15
学校の敷地内にある森の方だ。
主に薬草採取や高学年の実習に使われている広大な森である。
教師でも全体は把握していないともっぱらの噂だ。
そこに箒片手に入っていくと、クロロの尻尾がビシビシと背中を叩いているし、さっさと戻れと言わんばかりに何度も耳元で鳴かれている。
けれどそんな制止もなんのその。
目当ての下り坂に来ると、チェリルはひょいとクロロを地面に下ろした。
「危ないからここにいてね」
「ナゥナン」
急こう配の下り坂の先は小さな丘というには高さのある、いっそ崖が見える。
チェリルは箒にまたがると、ふんと気合を入れた。
クロロがまさかと言うような驚愕の表情を浮かべる。
いつも思うけれど、まるで人間のようだ。
そしてそのまま勢いをつけるために走り出した。
普通にやって出来ないなら、荒療治だ。
クロロの鳴き声が聞こえるので心配させているのだろう。
「大丈夫よ、私頑丈だから!」
クロロの聞いた事が無いくらい大きな鳴き声にありったけの声音で返事をすると、チェリルは箒にまたがったまま崖の上から飛び出した。
□ □ □ □
さわさわと何かが揺れる音が耳に届く。
あとなんか微妙に瞼のむこうが明るい。
むずがるように一度声を上げてから、チェリルはゆっくりと目を開いた。
固い背中の感触に、そういえば飛ぼうとして丘というか崖から飛び降りたんだったと思い出す。
地面に寝ているのだろう。
体が痛くないので着地が奇跡的にうまくいったのかなと思いながら、のろのろと体を起こす。
「気がついたか」
「へ?」
聞きなれない声。
しかも少年の。
思わずチェリルは間の抜けた声を出した。
よくよく見ると、地面に学校支給の明かりを灯す魔道具が置かれている。
その横には箒。
チェリルの墜落に道連れにされたわりに折れたりしていないのは、奇跡かもしれない。
そんなことを思いながら体を起こしてチェリルは固まった。
そこには一人の少年が憮然とした表情で座っていた。
綺麗な少年だった。
黒髪に黒目。
十三歳かそこらの、ノーブルな雰囲気を持った繊細な顔立ちだった。
(綺麗な子……)
思わず見とれていると。
「おい、痛いだとか気持ち悪いだとかあるか?」
なんかちょっと口調が雑だ。
こんな、神様が丁寧に作った最高傑作みたいな顔してるくせに。
けれどそこでチェリルはハッと我に返った。
少年の黒髪と黒目に、大事な家族を思い出す。
「クロロさん! クロロさんどこ!?」
クロロの大きな鳴き声が飛び出すときに聞こえていた。
「追いかけてなんかしてないよね? 上にいるよね!?」
慌てて立ち上がろうとすると、少年が「落ち着け」と手を掴んだ。
落ち着いていられるわけがないと口を開こうとしたら、少年が眉間に力を入れて嫌そうに、それはもうしぶしぶといった体で口を開いた。
唇の形まで完璧すぎる。
「……クロロだ」
「……え?」
何を言っているんだ、この少年は。
「いや、クロロさんは猫で」
「その猫のクロロだ」
「え!?」
嘘だろうと目を見張ったチェリルは、否定の言葉を口にしようとした。
けれどそれより早く、少年がほらと首につけていたネックレスの鎖をつまんで見せる。
ネックレスにはオレンジ色の魔力石がぶら下がっていた。
歪ででこぼこの、不格好な石。
まぎれもなくチェリル作だ。
「それ、クロロさんにあげたやつ」
ぽかんとしたチェリルに、少年は不満げに口をへの字に曲げた。
「本当にクロロさん?」
「そうだって言ってんだろ」
お口が悪い。
見た目は高貴な顔立ちなのに。
まじまじとクロロだという少年を遠慮なく見回す。
猫なのにと思いながら、頭上を見ると「耳も尻尾もないからな」と先回りして切り捨てられた。
「猫なのに人間になれるの? 魔力あるけど、いつも欠乏気味なのに。あ! 今も魔力消費してるんじゃないの⁉」
「落ち着け。お前の飴のおかげで一定量保ってる。あと俺は人間だ。諸事情で猫になってるだけだわ」
「満タンにならないのは、そのせい?」
「色々事情があるんだよ」
「そうなんだ」
言いながらチェリルはポーチから丸缶を取り出すと飴をなんの前触れもなくクロロの口に押し込んだ。
ついでにもう一粒。
人間になるのは魔力を消費するのではと思ったら、そのとおりだったらしい。
何も言わず不服げにガリガリと小さな飴を噛み砕いて飲み込む。
「人に言うなよ」
「言わないよ。私に隠してたってことは、なんか理由あるんでしょ。さっき諸事情って言ってたし。でも何で急にばらしたの?」
疑問を投げかけると、ひくりとクロロの口端が引きつった。
目があきらかに笑っていない。
「お、ま、え、が! あんまりにも馬鹿なことをしやがるからだ! どこの馬鹿が一度も浮いた事がないのに崖から飛び降りんだよ!」
森のなかに怒声が響いた。
さきほどまで聞こえていたさわさわとした木々の葉擦れの音が、一瞬ざわりと強く揺れたような気がする。
馬鹿のオンパレードの怒声に、自分より小さな少年へチェリルはしゅんと肩を落とした。
「それは、だって、私だって師匠と一緒に……師匠がいなくなっても練習してたのに、ちっともうまく出来ないから……」
言いながら情けなくなってきたチェリルはうつむいた。
練習をいくら重ねても浮かないのだ。
学校に来たらもしかしてと淡い期待もあった。
ツンと鼻の奥が痛くなったとき、ぐいと頭を引き寄せられた。
立ち上がったクロロが片手をチェリルの後頭部に回して、うすい体に押しつけたのだ。
「飛ぶのが魔法の全部じゃねーだろ。そもそも箒が操りやすいってだけで、他のもので飛ぶ奴もいるんだよ」
「そうな!?」
「おう」
目からうろこにもほどがある。
おもわず勢いよく顔を上げた。
疑問を顔に浮かべるけれど不敵に笑うクロロが嘘を言っているようにも見えなくて、チェリルはもしかしたらと見え隠れする希望に頬をうっすら紅潮させた。
「あせるな」
「うん」
ぽんと頭をひと撫でされた。
フリが死んでからは、誰とも身近に接したことがなかったから、懐かしさになんだか泣きそうだ。
少年特有の細い体をぎゅっと抱きしめて、そういえばと思い出す。
「もしかして熱出したときに看病してくれたのも、クロロさん?」
「……それは」
「でも、もっと大きかった気がするから、気のせいだね」
「……おう」
なんか歯切れが悪かった。
「ほら、寮に戻るぞ」
「うん」
言われて箒をポーチになおす。
明かりはまだ必要だから、そのままだ。
「あ、ねえ」
「何だよ」
「猫のときは、やっぱり喋れない?」
疑問を投げかけると、微妙に眉間に皺が寄った。
「……喋れる」
その一言に、パアッとチェリルは期待満載の表情を浮かべてクロロを見た。
クロロはやっぱりと言うように若干、苦虫を嚙み潰したような顔を浮かべている。
「話したい! 駄目?」
話したい、それはもう話したいと顔がうるさい。
そのチェリルの様子に、クロロは根負けしたように、はあとため息を吐いた。
「二人きりの時だけだからな」
「うん!」
言質はとった。
チェリルは元気よく頷き、猫に戻ったクロロを肩にのせると、意気揚々と寮への帰路へと歩き出したのだった。




