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これはガチャを終わらせる物語  作者: 藤崎聖子


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第1話 最後のログイン

 サービス終了まで、あと二十三分。


 佐倉悠真、二十八歳。都内の会社に勤めて六年目になる。


 彼は風呂上がりの髪も乾かさず、ベッドの上でスマートフォンを眺めていた。


 画面に映っているのは、二年間遊んだスマホゲーム『ファンタシースタープリンセス』だ。


 人生を変えたゲーム、というほどではない。


 月の課金は数千円。ランキングは中の上。限定キャラを逃して悔しがることはあっても、翌日に仕事を休むほど熱中した覚えはない。


 ただ、毎朝ログインした。


 通勤電車でスタミナを使い、帰宅後にイベントを進め、寝る前にデイリー任務を片づけた。


 それを二年間続けた。


 画面の中央では、拠点の姫たちが普段と変わらず歩いている。明日から誰にも見られなくなるとは思えないほど、いつも通りだった。


 拠点の片隅では、初日に引いた風属性の剣士が噴水の縁に座っている。


 レア度はR。攻略サイトでは、サービス開始から一週間で育成非推奨と書かれたキャラクターだ。それでも悠真は最後まで編成から外さなかった。


 強いからではない。最初のボスを倒せずにいたとき、その剣士の回避能力に助けられたからだ。


 効率だけを考えれば、もっと早く素材へ変えてよかった。ゲーム内の整理機能も、何度か自動売却の候補に入れた。そのたびに、悠真は保護設定をつけ直した。


「お前も今日までか」


 画面の中の剣士が立ち上がり、決まった台詞を話す。


『明日も、同じ場所で待っている』


「そういう台詞を最終日に言うなよ」


 作られた音声だと分かっている。それでも胸に残った。


 アイテム倉庫には、使わずに取っておいた記念品が並ぶ。一周年のケーキ。最初の夏祭りでもらった花火。性能の低いコラボ武器。どれも残り二十分で価値を失う。


 悠真は一つずつ詳細画面を開いた。終わる前に、持っていたものを見ておきたかった。


『これで落ちます。みんな今までありがとう!』


 ギルドチャットに書き込んだのは、回復役を使っていたミナだった。


 悠真は短く返信した。


『こちらこそ。楽しかった』


『ユーマさんは最後までいるの?』


『せっかくだから、サーバーが閉じるところを見る』


『そういうところ、変わらないね』


 笑顔のスタンプが表示された。


 その直後、ミナの表示が灰色に変わる。


 ログアウト。


 ミナが最後に使っていたキャラクターが、拠点から消えた。


 フレンドが遊びに来る機能も、半年前から更新されていない。人の減ったゲームでは、同じ顔を見ることが増えた。それでもミナは毎週、違う衣装へ着替えていた。


 レオンは強敵の攻略情報を短い文章で送ってきた。説明はぶっきらぼうだったが、初心者の質問にも必ず返事をした。


 名前も顔も、本当の年齢も知らない。


 ゲームが終われば、二度と会わない可能性が高い。


 悠真はフレンド一覧を上から見た。


 三百日前。百二十日前。三十日前。


 最終ログインの数字が墓標のように並んでいる。


 整理すればフレンド枠を空けられた。新しい協力相手を探すには、その方が効率もよい。だが悠真は、ほとんど切らなかった。


 戻ってくるかもしれないと思ったからだ。


 結局、戻らなかった人の方が多い。


 それでも削除しなくてよかった、と今は思う。


 ほかのフレンドも一人ずつ消えていった。最後まで残っていた攻略仲間のレオンも、終了十分前に別れを告げた。


『じゃあな、ユーマ。最後の一人になっても泣くなよ』


『泣かない。明日も仕事だ』


『夢がないな』


『サービス終了するゲームに夢を求めるな』


『二年間ありがとう』


『こっちこそ』


 レオンも消えた。


 残り一分。


 フレンド一覧のオンライン表示は、悠真一人だけになっていた。


「本当に終わるんだな」


 口にすると、急に実感が湧いた。


 手元に残るものはない。育てたキャラクターも、集めた武器も、使い切れなかった素材も、日付が変わる前に全部消える。


「ゲームなんて、終わったら何も残らないか」


 少しだけ寂しい。


 けれど、後悔はなかった。


