第17話 完璧な世界
創造王アークの世界へ続く門は、新宿駅前に現れた。
白い光の向こうには、整然とした街がある。
道にごみ一つない。建物は同じ高さにそろい、街路樹の枝まで左右対称だ。人々は清潔な服を着て、穏やかな笑顔で歩いている。
悠真とセラ、レオンが門をくぐると、白い服の男が迎えた。
「ようこそ。私はアーク。この世界の設計者です」
アークは三人へ同じ角度で頭を下げた。
「飢えた者はいません。病人も、犯罪者も、孤独な者もいない。ここは完成した世界です」
確かに、苦しんでいる人は見えない。
悠真は食堂へ入り、配られたスープを口にした。
温度も塩分も完璧だ。空腹を満たす栄養が過不足なく含まれ、誰が食べても嫌いにならない程度の薄い味がする。
「おいしいですか?」
給仕の女性が尋ねた。
「まずくはない」
「規定外の評価です」
女性の笑顔が一瞬止まる。
「回答候補は、おいしい、または不要です」
「あなた自身はどう思う?」
「私に味の評価は割り当てられていません」
彼女は同じ角度で次の客へ椀を差し出した。
広場の音楽も、一定の間隔で同じ曲を繰り返す。人々は決められた場所で立ち止まり、決められた秒数だけ会話した。
争いはない。
驚きもない。
失敗しない代わりに、予想外のことが何も起きない。
「この世界には、冗談がないな」
悠真が言う。
「誤解を生む不正確な表現は排除しました」
アークは誇らしげに答えた。
「それで、人は笑うのか?」
「笑顔は健康維持に有効です。全住民が一日三回、実行します」
その返事こそ冗談のようだった。
広場では子どもが遊び、老人が談笑していた。食堂では誰でも無料で食事を受け取れる。病院は空だった。
「悪くないように見える」
悠真が言うと、レオンは短く答えた。
「見えるだけだ」
少女が広場の花壇から、赤い花を一本摘んだ。
少女の名はエマだった。
花を摘んだ理由は、病気から回復した母へ渡したかったからだ。ここでは病気が存在しないことになっている。だから母親が病気だった記録も消され、回復を祝う行為も不要と判定された。
「お母さん、昔この花が好きだったの」
エマは小声で悠真へ話した。
「でも、昔の話をすると調整される」
「忘れたい?」
少女は首を横に振る。
「苦しかった。でも、お母さんと一緒にいた」
不幸な記憶だけを消せば、人は幸せになる。
アークの考えは一見正しい。
だが苦しんだ時間には、誰かと支え合った記憶も結びついている。痛みだけをきれいに切り取ることはできない。
警告音が鳴る。
白い人形が現れ、少女の手から花を取り上げた。
『景観の秩序を乱す行為です。感情調整を実施します』
人形が少女の額へ触れる。
少女は驚いた顔をやめ、笑顔になった。
「今、何をした」
悠真がアークを見る。
「不満を取り除きました」
「本人に聞かずに?」
「不満は苦痛の原因です。消すことは治療でしょう」
街を歩く人々は、全員が同じ笑顔を浮かべていた。
「仕事は《運営》が適性を決めます。結婚相手も、住居も、子どもの数も。誤った選択をする自由がなければ、誰も失敗しません」
「それは生きていると言えるのか」
「苦しんで死ぬより正しい」
アークが手を上げる。
彼が最初に作ったのは兵器ではない。
悠真の故郷だった。
新宿の街。会社。自宅の部屋。窓の向こうには、元の時代の人々が歩いている。
「ここへ残れば、あなたの生活を完全に再現します」
「本物の人たちは?」
「記憶と行動を複製します。差異はありません」
部屋の中で、同僚が悠真へ手を振った。
『昨日、どこ行ってたんだよ』
口調も表情も本物と同じだ。
「これは帰ったことにならない」
「主観的には同一です。感情も調整できます」
悠真は再現されたスマートフォンを見る。
ゲームはサービスを続けている。フレンドも全員ログイン中。セラは最初から実装され、最高レアとして並んでいた。
