67 メンズナイト
エルダリア国の王都で、騎士団本部の責任者であるオルガ・トレイスト伯爵は頭を抱えた。
部下であるセドリック・ド・ヴァリエール侯爵令息からの報告の内容が、あまりにも想定外だったからだ。
視察先のアスコット村で大聖女についての疑問と曖昧なルールについてまとめた資料を送ってきた。
それは、まあ良い。
アスコット村の前に立ち寄った町から送られてきた報告の「社交界の至高の薔薇」とやらの調査をして、その結果も送ってやった。
「…だからといって、アマンディアス皇国に乗り込むことはないだろう……」
調査対象の令嬢が、皇国の関係者のようだと伝えたのは確かにオルガだ。
だが、クマのぬいぐるみに魂が憑依してますよ、などと言ったところで、まともに取り合ってもらえるはずがない。
それが分からないセドリックでもないだろうに。
「…いや、敢えてなのか?」
オルガは面白ければ何でも良いという部下の悪い癖を思い出した。
だが、同時に冷静な観察眼をもっていることも知っている。
「相手を確実に納得させるだけの『なにか』を見つけているのか…」
とにかく王都から馬車で四日以上もかかる場所だ。
今から指示を出したところで間に合うまい。
それについては、頭は痛むものの諦めるよりほかない。
次に頭を悩ませているのは、友人でもある神殿の大司祭サイファのことである。
「一体、あいつはいつまで閉じこもって資料を漁っているつもりなんだ」
今年の、聖女による祈りの神事はもうすでに日が迫っている。
これまでは、毎年アイリスに大聖女の代わりをさせていたが、サイファの考えでは誰が行っても問題はないということだった。
「まさか、何か問題があるのか…」
いつまでたっても音沙汰のないサイファに痺れを切らして、オルガは神殿に乗り込んだ。
通された神殿の応接室で、目の前に置かれたカップから上がる湯気をぼんやりと見つめていると…
ガチャリ。
「オルガ、待たせたな」
静かな音を立てて扉が開き、サイファが現れた。
ひどく草臥れており、目の下には隈がくっきりと浮かび上がっていた。
「サイファ。随分お疲れのようだが、何か分かったのか?」
サイファはオルガの問いかけに答えるわけでもなく、ソファーの正面に腰を下ろした。
両手を膝の上に組み、長い息を吐く。
物事がうまく運んでいないときのサイファの癖だった。
「おまえのその癖を見るのは久しぶりだよ、サイファ」
オルガが肩をすくめた。
「神殿の文献をすべて読み直した」
「何か目新しいことは見つかったか?」
サイファは思いつめたように首を振った。
「…いや。ただ、視点を変えると意味が異なることがいくつか…」
オルガは部下たちからの報告と併せてみても、まあそんなところだろうとあたりを付けていたので軽く肩をすくめるだけだった。
「伝承やら伝記やらは、時々によって解釈が変わる。おまえはそれをよく知っているだろう?」
「…そうだな。私はそれをよく知っていたはずだったんだ」
いつの間にか効率を重視し、自分に都合良く読み取る癖がついてしまっていた。
自分の不甲斐なさを直視するのはあまりにも情けなかったが潔く認め、再び息を吐いた。
「大聖女など自己申告でしか判断できないようないい加減なシステムで、本当は誰でも問題ないと決めつけていた」
いい加減な自己申告制度なのは間違いないのだが、大聖女が実在しないという明確な根拠もなかったのに。
自分が無意識に作り上げた「大聖女像」と比べて、過去の大聖女達が俗物的過ぎたという理由で否定してしまった。
強欲だったり、男好きだったりする大聖女がいるわけないと。
「大聖女達の記録を確認したんだ…」
「今さら、また読み返したのか?」
オルガが不思議そうに首をかしげた。そのくらいは何度でも読み込んでいるだろうに。
「聞いていないんだ…」
「…何をだ?」
サイファの目から、光が抜け落ちている。
「大聖女達は、神の『声』を、聞いていないんだよ」
「…どういうことだ、神託は全てデタラメなのか?」
混乱するオルガにサイファが首を振る。
「いや、そうじゃない。言葉が足らなかった、すまない」
オルガに促されて、サイファは声を絞り出した。
「神託は『夢』だ…」
「ゆめ?」
「大聖女達は『声』ではなく夢で『映像』として神託を受けていたんだよ」
頭を抱えるサイファにオルガがさらに首をかしげた。
「それが何か困るのか?」
「これまで『声』を聞いたかどうかしか尋ねていないが、アイリスは『夢』は見ていたんだよ」
オルガは、以前少しだけ顔を合わせた少女を思い出した。
黒髪の気の強そうな少女だ。
「そっちじゃない…」
サイファは気の弱そうなブラウンの髪の少女を思い出す。
神の声を聞いたことはないと常に言っていた彼女は、神の気配は確実に感じていた…
そして、この神事の時期には必ず夢を見ていた。
「神様がクゥ・ルーイをよっぽど食べたいみたいなんです」
少女の言葉を思い出す。
あれは、神事を任されて緊張し過ぎた小心者の見た夢ではなく、神託なのではないか。だとすれば、アイリスは大聖女だし、神事にクゥ・ルーイは必ず必要なのではないか…。
国をあげての大きな神事だ。
失敗は許されないというのに、大聖女は不在で供物も用意していない。
大切な神事まで、残り時間はあと三日と迫っていた。
「神事が行われなければ、この国の結界は消滅する…」
オルガが息を飲んだ。
――――
客室の窓を開け放ち、夜風にあたりながら、セドリックとグレンは用意された上等な酒に口を付けていた。
「やっぱり、うまいね?」
「何が『うまいね?』だ。あっさり見捨てやがって」
不機嫌な顔でグレンがセドリックを睨み付けた。
「ははは。仲良くしておきなよ、長い付き合いになるかもしれないんだし」
「なるか!」
即答するグレンにセドリックは肩をすくめた。
何食わぬ顔でグラスを傾けると、別のことを口にする。
「ルウイ村でクゥ・ルーイを買っておいて良かったよね?」
「どいつもこいつもやることが雑すぎるんだよ」
グレンが舌打ちする。
「まぁ、神事までに間に合わせられそうだし、なんとかなるでしょ」
それでもグレンは渋い顔のままだ。
セドリックは苦笑する。
「転移魔法、使わせてほしかったら侯爵にお願いするしかないんだし、諦めなよ」
アイリス達がなんとか神事に間に合うための魔法をアシュトレイヤ侯爵が融通してくれることになっていた。
「カミラ嬢を褒めたたえる百の美辞麗句講座、ちゃんと受けておいでよ」
「マジで、くそくだらねぇ条件だしやがって、あの過保護どもが!」
優秀な部下達が、王都の危機になんとか間に合わせようと奮闘していることをオルガは知るよしもなかった。
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