第4話
「モフモフが……なくなってしまいましたわぁぁぁぁぁぁっ……!!!!」
図書室に響き渡ったミリアの絶望の叫び。
呪いが解け、社交界随一と謳われるほどの超絶美形へと戻ったレインハルトは、差し伸べた手を固まらせたまま、完全に絶句していた。
「……ミリア?」
レインハルトのエメラルドの瞳が、困惑と少々のショックで大きく見開かれる。
「君は……私の呪いが解けたことよりも、その……毛並みがなくなったことの方がショックだと言うのかい……?」
「当たり前ですわ!!」
ミリアはガバッと顔を上げ、涙目になりながら叫んだ。
「あのお耳のフォルム! ブラッシングをした時のシルクのような手触り! そして何より、私だけに許されていたあの至高の『ゴロゴロ音』! 私の人生の最高の癒やしが、すべて失われてしまいました……っ!」
「いや……しかしだな、私としては人間の姿に戻り、君にふさわしい男として――」
「レインハルト様のお顔がどれほどお綺麗になられても、モフモフの代わりにはなりませんわ……! ああ、私の愛しいモフモフ公爵様……」
しくしくと本気で悲しむミリア。
その姿を見つめていたレインハルトの表情から、徐々に困惑が消えていった。
代わりに浮かび上がってきたのは――氷のように冷ややかで、けれどどこか恐ろしいほど甘く不穏な笑みだった。
(……なるほど。そういうことか)
レインハルトは深く溜め息をつくと、静かな足取りでミリアへ近づいた。
「……ミリア」
「はい……ひゃっ!?」
床にへたり込んでいたミリアは、突如として体を持ち上げられ、図書室の大きなソファーへと押し倒された。
背中に伝わる柔らかいクッションの触感。
そして、その上に覆いかぶさってきたのは、たくましく引き締まった男の体躯だった。
「レ、レインハルト様……!?」
見上げるミリアの視界を埋め尽くしたのは、息をのむほど整った人間の男の顔だった。
彫刻のような鼻梁、薄い唇、そして……欲望と独占欲をギラギラと燃やしているエメラルド色の瞳。
呪われていた頃の猫顔の面影は微塵もない。
そこにいるのは、手加減を忘れた一人の肉食獣だった。
「あんなに愛を囁いておきながら……君が愛していたのは、私ではなく『毛並み』だったということかい?」
「あ、いいえ! そういうわけでは……!」
「いいや、聞こえたよ。『人間の顔になってもモフモフの代わりにはならない』と言ったね?」
レインハルトは低い声で囁くと、ミリアの両手首を片手で軽々と持ち上げ、頭の上に固定した。
逃げ場を完全に塞がれ、ミリアの胸が高鳴る。
モフモフがなくなったはずなのに、目の前の男から発せられる圧迫感と色気は、以前の比ではなかった。
「……私は、とても悲しい気持ちになったよ、とてもね」
レインハルトはミリアの耳元へ顔を寄せ、熱い吐息を吹きかけた。
「君に『本物の私』を叩き込んであげないとね。……おしおきだ、ミリア」
「お、おしおき……!?」
次の瞬間、ミリアの唇は強引に塞がれた。
先ほどの解呪の時の優しいキスとはまるで違う。
逃がさないと言わんばかりに深く、激しく、ミリアの思考を溶かしていくような濃厚な口づけ。
「んむ……っ……ん……!」
何度も角度を変えて重ねられる唇に、ミリアの頭は真っ白になった。
手が解放されても、逃げることなどできない。それどころか、ミリアは自分からレインハルトの首に手を回し、しがみつくことしかできなくなっていた。
ようやく唇が離された時、ミリアの瞳は潤み、息は荒くなっていた。
「はぁ……はぁ……、レ、レインハルト……様……」
「どうだい? これでもまだ、あの毛皮のほうが良かったと言うのかな?」
レインハルトは意地悪く微笑むと、指先でミリアの熱を持った唇を優しくなぞった。
その表情は恐ろしいほど艶っぽく、ミリアの心臓を物理的に打ち抜くのに十分すぎる破壊力を持っていた。
「……っ~! ず、ズルいですわ……! そんな顔で見つめられたら……何も言えなくなってしまうではありませんか……!」
ミリアは顔を真っ赤にして、彼の胸元に額を押し当てた。
確かにモフモフがなくなってしまったのは心から惜しい。
だが、こうして力強く抱きしめられ、情熱的に愛される喜びは、猫を愛でることとは全く別の、甘く痺れるような幸福感を与えてくれた。
レインハルトの胸の鼓動が、トクトクと力強く鳴っている。
その温もりを感じながら、ミリアは悟ったのだ。
(ああ……私、最初からお姿なんて関係なく……この方そのものを愛していたのね……)
胸元で小さく丸まるミリアを見て、レインハルトの表情が柔らかく緩んだ。
彼はミリアの頭を優しく撫で、その髪に何度も愛おしそうな口づけを落とした。
「ミリア。君がモフモフを恋しがるなら、これから毎日、君が満足するまで私を愛でさせてあげるよ。……人間の姿のままでね」
「もう……レインハルト様のいじわる……」
「ふふ、愛しているよ、私の可愛いミリア」
数ヶ月後。
王都の大聖堂には、数多くの参列者が集まっていた。
ヴォルティス公爵家のご嫡男と、キャッツナー伯爵家の令嬢による、盛大な結婚式が執り行われていたのだ。
バージンロードを歩く二人を見た社交界の人々は、口々に感嘆の声を漏らした。
「なんて美しいご夫妻でしょう……!」
「レインハルト様のお姿が元に戻られただけでなく、あんなにも幸せそうなお顔をされるなんて……」
純白のドレスに身を包んだミリアの隣で、漆黒のタキシードを着こなしたレインハルトが極上の笑みを浮かべている。
指輪の交換を終え、神父の前で向き合う二人。
「では、誓いの口づけを」
神父の言葉を受け、レインハルトがミリアのベールを優しく上げたた。
「ミリア。生涯、君だけを愛すると誓うよ」
「私もですわ、レインハルト様」
二人は静かに唇を重ね合わせた。
万雷の拍手が大聖堂を包み込む。
誓いのキスを終え、微笑み合いながらバージンロードを歩き出す二人。
ミリアはレインハルトの腕にしっかりと自分の手を絡め、そっと彼の耳元で囁いた。
「ねぇ、レインハルト様」
「ん? どうしたんだい?」
「今夜は……結婚初夜ですけれど」
ミリアは上目遣いで、少しだけ悪戯っぽく微笑んだ。
「……特製のブラシで、たくさんブラッシングをさせてくださいますか?」
一瞬間をおいて、レインハルトは満足そうに目を細め、彼女の腰を引き寄せた。
「いいよ。……その代わり、ブラッシングが終わったら、今度は私が君を朝までたっぷり可愛がってあげるからね?」
「~〜〜っ!?」
甘い『おしおき』の約束に顔を赤く染めながらも、ミリアは幸せいっぱいに彼の隣を歩んでいくのだった。
(完)




