【092】アリステアと三年ぶりの再会
ゼインたちには急ぐ理由があった。
馬に休息を与えるため、途中で徒歩に切り替え、負担を減らすなど工夫を重ねながら強行軍を続け、ついにリューベックの村へ到着した。
皆は疲れを表に出さず、手紙で指定された屋敷へと歩を進める。
ただ一人、マザランだけは長時間の移動で肩を落とし、額に薄く汗をにじませていたが、それでも足を止めようとはしなかった。
エルヴィスが、前を行くゼインに声をかける。
「さすがにこの速度で移動すれば、トリポリ公爵の追手も追いつけないだろう」
「ああ。俺は草原で馬に慣れ親しんでいたし、他の皆もルグルスの大森林で鍛えているからな。
だが、ビアトリクスがこれほど馬の扱いに慣れているとは思わなかった」
ビアトリクスはゼインの言葉を聞き、驚かれることに驚いたような表情を見せた。
「あら、これでもサイサリス公国の一軍の将として戦場に出る必要があったのよ。
あなたたちと同じ程度には扱えないと、話にならないでしょう」
エルヴィスが笑みを浮かべる。
「確かにそうだな。あんたが先頭に立って一軍を率いる姿は、美しいかもしれんな」
そのやり取りを聞いていたマザランが、少し息を整えながら振り返った。
長時間の移動でわずかに顔色は青く、額には薄く汗が滲んでいるが、それでも声はしっかりしていた。
「あそこに見えるのが、手紙にあった屋敷ではないでしょうか?」
エルヴィスが前方を見やり、にやりと笑った。
「あれだな。この村で一番大きな屋敷だ。ゼイン、緊張してるのか?」
「緊張というのかはわからん。
別れてから三年もたっている。
久しぶりに会うアリステアが、どんな顔をしているのか思い出せるかどうか、それを考えていた」
それはさすがに覚えているだろうとエルヴィスは思った。
しかし、不安げなゼインの顔を見ていると、昔とあまりにも違っていて、本当にわからない可能性もあるのかもしれないと感じ、言葉にはしなかった。
屋敷の門を抜け、敷地内を進むと、ゼインの知る懐かしい顔が笑顔で待っていた。
三年が経っても、鮮やかな赤い髪と澄んだ青い瞳は変わっていなかった。
ただ、体つきは一回り以上大きくなっている。
三年前より大きく成長したゼインの身長は、今では百八十五センチに達していた。
しかし、そのゼインよりもアリステアはわずかに高く、百九十センチほどある。
二人の身長差は、三年前と変わらず五センチほどだった。
アリステアは均整の取れた長身で、整った顔立ちには穏やかさがあり、その大柄な体格から受ける威圧感を和らげていた。
その笑顔は、かつてと同じくゼインに向けられたものだった。
「アリステア」
「ゼイン」
話したいことも、聞きたいことも次々と思い浮かぶ。
しかし、互いにうまく言葉を続けられない。
アリステアは笑顔を浮かべていたが、ゼインは悪いことをした子供のような、複雑な表情をしていた。
しばしの沈黙の後、アリステアがゼインに歩み寄り、穏やかに言った。
「ゼインが私を迎えに来られなかった事情は知っています。
ザイドリッツとブレンダから聞きましたので、安心してください。
夜になったら、昔のこともいろいろ話しましょう」
そして、アリステアはエルヴィスたちに向き直った。
「手紙で詳細は確認しております。
今後のこともございますが、まずは屋敷でおくつろぎください。
本日はゆっくりとお過ごしいただき、今後の予定は明日以降にお話ししたいと考えております。
皆さまのお気持ちとしては、落ち着くのは難しいかもしれません。
ですが、私はゼインと別れてからの三年間、この日をずっと待ち望んでおりました。
どうか、ゼインとの時間をお与えいただければ幸いです」
屋敷の主人であり、草原の若き王と呼ばれるアリステアから、これほど丁寧な言葉で申し出を受けて、断れる者はゼイン以外にいなかった。
皆はゼインの様子から、過去に何かあったことを察していたが、その詳細は知らされていない。
だからこそ、アリステアの申し出を快く受け入れた。
皆が部屋で落ち着いている頃、ゼインとアリステアは向かい合っていた。
「ゼイン、随分待ちましたよ」
「ああ。色々あってザイドリッツのもとに戻れず、あちらこちらを転々としていた。
だが、一日としてお前を忘れたことはなかった」
「今この瞬間、ゼインが言葉にして私に伝えてくれるほど、覚えていてくれたということですね。
私はナホトカを出た時と同じ気持ちです。
あなたと一緒にいたい、あなたを助けたい。
その一心でやってきました。
今日あなたを見て、自分の気持ちが当時のままであることを思い出しました」
アリステアはゼインを見つめ、改めて自分の胸の内にある思いに気づいた。
そして、遠くを見やりながら、心を落ち着けるように言葉を続けた。
「あの時の、その後についてお話しします。
私たちの父親代わりだったザイドリッツは、ゼインがブランドンに会うために出発してすぐに亡くなりました。
おそらく、ゼインが旅立ったことで、自らの役割を終えたと感じたのでしょう。
翌朝には、矢傷の痛みに苦しむ顔ではなく、達成感を湛えた笑顔のまま息を引き取っていました」
