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雨上がり、君の嘘に恋をした  作者: あーちゃん


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2ページ



人はきっと、

傷つくたびに少しずつ臆病になります。


信じること。

愛すること。

未来を期待すること。


それらを諦めてしまえば、

もう痛みは増えないのかもしれません。


けれど、

それでも誰かを求めてしまう瞬間があります。


雨の日に出会った二人は、

どちらも孤独を抱えていました。


終わりを恐れ、

幸せを諦めていた男女が、

もう一度“明日を欲しい”と願うまでの物語です。


静かな雨音のように、

この物語があなたの心へ残りますように。

『雨上がり、君の嘘に恋をした』


――2ページ目

「閉じた心の温度」


 翌朝。


 昨夜の雨が嘘だったかのように、空は淡く晴れていた。


 ホテル最上階のラウンジには朝日が差し込み、窓際の席では宿泊客たちが静かにコーヒーを飲んでいる。


 桐谷紗月はフロントカウンターでチェックアウト対応をしながら、小さく肩を回した。


 睡眠時間は四時間ほど。


 それでもいつも通り働けるのは、もう長年の習慣だった。


「桐谷さん、昨日遅かったですよね? 大丈夫ですか?」


 後輩スタッフの佐野が心配そうに声をかける。


「平気。ありがとう」


「でも顔色悪いですよ」


「そう見えるだけ」


 笑って返しながら、紗月はパソコン画面に視線を戻した。


 本当は眠い。


 それ以上に、昨夜の着信が頭から離れなかった。


 黒川亮介。


 かつて結婚まで考えていた相手。


 四年前、自分以外の女性と関係を持っていたことが発覚し、紗月は一方的に捨てられた。


 あの日以来、恋愛というものが信じられなくなった。


 優しい言葉も。


 永遠という約束も。


 全部、簡単に壊れる。


 だから決めたのだ。


 もう誰かに心を預けたりしない、と。


「……桐谷さん?」


「え?」


「お客様」


 慌てて顔を上げると、チェックアウト待ちの男性客が苦笑していた。


「申し訳ありません」


 紗月は深く頭を下げ、対応を再開する。


 仕事中に感情を持ち込むなんて、らしくない。


 そう思った時だった。


「おはようございます」


 聞き覚えのある低い声。


 紗月が振り向くと、佐伯蓮がラフなシャツ姿で立っていた。


 昨夜の黒いコート姿とは違い、今日はどこか柔らかい雰囲気がある。


 寝癖のついた髪さえ、不思議と自然だった。


「……おはようございます」


「朝食って、まだ大丈夫ですか?」


「はい。ラウンジで十時半までご利用いただけます」


「よかった」


 蓮は安心したように笑った。


 その笑顔は人懐っこいのに、やはりどこか影がある。


「おすすめってあります?」


「クロワッサンが人気です」


「じゃあ、それにします」


 そんな何気ない会話なのに、紗月は少しだけ調子が狂う。


 蓮は距離の詰め方が自然だった。


 押しつけがましくないのに、気づけば会話の流れに引き込まれている。


「桐谷さんは食べたんですか? 朝ごはん」


「……まだです」


「働きすぎじゃないですか?」


「普通です」


「それ、働きすぎの人が言うやつ」


 さらりと言われ、紗月は言葉に詰まる。


 蓮は小さく笑った。


「ちゃんと食べないと倒れますよ」


「倒れません」


「断言する人ほど危ないんですよね」


 からかうような口調だった。


 だが不思議と嫌味がない。


「写真家の方って、皆そういうこと言うんですか?」


「ん?」


「人のことをよく見てる」


「ああ……職業病かもしれないですね」


 蓮はそう言って、ふと窓の外を見た。


 朝日がガラス越しに彼の横顔を照らす。


「でも桐谷さん、自分のこと後回しにしすぎです」


 紗月は眉をひそめた。


「昨日会ったばかりなのに、よく分かりますね」


「分かりますよ」


 即答だった。


「そういう顔してるから」


 一瞬、息が止まる。


 まるで心の奥を見透かされたようで、紗月は視線を逸らした。


「……失礼なお客様ですね」


「怒りました?」


「別に」


「ならよかった」


 蓮は楽しそうに笑う。


 その笑顔につられそうになって、紗月は慌てて気持ちを引き戻した。


 駄目だ。


 こういう空気に飲まれてはいけない。


 優しい人ほど、突然いなくなる。


 それを知っている。


「じゃあ、朝食行ってきます」


「ごゆっくりどうぞ」


