第9話 排出対象、東京都新宿区
「引く前に確認しましょう」
セラは、いつになく強い口調で言った。
悠真の指は百連召喚の上で止まっている。
「地形が出るなんて、ゲームでは一度もなかった」
「だから危険です」
「でも、新宿が映った」
「悠真のいた場所ですか?」
「職場があった。毎日通ってた」
画面の奥にはもう何も映っていない。排出対象の詳細を押しても、確率非公開としか表示されなかった。
都市カナンでは復旧が始まっている。リリアーナは七人の少女たちと負傷者の治療を続け、ヴァルガスは増えすぎた樹木を畑へ移していた。
今すぐ戦う相手はいない。
だからこそ、悠真は引きたい気持ちを抑えられなかった。
元の世界につながる手掛かりかもしれない。
「一回だけ百連を引く」
「百万個あるのに、ですか?」
「残りは取っておく」
「先日の実績から、信頼度は低いと判断します」
「数字で傷つけるな」
悠真は百連召喚のボタンを押した。
召喚の輪が空へ広がる。
一つ目。金。
二つ目。虹。
三つ目も虹。
そこから演出は壊れたように虹色が続いた。
SSR、飛空艇。
SSR、竜殺しの大砲。
SSR、魔力障壁発生器。
SSR、空間収納庫。
平原に巨大な品々が次々と出現する。カナンの住民たちは作業を忘れ、空を見上げた。
「すごい。SSRが二十連続だ」
「悠真、演出が止まりません」
三十。
四十。
虹色の光が降り続ける。
途中で、一つだけ映像が混じった。
石造りの部屋。寝台に横たわる老人。そのそばで、一人の少年が小瓶を握って泣いている。
映像が消えた直後、悠真の手元に同じ小瓶が現れた。
SSR、完全治癒薬。
「今のは何だ」
「分かりません」
セラの顔がこわばっている。
九十九個目まで、すべてが排出された。
最後の一つ。
虹色の輪が黒く染まった。
文字が現れる。
異常排出。
分類、地形。
名称、東京都新宿区。
「待ってくれ」
悠真が画面から指を離す。
遅かった。
空が四角く切り取られた。
最初に落ちたのは建物ではない。
空気だった。
東京の乾いた夏の空気が異世界へ流れ込み、カナンの湿った風とぶつかる。巨大な雲が瞬時に生まれ、雷が鳴った。
次に地下水。
切断された水脈から数万トンの水が噴き出す。
「地形を受け止めるだけでは足りません!」
セラは第一星剣で氷の器を作り、第四星剣で根を伸ばして大地を固定した。
タイタン・ゼロは落下地点の住民を退避させる。
ヴァルガスが炎で雲を割り、豪雨を街の外へ逃がした。
リリアーナは増水した川沿いに樹木を生み、堤防にする。
新宿区の一部を排出する。
画面では一行で終わる結果が、現実では災害そのものだった。
「ガチャの演出、派手すぎるだろ!」
悠真は避難誘導をしながら叫ぶ。
「演出ではありません!」
「分かってる!」
切り取られた大地の角度が傾く。
ビルが一本、横倒しになりかけた。
セラが氷の柱で支える。
「左へ三度戻してください!」
悠真はスマートフォンの地形操作へ指を置く。
表示はゲームの配置機能に似ていた。だが一度動かすたび、建物の窓が割れ、道路がきしむ。
「もっとゆっくり動かせないのか」
「最小単位が一度です」
「現実の街をゲームのマス目で動かすな!」
悠真はタイタン・ゼロへ道路の端を支えさせ、セラの氷柱を軸に少しずつ調整した。
一時間後、噴き出した水と、先に落ちてきた地盤はようやく安定した。
誰も傷ついていない。だが、空の裂け目はまだ閉じなかった。
百連の最後の一個は、街の全体を吐き出しきっていない。
青空の向こうから、高層ビルが落ちてくる。
「セラ!」
「受け止めます!」
第一星剣が抜かれた。
空中に巨大な氷の台地が生まれる。落下する道路と建物を下から支え、ゆっくりと平原へ降ろした。
土煙が晴れる。
そこに、新宿があった。
異世界の草原へ、日本の街の一部が無理やり縫いつけられている。
切断面から水道管の水が流れ、土を濡らした。地下ケーブルは火花を散らしたが、すぐに沈黙する。
建物の窓には商品や机が残る。人だけが、きれいに消えていた。
爽快だった百連も、最後の一個を地上へ収めるころには、全員が疲れ切っていた。
「地形は二度と引かない」
「賢明です」
そのときは、引かないだけで済む問題だと思っていた。
