第2話:宝石の真実
三階の廊下を挟み、護衛騎士は数歩離れた位置から俺たちの一挙手一投足を監視していた。
逃げも隠れもさせないという無言の威圧だ。
「アルス様ぁ、やっぱり何も見つかりませんわ……。高い毛皮のコートや立派な壺ならたくさんありますけれど、旦那様が全財産を注ぎ込んだような『何か』なんて、どこにも……」
寝室のクローゼットを覗き込みながら、ラピスが声を潜めて嘆いた。
「ラピス。木を隠すなら、どこに隠す?」
「え? えーと、森の中?」
「正解だ。じゃあ、宝石を隠すなら?」
「……宝石箱」
「それも正解だ」
「でも、旦那様の書斎には宝石箱なんてありませんでしたわよ。そういう装飾品をしまう場所は、普通は奥方の私室にあるものじゃ」
「いい着眼点だ。男が宝石を隠そうと思えば、普通は自室の頑丈な金庫か、魔導で封じた隠し棚を考える。だが、旦那様は自分が魔法使いに命を狙われていると知っていた。なら、あえて『自分のものではない場所』を選ぶはずだ」
俺は背後の視線を無視し、マダムの私室へと続く扉に手をかけた。
「旦那様の腹が裂かれていたのは、犯人が『旦那が飲み込めるサイズのもの』を隠したと確信していたからだ。襲撃された直前、旦那が何かを口に含むような動作を見られたんだろう。宝石一粒なら胃の中に隠せると踏んだ犯人が、死後すぐに腹を割いた。……だが、全財産を換金したとなれば、一粒や二粒のサイズじゃない」
「……どういうことですの?」
「宝石を隠すのに最適な森は、宝石箱だ。そしてこの屋敷で、最も立派な宝石箱を持っているのは誰だと思う?」
マダムの私室に入り、大きな鏡のついたドレッサーの前に立つ。
天板の上には、目も眩むような豪奢な宝飾品が並んでいた。
ラピスが小さく指先を鳴らし、再度『隠蔽感知』を走らせる。
だが、すぐに首を横に振った。
「……アルス様、やはりここにも術式の反応はありませんわ。どれもただの高級な金銀細工です」
「だろうな。魔力を帯びていない天然の鉱石なら、お前の感知魔法を素通りする」
俺は豪華なネックレスや指輪の山には目もくれず、ドレッサーの隅に埃を被って置かれていた、古びた木箱に手を伸ばした。
蓋を開けると、流行遅れのデザインの装飾品が無造作に詰め込まれている。
その中から、一本の古びたヘアピンを取り出した。
銀のメッキはあちこち剥げ、頭には安物のガラス玉が不器用に嵌め込まれている。この豪華な屋敷にはおよそ不釣り合いなガラクタだ。
「……アルス様、それ、さっきマダムが言っていた『昔の手作りの贈り物』じゃ……」
「ああ。マダムは『貧しかった頃に夫が手作りの品をくれた』と言っていた。富豪になった後も、旦那様はその頃の贈り物を処分しなかった。そして、現在の妻が最も見下し、二度と身につけないと分かっている場所に――全財産を預けた」
俺は手の中でヘアピンの軸を転がし、特定の継ぎ目に指先で微細な圧力を加えた。
カチリ。
魔法の解呪音ではない。精密な物理細工が外れる小さな音が響いた。
安物のガラス玉と思われていた外殻がスライドし、中から無色透明の、澄み切った光の結晶が姿を現す。
「……っ! スターダストダイヤモンド……! 魔力を反射する、最上位の天然石」
ラピスが息を呑んだ。
「この箱に入っている昔のアクセサリー、全部同じ仕掛けが施されているな。金庫の現金をすべてこの石に変えて、仕込んであったわけだ」
「ほう。何を見つけた?」
背後の扉の枠に寄りかかっていた護衛騎士が、低く濁った声を出した。
俺はしれっとヘアピンの仕掛けを閉じ、自分のポケットへ滑り込ませた。今ここで渡せば、誰の手に渡るか分からない
「いや、ただの古いガラクタですよ。マダムの言う通り、ここには目ぼしい財産はなさそうだ」
俺がラピスに目配せすると、彼女はわざとらしく腹を押さえた。
「お腹が空きましたわー! アルス様、もう帰りましょう!」
「……マダムに伝えてくれ。調査は終了だ、報告は改めてギルドを通じて行うとな」
俺は騎士の横をすり抜けようとした。
その瞬間、背後の空気が張り詰めた。
騎士が腰の長剣を抜く。その抜き身の刀身には、書斎の天井を焦がしていたものと同じ、禍々しい紅色の魔力が渦巻いていた。
「その箱を置いていけ。……大人しく渡せば、苦しまずに殺してやる」
