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雨上がり、君の嘘に恋をした  作者: あーちゃん


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4/15

4ページ



空は暗くなるし、服は濡れるし、どこか心まで重くなる。

でも、大人になるにつれて気づいた。


人が本当に泣きたい時、たいてい外は雨だった。


この物語は、そんな雨の日から始まります。


帰る場所を失った人。

帰る場所を作るのが怖かった人。

それでも誰かと一緒に、もう一度未来を信じようとした人たちの話です。


もし今、あなたにも“見えない不安”や“忘れられない過去”があるなら。

この物語の雨音が、少しだけ心に寄り添えますように。

【全ページ共通・前書き】


人はきっと、

傷つくたびに少しずつ臆病になります。


信じること。

愛すること。

未来を期待すること。


それらを諦めてしまえば、

もう痛みは増えないのかもしれません。


けれど、

それでも誰かを求めてしまう瞬間があります。


雨の日に出会った二人は、

どちらも孤独を抱えていました。


終わりを恐れ、

幸せを諦めていた男女が、

もう一度“明日を欲しい”と願うまでの物語です。


静かな雨音のように、

この物語があなたの心へ残りますように。

『雨上がり、君の嘘に恋をした』


――4ページ目

「夜景の向こう側」


 その誘いに、紗月はすぐ返事ができなかった。


「……夜景?」


「はい」


 蓮は柔らかく笑う。


「嫌なら断ってください」


「そういうわけじゃ……」


 言葉が詰まる。


 仕事以外で男性と二人きりになるのは、いつぶりだろう。


 思い出せないくらい昔だった。


「写真、嫌いですか?」


「嫌いじゃありません」


「じゃあ少しだけ」


 押しつける感じがない。


 だから余計に断りづらい。


 蓮は無理に距離を縮めようとしなかった。


 ただ静かに、“ここに来ませんか”と手を差し出してくる。


 その自然さが危険だった。


「……仕事、終わるの遅いですよ」


「待ちます」


「二十三時過ぎるかもしれません」


「写真家、待つの慣れてるんで」


 さらりと言われ、紗月は小さく息を吐いた。


「……少しだけなら」


 蓮の表情がふっと緩む。


「ありがとうございます」


 その笑顔を見た瞬間、胸の奥がわずかに熱を持った。


 ――駄目。


 そう思うのに、嫌じゃなかった。


 ◇


 結局、仕事が終わったのは二十三時半を過ぎていた。


 チェックイン対応にトラブルが重なり、気づけばロビーには深夜の静けさが戻っている。


「桐谷さん、まだ帰らないんですか?」


 夜勤スタッフに声をかけられ、紗月は我に返った。


「……うん、少しだけ」


「珍しいですね」


 そう言われて初めて、自分でも気づく。


 確かに珍しかった。


 仕事終わりに誰かと会う約束をするなんて。


 紗月はバックヤードの鏡を見る。


 髪は少し乱れていて、疲れも顔に出ていた。


「帰ればよかったかな……」


 ぽつりと漏らした時だった。


「後悔してます?」


 振り返ると、蓮が壁にもたれて立っていた。


 黒いジャケット姿。


 片手には缶コーヒーが二本。


「……いつからいたんですか」


「五分くらい前」


「声かけてください」


「疲れてそうだったから」


 蓮は一本を差し出した。


「甘いやつです。疲れてる時、糖分必要なんで」


「ありがとうございます」


 受け取ると、まだ温かかった。


 その熱が冷えた指先に染みる。


「ほんとに待ってたんですね」


「待つって言ったじゃないですか」


 当然みたいに言う。


 紗月は少しだけ困ったように笑った。


「変な人」


「よく言われます」


 ホテルを出ると、夜の街には雨上がりの匂いが残っていた。


 昼間より気温が下がり、湿った風が頬を撫でる。


 道路はまだ濡れていて、街灯の光を反射している。


「どこ行くんですか?」


「近くに橋があるんです」


 蓮は歩きながら言った。


「夜景綺麗なんですよ」


 二人並んで歩く。


 それだけなのに、紗月は妙に落ち着かなかった。


 蓮は会話を急かさない。


 沈黙が続いても無理に埋めようとしない。


 だから不思議と息苦しくなかった。


「佐伯さんって」


 紗月は前を見たまま口を開く。


「ずっと海外にいたんですか?」


「半分くらいは」


「どこが一番好きでした?」


「難しいな」


 蓮は少し考える。


「アイスランド」


「寒そう」


「めちゃくちゃ寒いです。でも綺麗でした」


 彼は懐かしそうに笑った。


「夜空が、本当に静かなんですよ」


 その表情を見て、紗月は思う。


 この人は写真を撮ることが、本当に好きなんだ。


 なのに時々、どこか壊れそうな顔をする。


