表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
雨上がり、君の嘘に恋をした  作者: あーちゃん


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
7/15

7ページ



人はきっと、

傷つくたびに少しずつ臆病になります。


信じること。

愛すること。

未来を期待すること。


それらを諦めてしまえば、

もう痛みは増えないのかもしれません。


けれど、

それでも誰かを求めてしまう瞬間があります。


雨の日に出会った二人は、

どちらも孤独を抱えていました。


終わりを恐れ、

幸せを諦めていた男女が、

もう一度“明日を欲しい”と願うまでの物語です。


静かな雨音のように、

この物語があなたの心へ残りますように。

『雨上がり、君の嘘に恋をした』


――7ページ目

「触れてはいけない温度」


 雨は夜になっても降り続いていた。


 医務室の窓を打つ水音が、静かな部屋に一定のリズムを刻んでいる。


 佐伯蓮はベッドへ軽く身体を預けながら、ぼんやり天井を見ていた。


 桐谷紗月は隣の椅子へ座ったまま、手元の紙コップを見つめている。


 温かいコーヒー。


 けれど、もうほとんど冷めていた。


「……すみません」


 先に口を開いたのは蓮だった。


「仕事中なのに」


「別に」


 紗月は視線を逸らしたまま答える。


「放っておけなかっただけです」


「それ、優しい人の言葉ですよ」


「違います」


「違わないです」


 蓮は困ったように笑った。


 その笑顔が、紗月にはどこか無理をしているように見える。


 笑っているのに、奥が苦しそうだ。


 まるで“平気なふり”が癖になっている人間の顔。


 それは少し、自分に似ていた。


「……昔」


 気づけば紗月は口を開いていた。


「倒れたことあるんです」


 蓮が静かに目を向ける。


「仕事のしすぎで?」


「はい」


 紗月は苦笑した。


「その頃、ほとんど寝てなくて」


 亮介と別れた直後だった。


 何も考えたくなくて、仕事だけしていた。


 働いている間だけは、自分が空っぽになれる気がしたから。


「ある日、フロントで倒れて」


「……痛そう」


「恥ずかしかったです」


 当時を思い出しながら、紗月は小さく笑う。


「でも、その時言われたんです。“壊れてからじゃ遅い”って」


 高瀬の言葉だった。


 優しくて、でも厳しい声。


「なのに結局、今も同じことしてる」


「桐谷さんは」


 蓮が静かに言う。


「自分を大事にするの、苦手ですよね」


 また見抜かれた。


 紗月は少し悔しくなる。


「佐伯さんに言われたくないです」


「確かに」


 蓮は苦笑した。


 その時、不意に咳き込む。


 強く。


 苦しそうに。


「っ……」


「佐伯さん!」


 紗月が立ち上がる。


 蓮は口元を押さえたまま、小さく首を振った。


「大丈夫……」


「大丈夫じゃないです」


 咳が落ち着いたあとも、呼吸は少し乱れていた。


 紗月は胸がざわつくのを感じる。


 怖い。


 本当に、この人は何か重い病気なんじゃないか。


 でも聞けない。


 まだその領域へ踏み込む勇気はなかった。


「……なんでそんな顔するんですか」


 蓮が苦笑する。


「今にも泣きそう」


「してません」


「してますよ」


 優しい声だった。


 だから余計に苦しい。


「俺、そんなに頼りなく見えます?」


「見えます」


 即答すると、蓮が笑った。


「ひどいなあ」


「ちゃんと病院行ってください」


「……嫌いなんですよね」


「病院?」


「白い匂い」


 紗月は少し目を細めた。


 その言い方が、妙にリアルだった。


 まるで長く病院と関わってきた人間みたいに。


「でも」


 蓮は窓の外を見る。


「怖いんです」


 また同じ言葉。


 けれど今度は少し違った。


 弱くて、静かな声。


「認めるのが」


 その横顔を見て、紗月は何も言えなくなる。


 きっと彼は、自分の身体に起きていることを知っている。


 知っていて、目を逸らしている。


 その姿が痛かった。


「……逃げてもいいと思います」


 紗月はぽつりと言った。


 蓮がゆっくりこちらを見る。


「え?」


「無理に強くならなくても」


 自分でも驚くほど自然に言葉が出た。


「怖いものは怖いし、苦しい時は苦しいです」


 紗月は小さく息を吐く。


「私も、ずっと逃げてました」


 亮介との過去から。


