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夢の傷跡  作者: 石城群場
第1章 「面影のある彼女」

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第3話 「修羅場勃発……?」

喫茶店で修羅場勃発か……?


注意

この作品はフィクションです。

縦読み推奨です。

 用事があったはずの大和と雪野がなぜか俺の目の前にいる。しかも雪野にいたっては今までにないブチギレ状態である。

 星宮たちは逃げるように俺たちとは別の席に移って、こちらの様子を伺っている。

「いつまで蓮司にくっついているのかしら? 紀乃さん?」

「あら? 羨ましいの?」

「蓮司が迷惑してるでしょ」

「それは雪野さんが決めることではないと思うけど?」

 二人が睨み合っている。桜詩にいたっては俺にさらに密着し雪野を煽るように目の前で俺に胸を押しつけてきた。二つのたわわに実った果実がむにょんと音をたて柔らかく形を変える。

 ブチッという音が聞こえた。明らかに雪野の怒りのボルテージが急速に高まっている。

 それに伴い店内の室温もグッと下がった気がする。大和も雪野の隣を離れ星宮たちに合流した。

「ねぇ、蓮司? いつまでそうしてるの? ほら、はっきり言ってあげなさいよ。迷惑だって」

 矛先が俺の方に向いた。雪野は笑顔なのだが目が笑っていない。嫌な汗が背中を流れる。

 俺は慌てて桜詩に離れるよう声をかけようとして、

「おっ、桜詩? このーー」

「桜詩? へぇ、紀乃さんのことは名前で呼ぶんだ? ふぅん」

 地雷を踏んだ。

「雪野さんは蓮司に名前で呼んで貰えてないの? ふふっ」

「あっ?」

 雪野の顔が般若に変わる。もう仕方ないよな。

「彩葉、ちょっと落ち着け」

 再び桜詩を睨んでいた彩葉がゆっくりと俺を見る。

「……蓮司? 今、私のこと名前で呼んだ?」

「なんだよ? 彩葉が名前で呼べって言ったんだろうが」

「そうだけど……」

 よかった。今の不意打ちで彩葉は少しだけ落ち着いたみたいだ。

 桜詩がいつのまにか俺から離れ優しく微笑んでいた。

「ふふっ、ちょっとからかいすぎちゃったかな?」

『…………?』

 先程までとはまるで違う桜詩の様子にきょとんとする彩葉と避難組。

 その状態から一番早く復帰したのは彩葉だった。

「ちゃんと説明してもらえる? 蓮司と紀乃さん」

「もちろん。離れている人達も集まって説明するから」

 桜詩がにこやかに声をかける。

 その言葉で彩葉以外の固まっていた面々も復活したようで、俺たちの周りに集まってきた。


 今までの四人席にもう一つテーブルが並べられ、六人用の座席ができる。

 壁際の席に俺が座り、俺の隣に桜詩、その隣に茅ヶ崎、テーブルを挟んで俺の前に彩葉、彩葉の隣に星宮、その隣に大和が座る。

「さて、何から話せばいい?」

 全員が一息ついたところで桜詩がきりだす。

「はいはいはーい!! 二人の関係からお願いします!!」

 元気よく手を挙げて発言したのは星宮。ノリノリである。

「おさなーー」

「恋人同士よ」

 ペちっ。

 俺の発言を遮るように答えた桜詩の頭を軽くはたく。

 桜詩が不満そうにこちらを見るが、これ以上場を掻き乱されては話にならない。彩葉の視線がまた鋭くなっているし。

「ただの幼馴染だよ」

「『ただの幼馴染』ねぇ〜? じゃあ、さっきの桜詩ちゃんが言ったことは全部嘘だったの?」

「嘘は言ってないわよ」

「と、桜詩ちゃんは言ってるけど、蓮くんどうなの?」

 テーブルに身を乗りだしてグイグイくる星宮。

 軽い調子の口調とは違って俺を見つめる視線は厳しい。

「できるだけ正直に話して欲しい。無理に聞きだすつもりはないけど……」

「彩葉……」

 俺を真剣に見つめていた彩葉の目がふせられる。大和は腕を組み黙ったままだ。

(正直にって言われてもなぁ。桜詩のことはまだしもそうなった経緯を詳しく話すのは……)

