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身代わり少女の生存記  作者: K.A.
前日譚:初等部3年
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マールスの記憶②

 研究所を焼かれ、兄妹と成り行きで過ごすうちに、自身の研究について少しだけ冷静に考えられるようになった。

 今考えると、確かにあれは無理のある研究だった。

 倫理とかそういう問題だけではない。あまりにも実用的ではなかった。広く使えない、再現性のなさすぎる研究は確かに受け入れられにくい。

 それに、俺が次に手をつけるべきとしていた人体実験に関してもハードルが高すぎた。

 実験に適した人間という条件が厳しすぎる。俺の瞳を持ってしても、その人を見つけるだけでも一苦労だろう。

 健康な肉体、柔軟な思考、魔法についてある程度無学であること、想像力が豊かなこと、学ぶ意思があること、そして潤沢な、七百年生きている俺くらいに潤沢な魔力量。

 自身の特別な神の目と、金と人材を豊富に使ってと思っていたが、後者二つに限ってはすっからかんになった今、その研究は夢のまた夢と終わった。


ーーーーーー


『私が最後まで面倒見るよ。最後まで、だから一緒にいてね』

 彼女、スピカが俺を拾った日言った言葉。それが、スピカにとってとても切実な思いであったことを知ったのは、それからすぐ後のことだった。


 ヒュー、ゴホ、ゴホっゴホ。ゼー、ゼー。

 兄妹に挟まれて眠ったその日、俺は苦しげな咳と呼吸の音で目を覚ました。

「お兄ちゃん!今水持ってくるから!」

 スピカは急いで、しかしろくに動じず動き出した。レグルスもスピカに手で謝るばかりで、夜更けの今外に出ようとする妹を止めようとしなかった。

 深夜の森に特攻するようなヤンチャ娘である、止めても無駄だと分かっているのだろう。

 対して俺はとても慌てていた。そのまま内臓全部吐き出すのではと思う勢いで彼は咳をする。苦しげであり、痛々しかった。その口の端から赤いものが見えて、俺はもう頭が真っ白になってしまった。

「だい、じょうぶか……?」

 大丈夫なわけがない。少しの不調であるならば、この兄が妹に心配かけまいと耐えないわけがない。

 ただ他になんて声をかければいいのかも知らず、とにかくシリウスは沈黙した。ゆっくりとその背を撫でて、せめて喉が傷つかないように保護するが、きっと気休め程度だろう。

 俺はただ木偶の坊のように、黙って彼のそばにいるしかやれることはなかった。



「おはよう。ごめん、昨日は。驚かせて」

「……はよ。こちらこそ悪いな、ただでさえ狭い寝床にお邪魔して」

「むしろ温かくて助かった」

 朝起きたら、兄の方、レグルスが穏やかに笑って俺を見ていた。昨日の苦痛に顔を歪める姿はどこにもない。

 俺の嫌味にも微笑んで返すから、俺はどうもやりにくくて「スピカは」と短く聞いた。彼と反対側のシーツは、すでに冷たくなっていた。

「……怖がらせちゃったからね。多分裏の畑だと思う」

 怖がらせることと畑になんの関係が……。と思ったが、耳をすませば確かに建物の裏手から泣き声が聞こえてくる。住人のくせにここの壁の薄さをまるで分かっていない泣きっぷりだが、誰も指摘しないならば仕方がない。

 レグルスは俺の顔を見てもう一度クスリと笑うと、ゆっくりと立ち上がって台所の方へ向かった。その細い背中に、俺はなんとも言えない気持ちになった。


ーーーーーーー



 スピカとレグルスの家での生活は、存外穏やかに過ぎていった。

 俺だって別に金が全く無いわけではない。確かに住居を燃やされ職場から追放されたが、一応魔法師として優秀なのだ。

 しかし今現在特に不便もなく、兄妹がこちらを拾った捨て犬みたいに認識しているのも相まって奇妙な同居生活は続いていた。

 自分でも、精神的にかなり疲れていたのでは無いかと思う。兄妹に出会った日、俺は家も職場も女も友人も、全てを賭して励んでいた研究も全て失った。それですぐに次のことへ歩めるほど心は強くなかった。

