第2話 「それは突然に」
喫茶店で時間を潰しているとき、それは起こった。
夏休み明け初日の講義も終わり、俺は大学近くの喫茶店で一人、時間を潰していた。
普段は大和や雪野たちと過ごすことが多いのだが、今日は二人とも用事があり、家に帰っても特にやることがなく暇を持て余してしまったためだ。
「今日はパーっと騒ぎたかったんだけどなぁ……」
コーヒーを片手に愚痴ったところで状況は何も変わらない。しかし、愚痴らずにはいられなかったのだ。
……今日に限っては。
一人でいると、どうしても思いだしてしまう。今朝、大学の構内で見かけた気がする懐かしい面影のことを。
「この大学にいるわけねぇのに……」
テーブルに頬杖をついて、ぼんやりと窓の外を眺める。強い日差しが照り返すアスファルトの上を忙しなく人の波が流れていく。
その人混みの中で冷たい印象を与える一人の女性と目が合う。
太陽の光を浴びて柔らかく輝く銀色の髪に、吸い込まれそうなほど透きとおった碧い瞳、まるで漫画やアニメのヒロインが現実に飛び出してきたかのような美少女が俺に向かってブンブンと腕を振っている。
その彼女の姿に思わず二度見する通行人たちの様子が窓越しによく見える。
(見た目と中身のこの温度差よ……)
溜め息を吐きそうになるが、それを堪えて自分の隣の席を指差す。
こちらの意図が銀髪の彼女にも伝わったようで、彼女は大きく頷くと喫茶店の入口に向かって走り出した。
彼女の姿が見えなくなると、喫茶店の入口にあるチャイムが綺麗な音色を響かせる。
そのチャイムの音が消える前に、彼女は俺の元へと一直線に向かってきた。
「やっほー!! 蓮くんが一人なんて珍しいね?」
手を振りながら笑顔でやってくる。その明るく元気な姿にほんの少しだけど救われた気がした。
「よっ。大和も雪野も用事があるらしくてさ」
「そうなんだ。それで一人寂しくコーヒー片手に黄昏てたわけねぇ〜」
ニヤリと人を小馬鹿にする笑みを浮かべて俺をからかってくる彼女は星宮結衣。同じ大学に通う友人で、日本人離れした容姿をしているが生粋の日本人である。
「蓮司くん。二人掛けのテーブル席も空いてるから二人でそっちに移動したらどうだい?」
眼鏡を掛けた初老の男性が優しい声で席の移動を提案してくれた。この男性こそ、この喫茶店のマスターである。
「マスターさん、ありがとうございます。星宮、注文だけして移動しよう」
「はーい。じゃあ、わたしはアイスのカフェモカで!」
「かしこまりました」
マスターが注文を受け厨房へと戻る。
俺は自分の荷物とコーヒーを持って、先程マスターが案内してくれた二人掛けのテーブル席へと星宮を連れ立って移動する。
二人で席に着いたところで星宮の注文したアイスカフェモカをマスターが持ってきてくれた。注文していないクッキーと一緒に。
「はい、こちらご注文のアイスカフェモカとサービスのクッキーです」
「わぁ! いいんですか!? ありがとうございます!」
「いつもご贔屓にしてもらってるからね。蓮司くんの分もあるから」
「ありがとうございます。いただきます」
星宮と二人でマスターにお礼を言いつつ、軽く頭を下げる。
マスターは朗らかに笑いながら「お礼なんていいよ」と軽く手を振り厨房に戻っていった。
俺と星宮はそんなマスターの後ろ姿を目線で追いかけ、
「マスターさんて、カッコイイよね」
「ホントそれな」
二人で向き合って笑う。
優しくて格好良いマスターがいて、雰囲気も居心地もよくて、そんな喫茶店だからついつい足繁く通ってしまうのだ。俺だけじゃなく、この喫茶店の常連の人達は皆そうだろう。
サービスのクッキーを食べ、アイスカフェモカで喉を潤した星宮が「ふぅ」と軽く息を吐いたあと真剣な眼差しで俺を見つめてくる。
「で? 何があったの?」
「藪から棒になんだよ」