「話しづらいなら私から話すけど?」

「いや、いい。俺から話す」

 なかなか口を開かない俺に助け船を出そうとする桜詩。

 けれどこれは俺が話すべきことだ。今、目の前にいるのは俺の友人だから。

 でも踏ん切りがつかない。詳しく話してしまえば自分の醜いところを曝けだすことになるから。

 こいつらに嫌われてしまうかもしれないから。それが何よりも怖い。


 未だ話し始めない俺にそわそわしてくる桜詩。

「……ねぇ、蓮司? やっぱり私から……」

「いい」

 再び助け船を出そうとした桜詩を制する。

「……私のこと信用出来ない?」

 どうやら桜詩の目には俺が桜詩のことを疑っているように見えてしまったようだ。俺の知られたくない過去まで話すのではないかと。

「そうじゃねぇ。たしかに桜詩は人のことをよくからかうし、一言多かったりもする。でも……」

 そこで一度、言葉を区切ってしっかり桜詩と視線を合わせる。

「本気で人を困らせようとするやつじゃない」

「そう」

 俺の一言を聞いて桜詩はそっぽを向いてしまった。

 心做しか口元が緩んでいた気がしたけど気のせいだよな?

『…………』

 あれ? 周りの視線がさっきより厳しくなってる? というか大和は呆れてる?

「いろいろ話しづらいことがあるのはなんとなくわかるけど、イチャつくのはやめとけって」

「はっ? イチャつく? 誰が?」

「あぁ……蓮司はそういうとこあるよな」

「?」

 大和の言葉に周りのみんなが頷いている。わかっていないのは俺だけ?

 でも、思わぬ形で少しだけど空気が柔らかくなった気がする。

 ……今なら。

 大きく深呼吸してみんなを見渡す。

 みんなも俺の雰囲気が変わったことを察して、静かに話を聞こうとしてくれている。星宮はわくわく感を隠そうともしてないけど。

「今、話せることだけ話すから」

「わかった」

「とりあえず今はそれで良しにしといてやる」

「了解!」

 彩葉たちが頷いたの確認してから話を始める。

「まず俺と桜詩の関係だけど、さっきも言ったように幼馴染だ。一時期付き合ってたこともあるけど……」

「『付き合ってた』ねぇ? ちゃんと別れも言ってくれなかったくせに」

 桜詩の鋭い一言にぐぅの音も出ない。周りーー特に女性陣ーーの俺に向ける視線がまた厳しくなった。

 当たり前だ。俺は桜詩に対して不誠実な対応をしたのだから。そしてそれは今も続けてしまっている。

「その点については、後日きっちり謝ってもらうからよろしくね?」

「はい……」

 隣でニッコリと微笑み釘を刺す桜詩。しっかりと俺の右手の甲を抓ってくるあたり、このことに関しては桜詩も相当怒っているようだ。

「話を続けるけど、付き合ってたときにちょっといろいろあって俺が桜詩と勝手に距離をとったんだよ。何も言わずにな」

「それが大学での二人の不思議な距離感に繋がるんだね」

 俺の言葉で星宮は腑に落ちたらしい。

「でも、桜詩ちゃんは怒らなかったの? いきなり距離をとられたんでしょ?」

「急に距離をとられたことについてはそこまで怒ってないわよ? 幼馴染で付き合いが長いから何を考えて蓮司がそういう行動をとったかも大体察せたし。まぁ? さすがにこんなに長い間距離をとられるとは思ってなかったから、それについては怒ってるけど」

