第4話 炎王ヴァルガス
集落の名はルーデ村だった。
住民は、悠真たちを村で一番大きな家へ案内した。
大きいといっても、木造の平屋だ。中央の炉では薄いスープが煮えている。具は野草と豆が少し。子どもたちは腹を空かせているはずなのに、客へ先に椀を差し出した。
悠真はガチャで引いた干し肉を全部、机へ置いた。
「こんなに受け取れません」
村長は遠慮した。
「俺たちは二人です。持っていても食べ切れない」
嘘だった。空間収納へ入れておけば腐らない。
それでも、怯えながら笑う子どもを前に、自分だけの非常食とは言えなかった。
セラは悠真の顔を見たが、何も指摘しない。
村人はタイタン・ゼロを天から来た守護神だと思っていた。悠真が違うと説明しても、完全には信じていない。
「神なら、もっと立派な服を着てくる」
寝間着のシャツを引っ張ってみせると、子どもが初めて笑った。
セラは村の女性から外套を借り、悠真の肩へかけた。
「威厳の問題ではなく、体温保持のためです」
「分かってる」
外套から干した草の匂いがした。
異世界に来て初めて、人の暮らしの中へ入った気がした。
悠真とセラが村人から事情を聞くまで、時間はかからなかった。
北の大国ガルドアが国境を越えた。率いるのは炎王ヴァルガス。村の南には小国セレネの王都があり、この村も侵攻路に含まれている。
「軍の数は、およそ十万」
村長が古い地図を広げる。
ガルドア軍は三つの街を通過している。どの街でも倉庫を開けさせたが、抵抗しない住民は殺していない。
「暴君にしては、妙だな」
悠真が言う。
「ヴァルガスは恐ろしい王です」
村長は声を落とした。
「ですが、約束を違えたことはないとも聞きます。降伏した村からは必要な食料しか取らず、代わりに魔物を討ったと」
「侵略してる事実は変わらない」
「はい。ただ、喜んで奪っているようには見えません」
セラが地図の北を指した。
「軍の進行速度が遅すぎます。十万の兵だけなら、すでにここへ到達しています」
避難民を連れている。
三人は同じ結論へ至った。
悠真はゲーム内のヴァルガスを思い出した。イベントでは高笑いしながら村を焼く悪役だった。倒せば大量の素材を落とす。それ以上の背景はなかった。
「ゲームと同じだと思わない方がいいな」
「最初から、そう申し上げています」
「俺が理解するのに時間がかかったんだ」
村長は震える声で言った。
悠真は村の外に停めたタイタン・ゼロを見る。
「あれで止められるか?」
「可能です。ただし、敵軍の後方に民間人の反応があります」
セラは平原を見ながら答えた。
「民間人?」
「荷車が数千。子どももいます。軍に同行しているというより、国ごと移動しているように見えます」
侵略軍が、避難民を連れている。
悠真は嫌な予感がした。
翌朝、地平線が赤く染まった。
ガルドア軍が現れた。
赤い鎧の兵士が平原を埋める。頭上には炎をまとった竜が百体。軍の中央では、巨大な黒馬に乗った男が先頭に立っていた。
炎王ヴァルガス。
大柄な男だった。赤銅色の髪と、古い傷の走る顔。王冠はなく、煤に汚れた外套をまとっている。
ヴァルガスは兵を止め、一人で前へ出た。
セラも村の柵を越える。
悠真はその隣まで歩いた。足は震えていたが、隠す余裕もない。
「そこの男」
ヴァルガスが悠真を見た。
「鋼鉄の巨人を呼んだのは貴様か」
「たぶん、俺です」
「たぶんで要塞を呼ぶな」
「自分でもそう思います」
ヴァルガスは笑わなかった。
「退け。我らの目的はセレネの穀倉地帯だ。村人を殺すつもりはない」
「奪われた側は冬を越せない」
「奪わねば、我が民が今夜死ぬ」
ヴァルガスが外套を開いた。胸当ての隙間から、黒い筋が首まで伸びている。
「北の大地は三か月前から燃えている。土の下から噴き出す黒炎だ。水でも魔法でも消えん。畑は灰になり、井戸は煮えた。後ろにいるのは、帰る家を失った民だ」
悠真は軍の後方を見た。
荷車の上で、母親が子どもを抱いている。兵士の多くも痩せていた。
「だから、ほかの国から奪うのか」
「王が自国の民を見捨てて、誰を救う」
ヴァルガスの声に迷いはない。
「道を空けろ。できぬなら、貴様を倒して進む」
悠真は怖かった。
正しい答えなど思いつかない。会社員に国同士の飢えを解決する知識はない。
それでも、道を空ければ別の人々が飢える。
「通せない」
悠真は答えた。
「食料は別の方法を探す。まず、その黒炎を俺たちに見せてくれ」
「口約束で十万の命を預けろと?」
「預けろとは言ってない。けど、奪う前に一日だけくれ」
ヴァルガスは剣を抜いた。
「我らには、その一日がない」
炎が空へ駆け上がる。
百体の炎竜が咆哮した。
平原の温度が跳ね上がる。村の柵から煙が立ち、兵士たちの頭上で炎が渦を巻く。
セラが悠真を見る。
「倒せます」
「後ろの人たちは守れるか」
「はい」
「兵士も、できるだけ殺さないでくれ」
「承知しました」
セラが一歩出た。
炎竜が襲いかかる。
一体だけでも城を焼ける怪物が、百体。
空が炎で埋まった。
セラは右手を上げる。
一本目。
