梢を手折る 3
【ネネカ視点】
近づいてみればいっそう、その『汚濁』の塊の巨大さがうかがえました。
それが月光を遮り、木々に影を落とすのに少し遅れて、わたしたちも森の中へと入る。
とにかく大きなものだから、枝葉越しに見失うなんてこともなく。その向かう先が森の最奥であることは、すぐに分かりました。森に慣れているわたしたち『ナーナ』の者が先導する形で、その巨影を追い続ける。
……えっと、ちなみになのですが。
『来訪者』さんの一部には、森に入ると同時にわたしたちとは違うルートで駆けていく人もいました。“逆張り”だとか“あえて”といった言葉が聞こえてきましたが……それもまた『来訪者』さんの性なのでしょうか。
なんにせよ、そこまで統制する権利はわたしたちにはない。各々のやり方で協力してもらっている、それだけで十分です。
「この先は……」
「……はい」
とにかく足は止めず、そうしながら『月光讃華』のメンバーと一度顔を見合わせる。
向かう先が森の最奥、中心部であるならば、そこはつまり。
「──ここって、もしかしてアレですの? カンムリヘラジカの……」
『来訪者』さんの一人、最初に動き出したあの……えっと、お嬢様ザウルス? さんも気付いた様子。銀色様の活躍は、あちらの世界でも広く知れ渡っているとのことでしたね。
「成程。妙に道が開けているのは侵攻の爪痕か」
後ろを走るプ鱗さんのおっしゃる通り。数ヶ月前に巨大な侵蝕体が通っていったこのルートは、草花こそ再び咲き並んではいるものの……やはりまだどこか不自然に、一本の道が残っています。樹木が腐り倒された名残として。
そして頭上の『汚濁』の塊は、まさしくその道を辿った先へと向かっている。森の最奥、つまり、あの侵蝕されたヘラジカが、繭を作っていた地点へと。
「まさか、ヘラジカ復活とかじゃないですわよね? いえ、勿論、戦ってみたいという気持ちはありますわよ?」
「お嬢様、少々不謹慎かと」
「お気遣いありがとうございます。復活は……ないとは、思いますけれども……」
あのヘラジカ、かつての『ノクト』の主は、森の外で完全に打倒された。その残滓が残っていないことはわたしたちも銀色様も入念に確かめたつもりですから、さすがにもう一度姿を現すことはないと思いたい。それはあまりにも、かの者に対して惨い仕打ちですから。
「ぁ──た、隊長ぉ……」
「ああ、速度が落ちているな」
さらに少し走ったところで、軽鎧の女性とプ鱗さんのやり取り通り『汚濁』塊の飛行速度が低下し始めます。森の中心部、広く円形に開かれた空間は目と鼻の先。
「……止まったか。ならば、ああやはり降りて──いや、落ちてくるぞっ!」
わたしたちが直下に追いつく直前に、『汚濁』塊はついに落下を始めました。
森になにかをしようとするなら、高度を落とすタイミングがあるはず。
その予想自体は間違っていませんでした。ただこの瞬間に気付いたのは……この塊は自らの意思で降りてくるのではなく、まるで手を離されたかのように落下してきているということ。これは運搬物であり、だれか運んできた者がいる。その大きさゆえに、運び手の存在すら覆い隠していた。
「っ、撃ち落ちしたいところ、です……!」
考えは巡りつつも、今すべきが迎撃であることには変わりない。
いよいよ真上に迫る『汚濁』塊はとにかく巨大で、この開けた空間を丸ごと埋め尽くしかねないほど。
黒濁りするその威圧感に負けないよう、わたしは両手を頭上にかざし、魔術を放ちました。『月光魔術』の一、一撃で出せる最大威力の『想起・衝破月光波』。『月光讃華』のメンバーもみな、各々が魔術や弓を用いて攻撃を加えていきます。
「いきますわよぉ!!」
「はい、お嬢様」
横を見れば、侍女さんが作り出した巨大な岩塊を石槌で打ち出すお嬢様ザウルスさんの姿も。
「この世の終わりみてぇな光景なんですけど!」
「怖ァ! 『汚濁』怖ァ!!」
「ひぃぃぃぃぃ……!!!」
彼女以外の『来訪者』さんたちも当然、それぞれの力で『汚濁』に抗している。その賑やかな様子はこんな状況でも変わらず、『月光讃華』みんなして思わず笑ってしまいそうになります。
「頼もしいですね、色んな意味で……」
「ええ、本当に」
十も二十も越えた力の合一はたしかに意味をなし、大きな『汚濁』の塊を少しずつ削り飛ばしていく。地上に近づいてくるその姿は体積を減じさせ……やがて、もとの三分の二程度にまで縮小したところで、中心から弾け飛びました。
「やりましたの!?」
「お嬢様、それはやってないやつです」
「フラグ立てんなアホザウルスゥ!!」
