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ハロー1216  作者: エル
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シンク 2

「八年前のあの日、唐突に姫は力を失った。それ以降、感情は希薄になり、記憶もおぼろげに思い出すことしかできなくなった。まるで別人のようでさえある。魂と密接な関係にある魔力回路を奪われるということは、それだけあのお方に多大な影響を与えた」

 黒い騎士の顔には、悲哀が浮かんでいました。

「ようやく、ようやくそれを取り戻すことができる。きっと以前と同じようには戻らないだろう。それは分かっている。だが、それでも、俺は必ず……」

 けれど、最後にその瞳に宿っていたのは決意です。

 何物にも邪魔はさせないという、強い決意。

「喋りすぎたな。事情は理解しただろう。俺は奪われたものを取り戻すだけだ。もう邪魔などせずにそこで大人しくしておけ。用があるのはあの魔道人形に使われているクォーツだけだ」

「そんな、まさか。それが、真実なのか。僕が長年求めてきた、真実」

「ああ、そうだ。お前は騙され、巻き込まれただけだ」

「じゃあ、なんで先生は僕にあのクォーツを」

「逃げ切れないと悟ったからだろう。そして、その完成をお前に託した」

「あの時、先生が僕に言ってくれた言葉は」

「何を言われたか俺は知らない。だが、予想はつく。その時お前が言われたことは、すべてお前をその気にさせるために並べられた、そのためだけの言葉だ」

 マスターの手は震えていました。

 それを見て、黒い騎士は憐れむような目を向けます。

「同情はする。お前も、被害者の一人だ。あの男は、科学者としては狂っていたが、同時に真摯で優秀だった。その姿勢にお前は騙され信頼したんだろう。だから、この犯罪に加担していたとはいえ、お前を断罪する気に、俺はなれない」

 そこで初めて、黒い騎士は私の方を見ました。

「あれは回収する。お前も、このまま連行させて貰う、無罪とはいかないだろうがそこまで重い罰が科せられないように……」

「僕のことはいい。プラムは、プラムはどうなる」

「……解体、されるだろう。その上、設計に組み込まれてるであろう魔力回路を抜き出されれば、きっと修復はできない」

「いやだ」

 マスターは、はっきりと拒絶しました。

「いやだ、絶対に、嫌だ。今の僕にとって、プラムは全てなんだ。先生と、皆と別れてからずっとこの三年間はあの子の起動のために使って、あの子と過ごした半年は、あんなにも穏やかで、幸福で」