「そうだったのか。
俺はブランドンの所に着いてから、ザイドリッツやアリステア、お前の話を一切聞かされていなかった。あの時、手紙を受け取ったブランドンから、ザイドリッツは自分は矢傷がもとで長くはない、この手紙を持参したゼインの面倒を見てほしいと書かれている、と聞いた。
その時、俺はザイドリッツが目の前で亡くなるのを見ずに済んだことに、正直ほっとした。
俺にとってのザイドリッツは、殺しても死なない、元気なくそ親父で、その姿が今も記憶に残っている」
「そうですね。
ゼインはそれで良いと思います。
何より、私たちのことを理解し、大切に想ってくれていたはずです。
だからこそ、私たちの親父ザイドリッツも、自分の死に際をゼインに見せたくないと思っていたのでしょう。
それと、知らないと思いますので伝えておきます。
私とゼインを引き離したのは、ナホトカから我々を連れ出してくれたアーチーと、ザイドリッツが話し合った結果です。
ゼインが出発した夜、ザイドリッツはこう話してくれました。
二年間そばで見ていて感じたことだが、これからお前たちは二人でこの乱世を生き抜いていくだろう。
そのためには、一度距離を置き、お互いに自分自身を見直し、それぞれ違う方法で成長した方が良い」
「そういうことだったのか。
今さら聞かされてもとは思うけどな。
なぜあの時そう言ってくれなかったのか、不思議だぜ」
「ゼイン、あの時の我々はまだ若かった。
ザイドリッツの言うことを素直に聞けましたか?
俺たちの進む道は俺たちで決めると、言っていたはずです。
矢傷で寝込んだザイドリッツの頼みで、古い友人ブランドンへの手紙を渡し、返事をもらって来いと言われなければ、素直に行かなかったでしょう。
私たちの父親であるザイドリッツは、我々の扱いを我々以上によく知っていたのです」
「俺らはザイドリッツに思う様に操られていたわけだな」
「違います。我々が最短で成長できる道筋を提示してくれたという事です。
それによってゼインは、元ガラリヤ王国で軍略家として知られたブランドンから学ぶことが出来たのでしょう。
どのような内容か私にはわかりませんが、私たちの父親ザイドリッツから聞く話ではとても優秀な方と聞いていましたよ」
「ああ、それはそうだ。
あの方のいた国が何故滅びる事になったというのがわからねぇ。
いやガラリヤ王国が滅んだ理由は、ザイドリッツのせいでも、ブランドンのせいでもないという事は理解している。
あれほどの知識を持っていても、上が使えねぇと、そうなるという事がわかった。
いつかお前にもブランドンが言っていたことを話してやろう。
しかしおれ以上にあの方の下で一緒に学んだマザランという男の方が詳しい。
明日にでも紹介するぜ」
「そうですね。
マザラン殿だけでなくゼインと一緒にいる皆さまも是非紹介して下さい。
とりあえず久しぶりに昔を思い出して飲みましょう」
そう言ってアリステアは、馬乳酒を出した。
「ザイドリッツの所にいた時以来飲んでなかったぜ。
アリステアはずっとこれを飲んでいたのか?」
「ええ、ゼインと離れてからずっとこれでしたよ」
あなたが私を探すのに迷わない様に、私はずっと草原にいました。
草原の民は良くしてくれましたし、ただあなたがいない事を除いて楽しかったです。
と口に出さずに言った。
「再会を祝して」
お互いに馬乳酒を飲み干した。ゼインは
「相変わらず癖の強い味だな」
初めてこれを飲んだ時の事を思い出した。
あの時は、まだ十六歳だった。
ザイドリッツがいて、アーチーがいて、ブレンダがいた。
あれから随分月日が経ったものだと改めて実感した。
「ブレンダは元気にしているのか?」
「私たちの母親のブレンダは、流行り病で昨年亡くなりました。
最後まで我々の事を気にかけてくれていましたよ」
そういって、馬乳酒を一気に流し込んだ。
「そうかブレンダも亡くなったか。
ザイドリッツもブレンダもブランドンも、俺達の成長を見てもらいたい人はなかなか長生きしてくれないな。
もう少し生きていてくれれば、俺は彼らに対して偉そうなことを言えたと思う」
「そうですね」
「俺らが彼らの生きていた証と考えていいのかな。
彼らや彼女が、どれほど俺達に良くしてくれたか。
どれほど良い人であったのか、伝える事は考えなくて良いのかな」
「彼らも彼女も、ゼインだからではなかったのでしょうか。
人と接する時に、相手によって人は変わります。
ですから、ゼインはそれほど難しく考えなくても良いと思います」
実際に私は、ゼインの為に命を落としてもゼインを恨みません。
ゼインに覚えておいて欲しいとも思いません。
あなたが、うまく言えませんが大きくなること、それで皆も満足するはずです。
あなたは昔から他人からの好意を受け取ることが得意でした。
しかしその好意を当たり前と考える事をしない人でした。
お互いに数年の時を経て自身の取り巻く環境は変化しましたが、ゼインのその部分は変わっていませんね。
その後はお互いに一緒にいる事が出来なかった時間について朝方まで語り合った。