青白い星剣が手の中へ落ちた。
「第一星剣――《氷葬星フローズ・エンド》」
ヴァルガスの目が見開かれる。
「星剣だと……?」
セラが横に一閃した。
それだけだった。
空一面が凍った。
百体の炎竜が、燃えた姿のまま氷像へ変わる。翼も牙も炎さえも青く固まり、朝日を反射した。
セラが剣先を下げる。
氷像が同時に砕けた。
細かな光となり、雪のように降る。
ガルドア軍の炎も消えていた。十万本の武器だけが氷に包まれ、兵士たちの手から落ちていく。
誰一人、傷ついていない。
炎王だけが剣を握っていた。
十万の兵士は、武器を失っても逃げなかった。
ヴァルガスを守ろうと前へ出る。
だが炎王が片手を上げ、全軍を止めた。
「動くな!」
声が平原を渡る。
「この剣の前では、数は意味を持たん。民のために残した命を、ここで捨てるな」
兵士たちは歯を食いしばりながら従った。
ヴァルガスは自分が勝てないと理解しながら、一人で進んだ。
悠真には、その背中が悪役には見えなかった。
王として正しいかは分からない。
他国を襲った罪も消えない。
自分だけは最後まで前に立つ男だった。
ヴァルガスは赤い炎を全身にまとい、セラへ突進する。
「まだだ!」
セラは動かなかった。
ヴァルガスの剣が振り下ろされる。
星剣の切っ先が、その炎へ触れた。
轟音。
炎は一瞬で凍り、砕けた。
ヴァルガスの剣も、鎧も、足元の地面も白く固まる。首から上だけを残して、炎王は巨大な氷柱に閉じ込められた。
「殺せ」
ヴァルガスはセラではなく、悠真を見た。
「王が敗れた。民を飢えさせた。生きて戻る場所などない」
悠真は氷柱の前まで歩いた。
「戻る場所なら、北にある」
「燃えていると言ったはずだ」
「だから、その火を消しに行く」
ヴァルガスが眉を寄せる。
「水でも魔法でも消えぬ黒炎だぞ」
「セラの氷は、地球を滅ぼす隕石を消した」
「地球とは何だ」
「説明すると長い。とにかく、かなり大きい」
セラが悠真を見る。
「黒炎の性質を確認する前に、可能だと言い切るのは危険です」
「できないのか?」
「できます」
「できるのかよ」
「私の懸念は、黒炎を消したあとに何が起きるかです」
セラは北の空を見た。
昼だというのに、地平線の一部が黒く染まっている。
「あれは自然の炎ではありません。空間の裂け目です。炎は、向こう側から漏れているだけです」
ヴァルガスの顔色が変わった。
「向こう側?」
「別の場所か、別の世界か。今の私には判断できません」
悠真のスマートフォンが鳴った。
画面に地図が表示される。
北方全域が赤く点滅していた。その中心に、ゲームで見慣れた文字が浮かぶ。
期間限定イベント。
推奨プレイヤー数、一〇〇〇。
残り時間、十八時間。
そして報酬欄には、星晶石三十万個と表示されていた。
「三十万」
悠真はつぶやいた。
セラが冷たい目を向ける。
「まだ作戦を説明していません」
「行こう」
「悠真」
「三十万だぞ」
「人命を先にしてください」
「もちろん人命が先だ。そのうえで三十万だ」
氷の中で、ヴァルガスが初めて声を上げて笑った。
「面白い男だ。よかろう。俺を解放しろ」
笑みを消し、炎王は北をにらむ。
「黒炎の中心まで案内する。だが覚えておけ」
ヴァルガスの声が低くなる。
「あの炎の中から、三日前、死んだはずの弟の声がした」
## サイドストーリー 炎王の食卓
ヴァルガスが自分の天幕へ戻ったのは、夜が明ける直前だった。
敗北した王を迎えたのは、将軍でも侍従でもない。
避難民の少年が一人、冷えたスープを持って待っていた。
「母が、王様にも食べてほしいって」
木の椀には豆が三粒しかない。
少年の家族に残った食料から分けたものだ。
「俺は食べた」
ヴァルガスは嘘をついた。
「嘘だ。ずっと見てた」
少年は椀を押しつける。
「王様が死んだら、誰が家へ連れて帰ってくれるの」
ヴァルガスは受け取った。
冷えた豆を一粒かみ、飲み込む。
「必ず帰す」
「家、燃えたよ」
「ならば建て直す」
「畑もない」
「土から作る」
「できるの?」
ヴァルガスは答えようとして、昼の戦いを思い出した。
星剣の一振りで、百体の炎竜が消えた。
自分一人の力など、世界の前では小さい。
それでも、できないとは言えない。
「できるまでやる」
少年は納得したようにうなずいた。
天幕を出る直前、振り返る。
「あの変な服の人、信用できる?」
寝間着姿の悠真を思い浮かべ、ヴァルガスは鼻を鳴らした。
「王の器ではない」
「弱いの?」
「弱い。判断も遅い。戦う力もない」
「じゃあ駄目じゃん」
「だが、弱いまま俺の前に立った」
ヴァルガスは空になった椀を見る。
「強者が前へ出るのは当然だ。弱い者が逃げずに残る方が、時には難しい」
少年が去ったあと、炎王は一人で地図を開いた。
他国から奪う計画へ、自分の手で大きな線を引く。
その下に、新しい命令を書いた。
黒炎調査へ全力を投入。セレネへの侵攻を停止。奪った食料は、復興後に二倍で返却する。
敗北したから従うのではない。
悠真が示した別の道を、自分で選ぶためだった。




