2-3 王子
昼休みを告げる鐘が鳴ると、生徒たちがそれぞれ席を立ち始めた。
午前の実技を終えた教室には、いつもより少し疲れた空気が残っている。
アルレアも席を立つと、大きく伸びをした。
「お腹すいたー!」
そのまま隣のニーアを見る。
「食堂行く?」
「うん」
アルレアは教本を片づけているユエルへ振り返った。
「ユエルは?」
「俺も行く」
「じゃ、一緒に行こ」
ユエルが教本を鞄にしまうのを待って、三人は教室を出た。
まだクラスができて間もないこともあり、他の生徒たちもそれぞれ別々に昼食へ向かっている。
学院の食堂は、生徒数に合わせてかなり広く造られていた。
いくつもの長机が並び、その間を制服姿の生徒たちが行き交っている。
昼時ということもあり、話し声と食器の音があちこちから聞こえていた。
三人も列に並び、それぞれ昼食を受け取っていく。
その少し先で、二つの声が重なった。
「おばちゃん、肉盛り定食!」
「俺も肉盛り!」
一人はガルシアだった。
その隣には、坊主頭の男子生徒が立っている。
食堂の女性が困ったように二人を見る。
「悪いねえ。肉盛りはあと一人前なんだよ」
「俺が先だろ」
「いや、今同時だっただろ」
ガルシアが眉を寄せる。
「俺のほうが早かったっつーの」
「聞こえなかっただけじゃねえか?」
坊主頭の男子も一歩も引かない。
二人はしばらく睨み合っていた。
アルレアはその様子をちらりと見たが、前の列が進み、そのままニーアたちと料理を受け取った。
三人が空いている席を探しながら歩いていると、アルレアがふと足を止める。
「……なんか、あっちだけ空いてない?」
食堂の中央近く。
ほとんどの席が埋まっている中で、そこだけ不自然なほど人が少ない一角があった。
一人の男子生徒が、静かに昼食を取っている。
金色の髪に、整った姿勢。制服の着こなしにも妙に隙がない。
その少し後ろには、一人の若い女性が控えていた。
食事をするでもなく、周囲へ視線を配りながら静かに立っている。
周囲の生徒たちは何度も二人へ視線を向けているのに、誰一人として近づこうとはしなかった。
アルレアがニーアの袖を軽く引く。
「ニーア、あの人誰?」
「……アーサー・アークレイン」
「アークレイン?」
少し考えてから、アルレアが目を見開く。
「王子様?」
「第三王子」
ニーアの声が、ほんの少しだけ低くなる。
アルレアはもう一度そちらを見た。
「じゃあ、後ろにいる人は?」
「護衛の人じゃない?」
「へえ……」
その時、少し離れた席から生徒たちの声が聞こえてきた。
「ほら、あいつだろ」
「九人死んだって話?」
「護衛だったんだろ?」
声を潜めているつもりなのだろう。
それでも、周囲には十分届く大きさだった。
アーサーは何も反応しない。
後ろに控える女性だけが、声のした方へ僅かに視線を動かした。
だが、何も言わなかった。
アルレアは周囲を見回す。
「……もしかして、みんなあの人を避けてるの?」
「たぶん」
ニーアは少し間を置いてから続けた。
「王国最強と言われてた部隊が、王子の護衛中に襲われた」
「それで九人……」
「亡くなったって聞いてる」
アルレアはもう一度、アーサーを見る。
「……王子のせいなの?」
ニーアが一瞬、アルレアへ視線を向ける。
「声」
言われて、アルレアが目を瞬かせた。
ゆっくりと視線を戻す。
アーサーと目が合った。
「……あ」
完全に聞かれていたらしい。
護衛の女性もこちらを見ている。
アルレアは少し慌てて背筋を伸ばした。
「す、すみません。悪く言うつもりではなくて……」
普段とは明らかに違う話し方に、ニーアが横目でアルレアを見る。
アーサーはそんなアルレアを見て、穏やかに答えた。
「構わない。そこまで畏まらなくてもいい」
「え?」
「学院では同じ生徒だ。普段通り話してくれればいい」
アルレアは少し迷ってから、肩の力を抜いた。
「……じゃあ、そうする」
アーサーの口元が僅かに緩む。
それから、向かいの空いている席へ視線を向けた。
「よければ座ったらどうだ?」
「いいの?」
「ああ」
アルレアは遠慮なく腰を下ろした。
ニーアとユエルも、その隣へ続く。
「それで、本当に王子のせいなの?」
席に着くなり、アルレアは先ほどの話を続けた。
アーサーは一瞬だけ黙る。
「そう思う者もいるだろう」
「ふーん……」
アルレアは少し考える。
「でも、それだけじゃ分かんないよね」
「……何がだ?」
「だって、王子を守ってたってだけでしょ?」
アーサーが、わずかに目を見開く。
「何があったのかも知らないのに、王子のせいって決めるのは変じゃない?」
アルレアはそう言ってから、少し困ったように笑った。
「だから聞いただけなんだけど」
しばらく、アーサーは何も言わなかった。
やがて、小さく息を漏らす。
「……そうか」
ほんのわずかに、その表情が緩む。
「君は、随分と率直だな」
「へへ、よく言われます」