「桐谷さんは?」


「え?」


「好きな場所」


 紗月は少し考えた。


 昔ならすぐ答えられたかもしれない。


 旅行も好きだった。


 亮介と色んな場所へ行った。


 でも今は。


「……ないかも」


 気づけばそう答えていた。


 蓮は驚かなかった。


「そっか」


 ただ静かに頷くだけ。


「昔はありましたけど」


「今は?」


「仕事して、帰って、寝るだけなので」


「寂しいですね」


 その言葉に、紗月は苦笑する。


「そうかもしれません」


 橋へ着く頃には、日付が変わっていた。


 川沿いに広がる夜景。


 濡れた水面に街の光が揺れている。


「……綺麗」


 思わず声が漏れる。


 蓮はそんな紗月を見て、小さく笑った。


「よかった」


 カメラを構える。


 シャッター音が静かな夜に響く。


 蓮は夜景ではなく、人を撮る時みたいな目をしていた。


「風景、そんなに好きなんですか?」


「好きですよ」


 彼はファインダー越しに答える。


「でも、一番撮りたいのは人かもしれない」


「人?」


「一瞬しか見せない顔があるんです」


 シャッター。


「嬉しいとか、寂しいとか」


 シャッター。


「もう戻れないって顔とか」


 その言葉に、紗月の胸が小さく痛む。


 蓮はカメラを下ろした。


「桐谷さん、さっき笑いましたよね」


「え?」


「橋着いた時」


 紗月は目を瞬く。


「……笑ってました?」


「はい。すごく自然に」


 自分では気づかなかった。


 最近、心から笑った記憶なんてなかったから。


「写真、見ます?」


 蓮がカメラ画面を向ける。


 そこには夜景ではなく、橋の光を見上げる紗月の横顔が映っていた。


「……いつ撮ったんですか」


「さっき」


「勝手に?」


「綺麗だったんで」


 さらりと言う。


 紗月は思わず画面を見つめた。


 そこに映る自分は、少し驚くほど柔らかい顔をしていた。


 仕事中の作った笑顔じゃない。


 もっと自然で。


 少しだけ幸せそうだった。


「こんな顔、久しぶりに見た」


 蓮がぽつりと呟く。


「え?」


「いや、独り言です」


 彼は誤魔化すように笑った。


 けれどその目はどこか切なかった。


「佐伯さんって」


 紗月は静かに聞く。


「時々、すごく悲しそうですね」


 風が止まる。


 蓮は少しだけ目を見開いた。


 初めて見る顔だった。


 驚いたような、困ったような。


「……そんな顔してました?」


「してます」


「参ったな」


 彼は苦笑する。


「隠すの、得意だったんですけど」


「隠れてません」


「桐谷さんにはバレるみたいだ」


 その言い方が妙に優しかった。


 紗月は胸の奥が静かに揺れるのを感じる。


 知りたいと思ってしまう。


 この人が何を抱えているのか。


 どうしてそんな目をするのか。


「でも」


 蓮は夜景へ視線を戻した。


「人って、秘密くらいあった方がいいんですよ」


「どうしてですか」


「全部知られたら、離れていく人もいるから」


 その声はひどく静かだった。


 紗月は何も言えなくなる。


 その瞬間。


 蓮のスマートフォンが震えた。


 画面を見た彼の表情が、一瞬だけ固まる。


 紗月は見てしまった。


 表示されていた名前を。


『美緒』


 蓮はすぐ電話を切った。


 だがその横顔には、今まで見たことのない緊張が浮かんでいた。


「……出なくていいんですか?」


「あとで掛け直します」


 笑って答える。


 けれど、その笑顔はどこか無理をしていた。


 そして紗月は気づいてしまう。


 この人は、本当に何かを隠している。


 しかも、それはきっと。


 簡単には触れてはいけないものだ。


 夜風が二人の間を通り抜ける。


 雨上がりの空には、薄く月が浮かんでいた。


 綺麗だった。


 なのに。


 なぜか胸が少しだけ苦しかった。



最後まで読んでくださり、ありがとうございました。


この物語で描きたかったのは、

「限られた時間の中でも、人は誰かを愛したいと思ってしまう」ということです。


恋は幸せだけではありません。


失う怖さも、

終わりへの不安も、

愛するほど大きくなっていきます。


それでも人は、

誰かと笑い合える時間を求めてしまう。


紗月と蓮も、

最初は未来を信じられない人間でした。


けれど、

「この人となら怖くても歩いていきたい」

そう願えた瞬間から、

二人の世界は少しずつ変わっていきます。


もしこの作品が、

あなたの心に小さな光を残せたなら幸せです。


雨はいつか止みます。


そして雨上がりの空は、

きっと思っているより優しい。


本当にありがとうございました。

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