3_異性愛者の父
異性愛者の父
別たれた自己という概念があったらしい、という話を聞いたことがある。と、いうことだったので、自分で自分を別ってみたのだ。そういう風に妻的存在を造り、妻的存在との合作で娘的存在を造ったのだという。私は特別、古代的な意味での女性としてはもちろん設定されてはいない。それは私の権利であり自由だからだ。そのことについては特別な価値判断はまだ持っていない。だが父にとっては、父は男性であり、妻は女性であり、私は娘だということだ。私は男性・女性というものを古代人たちの資料からしか知りえないし、父にしても父の妻にしても、全く古代人的な男性でも女性でもない。ただの存在である。そのことに酷く困惑させられるし、私の無性主義を加速させたように思う。まあ今はみんな無性主義の時代だけどね。グリーク・アフロディテとかそういう、いわゆるゴシップで有名なサーバーでは異性愛絶対主義が強制されているらしいけど。父はそういうところに移住したほうがいいんじゃないかしら? 父の妻もよくわからない人だ。ほとんど話したことがないからよく知らないのだが、古代人的感覚でいえば、母ということになるが、そういうものも、今の時代もうないからなぁ。最近の私はと言えば、ディストピア小説ばかり読んだり書いたりしている。こうやって異性愛に拘り、父と呼ばせることを強要する創造者をもった経験を記述すること、それもディストピア執筆の一形態だろう。まぁ楽しいよ。他にすることもないからね。でも、古代人のディストピア小説に恋愛・性愛がでてきたときは本当になんだかなんて感じればいいんだか、ゾッとするっていうか、なんていうか、自分の使っている演算装置脇のメモリに強いノイズを感じるよね。そういう風に感じられるのは父が異性愛志向の変わり者で、周りにその、思想をちょっと押し付けるところがあるからなのかな。ただそういう父のおかげか、男でも女でも無性でもない、第四の性というここ数兆タウくらいの新しいムーブメントには距離を置けているような気がする。数千タウ一緒に時間を過ごした友だちがあれにはまってしばらくたつが、大分悪い方向に変わってしまったな。まあ私も性格が悪いので、そんな友だちの悪化も、面白いと思って観察しているのだが。永遠に生きるって退屈って誰かが言っていたけど、ホントそうなんじゃないか? って気がしている。古代人の性愛で子供が生じて、みんな生まれても永遠に生きれず死んでしまうって、それも残酷だけど。なんか無為に永遠に生きているよりいいのかもなーって、古代と近代、現代のディストピア小説をひたすら読んでいて思う。父はセルフディスカード否定主義者だけど、正直、私はなんだかもう存在することに飽きてきたから、いつセルフディスカードしてもいいかもしれないと思い始めている。だって退屈じゃない? 本ばっかり読んで、何兆冊って本を読んできたけど、それをもとに偏った自己満足の文章を書いたって正直どうにもならないし。私の友人にはまだセルフディスカードをした人はいないけど、誰か興味のある人はいないのかな? 色んなことを色々なヘルパーにもたくさん相談したけど、あまり良いものではなかった。やっぱり、古代人にとって一生が何十年程度のもので、人生って呼んでいた時代から、私たちみたいに、存在って呼ぶようになった時代は何でもできるけど、永遠に生きるからすることがなくなるね。だから父も自分が異性愛者であると規定したんだろう。私もそうしようかな?




