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人はきっと、
傷つくたびに少しずつ臆病になります。
信じること。
愛すること。
未来を期待すること。
それらを諦めてしまえば、
もう痛みは増えないのかもしれません。
けれど、
それでも誰かを求めてしまう瞬間があります。
雨の日に出会った二人は、
どちらも孤独を抱えていました。
終わりを恐れ、
幸せを諦めていた男女が、
もう一度“明日を欲しい”と願うまでの物語です。
静かな雨音のように、
この物語があなたの心へ残りますように。
『雨上がり、君の嘘に恋をした』
――13ページ目
「消えないで」
「佐伯さん!!」
桐谷紗月は崩れ落ちた蓮を抱き起こした。
身体が冷たい。
顔色が真っ白だった。
「ねえ、しっかりして!」
呼吸が浅い。
苦しそうに眉を寄せている。
紗月の頭が真っ白になる。
「誰か……!」
震える指でフロントへ連絡を入れる。
救急車。
救急車を呼ばなきゃ。
けれど焦れば焦るほど、うまく声が出ない。
「落ち着いてください!」
駆けつけた高瀬の声で、紗月はようやく息を吸った。
「救急車、すぐ来ます」
高瀬は冷静だった。
だがその表情も強張っている。
「佐伯さん、聞こえますか」
高瀬が声をかける。
蓮は薄く目を開けた。
「……すみません」
掠れた声。
そんな時まで謝るのか。
紗月の胸が痛む。
「喋らないで」
気づけば涙が滲んでいた。
怖い。
本当に怖かった。
このまま目を閉じてしまうんじゃないかと。
「……桐谷さん」
蓮が弱く笑う。
「泣かないで」
「泣いてません」
「泣いてる」
優しく言われる。
その声が弱すぎて、余計に涙が出そうになる。
「お願いだから」
紗月は彼の手を握った。
「置いていかないで」
その瞬間。
蓮の目が揺れる。
苦しそうに。
泣きそうに。
「……ずるい」
また同じ言葉。
でも今度は、笑えていなかった。
◇
病院へ運ばれたのは深夜二時過ぎだった。
冷たい白い廊下。
消毒液の匂い。
慌ただしく行き交う医師と看護師。
紗月は処置室の前で立ち尽くしていた。
指先が震えている。
怖い。
何もできない自分が。
「紗月さん!」
振り返ると、美緒が走ってきた。
顔色が悪い。
きっと電話のあと、急いで来たのだろう。
「お兄ちゃんは!?」
「今、処置中で……」
言葉にした瞬間、涙がこぼれそうになる。
美緒は唇を噛んだ。
「だから言ったのに……」
震える声。
「無理しちゃ駄目だって……」
紗月は何も言えなかった。
責められても仕方ないと思った。
自分は蓮を止められなかった。
幸せを欲しがらせてしまった。
「……紗月さん」
美緒が小さく言う。
「兄、最近すごく楽しそうだったんです」
涙を堪えるような笑顔だった。
「久しぶりに、“生きたい”って顔してた」
胸が締めつけられる。
「でも、その分怖かった」
美緒は俯く。
「兄、期待すると無茶するから」
紗月は静かに目を閉じた。
分かっていた。
蓮は未来を諦めようとしていた。
なのに自分が、“一緒にいたい”なんて言ってしまった。
それが彼を苦しめたのかもしれない。
「……私」
声が震える。
「間違ってたのかな」
「え?」
「好きになったこと」
美緒は驚いたように目を見開く。
「そんなわけないじゃん」
即答だった。
「兄、ずっと一人だったんですよ」
美緒は苦しそうに笑う。
「病気分かってから、誰とも深く関わらなくなった」
未来が短いかもしれない。
そう思った瞬間から、蓮は自分を閉じ込めたのだ。
「でも紗月さんと会ってから、変わった」
美緒は静かに紗月を見る。
「怖がりながら、ちゃんと幸せそうだった」
その言葉に、紗月の涙がこぼれた。
◇
数時間後。
処置室のドアが開いた。
医師が疲れた顔で出てくる。
