第1話 「はじまりは面影に重なって」
夏休み明け初日、彼は懐かしい面影と出会う
注意
この物語はフィクションです。
縦読みを推奨しています。
「ごめん」
そう言って、俯きながら申し訳なさそうに俺の横を通りすぎ、教室の扉へと歩いていくあいつ。
その背中に俺は何も言えなくて。
……認めたくなくて。
教室の扉が閉まり、そこでようやく俺たちの進む道が別れたことを理解したんだ。
それと同時に、俺が今まで野球を頑張っていた本当の理由にも気づいてしまって。
あいつが俺の前から姿を消してすぐ、俺もあいつと同じように野球をやめた。
「懐かしい夢みたな……」
寝起きの気だるい微睡みのなか、俺はカーテンの隙間から差し込む朝日に起こされ呟いた。
「まだ引きずってんのか、どんだけ女々しいんだよ俺は……」
ベッドから上半身を起こし、天井を見上げ自嘲するように笑う。
今日から新学期だというのに最悪な気分だ。自分の情けなさにほとほと呆れてしまう。
「はぁ、学校行く準備すっか」
そんな憂鬱な気分を吐き出すように溜め息を吐き、まだ寝惚けている頭を働かせながら、俺はベッドから起き上がるのだった。
いつものように軽めの朝食をとり、今日受ける講義の内容を確認して必要なものを鞄に詰め、髪や服装に乱れはないかチェックし、鞄を肩にかけて部屋を出る。
外に出ると夏休みの明けた九月半ばだというのに、太陽がギラギラと照りつけてくる。
「太陽頑張りすぎだっつうの」
そんな意味のない愚痴をもらしながら、最寄り駅へと向かう。
俺の住んでいるアパートは最寄りの駅まで徒歩15分程度、その最寄り駅から大学のある駅までは10駅、だいたい20分程度の行程だ。
冷房の効いた満員電車に揺られながら、今朝みた夢を思いだす。
忘れてしまいたいのに昨日のように思いだす、あの日の記憶。大切な親友が姿を消したあの日から、俺はまだ立ち直れずにいる。
思考の海に沈んでいると、聞き慣れたアナウンスが聞こえてくる。
(もう着いたのか……)
電車のドアが開くと人が流れるように降りていく。
その波にのまれるように、俺もまた電車から降りるのであった。
駅の改札を抜けると、多くの学生の姿が視界に飛び込んでくる。
俺と同じ日ノ文化大学に通う学生たちだ。
集団の中に見知った顔もちらほらみえる。
(今日も講義はあるし、切り替えないとな)
気合いを入れ直して大学へ向かおうとしたそのとき、誰かに後ろから叩かれた。
「てぇっ!」
慌てて後ろを振り返ると、見知った顔がにやぁと笑っている。
「いきなり何すんだよ、大和」
「いやぁ、新学期なのに辛気臭いオーラを出してる奴がいたからさぁ、つい」
「うっせぇ、余計なお世話だ」
悪気なく笑う大和を軽くこずく。
「とりあえず、おはよ」
「おう、おはよう!」
「朝から元気だな」
「そりゃ、新学期だからな。久しぶりに会う奴らもいるし、テンション上がるだろ!」
「いや、夏休み終わるなって思ってる学生のほうが多いと思うぞ?」
「そっかぁ?」
腕を組み首を傾げる大和。
そんな動作すら、こいつは絵になる。
180cmの細身の長身に整った顔立ち、日本人らしい黒髪は短く切り揃えられていて、清潔感のある印象を与える。
そんなモテる男性代表みたいなこいつは篠崎大和。大学に入ってから仲良くなった友達だ。
「それより早く行こうぜ」
「それもそうだな!」
首を傾げている大和に声を掛け、大学に向かおうとすると後ろから「あいかわらず仲良いわね、あんたら」と少し呆れぎみな声が聞こえてきた。
振り返ると、長く艶のある黒髪とキリッとした目元が印象的な美人が呆れ顔でこちらを見ている。
「おはよ、雪野」
「彩葉、おはよう!」
「おはよう。蓮司、大和」
今、俺達と挨拶を交わした彼女は雪野彩葉。
去年のミスコンで優勝したことから、うちの大学内で抜群の知名度と人気を誇る。
そんな彼女が不満そうに眉をひそめて、俺を睨んできた。
「なんだよ?」
「蓮司、あんたいつになったら私のこと名前で呼ぶわけ?」
「別に名字呼びでも問題ないだろ」
「私だけ名前で呼んでるのも変でしょ」
「……気が向いたらな」
「それ、半年前からずっと言ってるんだけど?」
雪野が俺のことをジト目で見つめてくる。
バツが悪くなって、おもわず俺は目を背けてしまった。
だって仕方ないじゃないか、お前のファンの視線が怖いんだから。絶対口には出さないけど。
この雪野彩葉という人間は自分の評判というものを気にしない。
他人に褒められようが貶されようが、自分自身に確固たる芯があって、周りに振り回されることがない。そこがこいつの長所であり、困った点でもある。
あまりにも周囲からの評判というか、噂に無頓着過ぎるのだ。
自分が注目されることで、身の回りの人間にも注目が集まることをわかっていない。
おかげで無難に大学生活を送ろうとしていた俺も、いつの間にか目立つようになってしまった。
まあ、大和と仲良くなったときから覚悟はしていたけど。
でも、こんなに学内中の男どもの嫉妬の視線に晒されるとは思ってもみなかったよ……。
現状でも胃が痛いのに、雪野のことを名前で呼べばどうなるかなんて馬鹿でもわかる。
(……こいつらといるのは楽しいけどさ)
そんなことを考えながらぼけっとしていたからだろうか、いつの間にか雪野が近づいてきていた。
普段の自信満々な態度と違って、俯きながら俺の服の裾を摘んでいる。
