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これはガチャを終わらせる物語  作者: 藤崎聖子


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第16話 忘れられた一日

 セラは悠真の名を、すぐに思い出した。


 名前を思い出しても、距離は戻らなかった。


 セラは悠真の半歩前を歩く。以前も守るため前にいた。だが今は、任務対象から適切な距離を取っているように見える。


 悠真が水を渡すと、セラは受け取る前に成分を確認した。


「毒なんて入ってない」


「あなたを疑っているわけではありません。手順です」


「前は確認しなかった」


「そうなのですか」


 何気ない習慣ほど、記録に残っていない。


 悠真は失ったものの形を、会話のたびに見せられた。


 スマートフォンの契約情報を見せると、知識が戻ったらしい。


「佐倉悠真。FINAL PLAYER。私が守るべき方です」


 ただし、事実として知っているだけだった。


「俺たちが初めて会った場所は?」


「サービス終了時の東京です」


「そのとき、何を話した?」


「私は人類最後の日だと告げました」


「そのあと森で?」


「グラン・ベヒモスを討伐しました」


 答えられる。


 だが、セラは悠真の顔を確かめるように何度も見た。


「どこまで忘れたんだ」


「分かりません。忘れた記憶は、欠けたこと自体を認識できません」


 悠真はこれまでの出来事を一つずつ尋ねた。


 椅子のガチャを覚えている。


 ヴァルガスとの戦いも覚えている。


 オルドへ雷を食べさせたことも覚えている。


 都市カナンで、悠真が倒れたセラを支えたこと。


 そこだけが消えていた。


「大した出来事ではありません」


「君にとっては、そう見えるかもしれない」


 悠真はカナンでのことを最初から話した。


 倒れたセラを支えたこと。百万個の星晶石を見て、すぐ気を取られたこと。セラが呆れながらも笑ったこと。


「最後の部分は、正確ですか?」


「たぶん」


「記憶を都合よく修正していませんか」


「少しは笑った」


「証拠がありません」


「俺が覚えてる」


 セラはしばらく考え、わずかに口元を緩めた。


「では、今度は覚えていてください」


 失った一日と同じにはならない。同じにする必要もない。


 二人は、そこから新しい記憶を作ればいい。


 セラは言った。


「私は力を使い、あなたが支えた。それだけです」


「そうだけど」


 悠真には、それだけではなかった。


 いつも完璧に見えたセラが初めて弱さを見せた。自分を守る対象ではなく、頼ってもよい相手として見てくれた気がした。


 その一日を、自分だけが覚えている。


「第五星剣の代償は記憶か」


「はい」


 今度はセラも隠さなかった。


「消したものと釣り合うだけ、私の記憶も消えます」


「無名王本人を消していたら?」


「あなたと出会ってからの記憶は、すべて失っていたでしょう」


「もう使うな」


「必要なら使います」


「駄目だ」


「私の役目です」


「俺が嫌なんだ」


 セラが黙る。


 悠真は自分でも驚いていた。


「君が忘れても、俺が覚えていればいいとは思えない。二人で経験したことは、二人のものだろ」


 セラは視線を落とした。


「では、約束します。ほかに方法がある限り、使いません」


「ほかに方法がなくても、一度相談してくれ」


「努力します」


「そこは約束じゃないのか」


「悠真は、相談すれば必ず止めるでしょう」


「止める」


「ですから努力です」


 完全には納得できない。けれど、少しだけ以前のセラが戻った気がした。


 レオンは無名王を別室へ連れていった。拘束ではなく、世界を復元する方法を探すためだ。


 無名王は去り際、悠真へ言った。


「《運営》は止められない。宇宙が死ぬからだ」


「方法は探す」


「お前も、いつか選ぶ。自分の世界か、知らない世界か」


 悠真は答えなかった。


 地下施設の外へ出る。


 排出された新宿の夜景は暗い。電気はないが、星明かりの下でビルの形だけは見えた。


 セラが隣に立つ。


「以前、ここへ来たことがありますか?」


「毎日な」


「案内していただけますか」


「何も動いてないぞ」


「あなたが見ていたものを知りたいのです」


 二人は街を歩いた。


 動かない自動販売機の前で、セラは長く立ち止まった。


「これは何ですか?」


「金を入れると飲み物が出る」


「ガチャと何が違うのです」


「選んだものが必ず出る」


「優れた仕組みです」


「そこまで感心するものか?」


「選択した結果が保証される。それは、とても重要です」


 悠真には冗談として返せなかった。


 近くの店から水を持ってきて一本を渡す。セラは今度は成分を確認せず、ふたを開けた。


「甘いです」


「水じゃなくて炭酸だった」


 セラは初めての刺激にむせた。


 悠真が笑うと、不満そうにボトルを見る。


「選んだものと違いました」


「俺が間違えた」


「仕組みではなく、人間の問題でしたか」


「よくある」


 セラはもう一口飲み、今度はむせなかった。


 悠真は勤務先のビル、安い定食屋、雨の日に使った地下道を教えた。


 セラは一つずつ聞いた。


 失った記憶を埋めるのではなく、新しい記憶を作るように。


 駅前へ着いたとき、巨大な画面が突然ついた。


 知らない男が映る。


 白い服。穏やかな顔。背後には、傷一つない完璧な都市が広がっていた。


『FINAL PLAYERへ告げる』


 男は悠真をまっすぐ見た。


『不完全な世界で苦しむ必要はない』


『私の世界へ来い。ここには死も、争いも、失う記憶もない』


 画面の下に名前が表示される。


 創造王アーク。


## サイドストーリー 知らない笑顔


 記憶を失ったセラは、悠真が眠ったあと、一人で新宿を歩いた。


 彼から聞いた場所を順番に訪ねる。


 定食屋。会社のビル。雨の日に使った地下道。


 どこにも自分の記憶はない。


 それでも、足は迷わず曲がる。


 体が道を覚えているようだった。


 定食屋の厨房に、割れずに残った皿が一枚ある。


 セラが手に取ると、短い映像が頭へ流れた。


 悠真がカナンで彼女を支えている。


『大丈夫か?』


 それだけで消えた。


 記憶が戻ったわけではない。


 だが、自分が彼の声に安心した感覚だけが残る。


「私は、あなたを信頼していたのですね」


 本人のいない場所でつぶやく。


 第五星剣が背後で静かに鳴った。


 失った記憶は戻せない。


 同じ出来事を繰り返しても、同じ気持ちになるとは限らない。


 それでも今日、炭酸飲料を渡され、むせた自分を見て悠真が笑った。腹が立ったが、不快ではなかった。


 過去の信頼を根拠にする必要はない。


 今の自分が、もう一度選べばいい。


 セラは皿を元の場所へ戻した。


 夜明け前、眠っている悠真のそばへ戻る。


 彼は床で毛布にくるまり、スマートフォンを握ったままだった。


 セラが端末を外そうとすると、悠真が目を開ける。


「どこか行ってた?」


「街を確認していました」


「危険は?」


「ありません」


「ならよかった」


 悠真はそれだけ言い、また眠った。


 任務対象が管理者へ報告を求めないことを、セラは不思議に思う。


 そして少しだけ、嬉しいと思った。


 それは失った記憶ではなく、今ここで生まれた感情だった。


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