↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
これはガチャを終わらせる物語  作者: 藤崎聖子


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
26/27

第26話 最初のガチャ

 小さな家だった。


 入口には、幼いセラの身長を刻んだ柱がある。


 五歳。六歳。七歳。


 最後の印だけ、母親の字で「今年も大きくなった」と添えられていた。


 棚には不格好な木の皿が二枚。窓辺には乾燥させた薬草。裕福ではないが、物を大切に使った暮らしが残っている。


 成長したセラは、一つずつ触れた。


「これは私が作りました」


 木の皿の底には、小さな星が彫られている。


「母は上手だと褒めてくれました。今見ると、ずいぶん曲がっています」


「いい母親だな」


「はい」


 セラは迷わず答えた。


 失った過去ではなく、確かに自分が生きた場所として話せるようになっていた。


 窓の外には青い空がある。


 十歳のセラが、寝台の母親へ水を飲ませていた。


 悠真とセラは、時間の外からその光景を見ている。


「母です」


 セラは今度こそ、はっきり思い出した。


「名前はノエル。歌が好きで、パンを焼くのが上手でした」


 少女が家を出る。


 二人は後を追った。


 神殿では、《運営》の原型となった機械が待っている。


 この宇宙の終わりを観測した古代文明が、最後の望みとして作った検索装置。


『治療手段が存在する世界を検索します』


 少女が尋ねる。


「これを引けば、お母さんを助けられるの?」


『肯定。ただし対価として、別世界から可能性を転送します』


 子どもには意味が分からない。


 少女の指がボタンへ近づく。


 悠真は時間の外から手を伸ばした。


「待って」


 少女が振り向く。


 セラと同じ青い瞳が、悠真を見た。


「誰?」


「未来から来た。信じなくていい」


「お母さんが死んじゃうの」


 少女の声が震える。


「これを引けば助けられるって」


「引かないでくれ」


「じゃあ、諦めろって言うの?」


「違う」


 悠真は少女の前にひざまずいた。


「助ける。ガチャじゃない方法で」


 セラが七星剣を前へ出す。


 一本目から順に、刀身が光へ変わり始めた。


「七本すべてを、エネルギーへ還元します」


「そうすれば、お母さんを治せるの?」


「はい」


 少女は成長した自分の顔を見つめた。


「あなたは、私?」


「あなたがガチャを引いた先にいた、あなたです」


 セラは少女を抱きしめた。


「ずっと、母を助けられなかったと思っていました」


「泣いてるの?」


「はい。嬉しいからです」


 第一星剣が消える。


 消える直前、青白い刀身に氷惑星の空が映った。


 青い嵐の下にも生命がいた。氷の海を泳ぐ小さな光だ。


 剣から解放され、元の星へ戻っていく。


 氷惑星の力が母親の熱を奪った。


 第二星剣が消える。


 死者たちは一列になり、セラへ頭を下げた。


『我らを兵ではなく、人として呼んだことを忘れぬ』


 最後に、小さな骨兵が悠真へ手を振る。


「ゆう、ま」


 今度は、はっきり別れを告げる声だった。


 数十億の死者の光が、失われた生命力を運ぶ。


 第三星剣が消える。


 雷が止まりかけた心臓を動かす。


 第四星剣が消える。


 傷ついた肉体が癒える。


 第五星剣が消える。


 無名王の世界が一瞬だけ戻る。


 青い草原で、二人の子どもが父親へ走る。


 悠真には名前が聞こえなかった。


 だが無名王は、その名を思い出すだろう。


 病そのものが、体から消去される。


 第六星剣が消える。


 アークが作った完璧な都市では、建物の高さが少しずつ変わった。


 誰かが壁を好きな色に塗り、別の誰かが曲がった道を作る。


 ジェネシスが返した可能性は、完成品ではない。


 人々が自分で作り続けられる余白だった。


 母親が生きる可能性が、この世界に作られる。


 最後に、クロノスだけが残った。


「これを還元すれば、元の時間へ戻れない」


 悠真が言う。


「はい」


「セラは、ここに残れるのか」


「ガチャで奪われなかった私は、ここで母と生きます。今の私は消えるでしょう」


「それじゃ、今の君はどこにも残らないのか」


「ジェネシスが、最後に一つだけ可能性を作りました。何も奪わず、私の残響だけをあなたの世界へ渡す道です」


「残響?」


「私と同じ魂を持つ、別の人生です。剣も記憶もありません。あなたに会う保証もありません」


「それでも、君なんだな」


「その人が誰になるかは、その人自身が決めます。私の代わりとして扱わないでください」


「分かった。会えたら、最初から知り合う」


 少女がセラの手を握った。


「消えちゃうの?」


 セラは答えず、悠真を見た。


「最後まで、私を守ろうとしてくれましたね」


「守れない」


「いいえ。私が失ったものを、すべて返してくれました」


 悠真は手を離せなかった。


「君とのことが消える」


「消えません」


 セラが悠真の胸へ指を当てる。


「あなたが最後までいたことは、もう起きたことです」


 クロノスが光になる。


 機械の画面に、最後の確認が現れた。


 FINAL GACHAを終了しますか?


