第2話 最後のプレイヤー
「人類最後の日って、どういう意味だ」
悠真が尋ねた直後、世界が割れた。
比喩ではない。
空に黒い亀裂が走り、街並みがガラスの破片のように崩れ落ちる。コンビニも、信号機も、悠真の住むマンションも、向こう側の闇へ吸い込まれた。
セラが悠真の腕をつかむ。
「走ります」
「どこへ!」
「崩壊していない場所へです」
「大ざっぱすぎないか!」
足元が消えた。
二人は闇へ落ちた。
落下する間、悠真にはいくつもの景色が見えた。
燃える都市。海しかない世界。空を埋める機械。雪原で一人、空へ手を伸ばす少年。
どれも一瞬だった。
最後に見えたのは、病人のそばで泣いている銀髪の少女だ。
声をかける前に、景色は森へ切り替わった。
胃が浮く感覚は一秒も続かなかった。
悠真は草の上に投げ出された。むせ返るほど濃い土と草の匂いがする。
顔を上げると、そこは森だった。
木々はビルより高い。紫色の葉の間から、二つの月が見える。
「日本ではないな」
「おそらく、《運営》が管理する別世界の一つです」
「おそらく?」
悠真が聞き返すと、セラはわずかに目を伏せた。
「私の記録には欠落があります。あなたを守ること。七星剣を使えること。終末が始まったこと。それ以外は、完全ではありません」
セラは自分の背後へ手を伸ばし、一本ずつ剣の存在を確かめた。七本目へ触れようとした指だけが止まる。
「欠落って、ゲームのデータが壊れたようなものか」
「近いと思います。ただし、私は自分がどこまで壊れているか確認できません」
「怖くないのか」
「恐怖は任務の妨げになります」
「怖くない、とは言わないんだな」
セラは少し考えた。
「はい。怖いのだと思います」
それが、悠真には意外だった。
隕石を消した最強の存在でも、自分が分からないことは怖い。急に、ゲームのキャラクターではなく、一人の人間に見えた。
「じゃあ、分からない者同士だ」
「あなたも記憶が欠けているのですか?」
「そうじゃない。状況が分からない」
「それは同じとは言いません」
「細かいな」
「正確です」
セラは真顔だった。
悠真は少しだけ笑った。巨大な隕石と異世界を経験した直後に笑えるとは、自分でも思わなかった。
「全部知ってる案内役じゃないのか」
「期待に沿えず、申し訳ありません」
真顔で頭を下げられ、悠真は逆に困った。
「謝らなくていい。俺も何も分からない」
「ですが、あなたは二年間、私たちの世界を観測していました」
悠真はセラを見た。
「ゲームをしていただけだ」
「そのゲームが、何だったのか。私にも分かりません」
地面が揺れた。
森の奥で木が倒れる。
一つ、二つではない。巨大な何かが、木々を踏み潰しながら近づいてくる。
現れたのは、六本脚の獣だった。全長は五十メートルを超える。岩のような甲殻に赤い目が並び、口から黒い液体を垂らしている。
悠真の頭に、ゲームの知識が浮かんだ。
「災害級モンスター、グラン・ベヒモス」
「ご存じなのですね」
「レイドボスだ。三十人で戦うやつ」
ただし、画面越しに見るのとは迫力が違う。
獣の足が地面を踏むたび、体が跳ねた。鼻を刺す獣臭。腹に響く咆哮。逃げろと全身が叫んでいる。
「セラ、勝てるのか」
「はい」
返事が早すぎた。
グラン・ベヒモスが突進する。
セラは剣を抜かなかった。
片手を前へ向ける。
空中に氷の槍が一本生まれた。
「え?」
槍が飛ぶ。
獣の額を貫通した。
巨体が勢いを残したまま滑り、セラの十メートル手前で止まる。地面が大きくえぐれた。
静かになった。
「今の、星剣は?」
「抜く必要がありませんでした」
「三十人用のボスだぞ」
「そうでしたか」
セラは倒れた怪物を見て、少し考えた。
「では、二十九人分ほど余裕があったのですね」
「そういう計算なのか?」
怪物の体が光へ変わった。
小さな青い結晶が雨のように落ちる。
悠真のポケットで、スマートフォンが鳴った。
画面は生きている。電波も圏外表示もなく、黒い背景に白い文字だけが浮かんでいた。
FINAL PLAYER
プレイヤー人数:1
星晶石:3000
「ゲーム内通貨まで出た」
画面を横に動かすと、簡素なメニューが開いた。
所持品。地図。召喚。
ほかの項目は鍵がかかっている。
セラが悠真の肩越しに画面をのぞいた。銀白の髪が頬に触れ、悠真は少しだけ身を引く。
「星晶石を確認しました」
「これでガチャを回せるらしい」
「ガチャとは?」
悠真はセラの顔を見た。
「君、それで出てきたんだけど」
「私は召喚された認識しかありません」
「箱から景品が出てくるようなものだ。当たりもあれば、役に立たないものも出る」