 俺を睨みながら答える桜詩に再び右手の甲を抓られる。さっきよりも強く。

 そんな俺たち二人の様子を黙って見ていた彩葉が何かに気づいたようで「ねぇ、もしかしてだけど」と少し戸惑いながら桜詩に話しかける。

「紀乃さんって蓮司を追いかけてこの大学に来たの?」

「そうよ」

 当然だと言わんばかりに堂々とした態度で答える桜詩。さすがに彩葉たちも少し引いている。

「なぁ、俺の志望校って担任しか知らなかったはずなんだけど……」

「先生も蓮司のこと心配してたから快く教えてくれたわよ?」

「まじか……誰にも言わないで欲しいって言っといたのに」

 思わず頭を抱える俺。大学で桜詩の姿を見かけてたときにまさかとは思ったが本当にそうだったとは。

「あの頃の蓮司は本当にメンタルがぼろぼろだったからね。周りともやけに距離をとろうとしてたし。先生もよく知ってる人がそばにいたほうがいいって思ったみたいよ?」

「そう言われたらなんも言えねぇわ」

 なんだか気恥ずかしくなって桜詩から目を逸らす。

「大学入った頃もそんな感じだったもんなぁ」

「そうね」

 大和と彩葉は大学に入ったばかりの俺の様子を思いだしたようで二人そろって頷いている。

「ねぇねぇ、蓮くんがメンタルぼろぼろだったのはなんで?」

「それは…………今はまだ言えない」

「『まだ』ね……りょーかい! このことについては今日はもう聞かない」

 星宮は俺がそうなった理由について興味津々のようだったが、その割にはあっさりと引いてくれた。彩葉と大和も追及してくる様子はない。

「俺と桜詩の関係に関しては以上かな……」

「ちょっと待った! まだ肝心なところを聞いてないよ!!」

 星宮がグイッと身を乗りだして叫ぶ。

「肝心なところ?」

 星宮の言う『肝心なところ』の見当が俺にはつかず桜詩に視線を向けると、桜詩は星宮が何を聞きたいのか察しているようだ。

 むしろ俺に向かって「なぜわからないの?」とでも言いたげな表情をしている。

 桜詩は教えてくれそうにないので星宮に視線を戻すと完全に呆れていた。

「蓮くんはわかってないみたいだから直球で聞きます」

「おう」

「桜詩ちゃんとはどこまでヤッたの!?」

「…………はっ?」

「ちょっと結衣!! あんたいきなり何言ってんの!?」

 星宮の発言でフリーズした俺に代わって彩葉が全力でツッコんだ。

「むしろこれを聞かずに何を聞けっていうのさ!? 最重要事項だよ!!」

 拳を握りしめ熱弁する星宮の姿に周りも引き気味である。

「結衣、気になるのはわかるけど人前で聞くことじゃないだろ」

 大和がやんわりと窘めるが星宮に引く気はないようだ。

 彩葉と大和というクッションを挟んだことで星宮の衝撃発言から立ち直った俺はチラリと横に座る桜詩を見る。

 普段と変わらない澄まし顔である。こっちは星宮の発言であの日のことを思いだし、顔に熱が集まりつつあるというのに。

 そして、俺のその変化に星宮が気づくのは当然のことであった。

「蓮くん、顔が赤くなってますがなーにを思いだしたんですかねぇ?」

 ニヤニヤしながら俺を見つめてくる星宮。面白い玩具を見つけたと言わんばかりである。

「星宮さん? 面白がってテンション上がってるところ悪いんだけど、そんな大層なことはしてないわよ?」

 俺の様子を見かねた桜詩が少し呆れながら答える。

「私としては、蓮司がなんでこんなに恥ずかしがっているのかがわからないんだけど? キスまでしかしてないのに」

「へぇ、キス……?」

『キスっ!?』

 いつもと変わらない態度で暴露した桜詩に多方向から驚きの声が上がる。

(あれ? 今、茅ヶ崎も叫んでたような?)

「ちょっと待って? キスしかしてないのに蓮くんはあんなに恥ずかしがってるの? ウブすぎない?」

 俺の方を見て驚愕の表情を浮かべる星宮。かなり意外だったらしい。

「だってはじめてだったし……」

 恥ずかしさで声がか細くなる。

「ちなみにどれくらい二人は付き合ってたんだ?」

「高2の冬から高3の秋くらいかな?」

「1年近く付き合ってて、キスまでしかしてないとかどうなの!? 高校生でしょ!!」

 大和の質問にも平然としたまま答えていく桜詩。星宮は星宮でよくわからないキレ方をしている。

「いろいろ訳ありだったんだよ俺たちは」

「キスも私からしたしね」

「…………」

「何か?」

「なんでもねぇ」

 しれっと言う桜詩に思わずジト目を向けてしまう。俺からすれば不意打ちで完全に奪われた形だからな。情けないから言わないけど。

「キス以外はなんにもしてないの?」

『してない(わ)』

「むぅぅ」

 頬を膨らませ「不満です!」とアピールする星宮はどこか子どもっぽく見える。

 そんな星宮が俯き強く拳を握りしめプルプルと震え始めた。

「おかしい……おかしいよ蓮くん! だって桜詩ちゃんのことよく見てよ!」

「よく見ろって言ったって……」

 困惑しながら桜詩をじっくりと見てみる。

 肩までは届かない程度に伸びた指通りのよさそうな亜麻色の髪に……あれ?

