第6話:消失の鍵と、鉄錆の真実
リンドヴルム衛兵隊、第四詰め所。
石造りの頑丈な建物は、市民を守るための砦というよりは、一度入れば出られない牢獄のような冷たさを放っていた。
「入れてくださいまし! 私たちはエレナさんの代理人ですわ! 正式な依頼を受けておりますの!」
表の受付で、ラピスが門番の衛兵に食ってかかっている。
「ダメだと言っているだろう! 今、取り調べの最中だ。ギルドの鑑定官も立ち会っている。部外者が口を挟む余地はない!」
「部外者ではありません! 私たちは、ジラスさんが最後に注文した……ええと、特製のカルボナーラを届けに来たんです! 死ぬ前に食べたいとおっしゃっていたんですわ!」
「そんな遺言があるか! 下がれ!」
ラピスが派手に騒ぎ立てて衛兵たちの視線を引きつけてくれている間に、俺は建物の裏手へと回った。
裏口の鉄扉の前に立ち、鍵穴にそっと指先を添える。
《終焉の理》を極小出力で発動させ、錠前の内部にあるピンの「噛み合わせ」だけをほんの一瞬、摩擦ごと緩めた。鍵そのものを消去してしまえば証拠が残る。
ただ物理的に開錠された状態を作るだけで十分だ。
カチャリと音もなく扉が開き、俺は滑り込むように中へ足を踏み入れた。
詰め所の内部は、鉄錆と古い羊皮紙の匂いが入り混じっていた。
厚い石壁の向こうから、ラピスの「冷めたら美味しくなくなりますわよ!」という必死の怒声が遠く響いてくる。
犯人の目的は、単なる衝動殺人ではない。
ジラスを激しく拷問したのは、彼が北門の守備兵として把握していた情報、おそらくは、この詰め所の奥にある『保管庫』か何かの内情を聞き出すためだったはずだ。
だが、問題はなぜ手首を切り落とさなければならなかったのか、だ。
俺は無人の廊下を抜け、目的の場所である備品管理室へと足を進めた。
扉を押し開け、棚に整然と並ぶ衛兵たちの個人装備へと視線を走らせる。
「……さて、答え合わせといこうか」
俺は棚の最上段、厳重に管理されている『拘束具』の区画に手を伸ばした。
並んでいる手錠を一つずつ手に取り、指先で確かめていく。
衛兵隊の装備には、管理用の個別シリアル番号が刻まれている。軍用品の紛失は厳罰の対象だ。だからこそ、奴らはこれを命の次に厳重に管理する。
俺の目は、魔法の鑑定結果を読み取っているわけじゃない。金属の摩耗具合、表面の研磨痕、刻印の深さといった微細な物理的差異を、ただ異常な解像度で拾い上げているだけだ。そこから真実を導き出すのは、あくまで頭の仕事だ。
「……Aー四〇二。ジラスの相棒、バーロウの私物だな」
ロッカーに収められた手錠を光にかざす。
一見すると、磨き上げられた新品同様の品に見えた。だが、裏面の刻印に指を滑らせた瞬間、明確な違和感が指先に引っかかった。
「……刻印の彫りが、わずかに浅く、書体が太いな」
俺は隣の棚にある『予備装備』の箱へ目を向けた。
箱の中の予備の手錠が一対、欠落している。
筋道が一本に繋がった。
本物の『Aー四〇二』の手錠は、今もジラスの手首に嵌められたまま、どこか暗い場所に沈んでいるのだ。
犯人はジラスを拘束して拷問した。だが途中でジラスが絶命し、さらに手錠の鍵を紛失したことに気づいた。
手錠には個人の番号が刻まれている。
もしジラスの遺体に手錠を残せば、一発で自分の犯行だとバレる。外そうにも鍵がない。だから焦った犯人は、手錠ごと両手首を切り落として持ち去った。
だが、それだけでは終わらない。詰め所の点検で『Aー四〇二』の手錠が紛失していれば、当然捜査の手が伸びる。
だから犯人は、予備の手錠を盗み出し、ヤスリで元の番号を削り落として、無理やり自分の番号を打ち直して帳尻を合わせたのだ。
さらに決定的なのは、手錠の鍵穴の内側だった。
針金か何かで無理やりこじ開けようとした、真新しい無数の引っかき傷が残っている。鍵を失くした人間が、焦って現場で足掻いた動かぬ痕跡だ。
「……随分と、不器用な職人だな」
その時、廊下の突き当たりにある重厚な取調室の扉の向こうから、痛切な叫びが響いてきた。
「やっていません……! 私はジラスを愛していました! 呪術なんて、使えるはずがないんです!」
エレナの悲痛な声だ。それに重なるように、男の野太い怒声が続く。
「嘘を吐くな! お前の家からは怪しげな薬草の束が見つかったんだぞ! 白状しろ、儀式に使った手首をどこへ隠した! 自白しなければ、一生暗い穴蔵に放り込むことになるぞ!」
「……ひどい言いがかりですわね。あれはただの安眠用のハーブですのに」
背後から、不意に声がした。
振り返ると、受付の衛兵をうまく撒いてきたラピスが立っていた。肩を上下させ、額に薄く汗を浮かべながらも、その青い瞳には冷たい怒りが宿っている。
「アルス様、準備はよろしくて? あんな横暴な衛兵、今すぐ蹴り飛ばしてやりたいですわ」
「待て。力任せに突入しても揉めるだけだ。……真実ってのは、相手が『完璧に逃げ切れた』と確信した瞬間に突きつけるのが一番効く」
俺は手の中に、棚から回収した偽造手錠を収めた。
「ラピス。中に入ったら、ギルドの鑑定官の注意を引け。俺がバーロウにトドメの証拠を突きつける」
「了解いたしましたわ。……あんな臆病な男のせいでエレナさんが泣かされるなんて、我慢なりませんもの」
ラピスがぎゅっと拳を握りしめる。
「行くぞ、ラピス。……そろそろ答え合わせの時間だ」
俺は取調室の分厚いドアノブに、ゆっくりと手をかけた。




