【088】ケイシーの願い、三年の約束
アリステアからの手紙を確認したあと、ゼインは王都サボーナでケイシーと知り合った馴染みの店へ向かうため、宿を出た。
皆には食事をしてくると言ったが、実際は少し一人で歩きたかった。
ナホトカを共に旅立った赤毛の少年、アリステアのことをゆっくり考えたかったし、それ以上にレニーへ別れを告げる必要があると思っていた。
白く細い少年が悲しむ姿は容易に想像できた。
これほどレニーに情が移るとは思ってもいなかった。
彼はゼインの話を聞くとき、目を輝かせ、想像を膨らませ、一言一句を聞き逃すまいと耳を傾けていた。
その姿を思い出すと、胸にやるせない思いが広がる。
初めから引き受けなければ、このような気持ちを抱くこともなかったかもしれない。
しかし、レニーと出会えなかったほうが、きっと寂しかっただろうと考え直す。
そんな思いを抱えたまま店に着き、ケイシーの姿を探す。
いつもの店員に尋ねると、奥に座っているとのことだったので案内してもらった。
「ああ、これはゼインさん。どうぞ、こちらにお座りください」
ケイシーは一人で机に座っていた。
ゼインはその様子を見て、自分を待っていたのではないかと感じた。
いつもはにこやかで笑顔を絶やさない人物だったが、今日はどこか違っていた。
それは自分も同じかもしれないと思いながら、ゼインは向かいの席に腰を下ろし、店員に酒と料理を頼んだ。
「俺がこの店に来るのも、これが最後だろう。明日には王都サボーナを離れる」
ゼインが言うことを知っていたかのように、ケイシーは静かに口を開いた。
「そうですね。初めからそういう話でしたし、孫のために時間を作っていただき感謝しています。
食事の後に少し話がありますので、屋敷まで送っていただけますか」
ゼインは「ここで話せばいいだろう」とは言わなかった。
ケイシーの表情から、この場では話せないことだとすぐに察したからだ。
二人の間に沈黙が落ち、互いに想いを巡らせながら黙々と料理を口に運んだ。
食事を終えて店を出ると、王都サボーナの暗い街並みを並んで歩く。
やがてケイシーは意を決したように言った。
「ゼイン殿、王都サボーナを離れる時に、レニーを連れて行ってもらえませんか。
あなたが何らかの使命を抱えていることは承知しています。
それでも、お願いしたいのです。
ルグルスの大森林のゼイン殿」
ゼインは息をのんだ。
まさか自分の悪名が、これほど遠く離れた地で、しかもティモール王朝の屋敷の門番をしている男にまで知られているとは思わなかった。
だが、こんな夜半過ぎ、人通りもない場所で、自分の悪名を知っていると告げる意図は何か。
この場でケイシーを殺しても、誰にも気づかれないだろう。
人違いだと言い切ることもできた。
しかし、ケイシーは自分が殺されてもゼインに迷惑をかけない状況を整えたうえで、この事実を告げてきたのだ。
そこには殺される覚悟がありながらも、悪意は感じられなかった。
「初めから知っていて近づいたのか」
「いいえ、先ほどの料理屋で初めてお会いした時は、当然気づきませんでした。
孫があなたに惹かれ、変わっていく様子を見ました。
さらに何度か会ううちに、一介の傭兵では感じられない底知れぬ恐ろしさを覚えました。
私は門番ですが耳は良い方です。
各国のあらゆる情報を得るため、人一倍努力しています。
ルグルスの大森林のゼインを知っている私を殺しますか。
私がトリポリ公爵に知らせれば、あなたは捕まり処罰を受けるでしょう。
それでも、レニーを連れて行ってもらえるなら、殺されても構いません」
前を歩いていたケイシーが立ち止まり、振り返る。
「人違いだという冗談は通じないのか」
目が笑っていない笑顔でゼインがケイシーに問いかけると、ケイシーは静かに答えた。
「私はレニーを連れ出していただけるのであれば、全て冗談で済ますことが出来ます。
それに、生い先は短いので、この場で亡くなっても構いません。
私の死でレニーをこの状況から救えるのであれば、これほど安いことはありません。
もちろん孫はこの事を知りませんし、教えるつもりもありません」
「あんたが言っている事は理解した。
しかし、なぜ俺なんだ。
ルグルスの大森林の盗賊ゼインだと知って連れ出して欲しいと言っているのだろう。
俺があんたの孫をどうにかするとは思わないのか」
「ゼイン殿が私のかわいい孫をどうにかする?
私はそれほど人を見る目が曇っているとは思いません。
ゼイン殿を知って孫は変わりました。本当に良い方向に変わったのです。
私は孫の変化を心から望んでいました。
私が望んで得られなかった結果を、ゼイン殿はほんの二十日間ほどで得られたのです。
全てをお話しする事は出来ませんが、不幸な孫です。
この先も不幸が待ち受けています。
ルグルスの大森林のゼインに連れ去られても、これ以上状況が悪くなる事はありません。
レニーにとってゼイン殿の側にいる事が、私が見てきた中で最も幸せだと思うからです」
少しの沈黙の後、ゼインはゆっくりと言葉を発した
「ケイシー、あんたは本気なんだな。
本気で言っているのであれば、俺も本気で話そう。
今回、レニーを連れて行くことは出来ない」
ゼインの答えを聞き、ケイシーは悲しそうな顔をした。
「わかりました。ゼイン殿の秘密を知った私は、無駄死ということになりそうですね。
それでも、レニーの行く末を見なくて良いのであれば、それはそれで良いかとも思います」
「死に急ぐな、ケイシー。
良く聞け。俺は今回と言ったつもりだぜ。
将来にわたってレニーを連れ出さないとは言ってない。
なぜあんたが命をかけてまでレニーを連れ出して欲しいか、今回は聞かないでおく。
今回はレニーを連れ出すことが出来ないからだ。
しかし将来、レニーもあんたも望むのなら、俺は迎えに来る。必ずだ」
ゼインの言葉を聞いたケイシーは、失望から淡い希望を宿した表情に変わった。
「今回は、ゼイン殿の今の言葉で満足せよということですね。
わかりました。今のお話を聞いて、私はもう少し生きながらえることが出来るということですね。
将来、ゼイン殿がレニーを迎えに来るまで生きていなさいと言われたような気持ちです」
「言われたような、ではない。
ケイシー、あんたはもう少し長生きしろ。
あんたが想像する未来は、俺がかなえてやる。あんたのためじゃねぇ、レニーがかわいいからだ」
「ゼイン殿、私はゼイン殿の言葉を聞いて、今は満足しておきます。
近い将来、ゼイン殿がレニーを連れ出してくれる未来を夢見て長生きします」
ゼインはケイシーに向かって言った。
「ああ、近い将来だ。こっちが片付けば、すぐにレニーを連れ出すためにこの王都サボーナに来る。
三年だ。三年を目安に考えてくれ」
そう告げて、ティモール王朝の屋敷の裏門へ向かうケイシーを見送り、別れた。
ケイシーは、背中にゼインの視線を感じながら裏門の扉に手をかけた。
そこで、ふと動きが止まる。
ケイシーにはまだ、ゼインに伝えていないことがあった。
リューベック辺境伯とは旧知の友人である。
もしゼインがリューベックを通過するのなら、便宜を図ってもらうこともできただろう。
だが本当にゼインにそれが必要なのか。
こちらと同じように、ゼインにも事情があることは十分に理解していた。
伝えるべきか迷い、振り返った時には、もう通りにゼインの姿はなかった。




