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人はきっと、
傷つくたびに少しずつ臆病になります。
信じること。
愛すること。
未来を期待すること。
それらを諦めてしまえば、
もう痛みは増えないのかもしれません。
けれど、
それでも誰かを求めてしまう瞬間があります。
雨の日に出会った二人は、
どちらも孤独を抱えていました。
終わりを恐れ、
幸せを諦めていた男女が、
もう一度“明日を欲しい”と願うまでの物語です。
静かな雨音のように、
この物語があなたの心へ残りますように。
『雨上がり、君の嘘に恋をした』
――12ページ目
「隣にいたい」
病院からの電話を切ったあと。
ロビーには重たい沈黙が落ちていた。
蓮は静かにスマートフォンを握りしめたまま、どこか遠くを見ている。
紗月は胸がざわつくのを感じていた。
――入院。
その言葉は、想像以上に現実味を持っていた。
病気が“遠いもの”じゃなくなる。
限られた時間が、急に輪郭を持ち始める。
「……いつからですか」
紗月はやっと声を出した。
「明後日」
蓮は苦笑する。
「急ですよね」
その笑い方が痛かった。
まるで自分のことなのに、どこか他人事みたいで。
「ちゃんと治療するんですよね」
「うん」
「逃げませんよね」
「……たぶん」
「そこは絶対って言ってください」
少し強めに言うと、蓮が小さく笑った。
「怖いなあ」
「怖いです」
紗月は真っ直ぐ彼を見る。
「私、本気で怒りますから」
その瞬間。
蓮の目が柔らかく細められる。
「……嬉しい」
低い声だった。
「そんなふうに言ってくれる人がいるの」
紗月は胸が痛くなる。
この人は、本当に一人で生きてきたんだ。
頼り方も。
甘え方も。
きっとずっと分からないまま。
◇
その日の仕事終わり。
紗月は蓮の部屋を訪れていた。
ホテルの十二階。
窓の外には雨上がりの街が広がっている。
部屋に入ると、テーブルの上には大量の写真が並べられていた。
海外の景色。
夜の街。
笑う子供。
泣いている老人。
色んな瞬間が切り取られている。
「……すごい」
紗月は思わず呟いた。
蓮はベッドへ腰掛けたまま、小さく笑う。
「全部、俺が撮ったやつです」
紗月は一枚の写真を手に取る。
雨の中を歩く女性の後ろ姿だった。
顔は見えない。
でも不思議なくらい孤独が伝わってくる。
「この写真、好きです」
「ほんと?」
「寂しいのに、綺麗」
蓮は少し驚いたように目を細めた。
「桐谷さん、やっぱり見る目あるな」
「そういうのいいです」
「本気なのに」
紗月は別の写真を見る。
夕暮れの海。
笑い合う恋人。
雨粒のついた窓。
どれも美しかった。
でもどこか切ない。
「……佐伯さんの写真って」
紗月は静かに言う。
「全部、“終わりそう”ですね」
蓮の表情が止まった。
「え?」
「幸せの途中っていうより」
胸が少し苦しい。
「消える前みたい」
沈黙。
蓮はしばらく何も言わなかった。
やがて、小さく笑う。
「敵わないな」
「違いました?」
「……いや」
蓮は窓の外を見る。
「たぶん、そうです」
その横顔が寂しかった。
「俺、ずっと怖かったから」
「何が?」
「終わること」
静かな声だった。
「写真って、一瞬を残すじゃないですか」
蓮は写真を一枚手に取る。
「だから好きなんです」
指先が写真を撫でる。
「終わる前に、残せるから」
紗月は胸が締めつけられる。
この人はずっと、“失う前提”で世界を見ていた。
「でも」
蓮が苦笑する。
「最近、困ってる」
「え?」
「終わってほしくないって思うようになった」
紗月の呼吸が止まる。
蓮は真っ直ぐこちらを見る。
「あなたといる時間」
胸が熱くなる。
こんなふうに誰かに求められるのが、こんなに苦しいなんて知らなかった。
「……私も」
紗月は小さく笑う。
「同じです」
蓮が静かに目を細める。
その視線が優しくて、泣きたくなる。
「怖いです」
紗月は正直に言った。
「入院したら、会えなくなる気がして」
「会いますよ」
「でも」
声が震える。
「そのまま、戻ってこなかったらって考える」
言った瞬間、涙が出そうになった。
蓮は少し黙る。
そしてゆっくり立ち上がると、紗月の前へ来た。
「……ごめん」
「謝らないで」
紗月は首を横に振る。
「ちゃんと怖がってください」
「え?」
「一人で平気なふりしないで」
紗月は蓮の服を掴む。
「私も怖いから」
蓮の目が揺れた。
次の瞬間。
彼はそっと紗月を抱きしめる。
静かに。
大切なものを包み込むみたいに。
「……好きです」
耳元で聞こえる声。
「本当に」
紗月は目を閉じる。
胸がいっぱいだった。
幸せなのに苦しい。
苦しいのに、離れたくない。
「私も」
声が震える。
「好き」
その瞬間、蓮の腕に少しだけ力が入る。
まるで、離したくないと訴えるみたいに。
◇
深夜。
二人は窓際に並んで座っていた。
街の灯りが濡れた道路に反射している。
静かな夜だった。
「……入院したら」
蓮がぽつりと言う。
「写真、撮れなくなるかもしれない」
紗月は横顔を見る。
その目は少し遠かった。
「怖いですか」
「うん」
即答だった。
「俺、写真なくなったら空っぽになる気がして」
紗月はしばらく考える。
そして静かに言った。
「じゃあ、私が撮ります」
「え?」
「佐伯さんの代わりに」
蓮が目を丸くする。
「何それ」
「退院したら見せてください」
紗月は少し笑った。
「私が見た景色」
その言葉に、蓮は泣きそうな顔で笑った。
「……ほんと、ずるい」
「また言った」
「だって」
蓮は小さく息を吐く。
「未来、欲しくなるから」
紗月は彼の肩へそっと頭を預けた。
蓮の身体は少し冷たい。
でも、その温度が愛しかった。
「欲しがってください」
静かな声で言う。
「私も欲しいから」
蓮は何も言わなかった。
ただ。
そっと紗月の髪へ触れる。
その優しさが、どうしようもなく切なかった。
その時だった。
蓮のスマートフォンが震える。
画面を見た瞬間、彼の表情が曇る。
「……美緒?」
電話に出た蓮の顔色が変わっていく。
「え……?」
紗月の胸がざわつく。
蓮は立ち上がった。
「今、病院!?」
次の瞬間。
彼の手からスマートフォンが落ちる。
床へ転がる音。
そして。
蓮の身体がゆっくり崩れ落ちた。
「佐伯さん!!」
紗月の叫び声が、静かな部屋に響き渡った。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
この物語で描きたかったのは、
「限られた時間の中でも、人は誰かを愛したいと思ってしまう」ということです。
恋は幸せだけではありません。
失う怖さも、
終わりへの不安も、
愛するほど大きくなっていきます。
それでも人は、
誰かと笑い合える時間を求めてしまう。
紗月と蓮も、
最初は未来を信じられない人間でした。
けれど、
「この人となら怖くても歩いていきたい」
そう願えた瞬間から、
二人の世界は少しずつ変わっていきます。
もしこの作品が、
あなたの心に小さな光を残せたなら幸せです。
雨はいつか止みます。
そして雨上がりの空は、
きっと思っているより優しい。
本当にありがとうございました。