「桜詩、高校のときより髪短くしたんだな」

「それ今言う?」

 俺の口から漏れた言葉に呆れ顔の桜詩だが、指先で髪を弄ってるあたり気づいては欲しかったようだ。

「悪かったな。今までずっと避けてたから髪型なんて気にしてなかったんだよ」

「で?」

「よく似合ってる」

「当然ね」

 ドヤ顔で胸を張って答える桜詩の姿はあの頃から変わっていない。それが懐かしくて少しだけ感傷的になってしまった。


 ダンッ!


 星宮がテーブルを叩いた。それも結構な勢いで。

「そこじゃない……もっと下だよ蓮くん!」

「もっと下?」

 言われて視線を下げるが星宮のやつが何を言いたいのかさっぱりわからない。

「あんなに立派なおっぱいがあるのに揉みたいって思わなかったの!?」

「何言ってんのあんたは!?」

「痛いっ!?」

 星宮のぶっ飛んだ発言に彩葉がスパァンと頭を叩いてツッコミを入れる。

「今日は暴走しすぎだな」

「さすがにこれ以上はね」

「強制退場だな」

 星宮を挟んだ彩葉と大和が頷きあうと、大和が星宮をがっしりと掴む。

「待って待って!? まだ聞きたいこといっぱいあるんだけど!?」

「駄目でーす。彩葉は荷物よろしく」

「オッケー」

 大和が「離せー!」と駄々をこねる星宮を引っ張って連れていく。

 その二人を見送ってため息をついた彩葉が申し訳なさそうに俺たちへと振り返る。

「悪かったわね」

「私と蓮司は大丈夫よ」

 俺が答える前にさらっと答える桜詩。

「桜詩の隣にいる貴方もごめんなさいね? いつもはもう少し大人しいんだけど」

「わっ、私も大丈夫だよ。ちょっと驚いたけど」

 茅ヶ崎に向かって頭を下げる彩葉。そんな彩葉に茅ヶ崎も「気にしないで」と声をかけているあたり茅ヶ崎の人の良さが伺える。

 そういえば茅ヶ崎って彩葉と大和にはまだ自己紹介してなかったよな?

「自己紹介もできずごめんなさいね? また今度」

「えっと……また」

 困惑ぎみの茅ヶ崎にもう一度頭を下げて、自分の分と大和たちの荷物を持って席を立つ彩葉。

「蓮司と紀乃さんにはまた話を聞かせてもらうから」

 最後に俺と桜詩に釘を刺し、大和たちを追いかける彩葉。その背中を見送って俺は椅子に深く座る。

(想定外のことはいろいろあったけど、これでようやく一息吐けるな)

