【073】シモーネ、暗愚に戦慄す
「今回の併合により、アンドラ公国はサイサリス公国の負債も引き受けたことになります。
これをどのように処理されるのか、そのお考えの一端でも伺えましたら幸いです」
それは、あまりにも初歩的な確認でありながら、この国の未来を左右しかねない重大な問題であった。
「ルトニア王国は、アンドラ公国に対して何らかの賠償を請求してくると思うのか」
「ルトニア王国は、サイサリス公国との戦で勝利しました。
これは揺るぎない事実です。
その敗戦国をアンドラ公国が併合した以上、請求しないという選択肢はないと思われます」
シュール大公は、今初めて気づいたかのような表情を見せた。
「それでは、戦争の責任を取ってビアトリクスをルトニア王国に差し出そうか」
シモーネは驚きのあまり、目の前がかすむような感覚に襲われた。
アンドラ公国では、シュール大公が自ら判断することはほとんどないのだ。
他の者であれば当然に理解していることが、彼には分かっていない。
ある意味では哀れな大公だとシモーネは感じた。
必要な情報を与えられず、家臣たちの思うままに操られている様子がありありと見て取れた。
「なるほど、それであればルトニア王国は留飲を下げることができるかもしれません。
しかし、それはルトニア王国にとって喜ぶべき事であっても、アンドラ公国は何も差し出していないのではないでしょうか。
それに今回の併合において、ビアトリクス公女の存在をまったく無視したのはアンドラ公国です。
今さらビアトリクス公女を差し出すことはないと思われます。
シュール大公も、このような分かりきった事を、初対面の私に言わせるとはお人が悪いですね。
何か私を試しておられるのでしょうか」
シモーネは、シュール大公から何かを聞き出すことを諦めた。
この場にレギレウス将軍の姿はなかった。
不在の理由は分からない。
たかが商都ハンザの人間と会うのに同席する必要がないと判断したのか、あるいはシュール大公が義理の父の同席を好まなかったのか、理由は定かではなかった。
いずれにせよ、後ほどレギレウス将軍に会う前に、シュール大公の言質を取ることができれば十分だと考えた。
今回の訪問は公式なものであり、シュール大公の発言はそのまま公式なものとなる。
「シモーネと言ったな。流石は商都ハンザが使わすだけのことはある。
そのように言うからには、私がどのように考えているかも分かるのかもしれんな」
醜悪なシュール大公の顔を見て、シモーネは話の流れが良い方向に向いてきたことを感じ、内心で喜んだ。
「今回アンドラ公国はサイサリス公国を併合しましたが、金銭的には潤っておりません。
そのため、金銭的な要求には対応しかねると存じます。
では何であればルトニア王国の要求を受けることができるかと考えれば、今回併合したサイサリス公国の領地を割譲することであれば対応が可能かと考えます。
どこまでルトニア王国が要求してくるかは分かりませんが、南部においてキール将軍が恭順していない現状では、ルトニア王国との戦争は避けるべきだと愚考いたします」
シモーネの言葉を聞いたシュール大公は、我が意を得たと言わんばかりに大きく頷いた。
「なかなか妥当な所だな。そなたの言う通り、我が国には潤沢な資金があるわけではない。
もっとも、不足しているわけでもないがな。
それにキール将軍が存在する限り、ルトニア王国との戦は避けたいところだ。
ルトニア王国が何を要求してくるかは分からぬが、領地の割譲であれば検討せねばなるまいな」
シモーネは喜色を浮かべた。
「大陸にその智謀を轟かせたシュール大公と同じ考えをすることができるとは、これほど嬉しいことはございません。
商都ハンザに戻った際には、皆に自慢いたします」
シモーネは心の内で、商都ハンザの隣国にはやはりルトニア王国こそが相応しいと喜んだ。
このような低俗なシュール大公が治める国が隣国になるなど、まっぴら御免であった。
「そのように嬉しいのか」
「はい、とても嬉しいです。
それと、私の方から質問があるのですが、お許しいただけますでしょうか」
気分を良くしたシュール大公は、目の前の若い女性の言うことならば、何でも聞きたいと思った。
「好きなだけ質問するとよい」
「ありがとうございます。早速ですが、今回捕らえたビアトリクス公女は、どのような扱いをされるのでしょうか。
これに関しては、商都ハンザとは関わりなく、同じ女性として気になるだけです。
やはりブレント様かザルファ様、どちらかに嫁ぐことになるのでしょうか。
アンドラ公国としての使い道は、それぐらいしか思いつかないのですが、いかがでしょうか」
「ふむ、まだまだ若いな。女性ということもある、ということか」
シュール大公は、もったいぶった様子で口を開いた。
「我が側室とする考えもあるだろう。
息子たちに嫁がせるのも良いが、今後のことを考えるとブレントやザルファの弟が生まれても良いのではないか。
成長してサイサリス公国領を任せてみるのも、面白いと思わないか」
「流石はシュール大公です。そのような考えは及びませんでした。
智謀を持つシュール大公と、勇猛であったオリバー大公の娘から生まれる男子であれば、この大陸を手中に収める器かもしれませんね。
既にビアトリクス公女にはお伝えしたのでしょうか」
「いやいや、流石にまだである。
そなたのように理解が早い者ばかりではないからな。
それにビアトリクスも今はまだ、わしのことを恨んでいるだろう。
ゆくゆくは誤解を解いていきたいと考えている。今の話は、その後のことだな」
「かしこまりました。
一度、私の方でビアトリクス様にお会いしてもよろしいでしょうか。
様子を伺って、シュール大公のお話ができるようであれば、それとなくお伝えしたいと思います」
「そのように言ってくれるのか。しばらくアンドラ公国に滞在していってくれ」
なんという愚鈍。
他人の気持ちを理解するしない以前の問題であった。
全ての事が自分を中心に回っている。
ビアトリクス様が誤解していると思っているのか。
誤解でも何でもない。
ビアトリクス様と直接会ったことはないが、常識的に考えれば、自分の国を乗っ取り、自分の存在を無視しておいて、なお誤解だと思えるその心境が全く理解できなかった。
背中に寒いものを感じながら、公城を後にした。