その俯いている姿があの日のあいつに重なって――
「……ねぇ、名前で呼んで――」
「っ!?」
――思わず雪野の手を振り払ってしまった。
「わっ、悪い」
俺は慌てて頭を下げる。
すると下げた頭の上から「なによ!」と物凄く不機嫌そうな雪野の声が降ってきた。
恐る恐る顔を上げてみると、雪野が険しい顔で俺を睨んでいる。
「そんなに私を名前で呼ぶのが嫌なの!? いきなり振り払うなんて!」
「いや、その、雪野が急にらしくないことをしたから、びっくりしてさ」
「だからって、振り払うことないじゃない」
「ごめん」
俺はもう一度、雪野に向かって頭を下げる。
「……はぁ、もういいわよ。私も急かしすぎたし。ほら、顔上げなさいよ」
雪野にそう言われ顔を上げると、自然と雪野と見つめ合う形になる。
すると雪野は、俺に向かって指を指し「ただし、なるべく早く名前で呼ぶこと。いいわね?」と不敵に微笑む。
俺は肩を竦めて苦笑いしながら「前向きに検討します」と返し、二人で笑う。
先程までの険悪な雰囲気は消え、俺も雪野もいつもの調子に戻っていた。さりげなく俺たち二人から距離を取っていた大和も戻ってくる。
「お二人さん、夫婦喧嘩は終わった?」
「なーにが『夫婦喧嘩は終わった?』だよ。しれっと距離を取って、ニヤニヤしながらこっちを見ていたくせに」
「ありゃ、バレてたか」
「ホント、大和もいい性格してるわね」
「いやぁ、それほどでも」
「褒めてないからな? それ」
俺と雪野は茶化してくる大和に口々に文句を言うが、大和には効いてないようだ。まぁ、いつものことだし。
「ところでお二人さん」
『なに?』
急に真剣な顔になった大和に、俺と雪野がそろって首を傾げる。
「ここがどこだか……わかってる?」
大和の一言で一気に血の気が引く。
今までの雪野とのやりとりで忘れていたが、ここは俺たちが通っている大学の最寄り駅。
周りには同じ大学に通っている学生が大勢いるわけで。その視線が俺に突き刺さっている。
「蓮司? 急に顔色が悪くなったけど、大丈夫?」
俺の変化に気づいた雪野が心配して俺の顔を覗き込んでくる。
その結果、自然と縮まる二人の距離。そして、圧の増す嫉妬に満ちた視線。
このままでは非常にまずいが、雪野は俺から離れそうにない。
(でも、俺が離れるのもなぁ……)
本来であれば、すぐにでも距離をとりたい。というか普段なら距離をとっている。
けれど先程、雪野の手を振り払ってしまった手前、逃げるように雪野から距離をとれば雪野が傷ついてしまうかもしれない。
名前で呼ぶことを自分勝手な理由で断ってはいるが、雪野も大学でできた大切な友達だ。傷つけるようなことはしたくない。
いや、名前呼びを拒否している時点ですでに傷つけているかもしれないけど。
そんな俺の葛藤など周りの学生たちには関係ない。周りからの視線はさらに厳しいものとなり、嫉妬どころか殺意まで混じっているような気がしてきた。
もし視線で人が殺せるなら、俺はもう死んでいるかもしれない。
動くに動けず、なんとか助け舟を出してもらおうと大和のいる方へ顔を向ける。
大和は笑うのを我慢しているようで、唇が歪に引き攣っていた。
思わず大和を睨んでしまうが、この状況から逃れるには大和の協力を得るしかない。
この場をなんとかしてもらおうと、大和に向かってアイコンタクトを送る。
……が、大和はこれを無視。
諦めずにもう一度アイコンタクトを送る。
けれど二度目も無視。
ならば三度目の正直だと、より強い念を込めてアイコンタクトを送る。
大和、我慢の限界がきてついに吹き出す。
あまりにもあんまりな大和の態度に拳を握りしめる俺。
「っ!?」
大和に助けを求めることに集中していると、脇腹に鋭い痛みが走った。
「…………」
雪野が俺の脇腹を抓りながら、無言で睨んでくる。
やばい、完全に雪野のことを無視していた。
そこでようやく大和が動き出した。
「まぁまぁ、お二人さん。イチャつくのもそれぐらいにして、大学行こうぜ」
「イチャついてなんてないけど」
雪野が不機嫌なまま、今度は大和を睨みつける。
「はいはい」
大和は雪野の視線なんて気にせず、大学に向かって歩き出す。
俺も雪野から離れ、俺たちの前を歩きはじめた大和の隣にならぶ。それと同時に、大和に「あとで覚えとけよ」と小声で釘を刺しておく。
「ちょっと! 私を置いていくんじゃないわよ!!」
雪野が小走りで追いかけてきて、俺の隣にならぶ。
それからは雪野の歩幅に合わせ、三人で取り留めのない会話をしながら大学に向かう。
朝から俺の心を覆っていた憂鬱な暗雲は、いつの間にか綺麗に消え去っていた。
大学の構内に入ると大勢の学生たちで溢れかえっている。
その人混みの中に、ほんの一瞬だったけれど懐かしい面影が見えた気がして、思わず足が止まる。
ならんで歩いていた二人も急に立ち止まった俺に気づいて足を止めた。
『どうした(の)?』
「……いや、なんでもない」
不審げに問いかけてくる二人に心配をかけないように、微笑みながら返し、再び歩き出す。
脳裏を掠めたあの日の面影を振りきるように、いつもより少しだけ強く腕を振って。
さっき見えた面影は、ただの気のせいに決まっているのだから……。
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