」
ユエルは銃を受け取り、軽く構えた。 引き金を引くと、弾は狙った的の中央に命中し、そのまま後ろへ倒れた。
「おおっ!」 「お前、容赦ねぇな!」
店主から景品を受け取ったユエルは、それをしばらく眺めてからダンへ差し出した。
「ほら」 「あ? いいのか?」 「お前が一番欲しそうにしてただろ」
ダンは一瞬きょとんとしたあと、豪快に笑った。
「へへっ、ありがとな!」
そんなやり取りを見ながら、ソウタも小さく笑みを浮かべていた。 学院に来てから、まだそれほど長い時間が経ったわけではない。 それでも、こうして一緒に出かけられる仲間ができたことが、ソウタには嬉しかった。
同じ頃、アルレアとニーアも街へ買い物に出かけていた。 二人は露店を覗きながら、のんびりと大通りを歩いている。
「ねえニーア、あっちも見てみようよ!」 「さっきからお店ばかり見てるけど、何か買うの?」 「んー、特に決めてない!」 「そう」
ニーアは小さく笑い、アルレアの後についていった。 すると、広場の方から賑やかな子供たちの声が聞こえてきた。
「お姉ちゃん! もう一回やって!」 「だから、さっきやっただろ!」 「お願い! もう一回だけ!」
聞き覚えのある声に、アルレアが足を止める。
「あれ? 今の声……」
広場へ目を向けると、そこには数人の子供たちに囲まれたガルシアの姿があった。 普段の学院で見せる険しい表情とは違い、どこか困ったような顔で子供たちを相手にしている。
「ガルシアだ」 「ほんとだ。あの子たち、きょうだいかな?」
二人が見ていることに気づかないまま、ガルシアは子供たちにせがまれ続けていた。
「ったく、しょうがねぇな。一回だけだぞ!」 「やったー!」
ガルシアは周囲を見回し、知り合いがいないことを確かめるように視線を動かした。 そして、少し恥ずかしそうに拳を握る。 その時、以前ソウタと交わした会話が頭をよぎった。
それは、学院での授業を終えた帰り道のことだった。
「そういえばさ、ここの人たちって魔法を使う時、何も言わないんだね」 「あ? なんだよ急に」 「ほら、ガルシアも獣化する時があるでしょ?」 「それがどうした?」 「その時にさ、『ビーストモード!』って言ってみたらどうかな?」 「びーすと……なんだって?」 「ビーストモード! なんか格好いいでしょ? 特に子供たちは喜ぶと思うよ」 「んなわけあるか!」
あの時は馬鹿馬鹿しいと一蹴した。 だが、試しに弟妹たちの前でやってみたところ、予想以上に喜ばれてしまったのだ。 それ以来、すっかりせがまれるようになっていた。
ガルシアは小さく息を吸い、片手を前に突き出した。
「ビ、ビーストモード!」
魔法印が輝き、その身体が獅子を思わせる大きな獣へと変わっていく。 子供たちは目を輝かせ、一斉に歓声を上げた。
「すごーい! お姉ちゃん、かっこいい!」 「もう一回! もう一回!」 「ったく、一回だけっつっただろ!」
元の姿に戻ったガルシアは、満更でもなさそうに頭をかいた。
その時だった。
「ぷっ、あはははは!」
突然聞こえてきた笑い声に、ガルシアの肩が跳ねた。 恐る恐る振り返ると、そこには腹を抱えて笑うアルレアと、その隣で口元を押さえるニーアが立っていた。
「お、お前ら! いつからそこにいた!?」 「へ、ビーストモードって! あははっ! ガルシア、そんなこと言うんだ!」 「てめぇ! 笑ってんじゃねぇ!」
ガルシアの顔がみるみる赤くなっていく。
「お前ら、今見たこと言いふらしたら殺すぞ!」 「えー、いいじゃん! きょうだいのこと大事なんだね!」 「う、うるせぇ! ニーア! こいつ凍らせて黙らせろ!」
ニーアは少しだけ目を細め、ふっと笑った。
「ふっ、可愛いところもあるのね」 「お前まで何言ってんだよ!」
アルレアは再び笑い出し、ガルシアは真っ赤な顔のまま二人を睨みつけた。 そんな姉の様子を、子供たちは不思議そうに見上げている。
「お姉ちゃん、この人たち誰?」 「あ? ああ、学院のやつらだよ」 「お友達?」 「ちげぇ! ただのクラスメイトだ!」 「えー! 友達じゃないの?」 「お前は黙ってろ!」
アルレアは楽しそうに笑いながら、子供たちの前にしゃがんだ。
「私はアルレア! こっちはニーアだよ!」 「よろしくね」
ニーアが優しく微笑むと、子供たちも元気よく挨拶を返した。 その様子を見ていたガルシアは、気まずそうに視線を逸らす。
「ったく、最悪だ……」
そう呟くガルシアの服の裾を、小さな手が引っ張った。
「ねえ、お姉ちゃん。もう一回ビーストモードやって!」 「まだ言ってんのかよ!」 「私も見たーい!」
アルレアまで便乗すると、ガルシアは頭を抱えた。
「お前はもう見ただろうが!」
広場には、アルレアの笑い声と子供たちの楽しそうな声が響いていた。