 蓮は軽く手を振り、ラウンジへ向かった。


 その背中を見送りながら、紗月は小さく息を吐く。


「……変な人」


「え?」


 隣にいた佐野が聞き返した。


「何でもない」


 だが胸の奥に、昨夜とは違う小さな感情が残っていた。


 それは警戒でも不快感でもなく。


 ほんの少しだけ、“気になる”という感覚だった。


 昼休憩。


 紗月はホテル裏口から出て、近くのカフェへ向かった。


 古い木製扉を開けると、コーヒーの香りが広がる。


「いらっしゃい……って、紗月じゃん」


 カウンター奥から顔を出したのは、水野絵里奈だった。


 肩までの明るい茶髪をまとめ、エプロン姿で笑っている。


「疲れた顔してる」


「開口一番それ?」


「だってほんとだもん」


 絵里奈は呆れたように笑い、カフェラテを差し出した。


「はい、いつもの」


「まだ頼んでない」


「顔見れば分かる」


 長年の付き合いだからだろう。


 絵里奈の前では、無理に取り繕う気が少し薄れる。


「ありがと」


「で? 何があったの」


「何も」


「嘘。あんた、悩みある時だけブラックじゃなくラテ飲むもん」


 鋭い。


 紗月は苦笑した。


「……昨日、亮介から連絡来た」


 絵里奈の表情が止まる。


「は?」


「電話」


「出たの?」


「出てない」


「当たり前でしょ」


 絵里奈は本気で嫌そうな顔をした。


「あの男、今さら何なの?」


「知らない」


 紗月はカップを見つめた。


 白い泡が静かに揺れている。


「でも、少し怖かった」


 本音だった。


 もう平気だと思っていたのに、名前を見ただけで呼吸が乱れた。


 絵里奈は小さく息を吐く。


「紗月、まだ傷治ってないんだよ」


「……別に」


「別にじゃない」


 強い口調だった。


「無理して平気なふりするの、そろそろやめなよ」


 紗月は何も言えなくなる。


 昔から絵里奈だけは、紗月の嘘を簡単に見抜いた。


「まあでも」


 絵里奈は急ににやっと笑った。


「少し顔違う」


「え?」


「亮介の話だけじゃないでしょ」


「何が」


「男」


 紗月は思わず咳き込んだ。


「な、何それ」


「図星じゃん」


「違うから」


「へえ?」


 面白そうに身を乗り出してくる。


「どんな人?」


「別にそんなんじゃ……ホテルのお客様」


「はいはい。で?」


「写真家」


「うわ、モテそう」


「知らない」


「顔は?」


「……整ってると思う」


「珍しい。あんたが見た目褒めるなんて」


 紗月は視線を逸らした。


 確かに蓮は目を引く男だった。


 派手ではない。


 けれど静かな存在感がある。


 何より、あの目。


 笑っているのに、どこか寂しそうな目が忘れられなかった。


「でもやめときな」


 絵里奈が急に真面目な声で言う。


「そういう、“何か抱えてる男”って危ないから」


 その言葉に、紗月の胸が小さくざわついた。


 ――何か抱えている。


 確かにそうだった。


 蓮には、隠しているものがある。


 それが何なのかは分からない。


 けれど。


 なぜか放っておけないと思ってしまった。


 その時、店のドアベルが鳴る。


「いらっしゃいませー」


 絵里奈が振り向く。


 そして次の瞬間、紗月の表情が凍った。


「……久しぶり、紗月」


 低い声。


 聞き間違えるはずがない。


 立っていたのは、黒川亮介だった。


 四年ぶりに見る元恋人は、記憶より少し痩せていた。


 けれど、その笑い方は昔と変わらない。


 紗月の指先から、力が抜ける。


「……どうしてここに」


「会いたかった」


 その言葉に、胸の奥の古傷が、再び静かに疼き始めていた。



最後まで読んでくださり、ありがとうございました。


この物語で描きたかったのは、

「限られた時間の中でも、人は誰かを愛したいと思ってしまう」ということです。


恋は幸せだけではありません。


失う怖さも、

終わりへの不安も、

愛するほど大きくなっていきます。


それでも人は、

誰かと笑い合える時間を求めてしまう。


紗月と蓮も、

最初は未来を信じられない人間でした。


けれど、

「この人となら怖くても歩いていきたい」

そう願えた瞬間から、

二人の世界は少しずつ変わっていきます。


もしこの作品が、

あなたの心に小さな光を残せたなら幸せです。


雨はいつか止みます。


そして雨上がりの空は、

きっと思っているより優しい。


本当にありがとうございました。

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