望めば、何も失わなかった世界に住める。
「セラは、ここがいいと思う?」
「完璧です」
「答えになってない」
「私が選ぶなら、不完全な方へ戻ります」
「なぜ?」
「そちらであなたと会ったからです」
再現された街が、少しだけ色あせて見えた。
街の上に、もう一つの街が生まれた。建物も道路も人々も、光から形を得ていく。
「私は可能性を創造できます。望むものを、望むだけ」
セラの背後で六本目が震えた。
「第六星剣と同じ力です」
「あなたの剣は未完成だ」
アークはセラへ手を差し出す。
「私と統合すれば、宇宙そのものを作り直せる。滅びもガチャも必要ない。すべての者に、正しい人生を与えられる」
「誰が正しさを決める?」
悠真が尋ねる。
「私です」
迷いのない返事だった。
「断る」
「なぜです。あなたは世界を救いたいのでしょう」
「救ったあとまで全部決める気はない」
アークの笑みが消えた。
「不合理です」
空に無数の兵器が作られる。戦艦。巨人。竜。悠真がガチャで見たSSR兵器より巨大なものが、街を埋め尽くした。
アークの軍には弱点がなかった。
戦艦は氷結へ耐性を持つ。巨人は雷を地面へ逃がす。竜は死霊を浄化する光を吐く。
「完璧な対星剣軍です」
セラは六本目へ手を伸ばす。
「では、記録にないものを作ります」
最初に現れたのは、巨大なゴムの球だった。
「何だ、あれ」
「私にも分かりません」
球が戦艦へぶつかり、柔らかく変形する。氷でも雷でもない攻撃に、戦艦の防御機構は反応できない。
次に脚が千本ある鳥。飛べずに落下し、そのまま巨人へしがみつく。
最後は歌う雨雲だった。調子の外れた歌が、竜の命令通信を乱す。
「不合理な創造物です!」
アークが初めて声を荒らげる。
「合理的な相手には、不合理が効く」
悠真が答えると、セラは少し考えた。
「悠真を参考にしました」
「褒めてないだろ」
「高く評価しています」
完璧に対策された軍勢が、説明できない創造物へ次々に倒されていく。
「不完全な者には、退場していただきます」
セラが六本目を抜く。
透明な刀身の内側で、星が生まれては消えている。
「第六星剣――《創星剣ジェネシス》」
セラが剣を横へ振った。
地平線から、別の大地が立ち上がる。
山脈。海。白い城。数え切れない砲台を載せた機械の大陸。
アークが作った軍勢の十倍が、一瞬で空を覆った。
「創造数で、私を上回る?」
「あなたは完璧な一つを繰り返しただけです」
ジェネシスが作る軍勢は、統一されていなかった。
翼の左右で色が違う竜。
車輪が一つ多い戦車。
剣ではなく巨大な匙を持った兵士。
中には役に立ちそうにないものも混じっている。
それでも一体ずつが違う方法で戦った。
匙の兵士は敵の光線をすくって空へ捨てた。奇妙な戦車は余分な車輪で崩れた道を越える。左右で異なる翼を持つ竜は、予測できない軌道で戦艦へ接近した。
完璧に同じアークの軍は、一つの攻略法を破られると全体が止まる。
「欠点が、強さになる?」
アークが理解できないものを見る。
「違うから、互いの穴を埋められる」
悠真は答えた。
「全部を一人で決めたら、その一人が見落としたものを誰も直せない」
セラが剣先を向ける。
「ジェネシスは、異なる可能性を選びます」
機械の大陸から光が放たれた。
アークの戦艦だけが撃ち抜かれる。竜には眠りの雨が降り、巨人の足元には底なしの砂地が作られた。
敵軍は一分で無力化された。
街にも人にも傷はない。
アークは地面へ手をつき、失った兵器を作り直そうとした。
何も生まれない。
ジェネシスが、創造の可能性を先にすべて選び取っていた。
「私の世界は、間違いだというのか」
「決めるのは、ここで暮らす人たちです」
悠真は感情を消された少女へ手を差し出した。
「花、欲しかったんだろ」
少女の表情が揺れる。
やがて自分の意思で、赤い花を摘んだ。
