第22話 最初に引かれた少女
映像の中のセラは、十歳ほどだった。
朝の場面から記録は始まった。
少女は硬いパンを半分に割り、大きい方を母親へ渡す。母親は気づかれないように二つを入れ替え、少女の皿へ戻した。
『お母さん、また大きい方をくれた』
『育ち盛りだからね』
『病気の人の方が食べないと駄目だよ』
『なら、半分ずつにしましょう』
二人は大きさの違うパンを何度も割り、最後には笑った。
何でもない朝だった。だからこそ、セラは画面から目を離せない。
「このパンの味を覚えています」
「どんな味?」
「硬くて、少し酸っぱい。でも母と食べると、甘いと思いました」
悠真は、その記憶が戻ったことを喜んでよいのか分からなかった。温かいほど、失った痛みも大きい。
銀白の髪は短い。簡素な服を着て、寝台のそばに座っている。
寝台には母親らしい女性が横たわっていた。
『お母さん、もう少し待って。きっと薬を見つけるから』
映像が乱れる。
セラは画面から目をそらせなかった。
「知っているのか」
悠真が尋ねる。
「いいえ」
答える声が震えている。
「ですが、あの方を見ていると、胸が痛みます」
記録は続いた。
少女は古い神殿へ行く。そこには、現代のスマートフォンに似た黒い板が置かれていた。
画面には一つのボタン。
最初のガチャ。
価格は、可能性。
『これを引けば、お母さんを助けられるの?』
機械音声が答える。
『治療手段が存在する世界を検索します』
少女が手を伸ばす。
映像はそこで途切れた。
代わりに、《運営》の実験記録が流れる。
第一回並行世界検索実験。
物質転送、失敗。
生命体を誤排出。
対象、セレスティア・ノア。
転送元世界、因果崩壊――少女が消えたことで、その世界は存続する可能性を失った。
全生命反応、消失。
記録には続きがあった。
誤排出された少女は、白い部屋で何度も母の名を呼んだ。
《運営》は言葉の意味を理解できず、生命体の安定化処置を行った。泣き続ける原因を記憶の障害と判断し、母親に関する記録を封鎖した。
少女は泣かなくなった。
命令に従い、七星剣を管理する器になった。
「私が冷静だったのは、強かったからではない」
セラがつぶやく。
「悲しむ理由を、取り上げられていたからです」
悠真はセラの手を握った。
「今は悲しいか」
「はい」
「それでいいとは、簡単に言えないな」
「いいのです」
セラは涙をぬぐわなかった。
「母を失った私も、母を愛していた私も、両方が私です」
セラは画面へ手を伸ばした。
「私が、最初に引かれた」
セラの記憶は、一度に戻らなかった。
母の顔を思い出す。
次の瞬間、その名前が消える。
家の匂いが戻る。
代わりに、自分の年齢が分からなくなる。
封鎖された記憶が崩れ、現在の記憶まで巻き込んでいた。
「悠真、離れてください」
「嫌だ」
「私が誰か、分からなくなる可能性があります」
「そのたび説明する」
「攻撃するかもしれません」
「セラなら、俺を殺さない」
「根拠がありません」
「信頼だ」
無名王との戦いで使った言葉を、もう一度伝える。
セラの背後で第五星剣が揺れた。
彼女の目から悠真への認識が一瞬消える。
「誰ですか」
「佐倉悠真。君が最後のガチャで選んだ人間」
「なぜ、私の手を?」
「離れないと決めたから」
数秒後、セラの瞳に記憶が戻る。
「悠真」
「ここにいる」
それを何度も繰り返した。
セラが母の名前を完全に取り戻すまで、悠真は自分の名を告げ続けた。
記憶は情報だけではない。
誰かが呼び戻してくれる場所でもある。
記憶の封鎖が壊れた。
セラの背後で七本の剣が激しく鳴る。
「母を助けようとした。けれど、私自身がこちらへ奪われた。私が消えたことで、世界の可能性が崩れた」
膝が落ちる。
悠真が支えた。
今度はセラも、その腕を拒まなかった。
「その後、《運営》は私を七星剣の管理者にしました。消えた世界の残骸、奪った星、死んだ可能性。それらを剣へ変えた」
「何十億年も?」
「はい。世界が終わるたびに戦い、記憶を消され、また戦った」
悠真は七本の剣を見る。
最強の武器だと思っていた。
実際、強い。
だが一本ずつが、失われた世界の墓でもあった。
「二年間、俺を見ていたのは?」
「《運営》から、管理者候補を観測するよう命じられました」
セラは悠真を見上げる。
「最初は命令でした。けれど、あなたが価値のなくなったものを捨てない姿を見て、考えました」
「俺なら、終わらせるかもしれない?」
「はい」
「それでFINAL GACHAに自分を入れた」
「ほかに、あなたのもとへ行く方法がありませんでした」
悠真は少し考えた。
「君は、ガチャを利用したんだな」
「軽蔑しますか」
「しない。俺も引いた」
セラの青い瞳に涙がにじむ。
「あなたを巻き込みました」
「最後に引くと決めたのは俺だ」
「ですが――」
「後悔はしてない」
悠真は言い切った。
「君に会えた」
セラの涙が一粒、頬を伝った。
そのとき、七本目の鞘が開いた。
黒い剣が、初めて姿を見せる。
刀身には文字が一つだけ浮かんでいた。
ERRORではない。
RETRY。
## サイドストーリー 母の歌
戻った記憶の中に、母の歌があった。
セラは歌詞を思い出せない。
旋律だけを、小さく口ずさむ。
悠真は聞いたことがある気がした。
「ゲームのタイトル画面だ」
『ファンタシースタープリンセス』を起動するたび流れた曲。
明るい楽器へ編曲されていたが、旋律は同じだった。
「開発者へ届いた未来の情報に、この歌も混じっていたのか」
セラは続きを歌う。
途中で音が分からなくなり、止まる。
「そこから、少し上がる」
悠真がゲームの曲を思い出して補った。
セラが合わせる。
二人で一曲を最後までつないだ。
「不思議です」
「何が?」
「母が私へ歌った曲を、あなたも知っている」
最初のガチャで世界が消えたあとも、歌は過去へ流れた。
ゲームの音楽になり、何万人ものプレイヤーが聞いた。
誰も元の意味を知らない。
それでも、完全には消えなかった。
「ゲームが終わったら、何も残らないと思ってた」
悠真が言う。
「残っていましたね」
「形は変わったけどな」
セラは母の歌をもう一度歌った。
今度は途中で止まらない。
新宿の地下に響き、第二星剣の死者たちも静かになる。
レオンは遠くで聞きながら、自分のゲームにも同じ旋律の場所があったと思い出した。
ヴァルガスの国では、古い子守歌として残っている。
リリアーナは患者を見送るとき、その一節を歌ったことがある。
一つの世界から奪われた歌が、別の世界で人をつないでいた。
ガチャが運んだのではない。
覚えた人が、次の人へ渡した。
奪わなくても、世界を越えて何かを分け合う方法はある。
悠真は、その事実を覚えておくことにした。
ガチャを終わらせたあと、何も行き来できなくなるわけではない。
言葉や歌や記憶は、奪わずに渡せる。




