梢を手折る 2
【ネネカ視点】
円形山岳から『汚濁』らしき飛行物体が接近中、との報が入りました。
早い段階で発見できたのはまさしく、カンムリヘラジカの一件以降、町と森の周辺をつぶさに観測する体制が確立されていたからでしょう。空を飛んでいようとも地から湧いてこようとも、わたしたちがあの忌まわしい泥濘を見紛うはずなどありません。
ラナちゃんとフロウさん、店内を物色する数名の『来訪者』さんたちを見ながら考えます。
「…………」
空飛ぶ『汚濁』の塊が向かう先はおそらく『ノクト』の森とのこと。
それが姿を見せた方角はまさに今日、触手さんが調査をすると言っていた辺りでした。まさか、偶然の一致などではないでしょう。
調査中に『汚濁』と遭遇し敗北した、とは考えづらい。あの侵蝕されたヘラジカや、それに匹敵するという左腕の化け物をも倒したルミナさんが敗れるとはそうそう思えない。飛行能力でもって逃げられた……いやそれすらも、ただ『汚濁』の塊が飛んでいるというだけなら、彼女は逃がしはしないでしょう。つまり……
「……向こうで、まだ……」
なんらかの状況に対処している、と考えるのが妥当でしょうか。
なにがどうなっているのか詳細は分かりませんが、とにかく、やることは決まっています。
わたしは懐から仮面を取り出し被りました。これでわたしは『月光讃華』司教。仮面に付与された緊急連絡の魔術を使って、戦うことのできるメンバーに状況を伝えます。
「──と、いうわけですので。ラナちゃん、フロウさん。少しお店を任せます」
「は、はいっ……!」
「また『汚濁』ですか……店長さん、お気をつけて」
不安げな顔の二人へ一度小さく頭を下げ、それから会計台を飛び越えて店の出入り口へ向かう。
「うおっなんだ? なんかのイベント?」
なにも知らない『来訪者』さんを驚かせてしまいましたが……今は店員用の裏手から、などという時間も惜しい。少し乱暴に扉を開け放ち、わたしは店をあとにしました。
◆ ◆ ◆
「──ふむ。やはり只事ではないようだな」
即応可能な人員──つまり、戦う力を持つメンバーのうちほぼ全て──とともに町を出れば、すぐにもマスタードプ鱗さんがこちらへ近寄ってきました。後ろには、彼の隊のメンバーである女性一人と男性二人が同伴しています。
「ええ、恐らくは」
短く返しつつ見やれば、『来訪者』さんたちの野営地となってしばらく経つこの草原でも、やはり空飛ぶ『汚濁』は注目を集めているようでした。高空にあるその姿は、わたしの目でも小さく捉えられるほどに近づいてきています。
「あれ、けっこーデカいな」
「ああ、なんかに取り憑いてんのか? いやよく見えんけどさ」
「こっち来てね?」
「こっちってか……森?」
今この場に居合わせた『来訪者』さんたちはざっと……二十人には満たないほどでしょうか。プ鱗さんの隊のようにすっかり顔なじみとなった方もいれば、たまたま今日『ナーナ』にたどり着いたという方もいますが、ざわざわと空を見上げているのは皆一様に同じ。
「あれが森に向かっているのだとすれば、厄介事の種というほかないが……しかし月の触手は?」
周囲の喧騒にかき消されないよう少し張った声で、プ鱗さんは問いかけてきました。
「山岳の……あれが来た方向にいるはずです」
「それは……」
おそらく色々なことを想定し始め、一度声を途切れさせたプ鱗さん。申し訳ないですが時間も惜しいこの状況、『月光讃華』の方針を手早く伝えましょう。
「わたしたちは『汚濁』による森への危害を許容しません。我らの旗頭もまた同じく。銀色様はきっと、山岳のほうで対応に当たっているはず。であれば『月光讃華』もまた同じく、その成すべきを成すのみ」
『月光讃華』の名は、月の触手を讃えその光を導べとすべく生まれたものです。すべてを銀色様任せにするというわけではない。彼女のように戦い、町と森を守るという意思の表象。
「あれほどの高さにいては手出しも難しいですが……森へなにかをしようというのなら、少なからず高度を落とすタイミングがあるはずです。そこを迎撃します」
「…………」
不安がないわけではありません。わたしも、ほかのメンバーも。戦う力はいまだ、研磨の途上なのですから。それでも、なにもしないという選択はあり得ない。
「あまり考えたくはないですが、この場所も危険に晒されるかもしれません。皆さんは退避を……」
「いや、我々も協力しよう」
「……それは」
不意の申し出に、少し言葉が詰まってしまいました。
勿論、ありがたい話です。しかしどうして。
「なに。かつて月の触手はなんの見返りも求めず、森と町を守ったと聞く。ならば我々もそれに倣おう──というのは、まあ、建前だ」
「いや言っちゃうんすか隊長」
「そこは格好良く決めときましょうよ」
プ鱗さんの後ろからやじが飛んできますが、そうしながらも彼らは、手早く装備品のチェックをしていました。軽鎧の女性だって、不安そうな顔こそしていますが同じく。そんな三人を率いるプ鱗さんは、すぐにも動き出せそうな様子。
「本音を言えば、この町を訪れたことと理由は同じだ。我々にも利がある」
つまり、銀色様との繋がりを維持するため。
それはとても納得のいく動機であり、そして同時、先の“月の触手に倣おう”という言葉だって嘘ではないのだと、声音から分かりました。ますますもってありがたい話で、断る理由なんてあるはずもない。
「──イベント! あれぜってーなんかのイベントですわ!! いきますわよォォッ待ってろ激レアアイテムゥァァァァアッ゙!!」
……告げた礼は、喧騒を貫くほどの叫び声にかき消されてしまいましたが。
「お嬢様、ロールプレイが剥がれております」
見れば二人の『来訪者』さん、ドレスをまとった女性と侍女らしき方が森のほうへと向かっていきます。
さらにはその荒々しい走りに触発されてか、ほかの『来訪者』さんたちまで次々に動き出す。
「やべ、先越された!」
「まて恐竜女ァ!」
「お嬢様ザウルスですわァァァ! 獣脚類お嬢様科ですわァァァ!!」
「ただのエセお嬢様だろーが!!」
騒がしく……言ってしまえば楽しげに駆けていく彼ら彼女らは、けれどもどこまでも力強い。
その背中を追うようにして、プ鱗さんも足を踏み出しました。苦笑交じりの言葉とともに。
「……本音の本音を言うならば。『来訪者』とは皆、大なり小なりああいうものだ。勿論、俺も」
「……ええ。とても頼もしく思います」
わたしたち『月光讃華』も、負けじと駆けていきます。
この地に住まう者として、遅れを取るわけにはいきませんから。