コンビニの自動ドアは途中まで開いて止まっている。棚には弁当が並び、賞味期限は悠真が元の世界にいた日付だった。
ところが容器へ触れると、中身は砂のように崩れた。
「時間が合わない」
悠真は雑誌を手に取った。表紙は知っている最新号なのに、紙は何千年も経過したように脆い。
「街の形だけが、排出された時点の姿で保存されていたのでしょう」
「中では時間が流れてた?」
「あるいは、非常に古いものを過去の形へ復元して排出した」
自分の時代の人が巻き込まれていない可能性は高い。だが何十億年も残った東京の一部を、ガチャがさらに未来から奪ったことになる。
都庁。高架道路。オフィスビル。コンビニ。信号機。
一辺およそ二キロの街が、地面ごと切り取られている。
車は止まり、人影はない。
悠真は走った。
横断歩道を渡る。日本語の広告が並ぶ。道路脇の時計は、午後十一時五十九分を指したまま止まっていた。
「誰かいませんか!」
声は空の街へ吸い込まれた。
セラが追いつく。
「生命反応はありません」
「俺がいた時間の新宿なのか?」
「建物の劣化が進んでいます。見た目ほど新しくありません」
悠真は勤務先のビルへ向かった。
途中の路地には、昼休みに通った定食屋があった。
入口の食品サンプルは白く変色している。壁には客の写真が並び、その一枚に悠真自身が写っていた。
「これは俺だ」
会社の同僚と席に座り、唐揚げ定食を前に笑っている。撮影された覚えはない。
写真の端には、銀髪の女性が立っていた。
セラだ。
「この店に来たことは?」
「ありません」
「じゃあ、なぜ写ってる」
セラは写真へ触れようとして、手を止めた。
「分かりません。ただ、この席を知っている気がします」
写真は風を受けて崩れた。悠真は欠片を拾おうとしたが、指の間から消える。
まだ失ってもいない記憶を先に見せられたような、不吉な感覚が残った。
入口は開いている。
ロビーの壁に掛かった企業案内は、日本語のままだった。だが紙へ触れた瞬間、粉になって崩れる。
「何年たってるんだ」
地下へ続く階段から、風が吹いた。
新宿の地下鉄に、ゲームで見たものと同じ紋章が刻まれている。
七本の剣を囲む星の紋章。
その下には、新しい文字が浮かんでいた。
WELCOME BACK, FINAL PLAYER.
## サイドストーリー 百連祭りのあと
SSRが二十個も出た夜、カナンでは即席の祭りが開かれた。
飛空艇の甲板に布を張り、豊穣炉から出た食事を並べる。
吟遊詩人は「百の星が降る夜」という歌を、その場で作った。
子どもたちはタイタン・ゼロの足元を走り回る。
悠真も最初は笑っていた。
ガチャの当たりを大勢と喜ぶのは、ゲームでは味わえなかった。画面を撮って友人へ送るのではなく、出てきた飛空艇へ本当に乗れる。
「次は何を引くの?」
菓子を願っていた少年が聞く。
「しばらく引かない」
「百万個もあるのに?」
「あるから全部使う、は危険なんだ」
大人らしいことを言いながら、悠真は召喚ボタンを何度も見た。
残りの石で、さらに五千回以上引ける。
今なら何でも出る気がする。
国を一つ救う兵器。
元の世界へ帰る道具。
セラの記憶を戻す薬。
欲しいものを考えれば、指が動きそうになる。
セラがスマートフォンの上へ手を置いた。
「没収しますか?」
「子ども扱いするな」
「では、自分で閉じてください」
悠真は画面を閉じた。
祭りの隅では、リリアーナが完全治癒薬を見ている。
「これがあれば、もっと多くを救えます」
「一つしかない」
「増やせるかもしれません」
第四星剣なら、薬の材料を育てられる可能性がある。
悠真は小瓶を渡さなかった。
「持ち主がいるかもしれない」
「ガチャから出たのでしょう?」
「だからだ」
まだ説明できるだけの証拠はない。
リリアーナは不満そうだったが、無理に取らなかった。
夜が深まり、住民は新しい品々の用途を決め始める。
飛空艇は遠い村へ薬を運ぶ。
空間収納庫は食料保存へ。
竜殺しの大砲は、使わず封印する。
強い物が出たから、すべて使う必要はない。
当たりの価値は、引いた瞬間ではなく、その後の選択で決まる。
祭りが終わるころ、異常排出された新宿の明かりが遠くに見えた。
誰もいない街だけが、祝いの輪へ入らず沈黙していた。