 残り三十秒。


 拠点の背景で星が流れた。ゲーム開始時から変わらない演出だ。


 何もすることがなくなった悠真は、なんとなく未入手のキャラクターも表示される図鑑を開いた。


 一覧の一番下には、以前から気になっていた黒い影がある。


 名称不明。入手方法不明。七本の剣を背負った女性の輪郭だけが表示された、未実装キャラクターだ。


 プレイヤーたちは彼女を「没UR」や「七剣姫」と呼んでいた。


 詳細画面には七つの武器欄が並び、最後の欄だけ説明が壊れている。


 《回帰星クロノス》


 説明――ERROR。


「結局、実装されなかったな」


 残り十秒。


 悠真は拠点へ戻った。


 九。


 八。


 七。


 六。


 そのとき、見慣れない赤い通知が現れた。


 ガチャ画面に新しいバナーが追加されている。


 イベント名は英語で一行。


 FINAL GACHA。


 残り回数、一。


 価格、ゼロ。


 排出対象、疑問符が三つ。


「終了五秒前に新ガチャを出す運営があるか?」


 困惑しながらも、指は召喚ボタンの上にあった。


 無料で一回。


 残り時間は三秒。


 引かずに終われば、たぶん一生気になる。


「最後の一回くらい、景気よく頼むぞ」


 悠真は召喚ボタンを押した。


 いつもの召喚演出は始まらなかった。


 黒い画面に、白い文字が浮かぶ。


 ――最終適合者を確認。


 ――観測期間、七百三十一日。


 ――FINAL PLAYERへ権限を移譲します。


「何だ、これ」


 スマートフォンが震えた。


 画面から白い光があふれる。部屋の壁も天井も、ベッドさえ光に飲み込まれた。


 悠真は目を閉じた。


 次に目を開けたとき、夜空があった。


 背中に硬い感触がある。道路だ。見慣れた街灯、コンビニ、信号機。自宅近くの交差点に、寝間着のまま倒れていた。


「停電……?」


 街の明かりがすべて消えている。


 違う。


 空が明るすぎた。


 夜空の半分を、赤く燃える巨大な岩が埋めている。


 隕石。


 そんな言葉では足りない。空そのものが落ちてきている。


 熱風が吹いた。窓ガラスが一斉に割れる。


 悠真は立ち上がろうとしたが、膝が動かなかった。


「冗談だろ」


 光が地上に降りた。


 長い銀白の髪が、熱風の中で広がる。


 悠真の前に、一人の女性が立っていた。


 白銀の装甲。静かな青い瞳。その背後には、扇を開くように七本の剣が浮いている。


 未実装だったはずの七剣姫。


 女性が片手を上げると、透明な壁が悠真を包んだ。熱も轟音も遠ざかる。


「あなたが、最後のプレイヤーですね」


 女性は振り返らない。


「質問はあとです。ここを動かないでください」


 彼女が右手を伸ばす。


 背後の一本が動いた。


 青白い剣だった。


 柄を握った瞬間、真夏の夜が凍りつく。道路を覆っていた水が白く固まり、街路樹に霜の花が咲いた。


 女性が剣の名を告げる。


「第一星剣――《氷葬星フローズ・エンド》」


 剣先が空を向いた。


 青い光が放たれる。


 細い一筋に見えた。


 直後、光は空で膨れ上がった。街より大きな氷塊となり、落下する隕石へ正面から突き刺さる。


 衝突音はなかった。


 燃える隕石が、一瞬で白く染まった。


 炎が消える。


 亀裂が走る。


 地球を滅ぼすはずだった巨岩は、無数の氷片に砕けた。氷片は星のようにきらめき、地表へ届く前に霧となって消えていく。


 夜が戻った。


 隕石が消えた場所には、巨大な光の輪だけが残った。


 凍った空気が雪となって降る。八月の東京に、真冬の白さが舞った。


 道路へ落ちた雪はすぐには溶けない。信号機も街路樹も白く染まり、さっきまで世界が燃えかけていたとは信じられないほど静かだった。


 悠真は自分の腕をつねった。痛い。夢ではないらしい。


 次にスマートフォンを見る。画面のガラスには亀裂一つない。時刻は午後十一時五十九分五十九秒で止まっていた。通信表示には、見たことのない星形の記号が点灯している。


 女性の背後で七本の剣がゆっくり回る。


 一つ目は、今使った青白い剣。二つ目は黒い刀身。三つ目は雷をまとっている。四つ目には蔓のような光が絡む。五つ目は、そこだけ景色が欠けて見えた。六つ目の内側では、小さな星が生まれている。