「言っとくけど、蓮くんは隠しごと超下手だからね。明らかに講義中も様子がおかしかったし、何かあったんでしょ? それも今日」
星宮は少し前のめりになって問いかけてくる。
確信を持ったその様子に思わず、はぁぁと深い溜め息が出てしまった。
「確かに星宮の言う『何か』はあった。けど……」
「けど?」
「それについて相談するつもりはない」
少し冷めたコーヒーに口をつけ、脱力するように俺は背もたれに体を預けた。
今朝のできごとについて誰かに相談するつもりはない。きっと俺の勘違いだろうし。
それに星宮を含めた大学の友人たちには、あいつのことはおろか大学生になる前の俺の話だってろくにしていないから。
俺の返答を聞いた星宮は軽く目を瞑り、思考を巡らせているようだった。
そこで一度会話が途切れ、店内のBGMだけが流れる。
「そっか……私には相談できないんだ」
しんみりと呟く星宮の姿に少しだけ胸が苦しくなる。
「でも、なんとなく察しはついてるんだよね」
「…………」
星宮の言葉に息が詰まる。
「それってさ……」
星宮がその碧い双眸で俺を見つめ、透きとおるような白い肌に映える紅い唇をゆっくりと動かして。
「えっちなことでしょ!」
「ちっげぇわ!!」
とんでもないことを言いやがった。
あまりにも想定外なことを星宮がキメ顔で言うもんだから、思わず立ち上がっちまったじゃねぇか!
「えっ、違うの!?」
「『そんな嘘でしょ!』みたいな顔して驚かないで!? びっくりしてんのは俺のほうだから!」
目を丸くして驚く星宮に思わずツッコミを入れるが、星宮は「自信あったのになぁー」とか言いながら飲み物に口をつける。
さっきまでのシリアスな空気が嘘みたいに消えてなくなってしまった。
「じゃあ、さっきの話にはもう触れないから前から気になってたこと聞いてもいい?」
「内容による」
「蓮くんってさ、桜詩ちゃんのこと避けてるよね? なんで?」
俺が椅子に座ったのを確認してから、ひと息ついた星宮が新しい話題を振ってくる。さっきの話題が終わったからと油断していた俺には、衝撃的すぎる一言だった。
「そんなことないけど?」
バレてないと思っていた。桜詩のことについて不審な様子は見せていなかったはずだ。
「いやぁ、蓮くんに違和感は感じなかったんだけどね? 桜詩ちゃんが蓮くんに向ける視線が二人の距離感にあってない気がして……」
喋っている途中で俺のほうに向いていた星宮の視線が俺の後ろのほうにズレる。
「どうした?」
星宮に声をかけたが反応がない。さっきまでのことが嘘のように俺など眼中にないようだ。
嫌な予感がする。
目の前にいる星宮の表情が満面の笑みに変わっていく。俺の経験上この顔は碌でもないことが起きる予兆だ。
俺は慌てて後ろを振り返ると、そこには今まさに話題にあがっていた人物、紀乃桜詩 があいつの面影のある女性と共にこの喫茶店に入ってきたところだった。
「おーい! 桜詩ちゃんこっちこっちー!!」
思わず固まってしまった俺を他所に星宮が大きく手を振って桜詩に呼びかける。
「あら? 星宮さんに神里くん、こんにちわ」
星宮に呼びかけられたことでこちらに気づいた桜詩が一緒に来た女性と共にこちらへ歩いてくる。
「今、桜詩ちゃんの話をしてたんだよ!」
「そうなの? 隣いい?」
「いいよー! せっかくだから、テーブルくっつけちゃおっ!」
「そうね」
俺と桜詩と一緒に来た女性を置いたまま、話しを進める二人。
二つのテーブルがくっつけられ、四人掛けの席ができあがる。そして、流れるように俺の隣に座る桜詩。
その姿を見て更にニヤける星宮。
どうやら俺にはもう逃げ場はないようだ。
「さてさて、桜詩ちゃんに聞きたいことは山ほどあるんだけど……」
まるで水を得た魚のように話しはじめようとした星宮だったがーー
「注文してからでいい? 彼女の紹介もしたいし」