 悠真とセラは画面の上で指を重ね、終了ボタンを押した。


 世界からガチャが消える。


 並行世界を結んでいた線がほどけ、奪われたものが元の場所へ戻っていく。


 新宿が地球へ戻る。


 治癒薬は少年の手元へ。


 流刑星の死者は、それぞれの眠りへ。


 七つの星は、奪われなかった歴史を歩み始める。


 現在の宇宙は、借りていた力を失った。


 けれど消えなかった。


 第一星剣が恒星へ返した冷気が、暴走していた核反応を整えた。


 第三星剣が返した雷は、宇宙の空白を満たす新しいエネルギーになった。


 第六星剣が最後に作った一つの可能性が、細い道として残った。


 成功確率は限りなくゼロに近かった。


 それでも、ゼロではなかった。


 世界は自分の力で、次の一秒へ進んだ。


 光の中で、セラの手が薄くなる。


「悠真」


「忘れない」


「はい」


「絶対に」


「知っています」


 セラは、初めて会ったときよりずっと柔らかく笑った。


「あなたは、最後まで関係を放棄しない人ですから」


 光が消えた。


 悠真は一人で、元の部屋に立っていた。


 スマートフォンの時計は、サービス終了から一秒後を示している。


 画面には一行だけ表示されていた。


 その下には、召喚履歴が空のまま残っていた。


 干し肉も、椅子も、タイタン・ゼロもない。


 セラの名前もない。


 悠真は、履歴の一番下へ指を置いた。


 何も表示されない。


「ゲームなんて終わったら、何も残らない」


 最初の夜に言った言葉を思い出す。


 違った。


 形のあるものはなくなっても、選んだことは残っている。


 誰かと過ごした時間も、自分が変わったことも消えない。


 サービスは終了しました。


## サイドストーリー フレンド一覧のその後


 サービス終了から七時間後、古いグループチャットに通知が灯った。


 悠真が二年間、一度も削除できなかった部屋だった。


 名前は《姫星攻略部》。最盛期には四十八人いた。イベントの開始時刻になればスタンプが飛び交い、新キャラの性能表が貼られ、天井まで引いた者が半泣きで結果を報告した。


 最後の半年、発言したのは悠真だけだった。


《お疲れさまでした》


 終了画面のスクリーンショットと一緒に送った言葉にも、既読はつかなかった。


 その部屋に、今さら返信が来た。


《終わったんだな》


 送り主は、《黒猫タンク》。初期のレイドで毎晩先頭に立っていた男だ。


 続いて、別の通知。


《ごめん、ログインできなかった》


 《アオイ》。彼女は一年前、資格試験に集中すると言って消えた。


《最後、どうだった?》


 《焼きプリン》。ガチャで爆死するたび、二度と課金しないと宣言して、翌月には必ず戻ってきた。


 悠真はスマートフォンを持ったまま、しばらく返事ができなかった。


 どうだった、と聞かれても説明できない。


 新宿が空から落ちた。炎王の軍を止めた。四十一億年後の地球を見た。敵だった者たちと同じ答えを探した。七本の剣を使い、宇宙を引き直せる権利を捨てた。


 全部本当だ。


 全部、チャットに書けば冗談になる。


 悠真は考えた。


 怖かった。痛かった。何度も逃げたかった。


 だが、楽しくなかったとは言えない。


 ゲームの話ではない。皆で勝ち方を考えたこと。名前を教え合ったこと。負けたあとに次を決めたこと。誰かの世界を、自分の世界と同じ重さで見るようになったこと。


 悠真は文字を打った。


《すごかった。たぶん、俺が思ってたよりずっと大きいゲームだった》


 すぐに既読が三つついた。


《最終ガチャ、何出た?》


 黒猫タンクが尋ねた。


 悠真は、鞄から小さな剣のキーホルダーを出した。帰還したとき、空だったはずの鞄に残っていたものだ。