 最後の一本は鞘に収まったまま、ほかの剣から離れるように浮いていた。


 悠真はゲームの説明欄を思い出す。


 《回帰星クロノス》。ERROR。


「七本目は使わないのか」


 女性の肩が、わずかに動いた。


「この剣だけは使えません」


「理由は?」


「今は説明できません」


 拒絶ではなく、恐れているように聞こえた。


 地球を滅ぼす隕石を一撃で消した女性が、一本の剣を恐れている。その事実だけが、悠真の頭に強く残った。


 悠真は言葉を失った。


「今のを……一撃で?」


 女性は剣を背後へ戻した。青い瞳が初めて悠真を見る。


「セレスティア・ノア。セラとお呼びください」


「俺は佐倉悠真。いや、それより今の――」


「逃げてください、悠真」


 セラの声は冷静だった。


 だからこそ、その言葉が冗談ではないと分かった。


「今日は人類最後の日です」


## サイドストーリー ログインしなかった夜


 それは、サービス終了より一年以上前の出来事だった。


 佐倉悠真が初めてログインボーナスを逃したのは、サービス開始から四百十二日目。月末の夜だった。


 午後九時、課長が会議室から顔を出した。


「佐倉、例の集計、明日の朝までにいける?」


 いけるかどうかではない。やれ、という意味だ。


「はい」


 悠真は答えた。


 机には冷めた缶コーヒーと、昼に買ったままのパンがあった。隣の島では後輩が泣きそうな顔で表計算ソフトを睨んでいた。


「先輩、これ、数字が合わなくて」


「どこ?」


「先月分との差が、三百二十万」


「参照範囲が一行ずれてる。ここ直して、もう一回」


 後輩は頭を下げた。


 会社での悠真は、そういう人間だった。


 誰かが困っていれば手を貸す。だが仕組みを変えようとはしない。課長に文句を言われても反論しない。飲み会に誘われれば断れず、誘われなければ一人で帰る。


 善人というほど立派ではない。


 臆病で、面倒を避けるのがうまいだけだ。


 午後十一時五十六分、悠真は作業を終えた。


 パソコンが落ちるのを待ちながら、スマートフォンを開く。《ファンタシースタープリンセス》のアイコンには、日付更新まで四分と表示されていた。


 今日のログインボーナスは星晶石百個。


 アプリを起動した。


 通信中の表示が回る。


 会社の無線回線は、夜になると妙に遅い。


 残り三分。


 画面が暗転し、タイトル曲が鳴った。


 残り二分。


 お知らせが三枚開いた。新イベント。復刻衣装。緊急メンテナンスの補償。悠真は閉じるボタンを連打した。


 残り一分。


 ホーム画面へ移る直前、アプリが落ちた。


「うそだろ」


 起動し直したとき、時計は午前零時一分だった。


 連続ログイン日数は、四百十一から一へ戻った。


 たったそれだけのことだった。


 星晶石百個は、ガチャ一回分にも満たない。誰かに褒められる記録でもない。ゲームが終われば消える数字だ。


 それでも悠真は、空っぽのオフィスでしばらく画面を見ていた。


 毎日続けていたものが、あっけなく切れた。


 自分の生活も同じように、見えないところで途切れている気がした。


 会社へ入って六年。


 昇進したいわけではない。辞めてやりたいこともない。学生時代の友人とは年に一度、短い挨拶を交わすだけになった。休日は洗濯をして、動画を見て、ゲームにログインする。


 明日も来月も、同じ日が続く。


 連続記録が切れて初めて、続いていたのではなく、繰り返していただけだと気づいた。


《今日も会いに来てくれたんだね、プレイヤーさん!》


 ホーム画面で、配布キャラクターの少女が笑った。


 決められた台詞だ。


 悠真が来なくても、彼女は困らない。誰か別のプレイヤーにも、同じ笑顔を見せる。


「今日は間に合わなかったけどな」


 悠真が呟くと、少女は次の台詞を話した。


《無理しすぎないでね!》


 偶然だった。


 だが、その夜は少しだけ救われた。


 会社を出ると、終電はもうなかった。


 駅前のタクシー乗り場には長い列ができていた。悠真は歩くことにした。自宅まで一時間半。革靴の底は薄く、二十分で足が痛くなった。


 途中の公園で休み、もう一度ゲームを開いた。


 フレンド一覧には、四十八人の名前があった。半分以上が三日以上ログインしていない。最終ログイン二百日前という者もいた。


 それでも悠真は解除しなかった。


 解除すれば、新しい強いフレンドを登録できる。攻略だけ考えれば、その方がいい。


 だが、その名前を消せなかった。


 初めてのレイドで蘇生してくれた人。


 攻略法を教えてくれた人。


 ガチャの結果を競った人。


 彼らが戻ってきたとき、一覧から自分まで消えていたら、本当に誰もいなくなる気がした。


 悠真はスタミナを使い切り、公園を出た。


 横断歩道の上で、流れ星を見た。


 願い事を考える暇もなく、光は消えた。


 もし願う時間があったとしても、何を願えばいいか分からなかった。


 金。休み。恋人。転職。ゲームの最高レア。


 どれも欲しい。どれも、人生を変えるほどではない気がした。