街中で警告音が鳴った。
それまで笑っていた人々が、一人ずつ足を止める。
泣く者。怒る者。道を外れて走り出す者。
完璧な世界に、初めて混乱が生まれた。
アークはその光景を見つめる。
「これが、自由?」
「面倒だろ」
悠真は答えた。
「でも、取り上げるな」
アークの背後に黒い扉が開いた。
機械音声が響く。
「創造王の敗北を確認。管理者候補を中枢へ招待します」
## サイドストーリー 最初の可能性
第六星剣ジェネシスの原始惑星は、宇宙が若い時代に生まれた。
惑星は何度も壊れた。
恒星の爆発。巨大天体との衝突。重力の崩壊。
そのたび、別の可能性を選ぶように形を変えた。
海の惑星。
岩だけの惑星。
空洞の内部に生命を宿す惑星。
ジェネシスは無から作る力ではない。
存在できたかもしれない姿を、一つだけ現在へ持ってくる力だった。
原始惑星に知的生命はいなかった。だが惑星そのものが、変化を記録していた。
失敗した姿も消さない。
海を失った記録。生命が生まれなかった記録。衝突で砕けた記録。
すべての失敗が、次の形を選ぶ材料になる。
《運営》はその能力をガチャの原型へ利用した。
成功した可能性だけを検索し、現在へ転送する。失敗した世界は表示しない。
アークも同じだった。完璧な結果だけを作り、途中の失敗を許さない。
悠真とセラがジェネシスを使ったとき、役に立たない創造物まで現れた。
脚が多すぎる鳥。歌の下手な雨雲。柔らかすぎる球。
失敗に見えたものが、完璧な軍の弱点を突いた。
原始惑星の記録が選んだのは、最良の一つではない。違う可能性を同時に残すことだった。
やがてジェネシスが作る道も、ほとんどが行き止まりになる。
《運営》は失敗率百パーセントと判断する。
だが一本だけ、細い道が残る。
成功した道を最初から検索したのではない。失敗した道を消さず、最後まで試した結果だった。
星へ返ったジェネシスは、また衝突で砕ける。
今度は一つの惑星へ戻らない。
破片が無数の星の種になり、若い宇宙へ散った。
一つの完璧な世界ではなく、違う未来を持つ多くの世界を作る。
それが創星剣の最後の創造だった。
## サイドストーリー 不完全な一日目
アークが管理をやめた最初の日、完璧な都市では百二十件の事故が起きた。
住民が好きな道を歩き、交差点でぶつかる。
食堂で全員が違う料理を注文し、厨房が止まる。
仕事へ行かない者が現れ、必要な作業へ人が足りなくなる。
壁を好きな色へ塗り、隣人と争う。
「予測どおり、効率が低下しています」
アークは記録した。
午後、初めて住民会議が開かれた。
百人が同時に話し、何も決まらない。
以前ならアークが一秒で最適解を出した。
「管理を再開してください」
一人の住民が求めた。
「全部ではなく、交通整理だけ」
別の住民が言う。
「食堂の人数配分も」
「壁の色は自分で決めたい」
自由か管理か、二つに一つではない。
人々は任せる範囲を自分で選び始めた。
アークは交通信号を作った。
命令ではなく、守るかどうかを人へ任せる表示。
最初は誰も正しく使えない。
エマが赤信号で止まり、ほかの子どもへ教えた。
夕方には衝突が半分になった。
食堂では料理人が三つの献立を用意した。
選択肢が多すぎれば厨房が止まる。
少なすぎれば、食べたいものを選べない。
三つから始め、慣れたら増やすことにした。
夜、アークは一日の記録を見た。
事故、口論、遅延。
悪化した数字が並ぶ。
その下に、過去にはなかった項目がある。
住民が自分で決めた回数。
計測不能。
「完璧な世界より、管理が難しい」
アークがつぶやく。
エマが隣で赤い花へ水をやる。
「嫌?」
「いいえ」
アークは初めて、計算せずに答えた。
「明日の結果を、知りたくなりました」
予測できない未来を待つ。
それが、創造王が自分で選んだ最初の不完全さだった。