 机へ置き、写真を撮る。返信へ一言添えた。


《星の剣士。最高の当たりだった》


《スクショ》


《見せろ》


《性能は?》


 三人分の催促が重なった。


 悠真は先ほど撮ったキーホルダーの写真を送った。


 送信から三秒後、チャットが動いた。



《未実装の七剣姫?》


《こんなグッズあった?》


《自作?》


 休眠していたアカウントが次々に起きた。既読が十、二十と増えていく。引退した者。機種変更でデータを失った者。仕事や育児に追われ、最後の日を忘れていた者。


 誰も、ゲームを嫌いになって消えたわけではなかった。


 生活が続いたから、離れただけだ。


 その当たり前の事実に、悠真は少し救われた。


《オフ会しよう》


 アオイが書いた。


《今さら?》


《今だから》


 日程調整の投票が作られた。四十八人のうち、参加できると答えたのは十一人。未定が九人。通知すら届かない者もいた。


 全員は戻らない。


 昔と同じにもならない。


 それでも、ゼロではなかった。


 黒猫タンク。アオイ。焼きプリン。名前しか知らなかった人々が、今度は現実の町で会おうとしている。


 悠真は日程調整の投票で「参加」を押した。


 いつかセラの残響を持つ誰かに出会えたら、この人たちを紹介したいと思った。その人が望むなら、という条件つきで。


 それまでは、自分の生活を止めずにいる。待つことと、立ち止まることは違う。


 フレンド一覧の数字は、もう戦力を意味しない。


 ログイン日数も、レベルも、所持キャラも関係ない。


 ただ、あの時間を一緒に過ごした人が、画面の向こうで今日を生きている。


 それだけで十分だった。


## サイドストーリー 剣のない朝


 最初に聞こえたのは、包丁の音だった。


 一定の速さで、何かを刻んでいる。


 十歳のセラは目を開けた。


 白い天井。薄いカーテン。窓から入る朝の光。戦場ではない。運営中枢でも、崩れかけた宇宙でもない。


 右手を伸ばした。


 星剣は現れなかった。


 胸が冷たくなる。


 次の瞬間、台所から声がした。


「起きたの、セラ?」


 体が先に動いた。


 裸足で廊下を走り、戸口に肩をぶつける。痛みも無視して台所へ飛び込んだ。


 母がいた。


 髪を後ろで束ね、鍋を火にかけている。病で青白くなっていた肌には血の色が戻り、背中もまっすぐ伸びていた。


「どうしたの?」


 母は包丁を置いた。


「怖い夢でも見た?」


 セラは答えられなかった。


 抱きついた。


 勢いが強すぎて、二人で食器棚にぶつかった。皿が一枚落ち、床で割れた。


「セラ、危ない」


 叱る声も、生きていた。


 肩へ触れる手も温かい。


 セラは母の胸へ耳を当てた。


 心臓が動いている。


 一度。


 二度。


 三度。


 数えるほど、涙が出た。


「本当にどうしたの」


「何でも、ありません」


「何でもない人は、そんなに泣かないわ」


「夢を、見ました」


「どんな夢?」


 宇宙を越える夢。


 数え切れない命を奪う夢。


 母を助けるために剣を振り、母を失ったあとも振り続ける夢。


 最後に、たった一人の普通の男が、宇宙より母を選んでくれる夢。


「忘れました」


 セラは言った。


 嘘ではなかった。細部はもう、朝の光に溶け始めていた。


 名前も、顔も、剣の形も消えていく。


 残ったのは、胸を満たす感謝だけだった。


「そう。なら、顔を洗ってきなさい。朝ご飯が冷めるわ」


「はい」


「それと、皿を片づけるまで動かないで。裸足でしょう」


 セラはその場で待った。


 母が箒を取りに行く。


 当たり前の朝だった。


 それが、奇跡だった。


     ◇


 炎王ヴァルガスは、王のままだった。


 終末を越えた翌朝、謁見の間ではなく復興中の鍛冶場へ行った。


