【086】ゼインの日常
ゼインはレニーと話をした後、一旦商館に戻り、皆を連れて昨夜料理を味わった店へ向かった。
ビアトリクスは周囲の雰囲気を楽しみながら歩いていたが、状況が状況だけに口を開いた。
「セミラミス、このような状況で外に出てよいと思う?」
「遊ぶときは遊ぶ!
確かに心が休まる状況じゃないけど、今あたしたちに出来ることは一つもないでしょ」
ビアトリクスは、その通りだと思った。
現在は草原にいるゼインの友人アリステアからの返事を待っている。
さらに昨日、キール将軍に宛てた手紙は、アンドラ公国にいるモーゼル次第であり、手持ち無沙汰なのは確かだった。
それでも、先が見えない状況に不安を抱き、逃亡中の身である自分が、あからさまに外出してよいのかという迷いが胸をよぎった。
店に入ると、ゼインが気安げに昨日の店員へ声をかけた。
「来たぜ」
「あらっ、常連さんだね。
今日はまた多いね、別嬪さんが三人に男前が四名だね。
机を準備するから、ちょっと待っていてね」
そのやり取りを聞いていたブーディカが尋ねた。
「常連だって?ゼインは昨日、目立つことをしたのかい?」
「ちょっと他の客に絡まれただけだ。それほどのことでもねぇよ」
店内は昨日と同様に混み合っており、一行は別々の机へ案内された。
その際、ゼインは馴れた口調で注文をする。
「とりあえず酒と、昨日の料理を一番うまい状態で準備してくれ」
「わかったよ。それで今日は、爺さんの所に行ってきてあげたのかい?」
「ああ、こんな場末の料理屋で飲んでいる爺様の孫とは思えないくらい、真面目な少年だったぜ。
今日は爺様は来てないのか?」
「失礼なことを言う傭兵さんだね。たくさん飲んで食べて帰ってもらうからね。
爺様は今日は来てないね。この時間に来てないなら、もう来ないと思うよ」
「今日は来ない気なのか?俺らはたくさん飲んで、食べて帰るつもりだ」
と軽口を返した。
ゼイン、セミラミス、ビアトリクス、マザランは一つの机に座り、出された酒で乾杯をした。
セミラミスが少し驚いた様子で
「ゼイン、あんたは昨日の今日で本当の常連みたいじゃないか」
「昨日、エルヴィスとこの界隈を見て回ったが、この店が一番よさそうだったからな。
仲良くしておいて損はないだろう。
それにこの店の常連の爺様とも仲良くなって、昼間はその孫と遊んできたというわけだ」
セミラミスが笑いながら、
「こんな状況にも関わらず、昨日知り合った常連の孫と遊んでいるなんて、緊張感がなさすぎると思わないか?」
ビアトリクスは、こういった雰囲気の店に来るのが初めてだった。
そのため、ゼインと店員のやり取りすら新鮮に感じていた。
ましてや、昨晩会ったばかりの人間の家まで出向き、その孫と話をしてくるという感覚は、全く理解できなかった。
この店でゼインたちと共に過ごしていると、アンドラ公国から逃れ、サイサリス公国を再興しようとする自分の姿など想像できなかった。
セミラミスが言う緊張感がないというのは、この感覚のことだろうか。
セミラミスの言葉に、マザランが答えた。
「確かにそうかもしれませんが、ゼインのことですから驚くほどではありません。
それに、こういった店での噂話を拾うのも大事です。
昨日の今日で、ゼインが我々をここに連れてきたということは、姫様の誘拐がまだ公になっていない証拠でしょう」
「さすがマザランだぜ。
昨日、この店で耳を澄ませていたが、アンドラ公国の話は出ても、姫様の話は一切なかった。
つまり、奴らは必死に誘拐を隠しつつ、ルグルスの大森林周辺を探しているってわけだ。
そう考えると、酒もうまく感じるだろう」
「あんたは、性格が悪いね」
とセミラミスが言うと、マザランも頷いた。
セミラミスはゼインに
「それで、今日あった常連の孫との話というのは、どういった話をしたの?」
「それがな、白くて細い友達のいない少年なんだ。
海の話が聞きたいと言ってたから、色々話してきたぜ」
「ゼイン、あんたの色々の話は怖いね、少年には刺激が強すぎるんじゃない?」
「なんだよ、俺の経験談を少年にするとでも思ったか?
