58
エドワードの案内で入った部屋はひんやりとした冷気が籠っていた。
一歩足を踏み入れただけで震えるほど寒い。
部屋の中央に置かれた氷の柱のせいだろう。
きらきらと光を反射する氷の中に、一人の少女が眠るように閉じ込められていた。
漆黒の髪に白磁の肌。
きっと目を覚ましたら、美しいルビー色の瞳を持っているに違いない。
「この子が、カミラなんだね…」
アイリスが氷の中の少女を見上げた。
そっと触れようと手を伸ばした時、背後からセリーヌが悲鳴を上げた。
「カミラっ…!?」
アイリスが勢いよく振り返ると、セリーヌが抱いていた黒いぬいぐるみが頭を押さえて声を震わせていた。
「…っ!!!痛っ」
その苦しむ姿は検問所で家族のことを思い出した時と似ていた。
アイリスの背中を冷気とは違う悪寒が走る。
どす黒くて、重たい『何か』だ。
「カミラ!」
アイリスが大声で叫んで手を伸ばす。
「グレン、カミラをお願い!」
カミラに駆け寄ると、傍にいたグレンに短く告げる。
そのまま伸ばした手のひらをカミラに向けて強く意識を飛ばした。
「カミラ、『こっち』に来て!!!」
アイリスの叫ぶ声が響くと、セリーヌの腕の中のぬいぐるみが大きく跳ねた。
駆け寄ったアイリスから、ふっと力が抜け崩れ落ちる。
「おい!!」
とっさにグレンが手を伸ばしその体を抱きとめた。
体勢を崩したアイリスの髪の色が毛先から黒く変わり始めていた。
「これは…」
セリーヌの腕の中のぬいぐるみがミルクティー色に変わっていく。
その、色の変わったぬいぐるみが叫ぶ。
「グレン、カミラをこの部屋から連れ出して!セドは私の荷物の中からクゥ・ルーイのランタンを持ってきて!」
セドリックとグレンは視線を合わせると、すぐにそれぞれ行動に移った。
「ここから一番遠い部屋はどこだ?」
グレンに問いかけられたレオニスがハッと我に返り、すぐに扉の外へ飛び出した。
「こっちだ」
カミラを抱きかかえたグレンが後に続いた。
セリーヌの腕に抱かれたアイリスは、顔を上げた。
「カミラのところに連れていってください!」
とても侯爵夫人にお願いすることではない。だが、アイリスは必死だった。
「私がお連れしよう」
セリーヌの隣からエドワードが手を差し出す。セリーヌは迷わずアイリスをエドワードへ託した。
「あなた…お願いね」
「ああ」
言うやいなや、エドワードはすぐに駆け出した。
アイリスは、恐れ多くも「侯爵」が運んでくれている、ということにまで気が回っていない。一刻も早くカミラのもとに辿り着きたかった。
グレンがカミラをベッドに横たえるとアイリスを抱えたエドワードが飛び込んできた。
そして、そのままアイリスをカミラの側にそっと下ろす。
「アイリス、持ってきたよ!!」
セドリックがランタンをアイリスにかざした。
「蝋燭に火を…」
アイリスの言葉にグレンが素早く動く。セドリックからランタンを受け取り、すぐさま火をつけた。
「これ、意味あるのか…?」
「ある! クゥ・ルーイのランタンはすべての体調不良に効果があるの。たとえカミラに効かなくても、私の体には効く…」
アイリスはまっすぐにカミラを見つめながら、早口に説明した。
「魂を傷つけようとする呪いです。体と分離したのは正解でした」
「なん、だと…」
エドワードが目を見開く。
体と魂を分けたのは、ただの偶然に過ぎない。その事に震えた。
「体に残った呪いが、カミラの魂に向かったの。でもまだ大丈夫、浄化できます」
はっきりとアイリスが言い切った。
だが、かざすその手が震えているのをセドリックは見逃さなかった。
「アイリス…」
一度アイリスの両手を握る。
「セド!離して…っ!急がないと」
「アイリス、落ち着いて」
ゆっくりと目を見る。
アイリスが吸い込まれるようにセドリックを見上げた。
「君は聖女だ。今代聖女達の中で最も力の強い聖女だ…」
セドリックの落ち着いた声が、アイリスの中の焦燥感を溶かしていく。
「俺は君を大聖女だと思っている…」
「それは…」
アイリスの目が揺れた。
「自分を信じられないなら、俺を信じて?」
アイリスが目を瞬くと、セドリックはいたずらっぽく唇を引き上げる。
「君は大聖女だ。素人の呪いなんか余裕で浄化できる」
「……うん」
アイリスが深呼吸して頷いた。
「私は大聖女。カミラは必ず助ける…」
アイリスの両手から強い光が溢れ出た。その金色の光がカミラを包み込む。
オーロラのように、ゆらゆらとカミラの周りを漂っていたそれはやがて静かに消えていった。
カミラの呼吸が穏やかに変わる。
クゥ・ルーイの花のような穏やかな香りが部屋をふんわりと満たした。
カミラの手を握っていたグレンがホッと息を吐く。
カミラはまだ目を閉じたままだが、呼吸は規則正しい。安堵してカミラの頭をそっと撫でた。
「カミラの魂はもう大丈夫。体の呪いを完全に浄化するまで、私の体で護ります」
「アイリスの?」
「うん。聖女の体だから、少なくともぬいぐるみより呪い避けになると思うの」
頷くアイリスがセドリックに手を伸ばした。
「あとは、カミラの体の方に残っている呪いを浄化するだけだよ」
セドリックがアイリスを抱き上げた。
「あの部屋に戻ればいいのかな?」
「うん、お願い!」
アイリスが力強く頷いた。
そして、グレンに声をかける。
「グレンはカミラをお願いね」
「…おう、任せとけ」
グレンの返事に満足してアイリスはエドワードに頭を下げた。
「運んでくれてありがとうございます」
「いや…こちらこそ…」
まだ、動揺の抜けきらないエドワードにアイリスが胸を張った。
「あと少しです。体の方も完全に解呪して、カミラを戻します!」
とても頼もしい…、ぬいぐるみだった。
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