その頃、休日の学院は普段と違って静まり返っていた。 教室に生徒たちの姿はなく、廊下にもほとんど人影がない。 そんな中、実技場からは時折、地面を踏みしめる音が響いていた。
「えいっ! やっ!」
ノノは一人、槍を構えて練習を続けていた。 何度も突きを繰り返しているが、足元は安定せず、勢い余って身体が前へ傾いてしまう。
「わっ!」
慌てて踏みとどまると、ノノは小さく息を吐いた。 先日の小隊戦では、仲間たちに助けられてばかりだった。 自分にも何かできることがあるはずだと、休日を利用して練習に来たのである。
「もう一回……!」
ノノは再び槍を構えた。
その様子を、少し離れた場所から眺めている少女がいた。 ミアだった。 今日はクロードが学院の図書館へ行くというので、ついてきたのだが、本を読む気分にはなれず、校内を歩いていたところだった。 そこで偶然、ノノの姿を見つけたのである。
「ほんと、何もできないわね……」
ミアは腕を組み、呆れたように呟いた。 ノノは何度も槍を突き出すが、そのたびに体勢を崩している。 それでも休むことなく練習を続ける姿を、ミアはしばらく黙って眺めていた。
「また同じところで……」
思わず口をついた言葉に、ミアは小さく息を吐いた。 そして、とうとう見ていられなくなったのか、ノノの方へ歩き出した。
「ちょっと、あなた」 「ひゃっ! み、ミアさん!?」 「さっきから見てたけど、何なのその動き。足元がふらふらじゃない」 「す、すみません……」 「謝ってどうするのよ。もう少し足を開きなさい。そんな立ち方じゃ、突いた後に倒れるわよ」
ノノは慌てて足の位置を直した。 ミアはその様子をじっと見つめる。
「それと、前ばっかり見すぎ。足元にも少しは気を配りなさい」 「は、はい……!」
言われたとおりに構え直し、もう一度槍を突き出す。 先ほどよりは身体が安定していた。
「ほら、さっきよりはマシになったじゃない」 「あ、ありがとうございます……!」 「別に。見てられなかっただけよ」
ミアはそっぽを向いたが、ノノは嬉しそうに槍を握り直した。 そのまま練習を再開しようとしたところで、ミアがふと口を開く。
「ねえ、あなた。どうしてこの学院に来たの?」 「えっ?」 「そんなに戦うのが苦手なのに、わざわざここに来る理由があるの?」
ノノは少し俯いた。 それから、槍を握り直して小さく答えた。
「ここは、お姉ちゃんがいた場所だから……」
ミアは黙ってノノを見つめた。
「私も、いつかお姉ちゃんみたいになれたらって……」
ノノは少し照れくさそうに笑った。 ミアは何かを言いかけたが、結局それ以上は聞かなかった。
「そう。だったら、もっと練習しないとね」 「は、はい!」 「返事だけは立派なんだから。ほら、もう一回」
ノノは槍を構え直した。 今度は足元を確かめ、ゆっくりと突きを繰り出す。
「そう、それでいいのよ。最初から速くしようとしないで」 「は、はい!」
ミアは腕を組んだまま、その動きを見守っていた。 何度か繰り返すうちに、ノノの動きも少しずつ安定してきた。 しかし、ミアにはまだ気になることがあった。
「ねえ、あなた。優しすぎるのよ」 「えっ?」 「攻撃する時、相手のことでも考えてるの? さっきから槍を突き出すたびに躊躇してるじゃない」 「そ、それは……」
ノノは困ったように視線を落とした。 確かに、模擬戦でも相手に武器を向けることには抵抗があった。 たとえ訓練用の武器でも、誰かを傷つけることを考えると、どうしても動きが鈍ってしまう。
「だったら、せめて自分のことくらい守れるようになりなさいよ。防御の練習でもしたら?」 「で、でも……」 「何よ?」 「防御の練習は、相手がいないとできなくて……」
ミアは一瞬黙り込み、ノノの顔を見つめた。 ノノは申し訳なさそうに俯いている。
「はぁ、もう!」
ミアは大きくため息をついた。
「分かったわよ。私が付き合えばいいんでしょ」 「えっ!?」 「毎日は無理だけど、時間がある時くらいなら相手してあげるわ」 「ほ、本当ですか!?」 「嫌なら別にいいけど」 「い、いえ! お願いします!」
ノノは勢いよく頭を下げた。 その様子に、ミアは少し呆れたような顔をする。
「そんなに喜ぶこと?」 「だ、だって……嬉しくて……」 「大げさなんだから。言っとくけど、手加減はしないわよ」 「は、はい!」
ミアは再びため息をついたが、その口元はほんの少しだけ緩んでいた。
学院の図書館。 高い天井まで伸びる本棚には、歴史書や魔法に関する書物が所狭しと並べられていた。 休日ということもあり、利用者は少なく、館内にはページをめくる音だけが静かに響いている。 クロードは窓際の席で、一冊の本を読んでいた。 学院に入ってから何度か足を運んでいるが、ここには王城の記録や古い文献など、興味深い資料が多く揃っている。 特に魔法に関する歴史は、機械都市で教えられてきたものとは異なる記述もあり、調べる価値があった。