 職人が赤熱した鉄を叩いている。ヴァルガスは外套を脱ぎ、ふいごへ足をかけた。


「陛下がなさる仕事ではありません」


「王が火を扱って何が悪い」


 彼の炎は以前と同じように従った。だが一息で鉄を溶かさず、風を送り、炭を足し、職人の速さに合わせて炉を育てた。


 面倒だった。


 だが、悪くなかった。


「剣をお作りになりますか」


「鍋だ」


 職人は王の顔を二度見した。


「戦をおやめになるので?」


「腹が減れば戦士も飯を食う。まず、民が焦がさず使える鍋を作る」


 白い聖女に焦げたパンを責められた記憶を思い出し、ヴァルガスは鼻を鳴らした。


 炎王は初めて、誰も殺さない炎の使い方を自分の仕事にした。


 侵攻の責任が消えたわけではない。午後にはセレネとの賠償交渉が待っている。鍋を作るのは罰から逃げるためではなく、壊した暮らしを直す最初の仕事だった。


     ◇


 グラディウスは、骸王のままだった。


 ただし終末後の最初の命令は、軍勢の召集ではない。地上と地下の墓地を一つの台帳へまとめることだった。


 夜明け前、墓地の門を開ける。石碑を磨き、供えられた花の水を替え、消えかけた名前を彫り直す。


「おじさん、これ、どこ?」


 小さな子供が、花束を抱えて立っていた。


「誰の墓を探している」


「お母さん」


「名は?」


 子供が答える。


 グラディウスは台帳を開いた。


 そこには死者全員の名があった。


 番号ではない。兵士と民を分けてもいない。王族だけ文字を大きくすることもない。


「こちらだ」


 子供を案内し、墓の前で待った。


「おじさんは、お母さんを知ってる?」


「知らぬ」


「じゃあ、どうして名前を覚えてるの?」


 グラディウスは答えを考えた。


 百万の死者を従えた事実は消えていない。名を覚えることを、以前は償いだと思っていた。


 今は、それだけではなかった。


「ここにいたと、次の者へ伝えるためだ」


 子供はよく分からない顔をした。それでも墓へ花を置き、母の話を始めた。


 グラディウスは最後まで聞いた。


 死者を起こさずに、死者と共に生きる方法を、彼は少しずつ学んでいた。


     ◇


 オルドは、雷を食べる竜のままだった。


 終末後の空には、まだ小さな雷雲が残っている。以前なら独り占めした雲を、オルドは雨を待つ畑まで押していった。


「そこで降らせてくれ」


 老農夫が地上から叫ぶ。


「我に命令するな」


「なら頼む。昨日まいた種が乾いちまう」


 オルドは雷だけを吸い、雲を畑の上でほどいた。静かな雨が降り始める。


「竜のくせに、ずいぶん細かい加減ができるんだな」


「千年生きている。できぬことの方が少ない」


「友達を作るのは下手そうだ」


 オルドは空で固まった。


「なぜ分かる」


「顔に出てる」


「竜の顔を読める人間など、初めて見た」


 老人は笑い、雨の中で土を確かめた。


「なら二人目の友達にしてくれ」


「二人目?」


 オルドは悠真の声を思い出した。


《友人って、俺たち?》


 あのときは回答を拒否した。今も、面と向かって答えるのは気恥ずかしい。


「最初の者には、まだ返事をしていない」


「次に会ったら言えばいい」


「そうする」


 オルドは雲の端を少しだけ残した。明日もここへ運ぶためだった。


     ◇


 リリアーナは、今も聖女と呼ばれていた。


 本人はその呼び名を外し、町の診療所で一人の治療師として働こうとした。人々は簡単には呼び方を変えなかったが、彼女は急がせなかった。


 死者を蘇らせる力も、病を世界から消す力も、もう使わない。目の前の傷を診て、本人と治療法を選ぶところからやり直した。


 ある日、重い病の男が運ばれてきた。


 治療法は二つ。


