【079】モーゼルの策略、シモーネの決断
その夜、ゼインと仲間たちは秘かに行動を起こした。
詳細は闇に包まれたままだが、翌朝にはビアトリクス公女の姿が公城から消えていた。
その報せは、アンドラ公国の首脳部に大きな衝撃を与えた。
誰の仕業か。
その答えを最もよく知るのは、他ならぬモーゼルであった。
なぜなら、誘拐を計画したのは、まさに彼自身だったからである。
もちろん、その事実をアンドラ公国は知る由もない。
ゼインたちは公国を混乱させるため、巧みに偽装の痕跡を残していた。
その痕跡を追うために、モーゼルはシュール大公とレギレウス将軍から呼び出しを受ける。
怒号を浴びせられ、命の危険すら感じたが、やがてレギレウス将軍が吐き捨てるように言った。
「下がってよい」
モーゼルは深く一礼した。
「何かお役に立てることがあれば、どうぞお申し付けください」
そう言い残し、静かに執務室を後にする。
彼自身、ゼインたちがどのように公女を連れ出したのかは知らなかった。
だが、落ち着けばゼインから必ず手紙が届くと信じている。
それまでの間にすべきことは一つ。
アンドラ公国の貴族たちに、これまで以上に深く接近し、情報を収集すること。
モーゼルは決意を固め、公城を静かに後にした。
シュール大公とレギレウス将軍から解放されたモーゼルは、サイラス商会の商館に戻った。
食べ損ねた朝食を食べて、使用人に商都ハンザの商館に行ってシモーネに此方まで来て欲しいと伝えてくれるように言った。
先ほどのレギレウス将軍の反応で、モーゼルはアンドラ公国をもっと混乱させる必要があると感じた。
レギレウス将軍は現場を見て数多くの情報を得たはずだ。
その情報を今から考えて何らかの答えを出すだろう。
その答えがサイラス商会であり、盗賊の逃げた先がティモール王朝と悟られてはいけない。
ゼインの機転でサイサリス公国の鍵爪を残してきたのは良い判断だった。
盗賊の仕業と見せかけてサイサリス公国の旧臣が助けに来たと思って貰えればこれに勝る事はない。
しかしサイサリス公国の旧臣の仕業とするには、残された侍女が問題となる。
侍女の発言でサイサリス公国の旧臣が来ていないと言えば、これまでビアトリクス公女と会った者が疑われるだろう。
そうなれば、自分が疑われる可能性もある。
疑いを避ける為に、何らかの手を打つ必要があると考えた。
夕方にシモーネが、サイラス商会の商館を訪ねてきた。
モーゼルは笑顔で出迎えた。そのモーゼルの笑顔を見てシモーネは、ほっと息をついた。
彼女は、何か大事でも起こったのかと心配して来たのだ。
「先日以来です。今日はお呼び頂いてこちらに伺いました」
「シモーネ、早速来てくれてうれしいよ。
今日はシモーネにお願いしたいことがあって来てもらったのだ。
商都ハンザの方に来ていただくのは気が引けたのだが、シモーネとの関係に甘えさせてもらったよ」
商都ハンザとサイラス商会では規模がまるで違う。
本来であればモーゼルがシモーネを訪れなければならない立場であったのだ。
「おじさま、そのような言い方は嫌です。先日もお伝えしましたが、私に出来る事があればお手伝いしたいと考えていますので何なりと仰って下さい」
「ありがとう、早速だけど話をするからね」
モーゼルは昔と変わらぬ口調でこれまでの事を話し始めた。
ビアトリクス公女を誘拐し、サイサリス公国の再興を目指していること。
そして、既に公女を救出してアンドラ公国を抜け出してティモール王朝に向かっているという、驚くべき行動の早さであった。
シモーネは耳を疑い、同時にモーゼルの恐ろしさを感じた。
この話を聞かされた以上、自分も共犯者とみなされかねない。
もし商都ハンザが、ビアトリクス公女を誘拐したサイラス商会と通じていたと知られれば、商都ハンザにとって致命的な打撃となるだろう。
全てを話し終えたモーゼルが、にこやかに口を開いた。
「というわけで、アンドラ公国ではこんなことが起きていて、私はその解決に尽力しているところなんだよ。
シモーネは、巻き込まれたと感じているのかな?
力を貸してほしいけど、巻き込むつもりはまったくないから安心してほしい。
今回こちらに来てもらうにしても、手紙は書かなかっただろう。
商都ハンザとサイラス商会の関係は、あくまで商取引だけだ。
今回の誘拐事件で関係性を疑われるような証拠は、絶対に残さないつもりだよ」
シモーネは、ため息をひとつ。
「久し振りにあったと思ったらこのような大事件を起こすって、私が知っていた頃のモーゼルおじさまとは大違いです。やはり、ゼインと言う方との出会いがその様な変化をもたらしたのですか?」
「そうだね、一日一緒にいれば、一日離れがたくなり、三日一緒にいれば、三日離れがたくなる。
そんな人だよ、彼の為に自分の能力を仕える事に喜びを感じるよ」
シモーネは、おじさまの能力はもっと他の部分で生かす事が出来るはずだと思ったが、言わずにいた。
本人が喜んでいるのであれば、それは幸せではないかと思ったからだ。
「わかりました。
おじさまがそのように言うのであれば、私はお手伝い出来る事をするまでです。
何なりと仰って下さい」
「狙いたいのは一つだ、アンドラ公国を混乱させる。
その為に、盗賊とサイサリス公国の旧臣たちのどちらかが行ったという様に思わせたい。
私の方で、アンドラ公国に入っているサイサリス公国の人間をシュール大公にお知らせする」
「やはり、ビアトリクス公女を助け出す人間が来ていたわけですね」
「厳密には違うが似たようなものだろう。
単純に公女を助ける事が出来るのか偵察に来た元サイサリス公国の兵士といったほうが、正解だな。
彼らの背後に旧臣たちの組織的な後ろ盾はない。
ビアトリクス公女が聞けば喜ぶかも知れないが、彼らに助けられても、先は全く無かっただろう。
シモーネの方で、商都ハンザの商人がルグルスの大森林へ向かった不審な馬車を確認した。
という報告をしてもらいたい。
そうすれば、どちらかにつられる事だろう。
両方から報告が入れば、傷ついた侍女から報告を聞くまでないと、
シュール大公とレギレウス将軍に思わせる事が出来る」
シモーネはモーゼルの意図を理解した。
目に見える状況を作り出してそちらに誘導するということだ。
今朝、囮を西と南へ出して言っている。
そこへ、モーゼルと私からの情報を加える。
情報が多すぎればレギレウス将軍は必ず混乱するだろう。
商都ハンザを巻き込ませず、かつ今回の件については協力せざるを得ない状況に追い込まれたシモーネは、静かに言った。
「おじさまを敵にしたくないですね」
「私も、シモーネと商都ハンザを敵にしたくないと心から思っているよ」