ふと、廊下の方から慌ただしい足音が聞こえてきた。 クロードが顔を上げると、本棚の向こうから一人の少女が姿を現した。 上質な服の上から地味な外套を羽織り、頭には小さな帽子をかぶっている。 周囲を気にしながら歩くその姿は、明らかに誰かから隠れようとしていた。
少女はクロードに気づくと、慌てて口元に指を当てた。
「しっ!」
クロードが不思議そうに首を傾げた、その直後。 図書館の入口から、人を呼ぶ声が聞こえてきた。
「レティア様! どちらにいらっしゃるのですか!」
少女はびくりと肩を震わせた。 クロードはその名前を聞き、すぐに状況を察した。 目の前にいるのは、この国の王女レティア・アークレインなのだろう。
「こちらへ」
クロードは小声で告げると、少女を本棚の陰へ案内した。 彼女が隠れたのを確認し、自分は何事もなかったかのように本を開く。 やがて、側仕えらしき女性が図書館へ入ってきた。
「失礼いたします。こちらに、小柄な女の子が来ませんでしたか?」
クロードは平然と首を横に振った。
「いいえ、見ていませんね」 「そうですか。お邪魔いたしました」
女性は一礼すると、再び廊下へと駆けていった。 足音が遠ざかるのを確かめてから、クロードは本棚の陰へ目を向けた。
「もう大丈夫だと思うよ」
少女はほっと息を吐き、帽子を外した。
「ありがとうございます。助かりました」 「ずいぶん大変そうだね。誰かに追われているの?」 「追われているというより、探されているんです」 「なるほど。何か悪いことでもしたのかな?」 「していません! ただ、少しだけお城を抜け出しただけです」
クロードは思わず笑ってしまった。
「それは十分、悪いことなんじゃないかな」 「だって、外に出たいと言っても、なかなか許してもらえないんですもの」
少し頬を膨らませる少女を見て、クロードは改めてその姿を眺めた。 王女という立場から想像していたよりも、ずっと年相応の少女に見える。 ただ、先ほどから少し呼吸が荒いことには気づいていた。
「大丈夫? 少し疲れているように見えるけど」 「平気です。このくらい、なんともありません」
そう言いながら胸を張る少女だったが、直後に小さく咳き込んだ。 クロードは近くの椅子を引いた。
「とりあえず、座った方がいい」 「でも……」 「また倒れられても困るからね」
少女は少し不満そうな顔をしたものの、素直に椅子へ腰を下ろした。 しばらく休んで呼吸が落ち着くと、彼女は改めてクロードの方へ顔を向ける。
「そういえば、まだお名前を聞いていませんでしたね」 「そうだったね」 「私はレティア・アークレインと申します。あなたのお名前は?」 「クロード・エヴァンスと申します」
その名前を聞いて、レティアは少し目を丸くした。
「まあ、あなたがクロードさんだったんですね」 「私をご存じで?」 「はい。お兄様からよくお話を聞いています。同じ小隊の方ですよね?」 「ええ。アーサー殿下にはお世話になっております」 「お兄様からは、とても優秀な方だと伺っています」 「それは光栄です」
クロードが軽く頭を下げると、レティアは不思議そうに首を傾げた。
「どうしてそんなに畏まっているんですか?」 「王女様に失礼があってはいけませんから」 「先ほどまでは普通に話してくださっていたのに」 「王女様だと分かってしまいましたからね」 「私が構わないと言っても?」 「分かりました。では、そうさせていただきます」 「それでは同じです」
レティアは少し不満そうに頬を膨らませた。 クロードは一瞬きょとんとしたあと、小さく笑った。
「ははっ、分かった。じゃあ、そうさせてもらうよ」 「はい。それでいいです」
レティアは満足そうに頷くと、並んだ本棚へ目を向けた。
「それじゃあ、私は本を探しますね。助けていただいてありがとうございました」 「どういたしまして」
レティアは小さく頭を下げ、本棚の奥へと歩いていった。 クロードも元の席へ戻り、読みかけの本を開く。
しばらくして、レティアは一冊の本を抱えて窓際の席に腰を下ろした。 表紙には、見知らぬ国の景色が描かれている。 レティアは嬉しそうに本を開き、夢中になってページをめくり始めた。
クロードもまた、手元の本へ視線を落としていた。 先ほどの少女が王女であることは、少し意外だった。 しかし、今は調べておきたいことがある。 クロードはそのまま読書へと戻っていった。
同じ図書館の中で、二人はそれぞれの本を読み続けていた。 その後、言葉を交わすこともなく、静かな午後の時間だけが過ぎていった。