 流石に大人としてまずいのではと、日雇いで稼いだ金で食料を買ったりと、暮らせてしまうと、このままでもいいのではという気持ちが強くなった。

 何だったら仕事帰りに賭場にも寄れた。負けっぱなしなので兄妹には内緒だが。

 隙間の多いはずの家は、なぜだか暖かかった。具の少ないスープは割と美味くて、三人で並んで寝る布団はどんなに高級なものよりも寝心地が良かった。

 実家の森を出てからはほとんど一人暮らしだったから、単純に誰かと過ごすのが新鮮だっただけかもしれない。数十年軍の兵舎で寝泊まりしていたことはあったけど、魔法師様は強力な兵器として一人部屋であったし。

 役割分担がしっかりしているのも良かった。

 俺が金を稼いで、レグルスの発作時に治癒魔法をかけてやる係。スピカは料理と買い物、洗濯。レグルスは掃除とか他の家事とお金の管理とかご近所付き合いとか、頭を変に使いそうなことを。

 レグルスは日によっては咳が止まらず寝床から起き上がれないこともあったし、そうなるとスピカも使い物にならない。それでも最近は調子がいいんだと彼は笑う。

 最初は同情だった。あまりにも二人きりの兄妹が可哀想で。これで俺が出ていった次の季節を乗り越えられなかったら、きっと悔やむと思ったのだ。



「お花見に行こう!」

 そう言い出したのはスピカだった。少し歩いたところに見事な大きな桜があるらしい。

 そこは村の共同墓地にも程近くて、彼らの母親の墓参りと一緒にと。俺はもう春が来たんだと驚きながら、その桜を見にいった。それは随分と立派で、墓の代わりにこの桜にお参りする人もいるらしいと聞いて少し笑ってしまった。


「暑いねぇ」

 そう言い出したのはレグルスだった。狭い寝床に三人並んで寝転んでいた時の話だ。狭いと言っても体が触れ合うほどではない。それでも熱源が近くにいるのは確かに暑かった。

 俺は黙って布団を水にしてやった。濡れも沈みもしないそれは川に浸かっている時みたいで落ち着くかと思ったが、慣れない感触に兄妹二人して大興奮。結局夜更けまで寝なかった。


 良かれと思って金木犀の花を部屋に撒いたら怒られた。

 気に入っていたじゃないかと言うと、「街中で香るからいいの!」と言われた。よく分からない。


 そしてまた寒くなり、レグルスの体調が悪化した。


ーーーーーー


 日雇い終わりの帰り道、買い物帰りのスピカと偶然出会った。

 レグルスがいない、二人だけというのは存外珍しい。

 そんな機会を待っていたのか、目一杯の絶望と一縷の期待を込めて俺のそばに寄ってきたスピカに、俺はできるだけ冷たく返した。

「俺でも無理だ。病は魔法では治せない」



 スピカは目を見開いた。零れそう、と反射的に思った。

「……まだ何も言ってないよ」

「言われなくても分かる。……同じような目をした人間に何度も縋られてきたんだこっちは」

 吐き捨てるように呟いた後半は果たして彼女に伝わってしまったか。まあ、それはもうどうでも良かった。


 魔法では病気の克服できない。

 忌避されることが多い分、科学文明には多少の遅れをとってはいるものの、魔法学も日々進化し続けている。なんならレグルスも一研究員としてその中心にいると言ってもいい。だからこそ、そのことわりが絶対なことは疑う余地もなかった。

 魔法とは便利な道具である。万能な道具ではない。人の手でやること、科学の力を使ってやることとは少し違ったことができるというだけだ。奇跡的な力ではあるが奇跡そのものではない。

 怪我を治すような治癒魔法はある。何かを切るのには火魔法が有効だ。消毒・洗浄に水魔法が適していることは分かっている。炎症を治して、血を止めて、あるいは気道を押し広げることはできる。つまり対症療法には有効ではある。

 しかしそれだけだ。何しろ人体とは最も身近なブラックボックス。何がどうして身体に悪さをしているのかも知らない。目に見えない何かを捉えて殺すことはできない。機械みたいに一回バラして一から組み立て直すのも、どっか死体の臓器を入れ直しても元通り動きやしない。