セラの目が少し細くなった。
「人を景品と呼ぶ仕組みなのですね」
「そう言われると、急に罪悪感がすごいな」
森の遠くから、別の咆哮が響いた。
その前に、悠真は倒れたグラン・ベヒモスへ近づいた。
死体が光へ変わりきるまで、数秒ある。岩の甲殻には古い傷が刻まれていた。角の一本は折れ、脚には金属の鎖が食い込んでいる。
「野生じゃないのか」
セラが鎖を見る。
「誰かに追い立てられていた可能性があります」
「ゲームだと、理由なく村を襲うボスだった」
「現実の生物は、理由なく命を危険にさらしません」
悠真は消えていく巨体を見つめた。
倒す必要はあった。襲われれば悠真は死んでいた。それでも、勝利の表示だけを見ていたゲームとは違う。ここでは敵にも、戦う前の時間がある。
青い結晶が最後の傷跡から落ちた。
悠真はそれを拾い、ポケットへ入れた。
「星晶石へ変わらなかった欠片です」
「なら、こいつがいた証拠として取っておく」
セラは何も言わなかった。だが、悠真を見る目が少し変わった。
続いて、いくつもの声が重なる。
セラが木々の向こうを見る。
「同種が十三体、接近しています」
「三十人用が十三体?」
「星晶石は一体につき三千でしたね」
悠真はスマートフォンを握り直した。
「全部倒したら三万九千か」
「危険度を金額へ換算するのは、あまり感心しません」
「怖いから、別のことを考えてるんだよ」
悠真は正直に言った。手が震えている。
一体目はセラが一瞬で倒した。十三体いても結果は変わらないかもしれない。それでも、巨大な影が近づくたびに逃げたくなる。
「俺は戦えない。君に任せるしかない。それが、ちょっと怖い」
セラは悠真の震える手を見た。
「逃げても構いません。守ることが私の任務です」
「逃げた先に誰かいるかもしれない」
「確認できる生命反応はありません」
「なら、逃げてもいいのか」
「はい」
悠真は森の奥を見る。咆哮が近づく。
「逃げる準備をしたまま、ここにいる」
「矛盾しています」
「普通の人間は、矛盾しながら決めるんだ」
セラは小さくうなずいた。
「覚えておきます」
「逃げますか?」
「……安全第一だ」
悠真は一度うなずいた。
「安全に全部倒そう」
セラが初めて、ほんの少し笑った。
## サイドストーリー 最初の夜営
十三体のグラン・ベヒモスを倒したあと、二人は森の外で夜を越した。
セラが氷で小さな壁を作る。
悠真はガチャで出た毛布を広げた。
「君は寝ないのか」
「護衛中です」
「ずっと?」
「必要であれば」
「眠くならない?」
「疲労はします」
「じゃあ交代しよう」
「悠真に周囲を守る能力はありません」
「そこまで正直に言わなくてもいいだろ」
セラは事実を述べただけという顔をしている。
悠真は焚き火へ枝を足した。
異世界の夜は暗い。二つの月があるのに、木々の間は数メートル先も見えなかった。
少し離れた場所で音がするたび、体が固まる。
「怖いですか」
「怖い」
「私は守れます」
「君が強いのは知ってる。でも、怖いものは怖い」
「不合理です」
「感情は、説明を聞いて消えるものじゃない」
セラはその言葉を考えるように繰り返した。
「説明を聞いても、消えない」
「君にもあるだろ。七本目の剣を使わない理由」
セラの視線が、鞘に入ったクロノスへ向く。
「分かりません」
「理由を忘れても、怖さだけ残ってるんじゃないか」
セラは長く黙った。
「その可能性はあります」
悠真は毛布を半分に折り、隣を空けた。
「座るだけなら護衛できるだろ」
セラは少し迷ってから隣へ座った。
二人は焚き火を見る。
「元の世界へ戻りたいですか」
「戻りたい。明日も仕事だし、連絡しないと無断欠勤になる」
「世界の危機より仕事ですか」
「世界の危機を上司に説明して信じてもらえると思う?」
「証拠として私が同行します」
「隕石を消せる人を会社へ連れていったら、無断欠勤より問題が大きくなる」
セラは真剣に代案を考え始めた。
悠真は笑い、それから家族や同僚の顔を思い出す。
隕石が消えたあと、東京はどうなったのか。
崩壊する街から転移したのは自分だけなのか。
考えると眠れなくなる。
「戻る方法も探そう」
セラが言った。
「任務ではありませんが、あなたが望むなら」
「ありがとう」
「ただし、終末への対処が優先です」
「分かってる」
その夜、悠真は数分ごとに目を覚ました。
目を開けるたび、セラは同じ場所に座っていた。
朝方に一度だけ、彼女の目が閉じているのを見た。
悠真は起こさず、焚き火へ枝を足した。
護衛にはならない。
それでも、隣にいることはできた。