「マスター!マスター!マスター!やめてください!」

 マスターはまだ抵抗を諦めていません。あんなボロボロの体で、拘束までされて、その上、実力差は明らかなのに。

「解!」

 マスターが唱えると、影の拘束が綻びました。

 ですが二機の魔道人形がすぐに動き、その体を押さえつけ、たちまちマスターの体を地面に引き倒してしまいます。

 そのマスターの首に、騎士の刃が二本、交差してあてがわれました。まるで斬首刑直前の囚人のよう。

 マスターの先ほどの行動は、まるで自暴自棄でした。もう、死んでも構わないというような、そんな。

 いえ、きっとそうなのでしょう。

 本当に時々ですが、私は、それが分かっていました。

 マスターは、どこか死に場所を探していたような、そんな気配が。

「そうか、そこまで抵抗するのなら、殺してでも……」

「マスター!」

 そんなことはさせません。

 その刃が振るわれる前、私は私を押さえつけていた騎士型の魔道人形を跳ね飛ばします。

 見れば、私の手の中にはまたあの銀の光、星の力が宿っていました。

 これで、まだ。

「俺の前で……」

 ですが、マスターの方ばかりを見ていたせいで気が付くのが遅れました。

 その人が、私に急激に接近していたことを。

「俺の前で使うな!」

 躍るような滑らかさで私に振るわれる影の刃。

「きゃっ!」

 私は咄嗟に横薙ぎに振るわれるその刃に銀色に光る腕を突き出して自らの体をかばいました。

 すると、影の刃は私の腕に触れた瞬間霧散するように掻き消えていきます。

「なに!?」

「!」

 見れば、黒い騎士はそれが予想外のように一瞬ですが狼狽えました。

 もしかしたら。

 あの影の刃では、この光を傷つけられないのかも知れません。

 そう、思ったのはごく、短い間でした。

「舐めるな」

 不利を悟った黒い騎士が、二度目の刃を振るうことはありませんでした。

 剣なら躱せると思った私は、彼が高く掲げたその柄に視線を誘導され。

「あ、が」

 開いた首を、空いていた方の手で掴みあげられました。

 もの凄い力で喉を締め上げられ、呼吸をすることができません。

 それはすなわち、クォーツから流れ出ている力の循環を止められているに等しく。

「六条」

 その状態で、私の体の中心に掲げていた柄を突き刺し。

「悪華」

 詠唱と同時に、私の体の中を、その魔力回路を通して黒い影が棘となって走ります。

「あ、あぁぁぁぁぁ!」

 痛みは、すぐに私の許容量を超えました。

 体を内側から蹂躙、破壊され、疑似神経はスパークしたように拒絶反応を繰り返し、たった一撃で私の義体は活動を停止しました。

 その黒い奔流から解放され、黒い騎士に打ち捨てられた後も、黒い残留魔力は私の神経を苛み続けます。

「プラム!」

 マスターの声が聞こえます。

 嫌だなぁ。最近、マスターのこと、困らせてばっかり。

 それに、おかしいな。

 つい、この間まで、私、穏やかで、幸せに。

「終わりにしよう」

 黒い、何かが、私に、

「クォーツだけあればいいんだ。首を切って、機能停止させて持ち帰る」

 やめろ、と、またマスターが叫んだ気がしました。

 でも、その人は止まりません。

「謝罪はしない。返してもらうぞ。俺の、大切な」

 その時初めて、彼はちゃんと私と向き合って。

 私もまた、彼のことをきちんと見て。

「これで、終わりに」

 刃が向けられ、そして。


 黒い庭園、夜の一幕、

 騎士の誓、曇りなき瞳、永遠の一瞬、

 アナタとワタシ、尊いなにか

 スキダッタ、ナニカ

 そして、瞳、紫色の、夜の虹彩


「……シンク?」

 口から、何かが勝手に零れ落ちました。

 それを聞いて、黒い騎士の手が止まります。

「なぜ、その名を。その呼び方を。いや、それ以上に、今の。君は、いや、あなたは」


「死にたくなけりゃあ立って走れ!」

 洞窟内に、聞いたことのない声が木霊しました。

 同時に、黒い騎士が振り返り、私に振るわれるはずだった刃を振るい、飛んできた何かを弾き飛ばしました。

「誰だ!」

 黒い騎士のその質問に答えは無く、代わりにその横を紙のようなものが通り抜けていきます。

 それらは、マスターのことを拘束していた二機の魔道人形に張り付き。

「バカな」

 唐突に、影で編まれた魔道人形の姿がブレていきます。

 握っていた騎士剣が取り落され、地面に落ちる前に完全に消えてなくなり、マスターの拘束は解かれました。

「ウーノ!トレス!」

 その繰り主である黒い騎士が命じても、ギギギ、と壊れかけのような動きしかできません。

「くそ、ドス!その男を逃がすな!」

 唯一無事だった、私が弾き飛ばした魔道人形がマスターに迫ります。

「マスター」

 さっきの、言葉、死にたくなければ、走れ。

 それは、私に。

「行かせるか!」

「いやいや、悪いね。ここは邪魔させて貰うよ」

 先ほどと同じ声、と同時に誰かが、先ほどまで誰もいなかったはずの場所に煙のように現れ、そのままとても短い鉄の刃でもって黒い騎士に踊りかかりました。