 一つは成功率が高いが、男は片腕を失う。


 もう一つは腕を残せるが、命を落とす危険が高い。


 リリアーナは二つの方法を説明したあと、男へ尋ねた。


「どちらを選びますか」


「聖女様なら、どちらを選びますか」


「私の正しさで、あなたの人生を決めてはいけないのです」


 それは、善意で誰かの選択を奪った自分へ向けた言葉でもあった。


 リリアーナは患者の隣へ座った。恐ろしい点を隠さず、分からないことは分からないと言った。


 男は長く考え、片腕を失う道を選んだ。


「怖い」


 彼は言った。


「はい」


「正しい選択かな」


「分かりません」


 以前の彼女なら、神の祝福を語っただろう。


 今は男の手を握った。


「でも、あなたが選んだ道を、私は一緒に歩きます」


 完璧な救済ではなかった。


 だからこそ、その言葉は嘘ではなかった。


     ◇


 名を持たなかった王は、旅人になった。


 国境を越えるたび、役人に名を尋ねられた。


 彼は毎回、自分で選んだ名を答えた。


 最初は喉が震えた。


 二度目は、少し大きな声で言えた。


 十度目には、宿の主人がその名を呼ぶ前に振り返れるようになった。


 彼は町から町へ、名のない墓を訪ねて歩いた。石碑に刻む名が分からないときは、一行だけ残した。


《ここに一人いた》


 それで十分だとは思わない。


 だが、ゼロよりはよかった。


 いつか海辺の町で、奇妙な夢の話を聞いた。


「七本の光が空を渡った夜、死んだはずの人が帰ってきたんだ」


 老人が言った。


「あんたは信じるか?」


 旅人は海を見た。


 波の向こうに、剣を持たない仲間たちの背中が見えた気がした。


「信じる」


「どうして?」


「私も、その光に名を返された」


     ◇


 創造王アークは、何も創らなかった。


 彼は小さな庭の椅子に座り、種が芽吹くのを待った。


 水をやりすぎて一つ腐らせた。


 日当たりを読み違え、三つ枯らした。


 虫に食われ、風に折られ、残ったのは最初にまいた種の半分だった。


 それでも春の終わり、名も知らない黄色い花が咲いた。


 アークは手を加えなかった。


 花弁の形は不揃いで、茎は曲がっている。


「美しい」


 彼は呟いた。


 誰かに設計された美しさではない。


 偶然と失敗をくぐり抜けて、ここへ辿り着いた形だった。


 花の上を、小さな流星が走った。


 アークは願わなかった。


 願いを叶えるために世界を書き換えなくても、明日は来る。


 来ない日もある。


 そのどちらも、自分一人が決めることではない。


     ◇


 朝食のあと、セラと母は割れた皿を買いに町へ出た。


 空は青かった。


 隕石は落ちてこない。


 運営からの通知もない。


 店先で、母が青い縁取りの皿を選んだ。


「これ、星みたいでいいでしょう」


 セラは皿の模様を見た。


 七つの小さな星が、円を描いている。


「はい」


「また割らないでね」


「努力します」


「そこは割らないと言い切りなさい」


 二人で笑った。


 セラは空を見上げた。


 誰かが、自分たちのために大切なものを手放した。


 名前も顔も思い出せない。


 それでも礼を言いたかった。


「ありがとう」


 風が吹いた。


 返事の代わりに、七つの星を描いた紙袋が揺れた。


 剣のない朝は、弱く、面倒で、不完全だった。


 誰も一振りで問題を解決できない。


 だから人々は話し、迷い、自分の手で一日を選んだ。


 七本の星剣が最後に守ったのは、そういう朝だった。


## サイドストーリー 最後の更新


 現代日本。


 『ファンタシースタープリンセス』の運営会社では、サービス終了後も数人の社員が残っていた。


