終着点はどっちだ
三月吉日、桜の蕾が目立つその日、王立学園初等部卒業式が行われた。
三年前に緊張の面持ちで校門をくぐった学生たちが、もう卒業。と言っても中等部にそのまま移るだけなので卒業証書が涙に濡れることはなかったが、卒業生たちは自身の成長を実感し、確かな門出を迎えた良い式であったと思う。
特に私たちの代はアルという王族やそれに準ずる家系の生徒が多いので、初等部を専門にもつ教師陣は随分とホッとした表情を見せた。
答辞は、アルが行った。彼は主席卒業でもあった。
静かな体育館。初等部の卒業式であるということで、親族の出席者はいなかった。
卒業生は約百六十名。在校生、教師陣を含めると五百人が敷き詰められた式場で、彼の声が響く。
私は静かに瞳を閉じて、ゆっくり自身の行く末を思い描いていた。
『お主はどう生きる』
昨晩、ぬいぐるみサイズの龍が私に問いかけた。今冷静になって考えると、かの存在は私がこの学園にスパイや暗殺のために潜り込んだという可能性を、少しも考えてはいなかった。
まるで私を心配するように、あの龍は問いかけてきた。まるで禅問答でもされていたと考えてもいいかもしれない。
なまじっか可愛らしいサイズをされていたものだから、中途半端に気が緩んでしまったが、もしかしてあの龍は、偽物兼、本物との交換要員である私を叱咤激励しにきてくれたのかもしれない。
そのままでいいのかと。まざまざと殺されていいのかと。
三年と、三ヶ月前だ。私がガクルックスの家に引き取られたのは。その前はただの薄汚い孤児で、しかも乳飲み子の時に孤児院の門の前に籠ごと置かれた子供。身元すら分からない、まさに捨て子だった。
私が施設に迎え入れられたのは終焉の日のことだった。と言ってもまだその年は先王の時代で豊穣の週を始めとした一連の祝日はなかったけど。
先王の時代、魔女狩りと戦争と弾圧の時代。不安定な世の中で私は孤児という更に不安定な立場だった。先王がお隠れになり世代交代はあったものの、いや交代による世情不安は更に大きなものだった。
明日のパンはあるけど明後日のそれは不安。そのぐらいの経済状況の施設で私は育った。自分でも大人しく落ち着いた子供だったから、さまざまな事情を持った子どもの集まる孤児院で当然のように放置される子どもだった。
それでも寂しさを感じなかったのは、前世の記憶があったから。今でこそたくさんの小説が手に入るようになって、自分の境遇に近い設定の物語があることは知っている。私はその中の主人公のように前世の恋人や前世の知識を総動員して英雄になることはできなかった。
ただ、抱きしめてくれる母の温もりは知っていた。兄の柔らかい声も。だから私は大丈夫だった。
今世で七歳になる頃、嫌な目をした商人の夫婦に引き取られた。
私はそこでは「スピカ」を名乗った。夫婦は施設からの書類などは見ていなかったし私にも興味がなかったから、施設で呼ばれていた名前を知らなかった。
同じように引き取られた「お兄ちゃん、お姉ちゃん」がこれまた嫌な目をした貴族たちに嫁いだり小姓にされていくのを見ても。
酔っ払った「母様」が「あんたみたいな別嬪引き取ってよかったよ、おかげでいい酒代になる」と言って、兄と姉の行く末を察した時も。
弟ができた時も。
私は薄情な程に平気だった。自分と世界の間に、薄い幕が張られているみたいだった。だって私の内側には、確かに愛情を与えられた記憶があったから。
ガクルックス当主がその人売りの夫婦のもとを訪ねてきた時も、私の世界は薄膜の外だった。
何も見ていない私の顔を、当主はどんな目で見ていただろうか。たくさんの金貨がやり取りされていたのを覚えている。物理的にも社会的にも、その時の金貨は私よりも重かった。