 いつか、遠い未来で人体が理解され尽くして、単純な切った貼ったを繰り返せばどうにかなると分かればそれでいい。しかしそれは遠い未来の話で、レグルスが病に侵されている今の話ではなかった。

 もしくは反則技ではあるが、病を治すのに特化した特別魔法……今は禁忌魔法か、その持ち主を見つけられればいいけど。少なくともここに来れる範囲の人間にそれ持ちはいなかった。俺の目で「視」たので間違いない。


 それをそのまま伝えると、彼女は「なんか、難しいけど、今はどうしてもできないってことだよね?」と聞いてきた。俺は無感動に頷いた。

 魔法学の権威としてある程度の地位を持っていた時もあった。同じような内容で感情的に問いただされることは、何度もあったので対処には慣れていた。

 なんだったら説明を相手の年齢に合わせた説明にしなかったのも、一種の処世術であった。それっぽい大人が自分には理解できない難しい話を怖い顔でされたら、たいていの子どもは怯むというものだ。

 昨日のレグルスの苦しげな表情は脳裏にチラついたが、シリウスもたった一晩の邂逅だけで人が変わるほど若くもない。

 スピカは俯いて、やんわりと俺の裾を握った。

「禁忌魔法持ってる人も、いないの?」

「少なくとも、この国にはいない。確認したから間違いねぇ。他国からの旅人でも待つか、探しに行くか。どっちにしろ砂漠で金の粒見つけるような話だな」

「普通の魔法で治せるのも、今は無理?」

「あぁ。ずっと遠い未来なら可能性はあるかもってところだ」

「遠い未来って、どれくらい先?」

 小さい声に、俺は正直に答えた。

「お前の孫が婆さんになって死ぬ時くらいは先だな」

「ふーん」

 その時にはきっと、みんな死んじゃってるねと少女は言った。

 俺は生きてるけどなと答えて、俺はここから一番近い賭場はどこだったかと考えた。

 しかしうまく思い出せない。今日の夕飯はそういえばとうもろこしご飯だって聞いたな。じゃあまっすぐ帰るか。


 そこからの道中、スピカは黙っていた。俺も何も言えなかった。

 魔法は万能ではない。自身は神ではない。無理なものは無理だ。何度も自分に言い聞かせた。

 これまでも、同じような壁にぶつかったときは何度もあった。何度も病人を見送った。これが嫌で、時にはちゃらんぽらんな人間関係を築き、時には森に引き篭もった。

 彼女の顔を見たくなかった。少しでも縋るような顔をされたら、俺はきっと逃げ出す。悲しい顔をされたら自分の顔を殴りたくなる。


 やっと家が見えてきた。俺が黙って扉に手をかけた時、ずっと黙っていたスピカが俺の名前を呼んだ。

「ねえ、シリウス」

 彼女が俺を呼ぶから、俺は否応なしにその顔を上げなければいけなくなった。

 罪人のような気持ちだった。どんな顔をしているか、想像すらしたくないのに、脳裏に浮かんで消えていった。

「シリウス、ねえ」

 再度の呼びかけ。俺は顔を上げた。そして、息を呑んだ。


 彼女は、まっすぐ俺を見ていた。その目に映るのは希望で、強い意思だった。

「もう一つ、あるよ、方法」

「は…………」

「私が覚える、病気を治す禁忌魔法を」

「それ、は…………」

 俺は、完全に足を止めた。彼女の手は震えていて、その気持ちが痛いほど分かった。

 禁忌魔法。今の王権、のちに最も民を救えなかった王として名を馳せる彼の治めるこの国では現在、五大魔法から外れた魔法である特別魔法を禁忌魔法として、差別・警戒の対象としていた。

 特にこの小さな村では禁忌魔法もちであるとバレると村八分では済まない。きっと病が治っても生きていけなくなるだろう。


 そんな時勢は、俺の研究に関して倫理という足枷としていた。

 そう、俺の研究内容は。


「シリウス、酔った時言ってたよ、『禁忌魔法を作る研究をしてた』って。私を弟子にして、シリウス。それで私で、研究してよ」

 凍てつく風が頬を刺す。レグルスの苦しげな咳がドア越しに聞こえた。

 冬はすぐそばまで迫っていた。

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