 サーバーを停止し、問い合わせ窓口を閉じ、最後のデータを保存する。


「終了後のアクセスが一件あります」


 若い技術者が言った。


「時刻は?」


「終了から一秒後。ユーザーID、00018472」


 佐倉悠真。


 通信内容は、通常のプレイ記録ではない。


 数百テラバイトのデータが、一秒でサーバーへ届いている。


 開くと、知らない世界の景色が映った。


 炎の王。


 死者の軍勢。


 七本の剣を持つ銀髪の女性。


 社員たちは、終了作業で疲れて幻を見たと思った。


 ディレクターだけが、銀髪の女性を知っていた。


「未実装フォルダのキャラだ」


「でも、この映像は三次元です。ゲーム素材じゃない」


 データの最後に、一つの命令がある。


 サービス終了後アンケートを、ユーザー00018472へ送信。


 質問文も指定されている。


 このゲームで一番楽しかったことを教えてください。


「こんなアンケート、予定にない」


「送りますか?」


 ディレクターは迷った。


 サービスは終わった。


 予定外の通信を送れば、規定違反になる。


 それでも、最後まで残った一人へ質問するだけならよいと思った。


「送ろう」


 送信処理を実行する。しかし停止済みのサーバーは応答せず、アンケートは保留キューへ入った。


「もう止めたからな。明日の再送処理に任せよう」


 翌日の夕方、遅れて送られたアンケートに回答が届いた。


 一番楽しかったのは、最後まで遊べたことだと書かれていた。


 社員たちは黙って画面を見た。


 二年間作り、更新し、失敗もしたゲーム。


 売上は伸びず、予定より早く終わった。


 それでも、一人が最後まで遊べたと言った。


 ディレクターは回答を印刷し、誰もいなくなったオフィスの壁へ貼った。


 その後、未実装フォルダから七剣姫のデータが消えていた。


 代わりに小さなテキストファイルがある。


『実装ありがとうございました』


 作成者名は、セレスティア・ノア。


 社員の誰も、その名を登録した覚えはなかった。


 データは保存せず、消した。


 残すべきではないと、全員が同じように感じたからだ。


 ただアンケートの回答だけは、会社がなくなる日まで壁に残った。


## サイドストーリー 返された世界


 ガチャが消えた瞬間、無数の世界で小さな変化が起きた。


 治癒薬を返された少年の世界。


 老人は畑で芽を見つけた。


「昨日まいたばかりなのに、早いな」


 少年は空を見上げる。


 七十二時間の表示は、もうどこにもない。


「知らない人が、止めてくれたのかな」


「なら、いつか礼を言わないとな」


 二人は、悠真の名を知らない。


 それでも畑の端に、小さな星形の石を置いた。


 無名王アレンの世界。


 青い草原に家が戻る。


 娘が玄関から走り、父親へ抱きついた。


 アレンは何十億年分の記憶を抱えたまま、娘を抱き返す。


「どうしたの、お父さん」


「長い旅をしていた」


「怖い夢?」


「もう忘れないための旅だ」


 娘の名を呼ぶ。


 今度は消えない。


 流刑星ネクロポリス。


 死者たちは兵士として召喚されることなく、静かに眠っている。


 墓地の入口には、新しい言葉が刻まれた。


 ここに眠る者を、数ではなく名で覚えよ。


 雷の惑星では、巨大な雲の中を小さな生物が泳ぐ。


 遠い空に、オルドによく似た影が見えた。


 氷惑星には青い海が戻り、生命星では増えすぎない森が広がる。


 返された世界は、すべて完璧になったわけではない。


 争いも病気も、別れも残っている。


 ただ、自分たちのものを誰かに無断で引かれることはない。


 それぞれが、自分の選択の先を生きられる。


 悠真はその光景を知らない。


 知らなくても、返した意味は失われなかった。


