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ミナの真実

 ミナが、翔の前に立っていた。


 二人の間に、距離はほとんどなかった。でも、触れてはいなかった。触れたら、話せなくなると、二人とも分かっていた。


 翔は息を整えた。まだ、膝が震えていた。


「ミナ」翔は言った。「お前は」


「うん」


「空鯨の、観測端末なんだな」


 ミナは少し間を置いた。それから、小さく頷いた。


「そう」


「ずっとか」


「ずっと」


 翔はミナを見た。ミナの顔は、さっきの待つ顔のままではなかった。もう少し静かな顔になっていた。話すことを決めた顔だった。


「何人、見送った」翔は聞いた。


 ミナは少し間を置いた。それから、数えなかった。数えない答え方をした。


「わたしが覚えているのは、二十三人」ミナは言った。「でも、わたしの前にも、わたしと同じものがいた。その子たちが見送った分は、わたしは覚えていない」


「二十三人」


「うん」


 翔は息を吐いた。二十三人、と繰り返した。繰り返しながら、自分がその二十四人目になるのだと、ようやく数字として理解した。数字として理解することは、顔や名前として理解することとは違った。顔や名前だと重すぎて、動けなくなる。数字だと、動ける。ミナは、その違いを知って、敢えて数字で答えていた。


「その全員に」翔は言った。「お前は、同じ顔をしてたのか」


 ミナは少しだけ顔を伏せた。


「違う」ミナは言った。「わたしの顔は、ソラのための顔」


 翔は、自分の息が止まるのが分かった。


「……どういう意味だ」


「ソラが落ちてきた時」ミナは言った。「わたしは、ソラが覚えているものから、わたしの形を借りた」


 翔は、ミナの白い髪を見た。その耳に、髪がかかっていた。


「借りたのか」


「借りた」


「誰から」


 ミナは答えなかった。答えない、というより、答える言葉をまだ持っていない、という間だった。翔の方が、少し先に気づいた。


「——思念体、って」翔は言った。「カイさんが、前に言ってた」


「うん」


「お前は、俺が知ってる誰かの、思念体なのか」


「うん」ミナは言った。「その人のことを、ソラはまだ、思い出せていない」


 翔は息を止めた。


 止めたまま、翔の喉の奥で、何かが一度だけ鳴った。音ではなかった。言葉の一部だった。その人の名前の、最初の一音が、翔の喉の奥で鳴った。


「あ、」


 翔は自分が声に出したことに気づいた。慌てて、口を閉じた。


 ミナは首を振った。「閉じなくていい」


「……」


「出てきたもの、止めなくていい」


 翔は目を閉じた。目を閉じて、もう一度、喉の奥を開けた。


「あ、お、」


 名前全部ではなかった。名前の、二音だけだった。それ以上は続かなかった。続かないまま、その二音だけが、翔の口の中で、形のない重さとして残った。


 ミナは、その音を聞いていた。聞きながら、一瞬だけ、目を伏せた。聞くのが嬉しいのか、苦しいのか、翔には判別がつかない伏せ方だった。たぶん、両方だった。


「思い出してほしい」ミナは言った。「でも、まだ全部じゃなくていい」


「……お前は」翔は言った。「俺が全部思い出したら、どうなるんだ」


 ミナは、翔を見た。


 翔を見たまま、しばらく、何も言わなかった。


 ミナがこれから言うことを、翔はもう半分、知っていた。知っているのに、ミナの口から言われないと、確定しない気がした。翔は待った。待つ方の役を、今日は翔がやった。いつもはミナの役だった、待つ方の役を。


「あなたが帰ることで」ミナはやがて言った。「わたしは、その人に戻る」


 翔は頷いた。


 頷くしかできなかった。


「——その人は、生きてるのか」翔は言った。「俺の世界で」


「生きてる」ミナは言った。


「どこに」


「わからない」ミナは言った。「わたしは、その人の全部じゃないから。その人が、ソラに届けようとした部分だけが、ここにいる」


 翔は、ミナの言葉を、ゆっくり反芻した。


 届けようとした部分。届けようとして、届かなかった。届かなかったから、こちらに残って、形を持った。その人のある一部分だけが、空鯨の鼓動に触れて、形を持って、ミナになった。ミナはその人ではない。その人の、届かなかった部分だった。翔が帰ることで、その届かなかった部分が、その人のところへ戻っていく。


「……お前は」翔は言った。「消えるわけじゃ、ないんだな」


「消えない」ミナは言った。「戻る」


「戻る」


「うん」


 翔は、そこで一度、笑いそうになった。笑いそうになった自分に、驚いた。こんな場面で笑うのは間違っていた。でも、翔の喉の奥が、笑おうとした。


 ミナが届かなかった何かだったなら、翔が帰ることは、その人に、届かなかった部分を返しに行くことだった。翔は、それを、間違ったことではないと、思った。


「あ、お、」翔はもう一度、口に出した。


「……」ミナは黙って聞いていた。


「……あ、お、」


 三音目は、出なかった。


 でも、二音出たから、三音目は、帰り道のどこかで、必ず出る。翔はそう思った。根拠はなかった。ただ、そう思えた。


 どくん。柱の中で、白い液体が、一度だけ強く脈打った。


 ミナが、翔の方へ、ほんの半歩、近づいた。


 でも、触れなかった。


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