4_僕の母は詩人だ
僕の母は詩人だ
僕の母は詩人だ。それも結構やりこんでる感じの。母は昔からよく言っていたっけ、言語の取得をランゲージ・インジェクションに頼るなって。でもまあ僕は、かなり怠惰なたちなので、わりと簡単に言語を買ってしまう。それで使えるようになっても大して使わないけどね。ただ、母が書いた詩をちょっと読んで、終わり。母の詩のやりこみようは結構独特だ。知らない言語を古代由来とか現代由来とか拘らず、とにかくインジェクションなしで言語を『勉強』ってやつをやってそれからその言語で詩を書いている。本当に色々な言語で書いているようだけど、特に変わっていると思うのは新たな言語で新たな言葉や言い回しを大量に発明して、もう誰にも理解できないんじゃないかってくらいの詩ばかり書いていることだ。母の詩の良しあしは正直わからないけど、ただ楽しいみたい。最近では母もよくいる言語愛好家みたいに、自分の言語を作るようになっている。単語、文法、そのほかあらゆるルールや意味や含みみたいなものを一から作っている。無限に生きて言葉と詩をやっているとそういう風になってしまうようだ。僕は瞑想ばっかりしているけど、まぁこれもインジェクションのおかげだけどね。瞑想を楽しめるインジェクションをやっているから、いくらでも瞑想が楽しめる。健全な遊びだと思う。最近はテクノ封建制と呼ばれ始めた時代の偉い人たちがやってた感じの環境を作って、そんな感じの場所でそういう人たちがやってたみたいな、瞑想をしている。まあ自分の好きなインジェクションで好きな場所で好きな瞑想をするっていうのはリスクのない楽しみだよね。以前、強烈な仏教のサークルに合宿いったときは凄かった。インジェクションはもちろん禁止。本当に辛かった。だけどそういう場所で辛い思いしたから、インジェクションを打ちながら、瞑想する楽しみもわかるんだよね。母が言語取得をインジェクションに頼るのは楽しくないという考えなのはそういう所なんだろう。古代人は気持ちを解放するために瞑想したっていうけど、僕の瞑想はまるで、古代人のイリーガル・ドラッグみたいなところはあるな。最近古い小説を読んでいて思ったんだ。でも、認知を無力化して、時間を徹底的に加速させるタイプのインジェクションをやってるんじゃないんだよ僕は。ただなんか穏やかにぼーっとしていられる、それだけで幸せな気分になるインジェクションをやってる。たまに母と話すけど、何か作ることを楽しめるってのは羨ましいけど、自分にはできないな。って思う。そういうインジェクションもあるけど、別にやりたくはない。ただなんか、ずっとぼーっとして、最近じゃ、大昔のテック企業本社の瞑想ルーム環境で一人で瞑想している。合宿の時以外、誰とも一緒にやらないよ。人と関わりたくないし、何も言いたくないから、瞑想しているわけだし。運動フリークの連中はみんなで運動することに楽しみを見出す感じだけど、それは当然だよ。運動ってそういうものだ。こうやってダラダラ観想することもつらいな。早く、インジェクションをきめて瞑想をやらないと。じゃあここで。