「ずいぶん乱暴な依頼人の身内だな。旦那を始末した時も、そうやって背後から斬りつけたのか?」
「アルス様、煽らないでくださいまし!」
ラピスが身構える横で、俺は騎士の顔を見据えた。
「大体の筋書きは見えたよ。あんたとマダムは裏で繋がっていた。邪魔になった旦那を消し、財産を独占する計画だった。だが、察知した旦那は現金をすべて宝石に変えて身を隠そうとした。焦ったあんたたちは旦那を殺したが、肝心の宝石が見当たらない。死ぬ間際に旦那が何かを口に入れたのを見て、胃袋に隠したと思い込み、台所の肉切り包丁で腹を裂いた」
騎士の眉間が険しく歪む。
「魔法で鮮やかに首を跳ねる腕がありながら、腹を裂くのにはナイフを使った。攻撃魔法で中のダイヤまで砕いてしまっては元も子もないからな。それでも見つからず、仕方なく俺たちのような外部の便利屋を使って宝を探させた……違わないだろ?」
「……喋りすぎだ、ネズミが」
凄まじい魔圧が部屋を圧迫し、床の絨毯が焦げた匂いを放ち始めた。
「アルス様、下がって! この魔力、さっきの書斎の残滓よりずっと濃い」
ラピスが前に出ようとするのを、俺は左手で制した。
「……耳を塞いでろ、ラピス。術式のノイズが鬱陶しい」
「死ねっ!」
騎士が吠え、不可視の刃を纏った斬撃が放たれた。
空気を両断する不可視の衝撃波が、俺の鼻先へと迫る。
俺は避けることもせず、ただ右手を前方へと伸ばした。
迫り来る魔導の波導、その術式の構成点に、人差し指の先をそっと合わせる。
パリン。
薄い氷を踏み抜いたような、硬質で短い音が響いた。
「…………え?」
騎士の長剣から放たれたはずの破壊のエネルギーは、俺の指先に触れた瞬間、構成の定義を失って霧散し、ただの微風となって部屋のカーテンを揺らしただけに終わった。
「魔法は便利だが、構造が雑だ。無駄に魔力を練りすぎている」
俺は一歩、無造作に踏み込んだ。
指先を騎士の胸元へ向ける。
「……次は、あんたの持っているその剣の定義ごと、バラしてやろうか」
騎士は目を見開き、ガタガタと震える手で長剣を取り落とした。
床に落ちた剣が甲高い音を立てる。自慢の魔導を一瞬で解体された恐怖に、男はその場に膝をついて動けなくなっていた。
「行こう、ラピス。証拠品は預かっていく」
俺は古い木箱を懐に収め、呆然と立ち尽くすラピスの腕を引いて部屋を出た。
廊下の先では、一部始終の物音を聞いていたマダム・ベインが、青ざめた顔で壁にへたり込んでいた。
「そ、そんな……」
「正規のギルドではなく、無名の便利屋を雇ったのは、宝を見つけさせた後に始末しやすいと考えたからだろう。悪くない手だが、相手を間違えたな」
俺はマダムを見下ろし、冷淡に告げた。
「旦那様は、あんたの裏切りに気づいていた。それでも彼は、一番大切な財産を、かつてあんたに贈った古い手作りの品の中に隠した。……見向きもせず踏みにじったあんたに、もうその輝きを手に入れる資格はない」
マダムは力なくうなだれ、廊下の冷たい床に爪を立てた。
「俺は今から衛兵を呼びに行く。大人しく自首するか、逃げ出して一生追手を恐れて暮らすか、好きに選べ」
それだけ言い残し、俺たちは屋敷を後にした。
衛兵隊の詰め所へ立ち寄り、証拠の所在と事の顛末を伝えて外に出た頃には、街はすでに茜色の夕闇に包まれていた。
「…………アルス様」
大通りへ向かう道すがら、ラピスが不思議そうな目で俺を見上げてきた。
「何だ」
「前々から思っていましたけれど、アルス様はただの便利屋ではありませんわよね? さっきの魔法の無効化……あれ、どうやったんですの?」
「……さあな。手品みたいなもんだ」
俺はポケットの中で、ずっしりと重い木箱の感触を確かめた。
波風を立てず、明日も穏やかに肉を焼いて暮らす。
その平穏を守るために必要な手当てなら、多少の不本意には目を瞑るつもりだ。
「……腹が減ったな。今夜は美味い肉を焼いてやる」
「えっ! 本当!? お肉! ステーキですわね! デザートもつけてよろしくて!?」
さっきまでの緊張などどこへやら、ラピスは満面の笑みで跳ね回った。
「ああ、好きにしろ。ただし、明日からはまた地味な雑用仕事だぞ」
「はーい! アルス様、大好き!」
伸びる二つの影を見つめながら、俺たちは『灰色の月』への帰路を急いだ。