 傷ついた自分から。


 “もう誰も好きにならない”と決めることで、全部終わったふりをしていた。


「でも、本当は」


 胸が少し痛む。


「誰かに助けてほしかった」


 その瞬間。


 蓮の目が揺れた。


 静かな、深い揺れ。


 彼はしばらく黙っていたが、やがて小さく笑った。


「ずるいな」


「え?」


「そんなこと言われたら」


 蓮は視線を落とす。


「もっと一緒にいたくなる」


 紗月の呼吸が止まる。


 医務室に沈黙が落ちた。


 雨音だけが響く。


 心臓がうるさい。


 蓮は何気なく言ったようだった。


 でも紗月には、その一言がひどく特別に聞こえた。


「……佐伯さん」


「はい」


「そういうこと、簡単に言わない方がいいです」


「どうして」


「勘違いするので」


 言ってから、自分で何を言っているのかと思った。


 蓮が目を見開く。


 そして。


 ふっと、優しく笑った。


「勘違いじゃなかったら?」


 空気が変わる。


 静かに。


 でも確実に。


 紗月は何も言えなかった。


 怖かった。


 この先を聞いてしまったら、戻れなくなる気がした。


 蓮はそんな紗月を見つめる。


 その目があまりにも真っ直ぐで、苦しくなる。


「……駄目です」


 やっとそれだけ言う。


「なんで」


「私は、恋愛向いてないから」


「そんなふうに見えない」


「向いてません」


 紗月は視線を逸らした。


「信じられないんです、人を」


 亮介のことを話すつもりはなかった。


 でも蓮は静かに頷くだけだった。


「そっか」


 責めない。


 無理に聞かない。


 その優しさが、逆に涙が出そうになる。


「でも」


 蓮がぽつりと言う。


「俺は、あなたといると安心する」


 また同じことを言う。


 まるで確認するみたいに。


「だから困ってる」


 困っているのは、自分も同じだった。


 紗月は唇を噛む。


 この人を好きになったら駄目だ。


 そんな予感がずっとしている。


 理由は分からない。


 でも、蓮の背中には“別れ”の影が見える。


 最初から終わりが決まっている人みたいに。


「……どうして」


 紗月は小さく聞いた。


「どうしてそんな顔するんですか」


「どんな?」


「今にも消えそうな顔」


 蓮の表情が止まる。


 そして数秒後、彼は苦く笑った。


「写真家って」


 静かな声。


「消える瞬間ばっかり見てるんですよ」


 夕焼け。


 雨。


 季節。


 一瞬で変わっていく光。


「だからかもしれない」


 そう言って笑う横顔が、どうしようもなく寂しかった。


 紗月は胸が締めつけられる。


 この人を、一人にしたくない。


 気づけば、そんなことを思っていた。


 その時だった。


 医務室のドアが突然開く。


「蓮!」


 入ってきた女性を見て、紗月は目を見開いた。


 肩までの黒髪。


 少しきつめの目元。


 息を切らしたその女性は、蓮を見るなり駆け寄った。


「また倒れたって聞いて……!」


「美緒」


 蓮の妹だった。


 美緒は紗月の存在に気づき、小さく頭を下げる。


「……すみません、兄がお世話になってます」


「いえ」


 紗月が答えると、美緒は複雑そうな顔で蓮を見る。


「だから言ったじゃん。無理するなって」


「大げさだよ」


「大げさじゃない!」


 美緒の声が震える。


「お兄ちゃん、自分がどんな状態か分かってるでしょ……!」


 その瞬間。


 部屋の空気が凍った。


 紗月はゆっくり蓮を見る。


 蓮は静かに目を閉じた。


 まるで、“隠していた何か”がついに壊れてしまったみたいに。


最後まで読んでくださり、ありがとうございました。


この物語で描きたかったのは、

「限られた時間の中でも、人は誰かを愛したいと思ってしまう」ということです。


恋は幸せだけではありません。


失う怖さも、

終わりへの不安も、

愛するほど大きくなっていきます。


それでも人は、

誰かと笑い合える時間を求めてしまう。


紗月と蓮も、

最初は未来を信じられない人間でした。


けれど、

「この人となら怖くても歩いていきたい」

そう願えた瞬間から、

二人の世界は少しずつ変わっていきます。


もしこの作品が、

あなたの心に小さな光を残せたなら幸せです。


雨はいつか止みます。


そして雨上がりの空は、

きっと思っているより優しい。


本当にありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