 椅子の背もたれに背中を預けて腕を伸ばし脱力する俺。そんな俺を桜詩が柔らかく微笑みながら見ていた。

「なんだよ?」

「べっつにー? ただやっと元の関係に戻れそうだなって」

「悪かったよ、ホントに」

「今までの埋め合わせ楽しみにしてるから」

「おう」

 桜詩の昔と変わらない笑顔にほっとする。


「蓮司? さっきから私の顔をじっと見てどうしたの?」

「やっぱり桜詩には笑顔が似合うなって思ってさ」

 視線を動かさない俺に困惑している桜詩だったが、俺の言葉を聞いたとたん呆れ顔に変わる。

「蓮司、ホントそういうとこよ」

「?」

 大きくため息を吐く桜詩。茅ヶ崎もなぜか苦笑いである。

「茅ヶ崎も悪かったな。なんか変なことに巻き込んじまって……」

「全然そんなことないよ! みんな神里くんのことを心配してたみたいだし、いい人ばっかりだね」

 俺の言葉に首を横に振って朗らかに笑う茅ヶ崎。

 その笑顔がどうしてもあいつと重なってしまい、ぼんやりと茅ヶ崎の顔を見つめ続けてしまった。

 そんな俺に反応したのは茅ヶ崎ではなく、俺の隣にいる桜詩だった。

「あらぁ? そんなに楓を見つめちゃって、一目惚れでもしたの?」

「そんなんじゃねぇよ」

「ふぅん?」

 ニヤニヤしながらからかってくる桜詩。茅ヶ崎もあたふたして困り顔である。

 俺は視線を店の天井に向けて、

「ただあいつに少し似てるなって思っただけだよ」

 そう零した。

「そうね」

 俺の言葉に静かに同調した桜詩の心境は一体どんなものだったのだろうか。あいつとの別れが辛かったのは俺だけじゃなかったはずなのに。

「桜詩、ありがとな」

「……どういたしまして」

 ふわりと笑う桜詩はあの頃よりもずっと綺麗になっていた。


「あのう、二人とも? 仲がいいのはわかったからあんまり置いてけぼりにしないで欲しいかな?」

 俺たち二人の様子におずおずと言葉をかける茅ヶ崎。

「ごめんごめん。私たちもそろそろ帰ろっか? いい時間だし」

「そうだね」

 桜詩と茅ヶ崎が荷物をまとめて帰る準備を始め、準備が整ったところで桜詩がチラリと俺を見る。

「蓮司はまだ帰らないの?」

「俺もそろそろ帰るよ」

「なら駅まで一緒に行きましょうよ」

「俺はもう「ね?」……はい」

 俺は一度は断ろうとしたものの桜詩に気圧され、帰るために荷物をまとめる。

「桜詩? 無理強いするのは良くないよ?」

「どうせ『桜詩たちと帰ると噂になりそうだなぁ』とか思って渋ってるだけだから大丈夫よ」

(ホント俺のことをよくわかってるよ、この幼馴染は)

「あの三人と一緒にいるんだから目立つに決まってるのに。噂なんて気にするだけ無駄よ」

「わかってるよ。でも、わざわざ火に油を注ぐことはないだろ?」

 荷物を持ち「二人みたいな美人と一緒にいたらまーた男どもに睨まれるわ」なんて軽口を叩きながら椅子から立ち上がると、桜詩は「またか」と言いたげな表情で俺を見ており、茅ヶ崎にいたっては少し照れくさそうにしている。

「えっと神里くん? その……そういうことはあんまり言わない方がいいと思うよ?」

「なんで?」

 茅ヶ崎の言葉に首をひねっていると桜詩が茅ヶ崎の肩をポンと軽く叩いた。

「楓、これに関しては諦めて慣れることね。何度言っても本人が自覚しないんだから」

「わかった」

「???」

 俺をジト目で睨んでくる二人にハテナしか浮かばない。

(変なことは言ってないと思うんだけど)

 考えても答えは出そうにないので、とりあえず今は置いておくことにする。

「ほら、二人とも駅まで行こうぜ」

「そうね」

「うん」


 三人で席から離れ、レジで会計を済ませる。

「マスターさん、今日はうるさくしてすいませんでした」

「大丈夫大丈夫。若いうちはうるさいぐらい元気じゃなきゃ」

 今日のことについて謝罪をすると責めるでもなく朗らかに笑うマスター。

「そちらのお嬢さん方もまたおいで」

『はい』

 微笑みながら俺たちを見送るマスターさんに軽く頭を下げ店から出る。


 外に出るとまだ熱を帯びた風が頬を撫でる。

 街は夕焼け色に染まり、帰りを急ぐ人たちで溢れている。

 あの日以来、夕暮れ時になるとざわついていた心が今は意外と穏やかだった。

 桜詩が隣にいるからだろうか。いや、完全にあいつのことを振りきれた訳ではないが、「ここ」にも俺のことを思ってくれる人がいる、そのことを実感できたからだろう。

「なーにニヤケてんの? 私たちと一緒に帰れるのがそんなに嬉しい?」

 気づけば隣にいる桜詩が俺の顔を覗き込んでいた。ご丁寧に上目遣いで胸まで寄せてからかうように笑っている。

「それもあるけど……」

 そこまで口にしたところで俺は桜詩から視線を外し、昼と夜が交差しはじめた空を見上げる。

「今日はいい夢がみれそうだから」

「そう」

 俺の言葉を聞いて嬉しそうに笑う桜詩。茅ヶ崎は不思議そうに俺たちを見ている。

 それもそうだ。今のやり取りの意味がわかるのは俺と桜詩だけだから。


 二人とは駅の改札を通ったところで別れ、俺は一人でホームへと向かう。いつもより足取りが軽い。


 ……本当に久しぶりだ。眠ることが怖くない日は。

最後まで閲覧ありがとうございます。


次回は桜詩視点の話を予定しています。

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