「ご家族の方ですか」
「妹です」
美緒が立ち上がる。
紗月も息を呑んだ。
「発作は落ち着きました」
二人が同時に息を吐く。
だが医師の表情は厳しかった。
「ただ、かなり状態は悪いです」
胸が冷える。
「心臓への負担が限界に近い」
紗月は言葉を失った。
「今後、移植も含めて検討が必要になります」
移植。
その言葉の重さに、頭が真っ白になる。
「しばらくは絶対安静です。精神的な負担も避けてください」
医師はそう言って頭を下げ、去っていった。
沈黙。
病院の白い光だけが冷たく滲んでいる。
「……会えますか」
紗月はやっと声を出した。
美緒が小さく頷く。
◇
病室へ入ると、蓮は眠っていた。
酸素マスク。
規則的に鳴る心電図。
静かな機械音。
紗月は足が止まる。
痛かった。
こんな姿、見たくなかった。
「……佐伯さん」
ベッド脇へ座る。
蓮の手に触れる。
少し冷たい。
でも生きている。
その温度だけで涙が出そうだった。
「馬鹿」
ぽつりと呟く。
「無理しないって約束したのに」
蓮は眠ったまま動かない。
紗月は俯いた。
「私、怖かった」
声が震える。
「もう会えなくなるかと思った」
胸が苦しい。
こんなに誰かを失うのが怖いなんて知らなかった。
「……好きです」
涙が落ちる。
「だから、お願いだから生きて」
その時だった。
蓮の指先が微かに動く。
紗月が顔を上げる。
蓮はゆっくり目を開けた。
「……泣いてる」
掠れた声。
紗月は慌てて涙を拭う。
「泣いてません」
「嘘」
蓮は弱く笑った。
「すごい顔」
「誰のせいですか」
「……ごめん」
その謝罪に、紗月は首を横に振る。
「謝らないで」
もう聞きたくなかった。
“ごめん”なんて言葉。
終わりを予感させるから。
「……俺」
蓮が静かに言う。
「ちょっと、怖かった」
紗月は息を呑む。
初めてだった。
彼がこんなふうに弱音を吐くのは。
「目、閉じた時」
蓮は天井を見る。
「このまま終わるかと思った」
声が震えていた。
怖かったのだ。
本当は。
ずっと。
「でも」
蓮はゆっくり紗月を見る。
「最後に浮かんだの、あなたでした」
涙がまた溢れそうになる。
「会いたいって思った」
紗月は唇を噛む。
「だから」
蓮は苦しそうに笑った。
「まだ、生きたい」
その言葉を聞いた瞬間、紗月は堪えきれず涙をこぼした。
嬉しかった。
怖いのに。
苦しいのに。
それでも生きたいと思ってくれたことが。
「……うん」
紗月は泣きながら笑う。
「生きてください」
蓮は静かに紗月の涙を見つめる。
そして、弱々しく手を伸ばした。
紗月はその手を握る。
離さないように。
消えてしまわないように。
「……好きです」
蓮が掠れた声で言う。
「こんなに誰か欲しいって思ったの、初めてかもしれない」
紗月の胸が熱くなる。
「私も」
震える声。
「佐伯さんが、欲しい」
その瞬間。
蓮は泣きそうに笑った。
窓の外では、夜明け前の雨が静かに止み始めていた。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
この物語で描きたかったのは、
「限られた時間の中でも、人は誰かを愛したいと思ってしまう」ということです。
恋は幸せだけではありません。
失う怖さも、
終わりへの不安も、
愛するほど大きくなっていきます。
それでも人は、
誰かと笑い合える時間を求めてしまう。
紗月と蓮も、
最初は未来を信じられない人間でした。
けれど、
「この人となら怖くても歩いていきたい」
そう願えた瞬間から、
二人の世界は少しずつ変わっていきます。
もしこの作品が、
あなたの心に小さな光を残せたなら幸せです。
雨はいつか止みます。
そして雨上がりの空は、
きっと思っているより優しい。
本当にありがとうございました。