「はぁーー!? わたくしの知能はラプトル並みでしてよ!?」
「諸説あるやつじゃねーか!!!」
みなさんがなにやら言い合う最中にも、プ鱗さんや隊員の男性たち、ほか近接技に優れた方々が、こちらへ降り注ぐ『汚濁』の飛沫たちを処理していきます。
「実際のところ、大小いくつか『汚濁』の破片とでも言うべきか……森へ散っていったように見えるが」
「はい。あの大きさのまま落ちてくるよりはマシだった、と思いますが……」
あの『汚濁』塊が森にどう危害を加えるものにせよ──十中八九獣たちに取り憑くのでしょうが──、力を削げたことに意味はあったはずです。
「では俺の班は、破片の掃除にでも向かうとしよう。正直に言ってあいつらの相手は少々難しい」
……ええ、さて。
砕け消えゆく『汚濁』がまだ頭上を濁らせている中でも、プ鱗さんがあいつらと呼んだ存在は見えています。そのさらに上から注ぐ、月明かりが暴くようにして。
「──マジでさア。シラケんだけドそういうの」
「しょうもな」
翼を持った人型。二つの濁り声。
[『原母の梢』尖兵 ハルハルム 汚濁共生体 強度Ⅳ]
[『原母の梢』尖兵 ミネー 汚濁共生体 強度Ⅳ]
簡易な看破魔術によって暴いた名と状態は、信じがたいと言えば信じがたく、しかしどこか納得してしまうものでもありました。かつてこの町を訪れた四人の有翼『来訪者』、そのうちの二人です。
ハーピーとフクロウ鳥獣人の女性が、全身に『汚濁』を纏わせた泥のような姿で、空からこちらを見下ろしている。
「……え、プレイヤー? なのに殴り合える状態? てか『汚濁』? どうなってますのこれ??」
「しっかりしろよ頭ラプトル」
「お言葉ですが、あなた方は状況を説明できるのでしょうか? お嬢様に代わって?」
「無理に決まってんだろゴメンナサイ」
「なにあれこわ……すんげー体に悪そう」
「プレイヤーも共生体なれるんだなぁ……なりたかないが」
『来訪者』さんたちから漏れる疑念は、わたしの脳内でも駆け回っているところですが。
いま大事なのは、彼女らが再び悪意を持って森と町を害そうとしていること。ならば止めなければ。疑問などそのあとで解消すればいい。
「……では、俺たちは俺たちの成すべきことを成す」
プ鱗さんも落ち着いたまま、隊員たちを率いてその場から離れていきます。森に入ってから別れたほかの『来訪者』さんたちも、もしかしたら対処に当たってくれているでしょうか。
では、わたしもわたしの成すべきことを。
「……あなたたちの行為を看過するわけにはいきません。この森と共に生きる者として」
「おーこわっ。そんなに睨みつけられちゃビビって漏らしちまいそうだゼ」
「だから言い方キモいって」
散った『汚濁』のモヤも晴れ、互いが鮮明に見えるようになる。そうすればなおのこと、こちらを小馬鹿にするような雰囲気もよく伝わってくる。表情すらも分からないほど黒く濁っているというのに。
こちらに空を飛ぶ手段がないからか、いまだ木々よりもはるか上空にいる自分たちの優位を確信している様子。先の対空攻撃を見てもなお。それは慢心なのか、『汚濁』に塗れた体にはそれほどの力が宿っているのか。
「たかだか触手の信者風情が──っ!?」
……いえ、声を遮ったのはわたしではありません。
唐突に一筋、睨み合うわたしたちの都合などまるで無視するかのように飛び込んできたなにかによるもの。
「ぐぇっ……!」
それは空から現れ、ミネーという名のフクロウの女性を捕らえ、そのままわたしたちのいる地上に諸共突っ込んできました。着地というより激突、猛禽の脚と人間の腕が合わさった手で獲物を組み伏せるその姿は──
「ぐ、クリス、レーナ……!」
「久しぶりですね、ミネー」
この大陸の『有翼連盟』代表者、クリスレーナさん。
つい先日町を訪れそして去っていったはずの彼女が今、プラチナブロンドの髪と翼を大いに乱れさせ、暴れるミネーを抑え込んでいます。表情は以前に見たままの、起伏に乏しいそれでしたが。
「勘の告げるままこの地に尾羽根を落としてみましたが……まさかこうも早く姿を現すとは。やはり世界は私を中心に回っているのか」
「……クリスレーナさん、なぜここに……」
まさかの事態に、半ば独り言のような声が漏れてしまう。
が、当のクリスレーナさんはこちらへ顔を向けることもなく、ただ捕らえたフクロウだけを見下ろしたまま淡々と呟きました。
「なに、ちょっとした事です。初恋を終わらせに」
「……え? は、初恋??」
えっと……どうもそういうことらしい、です?




