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とにかく人のいない場所に行きたいのだ。
森で住んでいたおかげで体力は人並み以上にあるので、とにかく暴走するように走る。
肩でトライワイトが「ナン!」「ナゥ!」としきりに鳴いているけれど、今はほっといてほしい。
そう思った時だ。
「ひょえっ」
いきなりの急斜面に、悲鳴が出る。
勢いがよすぎて止まれないと真っ青になると、ぐんと体が後ろに引っ張られた。
体が転がりおちる寸前に、しっかりとした腕が腹に回ったのだ。
おそるおそる振り返ると。
「おっまっえっはー!」
完全激怒の顔をした十九歳のトライワイトがいた。
その姿にボンッと顔が赤くなる。
眉を吊り上げているにも関わらず上品な顔に、うろたえることしか出来ない。
そのまま安全な平地までひっぱり上げられてもう大丈夫だと思うと、とにかく恥ずかしくなった。
抱きかかえられているせいで、細身に見えて意外としっかりした体つきがよくわかる。
顔も近い。
チェリルは、ちょっともう限界だった。
「は、離して! 離してええ!」
「ふうん?」
チェリルの様子に、トライワイトが小首を傾げた。
そして意地悪そうに、にやりと笑う。
「ふえ……っ」
なんかもう動物の鳴き声みたいになった。
羞恥で死にそうになっていたら、パッと体を離される。
それにズサッと距離を取るけれど。
「飴三つ」
言われてしまえば渡すしかない。
十九歳の姿にいきなりなるなんてと思うけれど、チェリルの自業自得だ。
年下のトライワイトでは助けようとしても、二人仲良く転がり落ちてたことだろう。
「ん」
「あ、はい」
トライワイトが口を開けたので思わず飴を入れる。
入れてしまって気づいた。
これものすごく恥ずかしくない? 駄目じゃない? と。
わなわなと震えそうになっていると、トライワイトが呆れたような、けれど期待するような目で見下ろしてきた。
「まったく、だいぶ意識してきたなお前。やっぱガキじゃ駄目だな」
言いながら右頬を指の背でゆっくりと撫でられた。
その仕草になのか、触れられていることになのか、自分でもわからないけれど心臓が痛い。
何か言わなければと唇を震わせたとき、手が離れてそこには一匹の黒猫がいた。
「おら、戻るぞ」
トライワイトが飄々と声をかけてくる。
まるで何事もなかったかのように。
それが憎らしくて、チェリルは歯噛みしながら脳内で低く呻いた。
(かき乱すだけ、かき乱してぇぇぇ)
一発殴りたい気分だ。
トンと肩に乗ってきたトライワイトをジトリと睨みつけたとき、パキリと背後で音がした。
慌てて振り返ると、そこにいたのはプルートだ。
よりによってと思いたくなる。
「お前、今の何だよ……今の男、いつも連れてる猫なのか?」
「……あんたには関係ない」
どう誤魔化そう、もしくは口止めしようと思いながら注意深く答えると、突然プルートが弾けたように声を荒げた。
「関係ある! 関係あるだろ! お前には俺がいないと駄目なんだ! 他の男じゃなく!」
「なにこれ……」
眉根がおもいきり寄ってしまう。
プルートはまるで焦るような縋るような声を出すけれど、チェリルをまっすぐ見てはいない。
興奮しすぎているのか、呼吸が荒かった。
尋常な様子ではない。
言い返すのはよくないと思うけれど、ここで背中を向けて大丈夫だろうか。
そもそもプルートをこのままにしておいて大丈夫かとすら思う。
「刺激するな、興奮しすぎてる」
肩にいるトライワイトがこそりと耳打ちしてきた。
それに顔を向けようとしたら「前見てろ」と言われるので、前方に目線を向けてプルートを見やる。
いまだにチェリルは駄目な人間だから、とか俺が面倒みてやって、など不快極まりないことをのたまっていて、あまり視界に入れたくない。
「ゆっくり、そのまま距離とれ。とったら走って逃げろ」
トライワイトの指示に、声は出さずにこくりと頷く。
そのあいだにもプルートはヒートアップしていっていた。
「なあ、そうだろ。お前だって俺が必要だろ?」
ものすごく言い返したい。
けれどチェリルはずりずりと後ろへ少しずつ下がると、プルートが一歩足を踏み出したのと同時に走って逃げた。
そのまま森を抜けて、自室へと飛び込む。
さすがに息が乱れて、何度か深呼吸を繰り返した。
そして最後に大きく息を吐くと、床にいるトライワイトを眉を下げて見下ろした。
「はあー……どうしよう」
