エピローグ 最後まで遊べたこと
元の部屋へ戻った翌朝、悠真は会社へ行った。
眠った覚えはない。
朝はいつもどおり来た。目覚ましが鳴り、隣の部屋から掃除機の音がし、ニュースでは電車の遅延を伝えている。
宇宙の終わりを知る前と同じ、ありふれた朝だった。
悠真は冷蔵庫を開け、いつものパンを取り出した。
半分に割る。
片方が少し大きい。
セラと母親の記憶を思い出し、大きい方を皿へ戻した。
「一人なのに何してるんだ」
自分で笑う。
結局、大きい方を食べた。
今日を生きる人間が食べればいい。そんな声が聞こえた気がした。
電車は混み、信号は長く、昨日までと何も変わらない。
新宿のビルも元の場所にある。
誰も、街が四十一億年後へ排出されたことを覚えていなかった。
悠真のスマートフォンから『ファンタシースタープリンセス』のアイコンは消えている。
夢だったと思えば、それで片づけられる。
けれど鞄には、一本の小さな剣のキーホルダーが入っていた。
ゲーム内グッズとしても存在しなかった、第一星剣の形だ。
昼休み、レオンからメッセージが届いた。
『昨日はありがとう。またどこかで』
ゲームのフレンドだったレオンだ。
百十四歳の男とは別人のはずなのに、文末には見覚えのない大剣の絵文字がついていた。
ミナからも届く。
『サービス終了したのに、朝ログインしそうになっちゃった』
悠真は笑った。
『俺も』
帰り道、新宿の交差点で銀色の髪が見えた。
悠真は人混みを追う。
見失った。
代わりに、黒髪の若い女性が立っている。
年齢は二十歳ほど。ごく普通の服を着て、鞄に小さな剣のキーホルダーをつけていた。
女性も悠真の鞄を見る。
「それ」
彼女は声をかけた。
「どこで手に入れたんですか?」
「大切な人が、残してくれたんだ」
「私のは、今朝、机に置かれていました。誰からか分からないのに、大切な物だという気がして」
「そういうところまで似てるんだな」
「何にですか?」
「ごめん。こっちの話」
「瀬良ノアといいます」
「佐倉悠真です」
ノア。
同じ音が、胸の奥へ落ちた。
悠真は反射的に「セラ」と呼びかけそうになり、やめた。
目の前にいるのは、剣を背負った星剣士ではない。母と暮らし、学校へ通い、星を研究してきた瀬良ノアだ。記憶を思い出させることが正しいとも限らない。
「何か?」
「いや。いい名前だと思って」
「初対面で名前を褒める人、初めて見ました」
「すみません」
「謝るほどではありません」
少し考えてから、ノアが鞄のキーホルダーを持ち上げた。
「これを持っている人を、ずっと探していた気がするんです」
「俺も、同じ物を持っている人に会いたかった」
「それなら、探し物は終わりですか?」
悠真は首を横に振った。
「始まったところです。たぶん」
ノアは答えを急がなかった。青い瞳で悠真を見て、それから小さくうなずいた。
「では、少し話しませんか。私たちが何を探していたのか」
彼女が思い出さなくてもいい。
以前のセラと同じ道を選ばなくてもいい。
初めから知り合うと、悠真は約束した。
だから今度は、用意された選択肢を押すのではなく、目の前の彼女へ尋ねる。
「このあと、時間ありますか?」
「あります」
それは召喚でも、契約でもない。
問いかけと、本人の返事だった。
断られるかもしれない。話してみれば、気が合わないと分かるかもしれない。それでいい。選ぶのは悠真だけではない。ノアにも同じだけ、選ぶ権利がある。
ノアは、理由が分からないという顔で笑った。
「初めて会った気がしませんね」
銀白ではない。
七本の剣もない。
目の前にいるのは、黒い髪の瀬良ノアだ。
それでも、青い瞳だけは同じだった。
悠真も笑い、何か答えようとした。
スマートフォンが鳴る。
削除されたはずのゲームから通知が届いていた。
ファンタシースタープリンセス運営
サービス終了後アンケート。
質問は一つだけ。
このゲームで一番楽しかったことを教えてください。
悠真は少し考えた。
ガチャでSSRを引いたこと。
星剣で軍勢を圧倒したこと。
仲間と世界を救ったこと。
どれも楽しかった。
けれど、一番は違う。
悠真は回答欄へ入力した。
「最後まで遊べたこと。」
送信。
画面に、アンケートへの回答を受け付けました、と表示される。
その下に、小さな文字が一瞬だけ浮かんだ。
――ありがとう、悠真。
顔を上げる。
ノアが、青い瞳で穏やかにこちらを見ている。
「行きましょうか」
ノアが言った。
「どこへ?」
「まずは、どこかで食事でも。おすすめの店はありますか?」
悠真は笑った。
「近くに、よく行く定食屋がある」
「では、そこへ」
ノアも笑う。
二人は並んで歩き出した。
もうガチャはない。
引き直しもない。
だから、今ある世界と向き合って生きていく。
これは、最後のガチャで何かを手に入れる物語ではない。
ガチャそのものを終わらせる物語だ。




