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雨上がり、君の嘘に恋をした  作者: あーちゃん


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5/15

5ページ



人はきっと、

傷つくたびに少しずつ臆病になります。


信じること。

愛すること。

未来を期待すること。


それらを諦めてしまえば、

もう痛みは増えないのかもしれません。


けれど、

それでも誰かを求めてしまう瞬間があります。


雨の日に出会った二人は、

どちらも孤独を抱えていました。


終わりを恐れ、

幸せを諦めていた男女が、

もう一度“明日を欲しい”と願うまでの物語です。


静かな雨音のように、

この物語があなたの心へ残りますように。

『雨上がり、君の嘘に恋をした』


――5ページ目

「優しい嘘」


 ホテルへ戻る帰り道。


 深夜一時を過ぎた街は静かで、車の音もまばらだった。


 並んで歩く二人の間には、穏やかな沈黙が流れている。


 けれど紗月の胸の中は、不思議なくらい騒がしかった。


 蓮の言葉が残っている。


『全部知られたら、離れていく人もいるから』


 あの声音は冗談には聞こえなかった。


 きっと彼は、本当に誰にも言えない何かを抱えている。


 そして、それを知られることを恐れている。


「……寒くないですか?」


 不意に蓮が聞いた。


「え?」


「さっきから手、冷たい」


 紗月は思わず手を引っ込める。


「気のせいです」


「いや、絶対冷えてる」


 蓮は苦笑しながら、自分のジャケットのポケットから小さなカイロを取り出した。


「はい」


「……持ってるんですか、そんなの」


「海外だと必需品です」


「海外関係あります?」


「ないです」


 真顔で言われ、紗月は思わず吹き出した。


 声に出して笑ったのは、本当に久しぶりだった。


 蓮は少し驚いたように目を細める。


「やっとちゃんと笑った」


 その一言に、紗月の胸が小さく跳ねた。


「……そんなに普段笑ってませんか」


「笑ってますよ」


「仕事の顔」


 すぐ返ってくる。


「今の方が好きです」


 さらりと言われ、紗月は言葉を失った。


 こういうところだ。


 距離感がおかしい。


 けれど嫌味がない。


 だから困る。


「軽いですね」


「本気ですよ」


「もっと悪いです」


 蓮は声を上げて笑った。


 その笑顔を見ていると、こちらまで気が緩みそうになる。


 でも同時に、怖かった。


 また誰かに心を動かされることが。


 また失うことが。


「桐谷さんって」


 蓮がふと前を向いたまま言う。


「昔、もっと笑う人だったでしょう」


 足が止まりそうになる。


「……どうしてそう思うんですか」


「なんとなく」


 蓮は静かに続けた。


「今の桐谷さん、笑う時に少し我慢してる感じするから」


 図星だった。


 紗月は笑い方を忘れたわけじゃない。


 ただ、深く感情を動かさないようにしていただけだ。


 期待しない。


 依存しない。


 傷つかないように。


「人って」


 蓮がぽつりと言う。


「壊れた後の方が、静かになりますよね」


 その言葉は、まるで自分自身に向けているみたいだった。


 紗月は横顔を見る。


 街灯の光に照らされた彼の表情は穏やかだった。


 でも目だけが、少し寂しい。


「佐伯さんも?」


 気づけば聞いていた。


 蓮は少し黙る。


「……まあ、色々」


「聞かない方がいいですか」


「今はまだ」


 今はまだ。


 つまり、いつか話すつもりなのだろうか。


 そんなことを考えてしまった自分に、紗月は戸惑う。


 知りたいと思っている。


 もっと。


 この人のことを。


 ホテルへ戻ると、ロビーには夜勤スタッフしかいなかった。


「では、おやすみなさい」


 紗月は仕事用の口調に戻る。


 すると蓮が少し不満そうな顔をした。


「急に距離置きますね」


「ここホテルなので」


「さっきまで普通に話してたのに」


「仕事中ですから」


「真面目だなあ」


 困ったように笑いながら、蓮はエレベーターへ向かう。


 だが途中で足を止めた。


「桐谷さん」


「はい?」


「また付き合ってください」


 紗月は一瞬、息を止める。