「迂闊だったな」
「あれは私が悪いよ……ごめん。明日、何言いふらされるか、わかったもんじゃないわ」
トライワイトの前に座り込んで口を曲げるチェリルに、しかしトライワイトは不機嫌そうに目を細めた。
「それより何でも言うことを聞けとか言ってくるタイプだからな」
「そういえば前に言ってたね。それくらいなら大丈夫なんじゃない?」
「何されるかわかんねえんだぞ」
「それはそうだけど、そんなの大したことじゃないと思うし。それにライトは大事な私の家族……」
そこまで声にした喉が詰まった。
年下のトライワイト。
そして年上のトライワイト。
ずっと年下の姿でも大切だったし、甘やかしてもらって好きだった。
正直、意識してしまっていたと思う。
それでも年下だからと蓋をしていたのに、十九歳の姿にこじ開けられてしまった。
唐突に、これは恋だと思ってしまった。
家族と言ったのに、それ以上がいいと思ってしまった。
これは、恋だ。
けれどそんなことを正直に言えるはずもなく、再度言い直す。
「家族、なんだから、守るのだって当然で、言うこと聞くくらい」
落ち着こうとペラペラ口をまわしていると、唐突に両頬を手で包まれた。
いつのまにかトライワイトが少年姿になって、チェリルの顔を覗き込まれている。
床に座っているチェリルと立っているトライワイトでは、いつもと目線が違う。
いつも見下ろす顔が、上から覗き込むことに、何も言えなくなった。
ひくりと喉が震えると、ぐっと顔を寄せられる。
恋だと自覚した途端にこの距離はどうすればいいのだと固まっていると、唇が触れる寸前でトライワイトが止まった。
吐息があたることに、浅くしか呼吸が出来ない。
上から見てくる黒い瞳は、とても真剣だった。
「こういうことを要求する可能性がある奴だって言ってんだよ」
言われた瞬間、チェリルの顔からサアッと血の気が引いた。
トライワイトにこうして触れてキスできるような状態でも、心臓がうるさいくらいに鳴るだけだったのに、相手がプルートだと思うと恐怖しかない。
「わかったら妙なこと考えるのはやめろよ」
手と顔が離れたことで、顔色の悪いままチェリルは何度も頷いた。
まさかそんなことをチェリルに要求するだろうかと思うけれど、万が一要求されたときに今のトライワイトの言葉を聞いていなかったら、何をされたかわかったもんじゃない。
「でも口止めどうしよう」
チェリルが眉をへにょんと下げると、トライワイトはじっとチェリルを見つめてきた。
それにきょとんと見返すと。
「元凶がいなかったら、脅しは成立しない」
「元凶って……まさか!」
今度こそ顔色が悪くなり、チェリルは悲鳴じみた声を上げた。
けれどトライワイトの言葉は無情な肯定だった。
「潮時だ。嫌な魔力も近づいてやがるからな」
言うなり手を離したトライワイトに、慌てて着ていたシャツを掴んだ。
「妙なことが起こっても首つっこむんじゃねーぞ」
「やだ、待って、大丈夫だよ、プルートのことなんか。ライトは、か、ぞくで」
家族だとハッキリ言えないことに後ろめたさを感じた。
それでも行かないでというように、シャツを掴む手に力を込める。
「俺は家族なんて思ってねえよ」
その言葉で頭が真っ白になった。
恋を自覚するまでは、ずっと家族だと思っていた。
トライワイトも否定しなかったから、そう思っているのだとチェリルは思っていたのに。
涙が滲んでくる目でトライワイトを見上げる。
「じゃあ、私はライトのなに?」
涙声で問いかければ、トライワイトの唇が頬へと触れた。
柔らかな感触に思わず目を瞠る。
ボロ、と涙がこぼれたのとシャツを握っていた手を離してしまったのは同時だった。
ドアを少しだけ開けると、猫になってトライワイトがするりと出て行く。
待ってと手を伸ばしたかったけれど、あまりの展開にチェリルは呆然とトライワイトを見送ってしまった。
そのまま細く開いていたドアがパタリと閉まる。
「うそ……」
呟いた途端に、ぼろぼろと大粒の涙が頬へと溢れた。
吐き出す息が熱く、鼻の奥が痛い。
「いきなり、すぎるでしょ……」
ぐすんぐすんと鼻をすすりながら、頬の涙を拭う。
そしてトライワイトがキスをした場所を、濡れた手でそっと押さえた。
「なによキスなんて。期待させるようなことして、置いていかないでよ」
家族じゃないと言ってキスをするなんて。
憎たらしいのに、その感触は消えなくて、チェリルの目から涙は止まらなかった。