流石にあれだけ真面目な奴に聞かせる訳にはいかんな」
とゼインが大真面目に答えた。
「どこまで本当かわからないよ。それにしても、友達がいないってどんな子なんだい?」
「出会ったのはティモール王朝の屋敷だから詳しくは聞いてないが、学校にも行ってないらしい。屋敷で勉強を教えてもらっているみたいだ。真面目な奴で、最初は俺のことをゼインさんって呼びやがった」
「ゼインさんって柄じゃないよね」
セミラミスがからかうと、マザランも「たしかに」と間髪入れずに同意した。
ゼインがおいおいという顔をしていると、店員の「いらっしゃいませ」という声が響いた。
入口を見ると、初老の男ケイシーが入ってきた。
入口からゼインを見つけたケイシーは、そのままゼインたちの方へ歩み寄り、
ゼインに「本日はありがとうございました」と声をかけた。
「おっ、今日は来ないと聞いていたが、来たんだな。
真面目なお孫さんじゃねぇか。俺なんかが話をしに行って良いのか?」
「それはもう、明日も来てもらえると孫もとても喜んでいました。
なかなか構ってやれなくて心配していましたが、今日の孫の顔を見ると私もうれしくなりました。
また後程で結構ですから、少しお時間を頂くことは出来るでしょうか。
ご相談したいことがあって参りました」
ゼインはレニーの境遇も気になっていたので、ビアトリクスたちを残し、ケイシーと別の二人掛けの机に移動した。
「相談とは、どういった事だ?」
「孫の様子を見て、どう思われましたか?」
「とても真面目な少年だな。
俺なんかとは生まれが違う。しかし、あれだけ白くて細いと、ちゃんと食べているのか不安になるな。
それに友達がいないって言ってたが、孫はあの屋敷にずっと一人でいるのか」
「孫の両親は、早くに亡くなっていまして、私が手元に引き取って育てている状況です。
色々複雑な事情があり、同年代の友人と遊ぶ機会を失っていまして、周りには孫の複雑な事情を理解した大人しかいません。
今日孫の日常に変化を与える事が出来るあなた様と会ってからの様子はとてもうれしそうでした。あなた様の時間が許す限りで結構ですので、こちらに滞在中は孫に会って頂けるようお願いしたいと思っています」
「そういうなら、俺は暇だから構わないぜ、しかし、王都サボーナには長く滞在して一か月だ、色々考えたがトリポリ公爵の傭兵になる事は諦めて草原の様子を見に旅を続けようと思っている。それで構わないか?」
「ああ、ありがとうございます。孫も喜ぶと思います。こちらに滞在中は何卒孫と一緒にいて貰えるようお願いします」
ゼインはビアトリクスたちの席に戻った。
「明日以降も暇なら来てほしいと言われたから、一か月ほどを目安にすればいいと返事をしてきた」
「今はやることがないからいいんじゃない。それにしても、ゼインは子供に人気があるからね」
セミラミスにそう言われると、ゼインは心外だという表情を見せた。
「子供だけじゃないだろう。昔から俺は大人、それに女性にも人気だぜ。なぁ、マザラン」
「確かにゼインは不思議な人気がありますからね。謎の一つです」
そのやり取りを、ビアトリクスは夢見心地で聞いていた。
他愛ない会話、慎重に言葉を選ばずに交わす会話を、自分はこれまでしてきただろうかと考える。常に公女という立場で物事を考え、判断してきた過去を振り返ると、こうした日常はなかった気がする。自分の心が弱くなったのだろうかと思ったが、それほど長くはないであろうこの時間を、楽しんでもいいと思えた。