「……夜景ですか」


「写真でも、コーヒーでも」


 蓮は少し照れたように笑った。


「あなたと話してると落ち着くんです」


 その言葉が胸に残る。


 落ち着く。


 自分がそんなふうに言われたのは、いつぶりだろう。


「……考えておきます」


「それ、断る時の返事っぽい」


「どうでしょう」


 紗月がわずかに笑うと、蓮も嬉しそうに目を細めた。


「おやすみなさい」


「……おやすみなさい」


 エレベーターの扉が閉まる。


 その瞬間、静かだったロビーが急に広く感じた。


 紗月は胸に手を当てる。


 心臓が少しうるさい。


 こんなの、駄目だ。


 まだ数日しか会っていない相手なのに。


 部屋へ戻った蓮は、ドアが閉まった瞬間に笑顔を消した。


 ベッド脇に置いたスマートフォンには、不在着信が並んでいる。


 ――美緒。


 蓮は疲れたように息を吐き、電話を掛け直した。


『やっと出た』


 妹の声は怒っていた。


『何回連絡したと思ってるの』


「ごめん」


『病院からも電話来てたよ』


 蓮は目を閉じる。


 部屋の静けさがやけに重かった。


「……分かってる」


『分かってないからそうやって無理するんでしょ』


 美緒の声が震える。


『ちゃんと検査受けて。お願いだから』


「まだ平気だよ」


『平気じゃないから倒れたんじゃん!』


 その言葉に、蓮は何も返せなくなる。


 沈黙。


 窓の外では、また小さく雨が降り始めていた。


『……そのホテルの人?』


「え?」


『いるんでしょ。最近、少し声違うから』


 蓮は苦笑する。


「さすが妹」


『好きになった?』


「そんな簡単じゃないよ」


 否定しながらも、紗月の顔が浮かぶ。


 橋の上で夜景を見ていた横顔。


 不器用に笑う顔。


 寂しさを隠した目。


 ――似ていると思った。


 自分と。


『……お兄ちゃん』


 美緒が静かに言う。


『期待させるなら、やめて』


 蓮の表情が止まる。


『傷つくの、相手だから』


 胸の奥が鈍く痛んだ。


「……分かってる」


 本当は最初から分かっていた。


 近づいてはいけない。


 誰かを好きになる資格なんて、今の自分にはない。


 なのに。


 紗月といると、忘れたくなる。


 自分の時間が限られていることを。


 蓮は通話を切ると、机の引き出しから診断書を取り出した。


 病名の文字を、静かに見つめる。


『拡張型心筋症』


 医師から言われた言葉が蘇る。


 ――無理を続ければ、命に関わります。


 蓮は小さく笑った。


「今さらだろ……」


 そう呟いた声は、驚くほど弱かった。


 一方その頃。


 紗月は自宅マンションのソファに座り、ぼんやりスマートフォンを見つめていた。


 画面には、新着メッセージ。


『少しだけでいい。話したい』


 亮介からだった。


 紗月は深く息を吐き、そのまま画面を閉じる。


 胸がざわつく。


 でもそれ以上に。


 気づけば別のことを考えていた。


『あなたと話してると落ち着くんです』


 蓮の声。


 優しい目。


 どこか壊れそうな笑顔。


「……何考えてるんだろ、私」


 ぽつりと呟く。


 こんなの危険だ。


 きっとまた傷つく。


 それなのに。


 雨音を聞きながら、紗月は思ってしまう。


 明日、また蓮に会いたい、と。


 その感情に気づいた瞬間、胸の奥で何かが静かに動き始めていた。



最後まで読んでくださり、ありがとうございました。


この物語で描きたかったのは、

「限られた時間の中でも、人は誰かを愛したいと思ってしまう」ということです。


恋は幸せだけではありません。


失う怖さも、

終わりへの不安も、

愛するほど大きくなっていきます。


それでも人は、

誰かと笑い合える時間を求めてしまう。


紗月と蓮も、

最初は未来を信じられない人間でした。


けれど、

「この人となら怖くても歩いていきたい」

そう願えた瞬間から、

二人の世界は少しずつ変わっていきます。


もしこの作品が、

あなたの心に小さな光を残せたなら幸せです。


雨はいつか止みます。


そして雨上がりの空は、

きっと思っているより優しい。


本当にありがとうございました。

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