「あっ、うん」
桜詩の発言によって完全に出鼻を挫かれてしまった。
「楓もいつまでも立ってないで座りなよ」
「そうだね。えっと、隣失礼します」
「どうぞどうぞ」
桜詩が今まで立っていた女性に座るよう促す。
楓と呼ばれた女性がおずおずと星宮の隣に座る。
(楓ねぇ)
あいつと同じ名前の彼女に心がざわつく。名前だけじゃなく、ふわりとパーマのかかった茶髪も柔らかい印象を与える目元もあいつとよく似ていて胸が苦しくなる。
そして気づく。今朝見かけたあいつの面影は彼女だったのだと。
「ねぇねぇ、楓ちゃんって噂の編入生?」
「噂?」
俺が考え込んでいるうちに注文も済ませたようで、星宮が早速、隣に座った彼女に話題を振っている。
「その前にお互いに自己紹介しましょうよ。ねぇ、神里くん?」
「……そうだな」
態とらしく俺に振ってくる桜詩に戸惑うが、初対面の彼女もこちらに視線を向けているため、俺から自己紹介をする流れになってしまった。
「俺は神里蓮司。大学二回生、よろしく」
「わぁ、無愛想〜」
俺の自己紹介に星宮がちゃちゃを入れてくる。
正直に言えば、俺は初対面の彼女と仲良くはしたくない。今は苦い思い出となったあいつのことを思いだしてしまうから。
「ごめんね、蓮くんってちょっと人見知りなの。私は星宮結衣、蓮くんと同じ大学二回生だよ。よろしくね!!」
「そうなんだ。ぼっ……私は茅ヶ崎楓。私も大学二回生だよ。最近、日本に戻ってきたばっかりなんだ。仲良くしてくれると嬉しいな」
「するする! 超仲良くするー!!」
ガシッと茅ヶ崎の両手を掴み、ハイテンションでブンブンと上下に振る星宮に「あっ、ありがとう……」と返したが困惑ぎみの茅ヶ崎。どう見ても星宮のテンションに引いている。
「私の自己紹介はどうする? 必要かしら?」
「楓ちゃんとも知り合いみたいだし、自己紹介は大丈夫! だけど……一つ聞きたいことがあるんだよね」
すまし顔で問いかける桜詩に星宮が答え、星宮の視線が俺と桜詩の間をゆっくりと行き来する。
そして、誰もが惚れ惚れする満面の笑みを浮かべて星宮は口を開く。
「蓮くんと桜詩ちゃんのカ・ン・ケ・イ♡」
ついにこのときが来た。
俺は「余計なことは言うな」と桜詩に向かって念を送り、落ち着くために残り少なくなったコーヒーに口をつける。
けれどその願いは桜詩には届かなかったようで。
「一言で言えば男女の仲よ」
「ぶふっ!?」
予想もしなかった一言に思いきり噎せる。
星宮は瞳を輝かせているが、それどころじゃない。
「ゴホッ、ゴホッ……ちょっと待てよ! もう終わっーー」
「終わったなんて言わせないから」
桜詩が俺の右手に左手の指を絡め、俺に縋るように身を寄せてくる。
「さよならも言ってくれなかったじゃない……」
「…………」
言葉が出ない。それは本当のことだから。
桜詩の潤んだ瞳が俺を捉え、さらに身を寄せてくる。
「私は今でも蓮司のことが好きなのに」
「……桜詩」
桜詩の左手が俺の右手をギュッと握った。俯いてしまった桜詩が少し震えている。
かける言葉が見つからなくて、俺には桜詩の左手を握り返すことしかできなかった。
「そこの二人は喫茶店で一体何をしているの?」
背後から鬼も脱兎のごとく逃げだすような冷めきった声が聞こえてくる。
俺の体から冷や汗が滝のように溢れだす。
まるで錆びついたブリキの玩具のようにゆっくりと後ろを振り返る。
そこには綺麗な笑顔を浮かべた雪野が立っていた。ただし般若を背負って。
「説明してくれるわよね?」
「はい……」
ブチギレた雪野をこれ以上刺激しないように震えそうになる声を必死に抑えて答える。
心の中でこの状況を無事に乗り越えられるように祈りながら。
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