【081】サボーナの街とトリポリ公爵
アンドラ公国を脱したゼインとビアトリクス一行は、追手を振り切り、無事にティモール王朝の王都サボーナへたどり着いていた。
ティモール王朝の王都サボーナの大通りは、人と荷車、商人たちの呼び声で埋め尽くされていた。
ゼイン一行が馬を進めると、ブーディカがふいに右手で前方を指さした。
「右手に見える一番高い建物が王宮になるの?
それにしては、王宮らしい威容って感じじゃないわね」
「あれはトリポリ公爵の居城だ。
三代前の公爵がティモール王朝の城を買い取って改築したんだ」
エルヴィスが応える。
「えっ、王様が城を売ったってこと?」
「そうだ。当時、その公爵の領地で金脈が見つかって、王家より財力を持つようになった。
ティモール王朝は借金を肩代わりしてもらう代わりに城を差し押さえられた、というわけさ。
笑えない話だろう」
エルヴィスは続けた。
「そんな事情もあって、今はトリポリ公爵がティモール王朝領の実権を握っている。
民衆は公爵の統治に不満どころか、安定と満足を与えてくれる彼を信頼している」
ブーディカは行き交う人波を見回しながら呟く。
「じゃあ、この大勢の人たちは、それを知っていて公爵に統治されているんだ」
「無能な王より、有能な部下が治めてうまくいくなら、民衆はどちらでも良いと思っているのではないか?」
「そりゃ、自分たちの生活が良くなるのであれば、王様でも公爵でもどっちでも良いと思うわね。
それで、その象徴としてお飾りにされた王様はここに住んでいるの?」
「このサボーナの西門の近い所に、塀が高い大きな屋敷に住んでいるという話だ。
今の王様は若いと聞いているが、表に出ないから実際の年齢はわからん。
日常生活に不自由はないようだが、各国の大使を迎えたり、豪華な宴を開いたりといった贅沢はしていないらしい。
一般的な王様が送るような生活とは、だいぶ違うそうだ」
エルヴィスはそこで一度、周囲の人波をうかがった。
「それに、代々ティモール王朝の王となる人物は成人を迎える前に亡くなる事が多いという話もある。
大きな声では言えないが、暗殺されているという噂だ。
トリポリ公爵も先代も、なかなかの悪人かもしれん。
まぁ往来でする話でもない、商館でゆっくり話そう」
ティモール王朝の王都サボーナにあるサイラス商会の商館は、三階建てのレンガ造りであった。
平屋や二階建てが主な街並みの中では、ひときわ目立つ存在だ。
商店の正面通りはトリポリ公爵の居城へと続き、常に人通りが絶えない。
サイラス商会を取り仕切るモーゼルは、商店は人通りが多く、見映えが良く、清潔感のある建物であるべきだと考えており、この立地もその信念に基づいていた。
一階は商店で、他の店より二割ほど値が張ったが、その分品質は確かだった。
上質な品を求める上客たちで、店内はいつも賑わっている。
ゼインたちは、念のため一般客が宿泊する二階と三階を丸ごと借り切り、それぞれ別々の部屋を取っていた。
やがて、二階の一番広い部屋に全員が集まり、今後の対応を話し合うことになった。
ゼインは全員の顔を見回し、口を開く。
「さて、アンドラ公国のモーゼルから、こちらに移動している途中で送られてきた手紙がある。
マザラン、説明してやってくれ」
皆の視線がマザランに集まった。
しかし彼はそれを意識することもなく、淡々と口を開く。
「モーゼル殿からの手紙についてお話します。
「まず、我々がアンドラ公国を離れてから、すでに十日が経過しています。
モーゼル殿の手紙は、その五日後、つまり五日前に書かれたものです」
「ビアトリクス様は、侍女がどのように扱われているか気になると思います。
モーゼル殿の手紙には治療中とあり、命に別条はないそうです」
少し間を置き、続けた。
「アンドラ公国の侍女の取り扱いについて、私の考えを申し上げます。
これまで我々が仕掛けてきた策によって、アンドラ公国は今まで以上に混乱しており、今後もその混乱は続くでしょう。我々がキール将軍と合流した後でさえ、彼らは反乱鎮圧に追われ、動かざるを得ない状況にあります。
このような情勢下では、侍女から話を聞く余裕も、拷問に時間を割く余裕もないはずです。
つまり、アンドラ公国は彼女から詳しい情報を得る前に、我々との戦に備えざるを得なくなります。
現在、侍女は治療中との報せを受けています。
治療が終われば牢へ収監されるでしょうが、我々がアンドラ公国へ攻め入るまで、実際に利用されることはなく、動かされることもないと考えています」
マザランの話を聞いたセミラミスが、ビアトリクスに笑みを向けた。
「あの時は、なんて困ったことを言うんだろうと思ったけどさ。
わがままを言ってよかったじゃないか。
また生きて会えそうだね」
「ええ。幼い頃から一緒だったので、本当に良かった」
ビアトリクスは胸を撫で下ろした。
無事であればそれでよい。
サイサリス公国を再興し、アンドラ公国を攻略するまでは会えないだろう。
しかし、全てが終わればまた今まで通りに会えると思えば、気持ちは少し軽くなった。
ふと、ビアトリクスの脳裏に、アンドラ公国で出会ったシモーネの姿がよみがえった。
異国の地でありながら、自分のために力を尽くしてくれた女性。
あの時、シモーネが動いてくれなければ、今こうして仲間たちと共にいることも叶わなかったかもしれない。
彼女は巧みに言葉を操り、時には微笑みで人の心をほぐし、時には冷徹な視線で相手を縛る。
そんな姿に、ビアトリクスは自分と同じ女性でありながら、どこか畏怖にも似た感情を抱いていた。
「必ず、再び礼を言わなければ」
そう心の中で静かに誓った。