「早く行け」

 その言葉を聞く前には、私は走り出しています。この義体は便利です。こういうとき痛みを無視できるから。

 なに、とか、どうして、とかはもういいです。

 マスターの、元へ。

「マスター」

「プラム……」

「逃げましょう。あの夜に話した素敵なことが、きっと」

「プラム!」

 マスターが見ているのは、私の背後でした。

 そこにいるのはあの最後の魔道人形。私の、敵。

 その魔道人形は、騎士剣を振りかぶっていました。もう、間に合いません。

 それでも、マスターに逃げて貰うために、私は盾になるように堂々とその正面に立って。

 その瞬間が、訪れようと。

「やめろ!傷つけるな!」

 ぴたりと、その刃が眼前で止まりました。

 見れば、黒い騎士が、何故か自分の魔道人形に止まるよう指示を出しています。

 私は、一歩前に出て、その魔道人形の胸に触れ、銀色の光を、灯します。

 すると、影でできた魔道人形はその形を保てずに崩れていきました。

 あの影の刃と同じもので編まれているのです。なら、この光に溶けるのは必然でしょう。

「肩を貸します、マスター。お手を」

 その光景を見てから、私はマスターに手を差し伸べました。

「プラム、君は……」

「あの人が時間を稼いでる間に、お早く」

 マスターはほんの少しためらいがちに手を出していたので、私はそれを強引に迎えに行って掴みました。

「行きましょう」

 マスターの負担を受け持つように立ち上がって、私たちは坑道の奥へ奥へと進んでいきました。

「ねえ、プラム」

「はい、なんでしょうか?」

 悠長なことだとは、分かっています。二人ともボロボロの体で、急いではいても走っているとは言えない速度で、そんな中で、会話をしました。

 あとほんの少し、追手が来ないことを祈りながら。

「……僕はさ、君さえ起動すれば、先生が君を僕に託したその意味が、分かると思っていたんだ」

「はい」

「でもね、君はなにも覚えていなかった」

「はい」

「どうして、どうしてなんだ」

「はい」

「どうして君は、なにも覚えていないんだ……」

「はい、はい」

 謝るのも違うと思って、私はその声を聴いて同じ相づちを繰り返し繰り返し口にしました。

 マスターの、その声に滲んでいる意味は、私たちが助かったことヘの安堵からなのか、それとももっと別の、マスターの過去や、私への疑念に起因するものなのか、それすらも分からずに。

 私は涙を流して語るマスターの言葉に、相づちを打つばかりでした。


「お前は、何者だ」

 魔道人形二機を無効化した手並み、騎士である自分と剣で打ち合えるだけの技量。

 只者ではないのは明白だ。だが、分からない。

「なぜ、奴らを逃がす!」

 軌道、間合いを操作できる影の剣。その全てを両手に持った小太刀で正確に撃ち落しながら、そいつは飄々と答えた。

「なに、俺はただの運命の見届け人さ」

「ふざけたことを!」

 俺はその小太刀ごと叩き斬ろうと出力を上げて長大な影の刃で一際鋭く剣を振るうが、それもうまくいなされる。

「まあ、いい。出入り口は抑えてある。あのまま進めば逃がすことは」

「それはどうかな。ここを作ったのは魔術師だ。なら、隠し通路がある」

「なんだと」

 負けじと放たれる二条の刃を受け止めて、俺は間合いを取る。

「俺もさ、そんなもんが本当にあるかどうかは知らねえよ。けど、あいつらは多分逃げおおせるぜ」

「その根拠は?」

「運命さ」

 その目は、本気だった。

「言ったろ?俺は運命の見届け人。ある人が託した運命を見届けるのがその役目さ」

「どうやら、俺たちが知らないことを知っているらしいな」

 その目、その挙動からただのハッタリではないと確信する。

「お前を拘束する。洗いざらい吐いて貰うぞ」

「あんたとやりあう気はないよ。ごまかしも、そろそろ切れる。逃げさせて貰うぜ」

 そう言って、ニヤリと笑った男が持っていたのは。

「炸裂弾!こんな密閉地帯で!」

 下手をすれば坑道内が崩落さえしかねない。そうなってはまずいと投擲されたそれを影で受け止めようと凝視して。

「はっずれー」

 それは、眩い閃光を発した。

「っぐ!」

 咄嗟に影で目を覆って直視は避けるが、それでも坑道内の暗闇に慣れた目に、その光は強烈だった。

 ほんの数秒、視覚が奪われ。

「くそ!」

 次に目を見開いたとき、そこに奴の姿は無かった。

「あの戦い方、使っている道具、それに今の隠密能力」

 その正体はあらかた見当がついた。だが、その動機は分からない。

「考えるのはあとだ」

 今は、あの魔道人形を追うほうが先だ。

 だが、もし、もしも見失うことになれば。

 いや、見つけて確保したとしてもだ。

「聞かなければならないことがあるな」

 先ほどの男といい、あの魔道人形のことといい、なにかが妙だった。

 真実を、追わねばならない。

「姫様」

 俺はあの人を、なにがあっても、この世の全てから守ると決めたのだから。

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