【085】ゼインとレニー、運命の出会い
翌日、昨晩の件があったので、ゼインはエルヴィスに「行ってくる」と告げて商館を後にした。
王都サボーナを西へ向かい、王都のはずれに昨日聞いていたティモール王朝の屋敷を遠くに見つける。
その屋敷は遠目にもわかるほど塀が高く、見る者を威圧するほどだった。
「屋敷という名の牢屋だな。
外敵を防ぐためではなく、中の人間を逃がさぬ造りだ。
かつてアンドラ公国やサイサリス公国を従えた王朝が、いまやこんな箱庭に押し込められているとはな」
ゼインは独り言をつぶやき、高い塀に囲まれた屋敷へ歩を進めた。
表門と思われる大きな門は閉ざされ、その横に門番が立っていた。
昨夜、ケイシーから「決して表門から入らず、裏門から入ってください」と念を押されたことを思い出す。
塀沿いに進むと、西側に荷物搬入用の門があり、入口付近では門番が椅子に腰かけ、表門とは違って緊張感がなかった。
「昨夜、ケイシーという老人に、こちらへ来るよう言われたゼインという者だが」
座っている門番に声をかけると、
「ああ、聞いているよ」
と返され、屋敷の裏口から中へ通された。
塀を抜けて中に入ると、裏庭が広がっていた。
屋敷は三階建てで、不必要な装飾はなく、頑丈な造りであることが一目でわかる。
屋敷の中は掃除が行き届き、整然としていたが、高価そうな置物は一つも見当たらなかった。
裏口から入れられたことと、門番の対応も気になった。
昨夜のケイシーの人柄を思い返すと、妙に引っかかるものがあり、念のため自分が逃げる際の経路を確認する。
部屋で待っていると、ケイシーが入ってきた。
「ゼイン殿、本日はありがとうございます。
昨日の今日で早速お越しいただけるとは、本当にうれしく思います」
ゼインはケイシーの様子を注意深く観察したが、特に企みがあるようには見えなかった。
「昨晩、明日の昼間に行くと言ったはずだぜ。
俺は飲んでいるときの約束は必ず守ると決めている。
しかし爺さん、俺は裏門から入るように聞いていたが、屋敷に入るときも裏口なのか?
何かやましいことがあるのか?」
「いえいえ、やましいことなどと物騒なことはおっしゃらないでください。
表門はティモール王朝に挨拶に来られる方専用の門で、他の来客は裏門を使います。
ゼイン殿が特別な理由で裏門から入ったわけではありません。
私の説明不足で不快に思わせたことはお詫び申し上げます」
「不快ってほどじゃないがな。
何か隠し事に付き合わされているのかと思って、少し心配になっただけだ」
「ゼイン殿にご心配をかけぬよう、きちんと説明いたします。
ゼイン殿がこちらに来ることは隠し事と言えば隠し事になります。
ティモール王朝の屋敷に、私の行きつけの飲み屋の常連を連れてきて、孫の相手をしていただくわけですから、大手を振ってお越しいただくわけにはいきません。
他所で大声でティモール王朝の屋敷に入っているなどと言われるのも少々問題があります」
「問題があるなら、そんなに笑いながら言うことじゃねえだろ。
じいさんの孫に海の話をするだけじゃねえか」
ケイシーは人差し指を口元に当て、軽く笑いながら言った。
「他言無用でお願いします」
ゼインは軽口を叩きつつも、ケイシーの言い分を理解し、黙ってうなずいた。
「では、孫を連れてきますので、今しばらくお待ちください」
と言ってケイシーは部屋を出て行った。
やることがいちいち大げさだ。
飲み屋の友人がこっそり遊びに来たと思えば、それほど大事でもないだろう。
だが、このティモール王朝の屋敷には規則がある。
それを破っているとなれば、問題かもしれない。
しかし、規則を破ってまで孫に海の話を聞かせたいとは、なかなかの孫自慢かもしれない。
ゼインはそう思い、一人で笑った。
そうして考えていると、ケイシーが一人の少年を連れて戻ってきた。
「初めまして、レニーと言います。ゼインさん、今日はよろしくお願いいたします」
少年は丁寧に挨拶をしてきた。
ゼインの第一印象は、白く細いというものだった。
年齢は十歳くらいに見えるが、自分の十歳の頃とはまるで違うと感じた。
「えらく細いな。毎日食べているのか? 今、いくつなんだ?」
ゼインは中腰になって、レニーの目を見ながら尋ねた。
「今年、十歳になりました。食事は毎日しています」
レニーは礼儀正しくゼインに答えた。
その様子を見たゼインは、親のしつけがきちんとしていると感じ、横に立つケイシーへ視線を向ける。
「じいさん、この子は行儀が良いな。
俺なんかが話をして良いのか?
俺はこんな話し方しかできないぞ」
ケイシーが答えようとしたとき、レニーが口を開いた。
「私は海の本当の話を聞きたいのです。
書物で読んだことしかない青い海、塩辛いという水、波についても教えてほしいと思っています。
それだけでなく、ゼインさんが生まれたナホトカという港町にも興味があります。
ゼインさんは話し方を気にすることなく、お話ししてもらえればうれしいです」
わがままも行儀正しく言うのかと、ゼインは驚き、そして笑った。
「レニーは俺のことをゼインと呼び捨てにできるか。
ゼインさん、ゼインさんと呼ばれると話しづらくてしょうがねぇ」
「私は、今まで他の方を呼び捨てにしたことがありません。
たまに間違えることを許していただけるなら、そのように努力します」
ゼインは馬鹿にされているのかと思ったが、レニーの様子を見ていると本気でそう言っているようだった。
他人を呼び捨てにしたことがない、そんなことがあるのかと不思議に感じる。
「レニー、呼び捨てにしたことがないと言っていたが、友達のことはどう呼んでいるんだ?」
「そのように聞かれると恥ずかしいのですが、私に友達はいません」
ゼインは意味がわからなかった。
友達がいないとはどういうことだ。
学校に通っていれば、同年代の友達の一人くらいいてもおかしくないはずだ。
もう一度、レニーの言葉を腕を組んで考えてみたが、やはり理解できなかった。
「レニー、友達がいないってどういうことだ。
学校の友達とか、近所の友達とか、そういうのがいないって言っているのか」
「そうです。学校に行くより、この屋敷で勉強すればよいと聞いています」
ゼインはレニーの言葉を一つも聞き逃さなかった。
先ほど恥ずかしいと言ったのは、友人がいないことを恥ずかしいと思っているからなのか。
では、なぜ学校に行かせないのか。
ケイシーに視線を向けると、黙っている。
言いたくない事情があるなら、先に言ってほしいものだ。
友達がいなくて、周りに大人しかいないのなら、レニーの口調にも納得できるとゼインは思った。
その後、夕方前までゼインはレニーからの質問に答える形で、魚の取り方から料理の仕方、味、泳ぎ方、潮の満ち引きなど、あらゆることについて語った。
レニーはゼインのすべての話を、目を輝かせて聞いていた。
ゼインとの会話がよほど楽しかったのだろう。
帰り際、レニーは一大決心をした様子で口を開いた。
「ゼインさえ良ければ、明日以降、お時間のある時で構いませんので、こちらに来ていただくことはできますか」
「レニーがこんな話を聞きたいのなら、いくらでも来てやるよ」
レニー少年が喜ぶ返事を、ゼインははっきりと伝えた。