アルレアは少し嬉しそうに笑った。
アーサーは一瞬、言葉に迷う。
「褒めたつもりは……いや」
そう言いかけて、アルレアを見る。
「君の良いところなんだろうな」
アルレアはきょとんとしたあと、にっと笑った。
「でしょ?」
アーサーもつられるように小さく笑った。
その様子を、護衛の女性は静かに見ていた。
やがてアーサーの視線が、アルレアの隣にいるユエルへ向く。
「君は……ユエル・レインフォードだったな」
「ああ」
「覚えていたのか」
「剣の測定で、あれだけ競ればな」
アルレアが二人を見比べる。
「知り合い?」
「入学前の試験で一緒だった」
ユエルが答える。
「剣はこいつが一位だった」
「僅差だったがな」
アーサーが続ける。
「君は、他の種目でもかなり上にいたはずだ」
「まあな」
ユエルは少し考えてから付け足した。
「銃でも、一人上がいた」
「銃も?」
アルレアが聞き返した、その時だった。
「兄さん、あそこ空いてる」
近くから声が聞こえた。
黒髪の女子生徒が、空いている席を指している。
その隣には、同じく黒髪の男子生徒が立っていた。
「ここしか空いてなさそうだね」
男子生徒は長机へ視線を向ける。
その目が、アーサーのところでほんの一瞬だけ止まった。
「座っても?」
「構わない」
アーサーが答える。
男子生徒は軽く頭を下げると、女子生徒とともに空いている席へ腰を下ろした。
その顔を見たユエルが、僅かに目を細める。
「……あいつだ」
「誰?」
アルレアが聞く。
「銃の測定で一位だった」
アルレアがすぐに男子生徒を見る。
「え、この人?」
「ああ」
その声が聞こえたのか、男子生徒が顔を上げた。
「僕?」
「入学前の試験だ。銃で一位だっただろ」
「そうだったんだ」
ユエルが少し眉を寄せる。
「知らないのか」
「結果は見てないんだ」
男子生徒は穏やかな調子で答えた。
一位だったことを自慢する様子もなければ、ユエルを覚えている様子もない。
そのやり取りを横で聞いていたアルレアは、先に女子生徒へ目を向けた。
少し小柄な姿を見て、ぱっと顔を明るくする。
「わ、かわいい! 小さくてお人形さんみたい!」
女子生徒の眉が僅かに動いた。
「名前は? なんていうの?」
「……ミア」
短く名乗る。
「ミアね! よろしく!」
アルレアはその反応を気にする様子もなく笑うと、今度は隣の男子生徒へ目を向けた。
「お兄さんは?」
男子生徒も顔を上げる。
「クロード・エヴァンス。初めまして、かな」
穏やかな口調だった。
「クロードね!」
アルレアは頷くと、そのまま向かいにいるアーサーを指す。
「で、こっちは王子のアーサー!」
「君が紹介するのか」
アーサーが僅かに苦笑する。
クロードはそんな二人を見て、小さく笑った。
「アーサー・アークレイン。君は有名人だからね。僕でも知ってるよ」
「……君は同じクラスのはずだが?」
「そうだったね」
クロードは何でもないように返した。
アーサーは僅かに眉を寄せたが、それ以上は何も言わなかった。
「それで、こっちの無口で可愛い子がニーア!」
突然紹介されたニーアが、ゆっくりとアルレアを見る。
表情はほとんど変わらない。
ただ、ほんの少しだけ眉が寄っていた。
「……ニーア・セルディス」
その名を聞いた瞬間、アーサーの視線が僅かに止まる。
ほんの一瞬だった。
すぐに何事もなかったように戻った。
「ほら、可愛いでしょ?」
ニーアの視線がさらに冷たくなる。
隣では、ミアも似たような表情でアルレアを見ていた。
アルレアだけが、それに気づいていない。
ひと通り自己紹介が終わったところで、アルレアはようやく目の前の昼食へ視線を落とした。
「あ、そうだった。ご飯!」
気づけば、その一角には六人が集まっていた。
周囲から向けられる視線は相変わらずだったが、アルレアはもう気にしていなかった。
「いただきまーす!」
明るい声とともに、ようやく昼食が始まる。
しばらくして、アルレアが自分の皿を見ながら手を伸ばした。
「ニーア、醤油取って!」
ニーアが醤油の瓶に手をかける。
だが、そのままアルレアの皿を見て動きを止めた。
「……何にかけるの?」
「え? 目玉焼きだけど」
ニーアが僅かに眉を寄せる。
「目玉焼きは塩と胡椒でしょ」
「えー、醤油でしょ」
すると、向かいからアーサーが口を挟んだ。
「ソースではないのか?」
アルレアとニーアが同時にアーサーを見る。
「ソース?」
「ソース……?」
二人の反応に、アーサーが少し困ったような顔をする。
「……そんなにおかしいか?」
「いや、初めて聞いた」
「私も」
アルレアがそう答えたあと、三人の間に一瞬だけ沈黙が落ちる。
その横でユエルは何も言わず食事を続けていた。
クロードも会話には加わらず、僅かに口元を緩めている。
ミアは相変わらず静かだった。
ついさっきまで誰も近寄ろうとしなかった王子の席は、いつの間にか食堂の中でも一番賑やかな場所になっていた。