「明日は、間に合わせよう」


 結局、出てきた願いはそれだけだった。


 次の日から、悠真はまた毎日ログインした。


 新しい連続記録は、サービス終了日まで続いた。


 最後に残った理由を、悠真自身もうまく説明できなかった。


 面白かったから。


 習慣だったから。


 課金した金が惜しかったから。


 誰もいないフレンド一覧を、自分まで空席にしたくなかったから。


 どれも正しい。


 だから最後の夜、画面に《FINAL GACHA》と表示されたとき、彼は迷わず召喚ボタンを押した。


 たった一回の引き忘れが、世界を終わらせることもある。


 たった一人のログインが、世界を終わらせずに済ませることもある。


 そのときの悠真は、まだ知らなかった。


## サイドストーリー レア度Rの剣士


 サービス終了直前、悠真の拠点に残っていた風属性の剣士には名前があった。


 エイル。


 レア度R。


 最初のチュートリアルで必ず手に入る。


 多くのプレイヤーは数日で編成から外し、素材へ変えた。


 エイル自身も、その役割を理解していた。


 新しいキャラクターが来るまでの仮の仲間。


 ゲーム内の台詞も、別れを前提に作られている。


『ここから先は、もっと強い仲間が必要だ』


『私の剣は、最初の道を開くためにある』


 悠真は外さなかった。


 最高難度へ連れていくことはない。


 それでも低難度の周回や、物語だけを見る編成へ入れた。


 サービス終了発表後、エイル専用の小さなイベントが解放された。


 運営会社が作ったものではない。


 《運営》の観測コードが、自動で生成した場面だった。


 夕暮れの丘で、エイルが尋ねる。


『私より強い剣士を持っているのに、なぜ使い続ける?』


 選択肢は三つ。


 好きだから。


 育てたから。


 特に理由はない。


 悠真は「助けられたから」と入力した。


 用意されていない回答だった。


 エイルは数秒黙り、予定にない台詞を返した。


『なら、最初に会えてよかった』


 悠真は特別な演出だと思った。


 実際には、未来世界の誰かの感情がゲームへ漏れたものだった。


 FINAL GACHAが生成されたとき、エイルのデータも排出候補に入った。


 セラは自分を選び、エイルを候補から外した。


『彼は、あなたを捨てない』


 エイルの記録がセラへ送った最後の言葉だった。


 ゲーム終了後、エイルのデータは消えた。


 だがガチャを終わらせた瞬間、風の惑星に一人の剣士が生まれる。


 名はエイル。


 誰かを待つ記憶はない。


 初めて手にした剣で、村へ続く道を切り開いた。


 役目を終えたあとも、剣を置かなかった。


 最初の道の先にも、自分で選ぶ道があると知っていたからだ。


## サイドストーリー 百三十六人の終了


 サービス終了当日、最後までログインしていたのは百三十七人だった。


 悠真以外の百三十六人にも、それぞれの終わりがある。


 ミナは終了二十分前にログアウトしたあと、スマートフォンを机へ置いた。


 部屋にはゲームのグッズが並んでいる。イベントで買った缶バッジ。自作した衣装。友人から届いた手紙。


「楽しかったな」


 声にすると泣きそうになり、笑ってごまかした。


 彼女が最後まで残らなかったのは、終わる画面を見たくなかったからだ。


 ゲームが消える前に、自分から別れたかった。


 レオンという名を使っていたフレンドは、終了十分前に画面を閉じた。


 本当はあと少し残るつもりだった。


 だが病院から電話が来た。父親の容体が変わり、すぐ来てほしいと言われた。


 彼は悠真へ別れを送り、走った。


 ゲームではなく、目の前の人を選んだ。


 終了五分前、十二歳の少女が母親にスマートフォンを返した。


「もう終わるから、最後のガチャを引いていい?」


「宿題を終えたらね」


「終わっちゃうよ」


「じゃあ、一回だけ」


 少女が引いたのはRの花だった。


 画面の花を母親へ見せ、二人で笑った。


 そのガチャは、並行世界から何も奪っていない。


 まだFINAL GACHAではなく、ゲーム会社が設定した普通の演出だった。


 終了一分前。


 オンライン表示は一人になった。


 百三十六人は、最後までいなかったことを後悔していない。


 残った悠真だけが特別にゲームを愛していたわけでもない。


 家族を選んだ者。


 別れを見るのが怖かった者。


 眠ってしまった者。


 通信が切れた者。


 それぞれの選択のあと、最後に一人が残った。


 《運営》は人数だけを記録した。


 セラは画面の向こうから、一人ずつ消える光を見ていた。


 誰が正しいとも思わなかった。


 ただ最後に残った人物へ、自分の未来を預ける準備をした。


 時刻が変わる。


 百三十六人の画面には、サービス終了のお知らせが表示された。


 悠真の画面だけに、存在しないガチャが現れた。


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