第3話
レインハルトが極上の『溺愛モード』へと変貌を遂げてから、数ヶ月の時が流れた。
公爵邸での日々は、ミリアにとってまさに夢のような時間であった。
「ミリア、今日はどのドレスを着ていくんだい?」
「レインハルト様、私は……その、このミントグリーンのドレスにしようかと」
「素晴らしい。君の瞳の色と私の毛並みにとてもよく映える。……ああ、可愛いな。少し私に抱きしめさせてくれ」
「んんっ……!? レ、レインハルト様、お仕事の前ですのよ!?」
かつての冷酷で心を閉ざしていた姿は見る影もない。
レインハルトはどこへ行くにもミリアの手に触れようとし、隙さえあれば甘い言葉を囁き、彼女を腕の中に閉じ込めようとした。
そして、ミリアが特製ブラシでブラッシングを始めれば、誇り高いはずの騎士団長はうっとりと目を細め、胸の奥から「ゴロゴロゴロ……」と深みのある満足げな音を鳴らすのだ。
(ああ……冷たかった頃のレインハルト様も素敵でしたけれど、今のこの溺愛してくださるお姿と、この最高峰のモフモフ顔……! 一生このお姿のままでいてほしいくらい愛おしいわ……!)
ミリアは毎日、猫好きとしての幸福と、一人の女性としてのときめきに包まれていた。
しかし――レインハルト自身の胸中は、それだけでは済んでいなかった。
(ミリアは私のこの異形の姿を愛してくれている。……だが、だからこそ、私は彼女にふさわしい男でありたい。結婚式で、人間の男として堂々と彼女の隣に立ち、守ってやりたいのだ)
レインハルトはミリアに内緒で、公爵家のコネクションと優秀な神官たちを総動員し、密かに『解呪の方法』を探し続けていたのだ。
そして、二人の結婚式をひと月後に控えたある日の夕刻。
公爵邸の図書室で、レインハルトとミリアは並んでお茶を楽しんでいた。
ふと、レインハルトがカップを置き、ミリアの手を静かに包み込んだ。
そのエメラルドの瞳には、どこか真剣で、甘く揺れる情熱が宿っていた。
「……ミリア」
「レインハルト様……? どうなさったのですか?」
「君には、感謝しても仕切れそうにない。私のような存在を受け入れ、こうして隣で笑ってくれる。君と過ごす毎日は、生まれて初めて知る光に満ちていた」
レインハルトはミリアの手の甲に、ゆっくりと毛皮の触感を残して口づけを落とした。
「これからも、君を生涯かけて愛し、守り続けると誓う。……言葉だけでは足りないほど、君を愛しているんだ」
「レインハルト様……」
ミリアの胸が、熱いトキメキでいっぱいになる。
まっすぐな愛を伝えられ、彼女の頬はぽっと朱に染まった。
レインハルトはミリアの華奢な腰を引き寄せ、逃がさないようにしっかりと腕を回した。
もう片方の手で彼女の顎をそっと持ち上げる。
「……ミリア。私に、君のすべてを委ねてくれるかい?」
「はい……! 私も、レインハルト様を心からお慕いしておりますわ……!」
耳元で聞こえた低い囁きに、ミリアは胸をときめかせながらそっと目を閉じた。
ゆっくりと、二人の顔が近づいていく。
鼻先をかすめるのは、ふさふさとした柔らかい毛並みの感触と、彼独特の甘く香ばしい体臭。
そして――
ふにゅ、と柔らかい猫の唇と、ミリアの唇が重なり合った。
これまでのような手の甲や頬への口づけではない、初めての本格的な『誓いのキス』。
最初は触れるだけの静かな口づけだったが、レインハルトの溢れ出るような重い愛に応えるようにミリアがそっと吐息を漏らすと、口づけはより深く、濃厚なものへと変わっていった。
(ああ……レインハルト様の温もり……なんて愛おしいの……)
二人が心から愛を確かめ合い、深く深く口づけを交わした――まさにその瞬間。
ピカァァァァァァッ……!!!!
図書室全体を覆い尽くすほどの、眩い黄金色の光が二人を包み込んだ。
「……っ!?」
あまりの光の強さに、ミリアは思わず目を開けようとしたが、まぶしさに耐えかねて再び強く瞳を閉じる。
実は、古代の魔獣がかけた呪いの真の解呪条件とは――『呪われた者が、心の底から愛する者と真実の愛の口づけを交わすこと』だったのだ。
レインハルトが密かに神官に調べさせていた解呪の儀式などではなく、二人の純粋で深い愛の結実こそが、呪いを破る唯一の鍵だった。
メリメリ……と、服の生地が擦れ合う音が響く。
そして、ミリアの唇に触れていた『毛むくじゃらの柔らかさ』が、突如として『滑らかで温かい人間の肌の感触』へと変化していった。
「くっ……あ……!?」
レインハルトの低い呻き声が響く。
光が弾け、やがて静かに収まっていく。
静寂が戻ってきた図書室で、ミリアは恐る恐る目を開けた。
「レ……レインハルト様……?」
ミリアの視界に飛び込んできたのは――
引き締まった高い鼻梁。
彫刻のように美しいアゴのライン。
艶やかな漆黒の髪。
そして、吸い込まれそうなほど美しく輝く、エメラルド色の瞳。
そこには、『猫の顔』など微塵も存在しなかった。
社交界の誰もが羨むような、いや、神々しいまでに整った『超絶美形の青年』が、息を荒らげながらミリアを見下ろしていたのだ。
レインハルトは信じられない様子で、自分の顔や手を撫で回した。
「毛が……ない……? 呪いが……解けたのか……!?」
レインハルトの声は、今までと同じ低い声だったが、その口元は滑らかな皮膚で覆われている。
「解けた……! 本当に解けたぞ、ミリア! 君とのキスで、私の呪いが……!!」
歓喜に満ちた表情で、レインハルトはミリアの手を握りしめ、極上の笑顔を浮かべた。
「ミリア! 見てくれ、私は元の姿に――」
しかし。
歓喜に沸くレインハルトとは対照的に、ミリアは呆然と立ち尽くしていた。
その瞳は大きく見開かれ、唇は微かに震えている。
「あ……あぁ……」
「ミリア? どうしたんだい? 嬉しさのあまり言葉が出ないのか?」
レインハルトが顔を近づけて心配そうに覗き込む。
しかし、ミリアの口から漏れ出たのは、予想外の絶望の声だった。
「も……モフモフが……」
「え?」
「私のお気に入りの……あのピンと立ったお耳も……ウィスカーパッドも……ササッとブラシをかけるとゴロゴロ鳴ってくださるあの最高の毛並みも……全部……全部なくなってしまいましたわぁぁぁぁぁぁっ……!!!!」
ミリアはガタッと膝をつき、両手で顔を覆って絶望の声を上げた。
「……は!?」
超絶美形に戻ったはずの公爵令息レインハルト・ヴォルティスは、人生で二度目の、完全な思考停止に陥ったのだった。
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