## サイドストーリー 彼女が覚えていたこと


 瀬良ノアには、ガチャの記憶がない。


 少なくとも、本人はそう思っていた。


 ノアは、セラの記憶を入れるための器ではない。母に叱られ、父に星座を教わり、友人と喧嘩して仲直りした。その一つひとつが、ノア自身の人生だ。ジェネシスが渡したのは完成した人格ではなく、別の世界でも一人の人間として生まれるための、細い可能性だけだった。


 幼いころ、母に手を引かれて天文台へ行った。雨上がりの空は澄み、望遠鏡の向こうで青白い星が揺れていた。父が外国の血を引いているため、彼女の瞳は青い。髪は母と同じ黒だった。


「あの星、知ってる気がする」


 五歳のノアが言うと、母は笑った。


「星はみんな、昔の光を見せてくれるの。生まれる前に会っていても、不思議じゃないわ」


 その答えが好きだった。


 だからノアは星を学んだ。


 学校では、理屈っぽい子だと言われた。流星を見て願い事をする暇があるなら、落下角度を測りたいと言って、友人を呆れさせた。剣など握ったことはない。血も戦いも苦手だった。


 それなのに、ときどき手のひらが何かを探した。


 右手を伸ばせば、そこに細い柄がある気がした。


 夜空に赤い光が走ると、胸の奥から声が湧いた。


 斬らなければ。


 誰かを守らなければ。


 そして必ず、顔の見えない誰かが言う。


 大丈夫。今度は一人にしない。


 夢から覚めると、ノアは泣いていた。


 理由は分からなかった。


 大学に入り、宇宙物理学を選んだ。宇宙の終わりを研究したいと言うと、指導教員は変わった学生だと笑った。


「始まりではなく、終わり?」


「終わり方が分からなければ、今をどう使うべきか決められません」


 自分で答えながら、以前にも同じことを考えた気がした。


 ある夏の日、研究室のサーバーが異常な信号を拾った。


 宇宙背景放射のノイズに紛れた、ごく短い周期信号。意味のある情報ではない。偶然だと誰もが言った。


 ノアだけが、その波形を見て動けなくなった。


 七つの山。


 最後だけ、途中で途切れている。


 解析ソフトへ入力すると、数列の一部は日付に変換できた。残りは何十億年も未来を示す時刻と、東京都新宿区の一点を示す座標になった。


「あり得ない」


 口ではそう言いながら、ノアは座標を消せなかった。


 その夜、七本の剣が光になる夢を見た。


 一本目は熱を奪い、二本目は死者を眠りへ返す。三本目が心臓を動かし、四本目が傷を癒やす。五本目は病を消し、六本目が未来へ細い道を作る。


 七本目が消える直前、知らない男の声がした。


《会えたら、最初から知り合う》


 目覚めたノアは泣いていた。


 夢の中の男が誰かは分からない。顔も覚えていない。それでも、約束だけが胸に残っていた。


 母へ電話をかけた。


『こんな朝早くにどうしたの』


「声が聞きたくなって」


『怖い夢でも見た?』


 幼いころと同じ調子で尋ねられ、ノアは笑った。


「うん。でも、最後は悪くなかった」


 電話を切り、研究室へ向かう支度をする。黒い髪をまとめ、星形の飾りがついた鞄を持った。


 玄関を出る直前、机の上に小さな剣のキーホルダーがあることに気づいた。


 買った覚えはない。


 青白い刀身。見たことがないはずなのに、握り方が分かった。


 ノアはそれを鞄へつけた。


 研究室へ行くには、新宿駅で乗り換える。異常信号の座標へ寄っても、帰り道が十分ほど延びるだけだった。


 合理的な理由はない。


 彼女はその日の作業を早めに切り上げ、新宿で電車を降りた。


 誰かの代わりになるためではない。


 自分の人生で、自分が会いたいと思った人を探すために。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。