「いい子にしてろよ、少しでも長く楽しんでもらいな」と「父様」は言った。息が酒臭かった。
「親孝行な娘だね」感激したように「母様」は言った。その柔らかな瞳は金貨を見ていた。
少し、大人だけで。そう言って執事長が夫婦を連れていくのを、私は遠目で見ていた。
その間、弟が私の手をぎゅっと握っていた。小さな背丈で痩せっぽっちの弟。彼はここに来た時にはすでに言葉が喋れなかった。舌が抜かれていたのだ。
そんな弟がポロポロと透明なのを流すのを、私は無感動に見ていた。執事長の話し声がかすかに聞こえた。その家は見た目の割に壁が薄かった。
曰く、十七の頃に死んでしまう予言をした少女がいること。
曰く、私がその少女にそっくりなため、身代わりとして生きること。
曰く、その入れ替えは国に分かれば関係者共々命がないこと。私に関する夫婦の記憶も消させてほしいこと。そうすれば夫婦には累は及ばないこと。
曰く、私もその予言の十七を乗り越えられれば処分されるであろうこと。
その後当主が連れてきた魔法師に、二人の記憶は消された。その魔法は記憶を安全、確実に消去する魔法であるが、記憶を消される側がその魔法に同意していなければうまく消去されないのだ。
その数秒後、ドアが開き大人たちが入ってきた。後ろには、いつもよりぼうっとした夫婦がいた。魔法がうまく発動した証拠だ。きっと喜んで魔法を受け入れたのだろう。
弟は、私と同じようにどこかぼうっとしていたけど、私の手を痛いくらいに握って、魔法師は笑って彼の頭に手を翳した。
「辛いことは忘れちゃおうか」
そう言って。
そうして自分で取り戻したはずの「スピカ」すらいなくなって、偽物の「アジメク・ガクルックス」の誕生。
めでたし、めでたし。
なあんて、ね。
その薄膜が剥がれたのは、突然だった。
いつだったかは覚えていない。しかしきっかけは覚えている。ガクルックスにつけらた教師に促され、魔法を初めて使った時。
自分の手から炎が出た時。熱くて、明るい光が自身の顔を照らした時。
世界との間の膜が、「平気」の膜がその熱で溶けるのを感じた。「何やってんだ」と叱られている気がした。炎を消して数時間後、なんとなくあれは兄の熱だったと思った。
あのガクルックス別邸でのお勉強のための三ヶ月。私を突き動かしたのは、「魔法」だった。
炎を出せば、兄が守ってくれた心地がした。水を出すと呆れたように頭を撫でられる心地がした。風を吹かすと強すぎだと頭を小突かれて、闇魔法で影を操るとやるじゃんと口笛が聞こえる気がした。光魔法で傷を治すと、少し息を呑んだ後に黙って頭を撫でられる。そんな心地がした。
もちろんそんな事実はない。これらは私が自室で一人こっそり魔法を使った時のことだ。記憶の中にもない。私は前世わずか四歳で死んだのだ。全て想像だった。
その、はずなのだ。それなのに、それ以上のリアリティが私の心に残った。その感覚がおかしくて、変で、私の膜をスルスルと溶かした。
そしてその後には、ただ無感動に生きる少女はいなくなっていた。
ーーーーーー
「僕の答辞の時、寝てなかったか?」
教室に戻ったアルが、私にそう文句を言いにきた。こちらをジトっと見やる彼に「まさか」と返す。ちょっと昔を思い出していただけど。つまり寝てはいなかった、内容は覚えてない。
「まあそう責めてやるなって、校長挨拶、来賓祝辞三本、在校生送辞の後だぜ?しかもお前の話長いしさぁ」
リゲルが軽い調子で言った。アルは渋い顔で「例年あれくらいの長さになる」と答えた。定型文が決まっているらしい。
「入学式の時みたいにアレンジ加えればよかったのに。あれ面白かったよね」
