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神殿は、目前に迫った神事の準備が佳境に入り、ますます慌ただしさを増していた。
サイファはオルガとともに大司祭の執務室で、神事の進行表に目を通していた。
「アイリスは間に合うのか…」
明日に迫った神事を前に、サイファが眉を寄せた。
オルガはその様子に目をやると、サイファが手にしていた進行表を取り上げる。
「間に合うから、少し休め。余裕がないから余計に追い詰められるんだ」
「気を紛らわせたいんだ…」
いつになく弱気な様子にオルガが肩をすくめたその時、執務室の外が騒がしくなった。
司祭たちの落ち着かない声が近づいてくる。
そして、慌ただしいノックが執務室に響いた。
「サイファ様、オルガ様。ヴァリエール様とアイリスが戻りました」
待ち望んだ報告に、サイファの腰が浮いた。
オルガの目が、「だから言っただろう」と細められる。
「入りなさい」
短い返事を返すと扉が開き、アイリスとセドリックが一礼とともに入室した。
サイファがアイリスに目を向けると、アイリスがまっすぐに見返してきた。
それだけで、彼女の様子がこれまでと全く違うことが分かった。
だが、サイファは首をかしげる。
(髪の色が黒くないな…)
髪の色で人格が異なる。
それがサイファの認識だった。
だとすると、今、目の前にいるアイリスは神殿でオドオドとしていた方のアイリスのはずだった。
「サイファ様、ただいま戻りました」
「おかえり、アイリス」
内心の疑問を押し隠し、サイファは優しく微笑んだ。
アイリスが少し迷うような目をして、それでもサイファを見つめ返した。
「サイファ様に、お話があります」
静かだが強い意志を持った目だった。
サイファはますます意外だと目を細めた。
「先にヴァリエール様の報告からお伺いするよ」
「いいえ。神殿の神事に関わることです。部外者からお話しできることはありません」
アイリスのはっきりとした物言いに、今度こそサイファが目を瞬いた。
セドリックに目を向けると、静かにアイリスの背後に控えており動く気配もない。
「もう一度言います。神事にかかわることなので、私からお話しします」
一歩も引く気のないアイリスの様子にサイファは戸惑いを隠せずに黙り込む。
一方で、アイリスとは一度しか面識のないオルガはセドリックに視線を送る。
腹のうちの読めない部下は、その唇を三日月のように引き上げて面白そうな顔をしたままオルガに頷いて見せた。
オルガが肩をすくめる。
ここは部下を信じてアイリスの話を聞くことを勧めておこう。
「まあ、聖女の言う通りだ。まずは話を聞こうじゃないか、サイファ」
いくらこれまでのことを反省していたとしても、身に染みついた貴族意識はなかなか抜けるものでもないのだろう。平民の言うことに従うことを渋っている頑固な友人の背中を押してやる。
サイファとしてもこれまでの自分に思うところがあることは確かなので、渋々と頷くとソファーに腰を下ろしてアイリスを促した。
自然な動きで、アイリスの隣にセドリックが腰を下ろす。
「まず、明日の神事ですがクゥ・ルーイを用意しましたので、予定している供物と差し替えてください」
「今ある供物では、神事に差し障るんだね…」
調べているうちに薄々感づいていた事実を、改めて確認する。
アイリスは深くうなずいた。
「神事の供物は必ず神の好物でなくてはなりません」
「…神託かね?」
「はい」
サイファが重い口を開いてアイリスに確認をした。
それはアイリスが神託を受ける「大聖女」なのかの確認でもあった。
アイリスが迷いのない目ではっきりと肯定する。
この娘が、こんなにはっきりと物を言うことができること自体が、サイファにとっては意外だった。
いつも自信がなさそうに、何をされても困ったように笑うだけの娘だった。
「アイリスは随分と変わったね。神託が君を変えたのかね?」
「…いいえ」
自嘲気味に問いかけたサイファに、アイリスが首を振る。
そしてしっかりと顔を上げてサイファに宣言した。
「私に足りなかったのは『気合い』です」
サイファの目が丸くなる。アイリスの隣でセドリックが肩を震わせた。
アイリスは構わず胸を張った。
「嫌われるのが怖くて何でもかんでも考えなしに、人の言うことに従っていた私の気合いの入ってない生き方に問題があったんだと、学びました!」
「…それは、ずいぶんと極端な学びだね」
予想外の返事にサイファが何と言っていいのか迷う。
(そうやって律儀に返事をしてしまうところが、こいつの憎めないところなんだよな)
オルガがサイファの隣で苦笑している。
意味の分からないことでもとりあえず真面目に返事をしてしまう。それが、サイファの本質がお人好しであることを証明しているようだった。
「はい!」
アイリスは元気よく答えた。
そして、そのまま身を乗り出した。
「神託は『声』ではなかったんです」
「ああ、そのようだね…」
説明しようとしていたアイリスは、サイファの返事に目を瞬いた。
「ご存じでした?」
「つい、最近な…」
不承不承認める。
聖女を認定する組織の長としては大失態だ。何やら学んだらしいアイリスから、何を言われるのかと身構える。
「そうなんですね!よかった、説明の手間が省けた!」
「…は?」
目の前で手を合わせて、ほっと息を吐くアイリスにサイファが気の抜けた声を出す。
アイリスはさっさと手持ちの荷物からクゥ・ルーイを取り出すとサイファに差し出した。
「私が大聖女だって説明からしなきゃいけないから、どうしようかと思ってたんですけど、ご存じなら話が早いです」
押し付けられたクゥ・ルーイを見つめて呆然とするサイファには、まるで気が付かないように矢継ぎ早に話を進める。
「そういうわけですから、神事は私がやりますね」
目まぐるしく表情を変えるアイリスを、オルガも呆然と見つめる。
オルガの視線に気が付いたアイリスは、二人に向かってふん、と顎を上げた。
「毎年私がやってたんです、練習なんてなくても間違いなく進めてみせます!」
多分これもカミラの真似だ。
以前では考えられないアイリスの行動にあっけに取られる二人をよそに、セドリックだけが、アイリスの偉そうな態度に心当たりを見つけて、口元を抑えて震えていた。
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