ベガが茶化すように言った。ずいぶん昔のことを持ち出す。
私はあの日の衝撃を思い出しながら言った。
「確かに、あれは面白かったよね、えっと、人生を変える?なんかすごいことする、みたいな」
「面白かったっていう割にあやふやじゃない」
カペラちゃんが苦笑する。
「……アジメクはあれだな、いつも僕の話をよく聞かないよな」
「そ、そんなことないよ!あの日はちょっと怪我もしてたし気もそぞろで」
「あの日の怪我だってあれはそもそもアジメクが……!」
「あー、あー聞きたくない!」
「『自分の人生を変えにきた』でしたっけ?」
呆れたような声が混ざる。カノープスだ。
「……憶えてるんだな」
嬉しさと照れが混じった、照れがだいぶ多めな赤面でアルが微笑んだ。
「まぁ。……それで、どうです?」
「どう、とは?」
「変えられそうですか?」
「……。もちろん!」
一拍、一呼吸分間が空いた。しかしアルは笑顔だった。
「ねえ、中等部での目標は?」
ベガが問いかけた。突然、というほどでもない。卒業が近づくにつれ、教師陣がよく「中等部からは目的、目標を意識して生活しなさい」と言うのだ。あまりにもその場限りで生きているクロダンの生徒には特に口酸っぱく。
二年次のオリダン大暴走の主犯格である私たちには特に。
「私はもっと、自信を持てるようになりたいな」
カペラちゃんはそう言った。入学時、不安で泣いて少女の面影は鳴りを潜めていた。ハトダンのマザーまで勤め上げた実績が、その背を大きく見せているのだろうか。
「もっと素敵になって、みんなを守れるマザーになりたい」
ハトダン、というか縦割りの団分けは中等部まで持ち上がり制だ。彼女は今後順当に中等部でもシスター、マザーになる。その時、マザー・カペラはどんな女性になっているのだろうか。
「俺は今とそう変わらん」
つまらないことを言い出したのはカノープスだった。
「今と変わらず、欲しいもののために努力する」
チラリとそこでカペラちゃんを見る彼。
私はベガと顔を見合わせ、肩をすくめた。
盗聴はやめた方がいいよ。
「僕もまあ、変わらない。人生を、て言うのは今考えるとクサイけど」
照れを混えるのはアル。しかしその顔は誇らしげだ。
「あとはまあ、兄貴は殴りたいな。一度でいいから」
……何があった。
「俺は取り敢えずやりたいことやるよ」
「そういうところに苦言を呈されてるんだけど」
刹那的目標はリゲルだ。
「やりたいことを、仲間とやる。そんでそれを一生できるような道を見つける」
…………。
そうだね、私もそうしたいよ。
私たちがいつまでも最強でいられるような、そんな社会がありますように。
「まあ、それで言うと私は色々やりたいことさせてもらってるからなぁ……」
話を振ったのはベガなのに、彼女が一番それを迷っているようだった。
「期待通り、もっと強くなるよ、きっと。他人に自慢できる人になる。」
彼女はゆっくりと自分の手のひらをなぞった。
彼女のしなやかな腕の先の剣ダコと、綺麗に手入れされた長い髪が対照的でとても綺麗だった。
「それで、君は?」
アルは私の顔を覗き込んだ。顔を上げると他の四人の視線も突き刺さって、私は照れ臭くなった。だって別に、みんなみたいに大層な目標はない。
私は少し迷って、でも思い浮かんだそのまま言った。
「健康第一!それでずっと、みんなといたいな」
膜が破れた私は、ちょっと「平気」じゃなくなった。
死ぬのが怖くなった。
暗闇が怖くなった。
魔物が、寒いのが、痛いのが怖くなった。
だから多分、頑張るしかないのだ。残り四年と数ヶ月、その全てをかけて。
初等部編、終わりです。ここから十話程度番外編を挟んで、中等部編が開始予定です。




